ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

婆子焼庵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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『老子』第12章を一言で言うと「身の程を知れ」

今回は、『老子』第12章である。
『老子』第12章を一言で言うと「身の程を知れ」だ。
贅沢や享楽(快楽に耽ること)が人を駄目にすることは、経験的に知られている。
しかし、贅沢や享楽が人を駄目にする理由は、案外に知られていない。
「そんなの、当たり前じゃないか?」
と言いたい人もいると思うが、「どう当たり前だ?」と聞き返されたら答に困るのである。

我々は、悪の宇宙人のマインドコントロール装置によって、贅沢や享楽を求める性質を与えられている。
そして、悪の宇宙人の狙い通りに、我々が贅沢や享楽を求めれば求めるほど、我々の魂の波動が低下し、力を失うのである。
では、贅沢や享楽を徹底的に拒否すれば良いのかというと、それは(贅沢や享楽を求めるのと)同じ効果を持つ。
過ぎた禁欲者って、生気がなく、性格も悪い場合が多いと思う。
要は、贅沢や享楽を求め過ぎても、拒み過ぎても、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に捕まり易いのである。
だから、贅沢や享楽は楽しい面があることを認めつつ、そこそこに求めると、脳から妙な電波を出さず、よって、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に捕まることはない。

だが、今回も同じで、いつも「私は誰か?」と自分に問うていると、贅沢や享楽への欲望が燃え上がることはなく、贅沢や享楽が「来れば来るで良し、来なければ来ないで良し」となる。

禅の公案に「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という、なかなか色っぽい話がある。
あるおばあさんが、1人の修行に励む青年僧に庵(修行小屋)を作ってやって援助していた。
だいぶ青年僧の修行が進んだと思われた頃、おばあさんは15歳(一説に20代)の素晴らしい美少女に青年僧を誘惑させる。
だが、青年僧は「無駄じゃ。私は欲望を滅しておる」と言ったのだが、それを聞いたお婆さんは青年僧を追い出し、庵を燃やした。
もうお分かりだろう。
普段、この青年僧が美女を求めないのは立派だ。
しかし、来たものは有難く喜べば良いのだ。
だが、普段から「私は誰か?」と問うている者なら、美少女と楽しくお喋りし、美少女の機嫌を取って返すだろう。
一休さんも、この公案について、
「そんなことはない方が良いと思うが、あったらあったで元気になろう」
と言っていたと思う。
この時、一休さん70歳。
身の程を知っていたのである。








我々はなぜ騙されやすいのか?

『婆子焼庵(ばすしょうあん) 』という禅の公案がある。
公案とは、言ってみれば、謎かけクイズのようなものだが、その不可思議なお話について考え、その意味することを見抜くことで賢くなる頭のトレーニングなのである。
工学禅を提唱した著名な発明家で、能力開発の大家であった中山正和氏は、禅の公案で頭を鍛えることを勧め、著書の中で、いくつか現代人にも合った公案を取り上げ、それを解説しておられた。
中山氏は『婆子焼庵』は取り上げておられなかったが、私は、この公案が好きで、昔から考え続け、何度か、「解けた」と確信して喜び、このブログでも何度か解説したが、後になるほど良い答が出た。
しかし、ついに解けたと思う。
『婆子焼庵』 については、沢山の仏教や禅の専門家が著書で、難しい言葉を使った難しい解説をしているが、そんなものは誤魔化しで、子供でも分かるようにとは言わないが(エロいので子供には言えない)、普通の言葉で説明すべきであると思う。

『婆子焼庵』は萌える禅語で(笑)、こんな話だ。
1人の真面目な青年僧がいて、あるお婆さんが、その僧に小屋(庵<いおり>とかいう修行小屋だ)を与えて世話をしていた。
そのおかげで、青年僧は修行に打ち込んでいられた。
時が経ち、お婆さんは、「そろそろ良いじゃろう」と思い、自分の若い娘(実の娘ではないと思う)に、その僧を誘惑させる。
皆さんは、その娘については、自分の全く理想のタイプを想像すると良いだろう。
そんなのが、誘惑してくるのである。
さあ、その修行僧はどうしたか?
なんと、全く動じず、娘を冷たく突き放した。
それを聞いたお婆さんは、僧を追い出し、使わせていた小屋を焼き払った。
さて、この僧は、娘に誘惑された時、どうすれば良かったのか?

