ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宇宙戦争

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

進歩した宇宙人は精神性も高いのか?

科学技術が進歩した宇宙人は、精神的にも優れていると思っている人が多いかもしれない。
H.G.ウェルズのSF小説を原作とする1953年の映画『宇宙戦争』で、地球をはるかに超える科学技術を示す火星人の宇宙船に、1人の神父が、こう言いながら近付いていく。
「我々より進んでいるなら、より神に近いはずだ」
しかし、その神父は、火星人の宇宙船が放った熱光線で蒸発させられる。
そして、火星人は、その超科学による恐るべき兵器で、地球を瞬く間に征服していく。

地球人類だって、たとえば千年前と比べれば、科学技術はもちろん、知識も増え、科学的に考えるようになったが、それで本当に精神性が進歩したと言えるだろうか?
あるいは、現在だって、科学的に考える文明国の人々の人間性が、未開民族の人々より高いと言えるだろうか?
そう思っている人も多いと思うが、まともに考えれば、そんなはずがないと分かると思う。

『エイリアンインタビュー』でも、アダムスキーの本でも、科学技術は進歩していても、精神性が低く攻撃的な宇宙人の種族がいることが書かれているが、そのようなことはやはりあると考えた方が良いと思う。

『エイリアンインタビュー』を読むと、我々の魂は、遠い過去、別の星で、既に高度な科学技術を理解している可能性があると思われる。
ただ、それを忘れている(忘れさせられている)のである。
また、我々の魂は神のような力を持っているが、そのことも忘れているので、我々はすっかり無力な状態にある。
だが、我々は魂の記憶を取り戻すことが出来ることを、それに成功した人達の様々な話から考え、十分に期待出来るのではないかと思う。
それには(失われた記憶を取り戻すには)、様々な方法があるかもしれないが、1つの有力と思える方法に、「私は誰か?」と自分に問う方法がある。
まず、知識の上で良いので、自分が神(のようなもの)であることを知り、自分が神であるという確信が自然に生まれるまで「私は誰か?」問うべきであると思う。








目に見えない脅威に対抗するには

昨日は、世界的に評価の高い政治家である我が国の元首相が撃たれて死亡した。これが個人的な恨みによるものか、普通の人には予想も出来ないような組織的犯行なのかは分からないし、ずっと分からない可能性もある。
平和だと思われている我が国も、本当は恐ろしいことになっている。
世界では、大国であるロシアが小国を軍事侵攻し、そのロシアは、(主要メディアの報道とは異なり)実は最良の成果を得つつある。
そして、中国は台湾、日本を狙っていることを隠しもしない。
それ以前のパンデミックは、パンデミック自体も恐ろしかったが、それよりも、それを利用する支配者や企業の醜い欲望を見せ付けられた。
そういった、目に見えるものだけではない。
我が国の主要メディアは既に、単に資本ということだけを見ても外国に乗っ取られているし、我が国の企業も土地も外国に買い漁られ、日本は海外のスパイが楽々活動出来る珍しい先進国であるが、これらは政府の無能・無策が招いた事態だ。

巨悪に対して、ちっぽけな存在である個々や、あるいは、正義のグループはどう戦えば良いのか?
それに関しては、イギリスのH.G.ウェルズの小説、および、それを原作とする1953年のアメリカ映画『宇宙戦争』が参考になる。
今、世界や日本で起こっていることも、地球人が手も足も出ないほど進歩した宇宙人が侵略して来るのに比べれば、少しはマシである(昔は「大いにマシ」であったが)。
他の侵略ものの映画は、儲けだけを考えて作られているので参考にならない。
この『宇宙戦争』では、人類より数千年とも数万年とも言われるほど進歩した火星人の侵略の前に、人類は何の抵抗も出来ない。力の差があり過ぎるのだ。
科学文明を持たない未開の島を、大国の軍隊が侵略するようなものだ。
それでも、地球人の軍人、科学者、政治家らは、あらゆる手を尽くすが、何をやっても全く効果はなく、火星人の地球征服は、あっという間に完了しつつあった。
だが、そこで大逆転が起こる。
人類は何をしたかというと、何もしなかった。
映画の最後、こんなナレーションが流れる。
「万策尽きた時、奇跡が起こり、人類は救われた。賢い神が作った小さな生命によって」

