子供達に教えるべきことは、独学の方法と、他人とうまくやっていく方法だ。
メンター(助言者)としての指導者は必要かもしれないが、今の学校の教師は全く必要ない。
そのメンターも、ルドルフ・シュタイナーが、優れた教師の第一の条件に挙げたように、「空気のような存在」であり、汚水や廃棄ガスのような存在じゃない。

教室も不要だ。
あらゆる年齢の子供が交流し、必要に応じて、勉強を、年長の子が年少の子に教えれば良い。
それが最もよく解るし、教える方も、教えることで大切なことを学ぶ。
アメリカに亡命したアインシュタインが、近所の見知らぬ中学生に数学の宿題を手伝ってくれと頼まれて、大喜びで引き受けたことがあった(言うまでもないが無料だ)。それを知った、その子の母親が仰天してアインシュタインに謝りに行くと、アインシュタインは、「僕の方が沢山教わった」と、本気で言ったのだ。そういうふうに思える人であれば、大人が教えるのも、とても良いだろう。

また、子供は、社会で働く大人と交流しなければならない。
日本の教師は、最も子供と接触してはいけない大人ではないかと私は疑っている。
塾の教師までがそうだとは言わないが、少なくとも、子供達は、学校の教師には接触しない方が無難と言えるのではないかと、私は思っている。
さらに望ましい交流は、年齢が違うことはもちろん、国籍や人種も異なる人達との交流で、そんなことが出来るコミュニティを用意してあげるべきなのだ。
様々な人々と交流すれば、ちょっと理解力がある程度の子供が、自分は何でも知っているという愚かな間違いをせずに済む。
また、そういった人々と自由に交流すれば、他人の個性が分かってくるし、自分の個性も発見してもらえる・・・あるいは、自分で発見出来る可能性が高まるはずだ。

日本では夢のような話かもしれないが、欧米の学校は、既にそのような方向にシフトしつつあるのだと思う。
全て子供達の自主的な学習にまかせるアンスクール(非学校教育)や、認知科学やAIの研究者で、教育テクノロジーの開発者であるスガタ・ミトラの教育活動の情報を見たが、それらを総合しても、どう考えても、上記に述べた方向性が正しいことは確実と思える。

そして、現代においては、昔と違ってインターネットがあり、それをうまく使える子供の学習効率は、極めて高い。
その正しい使い方は、多少は、賢い大人が見本を見せた方が良いかもしれないが、案外、子供達だけでもうまくやれる・・・そんな実験を見たこともある。
授業を見たければ、カーン・アカデミーが、学校の授業よりはるかに質の高いものを提供している。
学校で、嫌な教師の下手な授業など受けなくても、科学的なエビデンスのある授業のビデオを繰り返し見た方が、比較にならないくらい有益だろう。












当ブログ著者、KayのAI書。
Kndle版、少しですが値下げしたようです。Kindle版は、一部カラーになります。
Kindle版をご購入済みの方、値下げの恩恵を得られないこと、申し訳ありません。
数学が大好きで、プログラミングもバリバリ、AI理論もスラスラ理解出来るという方は、どうか別の本を選んで下さい。
そうではないが、実用的なAIを自分で作りたい方には、本書をお薦めします。
また、画像の文字が3か9かを判別するといった、自分と関わりがあると思えない問題を無理にやるのではなく、日常の問題、そして、面白い問題にAIで挑みたい方は、本書の採用をご検討下さい。