今回は『老子』第44章である。
この章を一言で言えば「ほどほどに」である。
実を言うと、「この章を一頃で言えば」なんて、どの章も同じになっても全く不思議はなく、もう何度か、同じものを使ったかもしれない。
それほど、『老子』の主張は一貫しており、しかも、とてもシンプルなのである。
だから、どれか1つの章がピンとくれば、後は全部分かるのだと思う。
ただ、同じことを、微妙に言葉を変えて言うのも、感じ方が変わって良いところがあると思うので、もう少し、あるいは、最後まで続けようと思う。
とにかく、『老子』は本来簡単である。
あなたが、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配下に置かれていなければね。
超実用的な哲学や行動原理が必要な時・・・たとえば、戦国時代や戦争中によく言われるのが、孔子や徳川家康が重要なことであると言った「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」や、「何事もほどほどに」ということである。
言い換えれば「極端はいけない」ということで、仏教ではそれを「中道を行く」と言うのである。
たとえば、コーヒーに砂糖を入れると美味しいと思ったとしても、入れてもせいぜい3個までで、10個も入れたら飲めたものではない。
あるいは、いくら酒が好きでも、意識不明になるまで飲むのは飲み過ぎである。
ところが、世の中には、限度を知らない者が多い・・・ではなく、「ほどほどに」が金言になるほど、やり過ぎてしまう者が多いのだ。
上司が失敗した部下を叱る時や、親がいたずらをして人に迷惑をかけた子供を怒るのだって、限度がある。
ところが、多くの者が、その限度を簡単に超えてしまい、弱い者を傷付け、駄目にしてしまうことが多い。
これらは、つまるところ、精神が未熟ということであるが、実のところは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置のせいである。
我々は既に、数万年以上の修行をしているのに、生まれ変わるごとに記憶を消されてしまい、1から修行をしなくてはならない。
だが、人間は、たかだか数十年では、なかなか人格が高度になったりはしない。
しかし、地球上では、せいぜい数十年しか修行が出来ないのだ。
いわゆる人格者と言われる人達は、前世以前の記憶を、無意識にでも保持していて、過去生での修行の成果が現れているのである。
言い方を変えれば、自分が本当は何者であるかを少しでも思い出せば、ただちに人間性が向上し、自分にも周囲の人達にも好ましい存在になる。
それには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うだけで良いのである。
ということは、「私は誰か?」と問うているのに、人格が幼稚であるのは、問い方が足りないのである。
1日10分も問うていないのではないかと思う。
というのは、1日10分も問うていれば、そこそこには向上するし、引き寄せの力もついているはずなのだからだ。
いわゆる発達障害というのは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の影響をモロに受けている者の特徴と思う。
しかし、全ては「私は誰か?」と問うことで解決すると思う。
この章を一言で言えば「ほどほどに」である。
実を言うと、「この章を一頃で言えば」なんて、どの章も同じになっても全く不思議はなく、もう何度か、同じものを使ったかもしれない。
それほど、『老子』の主張は一貫しており、しかも、とてもシンプルなのである。
だから、どれか1つの章がピンとくれば、後は全部分かるのだと思う。
ただ、同じことを、微妙に言葉を変えて言うのも、感じ方が変わって良いところがあると思うので、もう少し、あるいは、最後まで続けようと思う。
とにかく、『老子』は本来簡単である。
あなたが、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配下に置かれていなければね。
超実用的な哲学や行動原理が必要な時・・・たとえば、戦国時代や戦争中によく言われるのが、孔子や徳川家康が重要なことであると言った「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」や、「何事もほどほどに」ということである。
言い換えれば「極端はいけない」ということで、仏教ではそれを「中道を行く」と言うのである。
たとえば、コーヒーに砂糖を入れると美味しいと思ったとしても、入れてもせいぜい3個までで、10個も入れたら飲めたものではない。
あるいは、いくら酒が好きでも、意識不明になるまで飲むのは飲み過ぎである。
ところが、世の中には、限度を知らない者が多い・・・ではなく、「ほどほどに」が金言になるほど、やり過ぎてしまう者が多いのだ。
上司が失敗した部下を叱る時や、親がいたずらをして人に迷惑をかけた子供を怒るのだって、限度がある。
ところが、多くの者が、その限度を簡単に超えてしまい、弱い者を傷付け、駄目にしてしまうことが多い。
これらは、つまるところ、精神が未熟ということであるが、実のところは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置のせいである。
我々は既に、数万年以上の修行をしているのに、生まれ変わるごとに記憶を消されてしまい、1から修行をしなくてはならない。
だが、人間は、たかだか数十年では、なかなか人格が高度になったりはしない。
しかし、地球上では、せいぜい数十年しか修行が出来ないのだ。
いわゆる人格者と言われる人達は、前世以前の記憶を、無意識にでも保持していて、過去生での修行の成果が現れているのである。
言い方を変えれば、自分が本当は何者であるかを少しでも思い出せば、ただちに人間性が向上し、自分にも周囲の人達にも好ましい存在になる。
それには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うだけで良いのである。
ということは、「私は誰か?」と問うているのに、人格が幼稚であるのは、問い方が足りないのである。
1日10分も問うていないのではないかと思う。
というのは、1日10分も問うていれば、そこそこには向上するし、引き寄せの力もついているはずなのだからだ。
いわゆる発達障害というのは、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の影響をモロに受けている者の特徴と思う。
しかし、全ては「私は誰か?」と問うことで解決すると思う。