人類は何もしなかったと、さっき述べたが、実は、本当に何もしなかったわけではない。
たとえば、イギリスでは、人々は教会で祈っていたのだ。
こう言うと、「なんだ」と思う人が多いかもしれないが、それが、人類の危機を招いたのだ。
カール・グスタフ・ユングのレインメーカー(雨乞師)のお話でも、レインメーカーは、数年、干ばつに苦しむ村で、何もせずに雨を降らせた。
しかし、レインメーカーは本当に何もしなかったのではない。実は、最も重要なことをしたのだ。
4日の間、神の意思に身をまかせたのである。これが、祈るということである。
祈りは、宗教でもあるが、宗教だけのものではなく、本来、人間の最も重要な営みである。
祈りとは、神の意思に身をまかせることであり、外側から内側に意識を向けることであり、魂に意識を向けることであり、自分を超えた存在に意識を向けることである。
それを忘れてしまったら人類は滅びる。
そして今、滅びに向かっている。
「祈りだけでは駄目で、しっかり地に足を付けねばならない」と言いたい人もいるだろうが、それは、少しだけ間違っている。
しっかり地に足を付け過ぎたせいで祈りを忘れたのだ。
正しくは、「最低限」地に足を付けるのである。
人類は、地に足を付け過ぎるか、全く付けないかの両極端に別れてしまった。
一説では、人間の意識は、顕在意識の割合が5%で潜在意識が95%と言われる。
それなら、顕在意識の10%、地に足を付ければ良い。
あくまで、たとえばであるが、全意識で言えば、0.5%である。
それは、決して小さくはない。
人間の意識は小宇宙なのであるから。








静かに祈る

古い2つのモノクロ映画が、大切なことを教えてくれる。
1953年のアメリカのSF映画『宇宙戦争』と、1957年のアメリカのSF映画『昆虫怪獣の襲来』は、ストーリーは全然違う映画だが、重要な部分が実に似ているのである。

『宇宙戦争』は、H.G.ウェルズのSF小説を映画化したもので、この小説は、他にも何度も映画化されている。
よく知られている映画は、2005年のトム・クルーズ主演の『宇宙戦争』であるが、私は、1953年の、その作品の方を、はるかに高く評価している。
この1953年の『宇宙戦争』では、火星人の宇宙船が世界中に来襲して地球を侵略するのに対し、地球の軍隊が挑むも、火星人と地球人のあまりの科学技術の差で、全く何も出来なかった。
だが、火星人の地球征服が完了する直前に、世界中で火星人が死ぬ。地球のウイルスに感染したのだった。

『昆虫怪獣の襲来』では、実験のため、数機のロケットに、それぞれ別の生物を乗せて宇宙に打ち上げるが、そのうちのスズメバチを乗せたロケットがアフリカに墜落し、放射線を受けたスズメバチが巨大化する。
ロケットを打ち上げた科学者がアフリカに来て、現地の住民達とパーティー(部隊)を作り、苦難の末に巨大化したスズメバチを発見し、繁殖する前に殺そうとするが、持って来た、ライフルや手榴弾の武器では、何の役にも立たない。
アフリカの僻地であり、外部との連絡が全く不可能な中、何も出来ないまま、ついに、多数の巨大スズメバチの幼虫が羽化しようとする。
その時、長い間、休火山だった火山が爆発し、巨大スズメバチを滅ぼした。

次の3つの点がそっくりである。
まず、共に、人間の力は、火星人や巨大スズメバチに全く歯が立たなかったこと。
次に、『宇宙戦争』では、最後、人々は教会で静かに祈ったことと、『昆虫怪獣の襲来』では、誰かが巨大スズメバチに挑む不安を口にすると、その者は誰かに「静かに祈れ」と言われること。
そして、共に、人間は何も出来なかったが、神、あるいは、自然の力によって人類が救われたことだ。

エジソンの言葉を曲解した、日本の学校のような教えでは、「99%の努力をしたから奇跡が起こったんだ」ということになるが、この2つの作品では、人間の奮闘は、何の役にも立っていない。
かといって、おかしな新興宗教のように、「神よ助けたまえ」と祈ればそれで良いというのも何だ。
だが、『宇宙戦争』の最後で、教会の中で祈っていた人々は敬虔で、「神よ助けたまえ」といった感じではなく、ただ、静かに祈っていた。
そして、『昆虫怪獣の襲来』でも、「静かに祈れ」と言ったのである。
「静かに祈る」
なんと心安らぐ言葉か。
それは、この言葉に真理が宿っているからだ。
「静かに祈る」
これを忘れない限り、不幸になることはないだろう。
これさえ覚えていれば、他は忘れても構わないと思う。

