ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

学歴

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

会社で夢を追えるのは社長一人だけである

学校というのは何のために行くのかというと、修行のためであり、主に、人間関係をこなす訓練をするためである。
修行を終えることができれば、つまり、人間関係をうまくこなせるようになれば小学校だけで十分で、修行が終わらないと、大学、大学院が必要になるが、それでも終わらない人もいる。
実際、小学校中退くらいでやっていける者が最も優秀だ。
学歴と能力、実力は何の関係もなく、本来の実力が発揮できれば、小学校中退~中卒でも十分に活躍したり、大きなことをやっている人はいくらでもいる。
ロケットを作る科学者等や医者になるなら一応話は別だが、将来、人類がUFOのようなものを作るようになれば、その構造は実は単純であることが分かるだろうし、医療は必要なくなる。
いや、高度な知恵は学校の勉強とは全く無関係であり、むしろ、学校がそれを妨げるだけのものであることが分からなければならない。
学校とは、学ぶところではなく、あくまで修行の場であり、教師は、愚かな人間の見本としての反面教師として存在するのであり、生徒達も修行中のロクデナシであることを、当然のこととして認識する必要がある。

会社は何のために行くのかというと、給料を貰うためである。
断言しておくが・・・と言う必要もないほど当たり前のことなのであるが、会社の中で夢を実現できるとか、生きていられるのは社長一人である。
ただ、親会社の言いなりの会社だったり、会長が実質支配しているなどで社長に実際の経営権がない場合は、その会社で生きている人は一人もいないと言って差し支えない。
このことは、全ての人がはっきり自覚し、意識しなければならない。
実権のある社長でもないのに、会社が生きがいだとか、ここで夢を叶えるなんてのは、愚かも度が過ぎる滑稽なことだ。
それは、部長はおろか、常務、専務、副社長であろうが全く同じで、社長以外は全部ヒラと同じなのである。
独立して起業したり、自営をやったり、フリーになれば、自分が社長なのだから、夢も追えるし、生きることができる。
たとえニートであっても、経済的に自立しているなら、社長と全く同じであり、夢の実現は可能である。
だが、自立して経済的にちゃんとやっていけるようになるまでは、学校の延長として、会社で修行するしかない。
会社は、給料をもらいながら修行を続けられる場所で、落第生のための補習用の学校、あるいは、刑務所のようなものである。
専務になろうが、副社長になろうが、人間関係の修行が終わっていないので、訓練を続けているだけであり、学生気分、囚人気分で当たり前なのである。
だから、学校同様(むしろ刑務所に近いのだが)、会社の中も、修行の終わらない、未熟な馬鹿ばかりなのは仕方がないことと認識しなければならないのである。

人間関係の修行が終われば、木枯し紋次郎のようになるであろう。
また、本来の任侠道は、最短時間で修行を終えられるものであったはずなのだ。
木枯し紋次郎が無宿渡世の道に入ったのは、それしか選択肢がなかったというより、無意識のうちに、そのことが分かっていたからなのだろう。
ただし、本物の任侠道は、紋次郎の時代ですら少なかったに違いない。
しかし、現在でも、おそらく、滅びてはいないだろうと思う。
無論、我々は、学校と会社で修行すれば良いのであり、修行が終われば、一人でちゃんと生きていけるようになるのである。









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基本的には学歴はない方が良いと思う

テレビのいろいろな学習講座を見ると、どれも教師が登場する。
それで私は思うのだが、先生達は、格好の良い服・・・少なくとも恥ずかしくない服を着なければならないし、服の綻びや継ぎはぎ等は決してあってはならない。そして、服のしわもない方が良いと思うだろう。
理屈では誰も見ないと思う教師の髪形も、「かっちり」と言うよりは「お洒落」にしたいと思うだろうし、アレルギーのためにまぶたが腫れていたり、寝不足でぱっちりしない目も駄目だろう。
いやはや何とも大変である。
最近、インターネット授業も多くなったが、やっぱり狭い画面の中に教師がしゃしゃり出てくる。

世界最大のオンライン学習サイト「カーン・アカデミー」では、先生は一切出てこない。
先生が身だしなみに気を使わなくていいというだけでなく、生徒も、黒板や解説の声に集中できるからだ。
人間ってのは、子供でも大人でも、人間の顔に注意を向けてしまうものなんだからだ。
カーン・アカデミーのようにやってみたら、「これまでは、なんで先生がいちいち出てこなくちゃいけなかったの?」と思うのである。
ルドルフ・シュタイナーが大昔に、「教師は空気のようなのが最高だ」と言ったのに、誰も聞いちゃいなかったのである。

これはほんの一例で、カーン・アカデミーでは、これまでの学習法で行われていたこと(伝統や慣習)であっても、良くないものは平気でやめ、逆に、これまでは決して行われなかったことでも、良いことはどんどん行った。
だから、素晴らしいものになったのだ。
それができたのも、サルマン・カーンが頭が良かったことと共に、彼が教育学の素人であったことが幸いだったのだ。
彼は、従来のやり方に囚われるどころか、従来のやり方なんて、元々知らなかったのだ。

それでもカーンは、マサチューセッツ工科大学という名門大学で数学と電気工学とコンピューターサイエンスの学位を取り、電気工学とコンピューターサイエンスで修士号を取っているらしい。
そして、ハーバード大学ではMBA(経営学修士)を取得している。ハーバードも最近はマサチューセッツ工科大学に大学ランキングで負けているが、やはり超名門だ。
これらの学位を取ったことが、カーンに取って良かったのかどうかは分からないが、彼がヘッジファンド・アナリストを仕事に選んでいたのが興味深い。
学問を実践的に生かすのに最適な仕事だと思われるからだ。
そんなところからも、彼は実際的であることを重視する賢い人なのであることが分かるように思うのである。

カーンは教育を自分の天職と考えているようだが、ビル・ゲイツも、最近の彼の言動を見ると、彼もまた明らかに教育に取り組む意欲が非常に大きいのだと思う。
また、ゲイツは、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通して、カーン・アカデミーを財政支援しているようだ。
ところで、ゲイツもスティーブ・ジョブズも、あるいは、FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグも学位の1つも持っていない。
ゲイツは初め、ハーバードで数学をやりたかったそうだが、そこの数学科には、彼など足元にも及ばない数学の天才がごろごろいたのでやめたらしい。
しかし、それは、ゲイツが数学者になる宿命になかったというだけのことだろう。
また、18歳頃のゲイツは、まだ学校教育に汚されたところがあって、マイクロソフトで長い時間を過ごすことでそれを洗浄できたのだと思うのである。
ゲイツにしろジョブズにしろ、人間の脳の宇宙全体を包括するホログラムの役割を果たすような潜在能力を、他の人間より多く顕現させたのだろうと思う。
カーンの場合は、学校でよく勉強したからこそ、伝統的な学習法や教育の欠陥を見逃さず、概ねでそれと反対をやれば良いことに気付いたのだろう。

私は、最近、学校でしっかり勉強した、いわゆるエリートの人達と話をする機会が多いのだが、学校の勉強を基盤に考える人は思考の制限や囚われが多いことは、かなりはっきり感じるのである。学歴が10倍なら思考の締め付けも10倍といったところなのである。
せっかく本来の頭は良いのに、学校で駄目になってしまったのだと感じる人も少なくない。
そして、彼らにとっては学歴にプライドがあるところがさらに問題なのである。
そんなこともあり、私は、教育家としてのゲイツに期待したいと思っているのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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