尚、両作品共、Amazon Prime Videoにあるが、『昆虫怪獣の襲来』は無償で、『宇宙戦争』は有償である(2021年11月16日現在)。








DSの「家族愛」戦略

普通の権力者からは小物感がはっきり感じられるだろう。
「こいつ、〇〇大臣なのに、どうしてこんなに貫禄がないんだ?」と不思議に思っている人は多いと思う。
表に出ている権力者達は実際に小物であり、真に強力な存在は隠れているものである。
真に強力な存在は「黒幕」とでも言うべきものだが、今は「DS(ディープ・ステート。闇の政府、闇の支配者)」と呼ぶのが流行りのようだ。
ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』では、DS(のようなもの)は、「シークレット」という願望達成の秘法を独占し、一般人に隠しているから、権力を維持しており、ロンダ・バーンは、『ザ・シークレット』で、その秘法を明かしたということにしている。
それが嘘とは言わないまでも、「シークレット」は秘法の重要な部分が抜け落ちており、その証拠に、『ザ・シークレット』を読んだり、DVDを見たりしても、「本当に」良いことがあった人はいない。
ただ、ロンダ・バーンに悪意はなく、きっかけとしては良いものだったと思う。
そもそも、DSの手法は、願望成就の秘法を隠すことではなく、自分達以外を、小市民化、奴隷化することだ。そのためには、人々に小市民思想、奴隷思想を叩き込むのである。
もちろん、学校(教育)とマスコミが、彼らの強力な道具だ。
学校で、優等生だったか劣等生であったか、従順な「いい子」だったか問題児であったかは関係ない。それら全ての生徒に、小市民思想、奴隷思想が叩き込まれているのである。

だが、実を言うと、DSが学校とマスコミを使っても、DSの教育(洗脳なのだが)を、完全にとは言えないまでも、免れたような者達がいる。
そういうのがあまり増えるのをDSは良く思わないのだろう。
その中に、意外に優秀な者がいないとも限らないからね。
それで、いくらか前から、新しい手をさりげなく使っているのだ。
その手段も1つではないのだが、1つ重要なものを挙げると、人気映画などを使って、人々に小市民思想をしっかり流し込んでいることだ。
2000年以降くらいだろうか、壮大なSF作品でありながら、家族愛、あるいは、夫婦愛を押し出したものばかりになっていることに気付いている人は少ないかもしれない。
例えば、同じSF小説を原作とする『宇宙戦争』という映画が、1953年と2005年に作られている。
1953年の映画では、地球人より科学技術がはるかに進歩した火星人が地球を侵略するが、圧倒的な力の差を理解しながら、登場人物達は、あらゆる努力をして立ち向かう。しかし、その全てが失敗するが、最後は意外な勝利を掴む。ここには、勇気、英知、運命といったことが描かれている。
しかし、2005年の作品は、最初から最後まで、ベタベタの家族愛が、宇宙人の地球侵略とは何の関係もなく描かれるが、全ての映画がそんなふうなのである。
ハリウッドの監督やプロデューサーが、DSから、家族愛を一番に考えるような作品を作って国民を洗脳しろと命じられているのである。

「いや、だが、家族愛、夫婦愛は大事だろう?」と言いたい人はいるだろう?
これに対して反論しても、どうにもならない。洗脳された相手に、洗脳されて思想について議論しても何の意味もない。
ただ、こんなことでも言っておく。
昔の日本では、庶民達は長屋と呼ばれる、一種の共同住宅みたいなものに住んでいた。
そこでは、家族同士の壁はほとんどなかった。
子供達は皆一緒にいて、夕食時にたまたま居た家でご飯を食べ、寝る時も、必ずしも自分の親のところに居なかった。
いや、生まれた時から、どの大人も分け隔てなく全ての子供達の世話をし、実のところ、どの子が自分の子か分からなかったのだ。
江戸時代後期の庶民は、だいたい、こんな感じであった。
ここには、分離された家族の中の家族愛なんてものはないが、人々のモラルは高く、思いやりがあり、犯罪率は極めて低く、文化も経済も発展した。

「地球は一家、人類は皆きょうだい」という言葉の空虚感が大きく、笑えるとすら感じるかもしれない。
誰もがこんな言葉にピンとこず、「ごく限定された意味で、そう思うのは良いことなのだろう」程度に思っている人ばかりだと思う。
大事なのは自分の子供で、尊いのは自分の夫や妻であると、全く疑わずに信じている。
そんな人間達は弱い。
ごく限定された意味では強いところもあり、庶民には、そのピンポイントの強さが強調され、「やっぱり家族愛は強い」ということになるのだが・・・

家族がいないなら、あるいは、いたとしても、世間的なベタベタの家族愛に吐き気を感じる・・・少なくとも違和感を感じるなら、やはり、神仏の名を唱えると良い。
神仏と称される圧倒的な存在が、あなたの本当の家族である。そして、あなたのきょうだい、子供、夫、妻、親の全てがそうなのだ。
小さな家族の垣根が壊れるほど、人間は強力になる。自分が神仏と一体化していくのだからだ。








ウイルスは物質主義者を倒す

我々が、「世の中がおかしくなっている」と感じる時、日本に住んでいるなら、日本がおかしくなっているということだ。
では、他の国はどうかというと、当然、日本ほどには分からないが、とりあえず、アメリカ合衆国がおかしいということは分かる。
それでは、その他の国はどうかというと、今は、良い指標がある。
それは、新型コロナウイルスの感染規模だ。
経済力が大きな国ほど感染が大きく、貧しい国ほど、感染は小さい。
一部、公表されている情報と実体が大きく違うと感じる国もあるが、GDP上位の、アメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ブラジルなどは大きく、ベラルーシやエチオピアなど貧しい国は小さい。
(中国は、ほとんど感染者がいないことになっているが、本当のところは分からないと思う)

それで、感染規模の大きな国は、おかしな国になっているのではないかと、私は推測している。
国がおかしくなるのは、多くの国民がおかしくなっているからだが、では、人がおかしくなる原因は何だろう?
それは、「見えないものより見えるものを優先すること」で、つまり、「心より物質を価値あるものとすること」だ。
経済力が高いことは、一般に、物質主義である傾向の高さを示していると言えるだろう。
イエスが、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言ったようにである。
しかし、先進国のほとんどの人間は、ラクダになりたがっている。
目に見えない天国のようなものを信じていないからだ。

昨年のアメリカ大統領選挙と新型コロナで、世界の実体が浮き彫りにされ、今、世界がどうなっているかに、多くの人が気付いたと思う(全く気付かない人も多いが)。
そして、新型コロナウイルス感染が大きい国は、このままいくと滅びることになる。
それを免れる唯一の方法が、物質主義を捨て、物より心を優先することだ。
別に、物質を捨てろというのではない。物質より心を大切にすれば良いのである。

物質主義者が絶対にしないことは、ナーマスマラナ(心で神の名を唱えるという意味)だ。
心の中で唱える念仏も同じである。そもそも、念仏とは言葉の通り、仏を念ずることであり、念ずるとは心で想うことである。
神仏の名を心で唱えれば完全に護られると言ったら、物質主義者は笑うだろうし、自分は物質主義者ではなないと思っている人でも、心の中にある物質主義が違和感や反発を感じるだろう。
一方で、神仏の名を心で唱えれば、一切の問題が解決し救われることは、本当は誰でも分かっているのである。

声を上げるナーマスマラナや念仏は、あまり良くない。
ある真面目な宗教漫画で、若者から老人までが集まって念仏を上げている場面があったが、それはもう不気味で、カルト以外の何物でもない。
一方、1953年のアメリカ映画『宇宙戦争』で、火星人の攻撃になす術なく、滅びを待つだけという中、教会で人々が黙って祈る様子は荘厳ですらあった。
『宇宙戦争』の最後は、こう語られる。
「万策尽きた時、賢い神が創った小さな生命が世界を救った」
「万策尽きる」とは、物質的な意味であり、物質主義を捨てたということだ。
すると、物質主義において、火星人が地球人に優ってしまい、ウイルスが火星人を倒した。
そして今、人間の手を使ったかもしれないが、賢い神が創ったウイルスが、物質主義者を戒めているのである。
ナーマスマラナを真摯に行っていれば(単に、心で神仏の名を丁寧に唱えれば良い)、護られ、必要なものは与えられる。
物に関しても、イエスは、「あなた方に必要なものなど、神はとっくにご存じだ」と言った通りである。
何をすべきか、すべきでないか、働くか、働かないか、努力するか、しないか・・・などは神仏が決め、我々はその通りに自然に行えば良いが、つまるところ、何もしていないのである。
自然であること、それは、快適なことである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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