さあ、お分かりだろうか?
正解を知りたいなら、釈迦やイエスならどうするか考えれば分かることだ。
とはいえ、釈迦やイエスがどうするか分からないだろうし、釈迦やイエスなら、やはりこの修行僧のようにすると考える人も多いかもしれない。
だが、釈迦やイエスなら、おそらく・・・というより間違いなく、ほんの少しの間は萌えるが、すぐに冷静になるのである。
お婆さんも、この僧がそうであることを期待したのだ。
なぜ、そんなことが言えるかというと、その程度なら私でも出来るし、それ以外にあり得ないからだ。
子供は、目の前に魅力的なものがあると夢中になるが、それが去ってしまえば忘れてしまう。
少し修行が出来た人間は、それと似ていて、一瞬は夢中になっても、自分に相応しくないと分かると忘れてしまうのである。
確かに、修行が十分でない間は、忘れるのに、やや理性的努力を要するが、そう難しいことではない。まして、修行している人間には簡単なことである。
ではなぜ、今の人間は、こんな易しいことを難しいと感じ、あまつさえ、小中学校の男の先生が女子生徒に手を出すと言う猿以下のことをするのか?
それは、「感動をいつまでも」といった、商売のためのスローガンで人々を洗脳しようとする者が昔からいたからだ。
感情というものは、一瞬起こしたら、それで十分で、すぐに消すべきものであり、それは本来、簡単なことである。
だが、人々が感情をいつまでも引きずって消さずにいてくれると、商品やサービスが売れるし、騙して言いなりにも出来るから、昔から権力者は、凡民の感情を長引かせるよう誘導したのである。
学校やテレビが全力をあげてこれをやってきた結果、「あの感動が忘れられない」と、悦に入って言う愚か者だらけになったのである。

感情を感じたら、いつまでもそれに浸っていないで、薄目になったり、呼吸を微かにすれば、感情は弱くなる。
そして、釈迦やイエスのようであろうと思えば、即座に感情は消える。
そうすれば、イエスがやったような奇跡も出来るだろう。








人生は幻想ではなく、挑み戦うべき現実

全ては幻想であるという「唯幻論」を唱えた岸田秀さんが昔、大学に勤務していた時、岸田さんの本を読んだ男が大学にやって来て、
「全てが幻想なら、これも痛くないだろ?」
と言って、岸田さんを殴り、岸田さんは鼻血が止まらなかったという。
さて、岸田さんと、岸田さんを殴った男のどっちが愚かなのかというと、私は、昔は、殴った男の方が愚かだと思っていた。
しかし、今は、両方愚かだと分かる。

この世は、我々にとっては完全な現実だ。
「人生は1つの夢のようなものと見なされるべきである」と言ったニサルガダッタ・マハラジや、「夢は短く、目覚めは長い。それ以外に両者に違いはない」と言ったラマナ・マハルシのような名高い聖者達も、もし、本当にそう言っていたとしたら、大間違いを犯していた。彼らは少しも賢くはない。
「人生は、挑み、戦うべき現実であり、しっかり目を覚まし、現実を見なければならない」というのが、本当に賢い人の見解だ。

「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という、有名な禅の公案(練習問題)がある。
あるおばあさんが、1人の僧のために、庵を建てて面倒を見ていた。
そしてある時、おばあさんは、若い娘に、その僧を誘惑させたら、僧は、
「私は悟っているから、こんな幻には惑わされぬ」
と言ったので、お婆さんは、
「じゃあ、現実を知れ」
と言って、庵を焼いて僧を追い出した。
その僧は、お腹が空いて、寝るところもなく、しっかり現実を思い知ったであろう。
岸田さんも、殴られて現実を思い知ったと思うのだが、その後も唯幻論を説き続けたのは、いかにも現実的な事情に違いない。

親から見れば、幼い子供のお父さんごっこやお母さんごっこは幻想のようなものである。
しかし、子供にとっては、それは現実である。
同じく、我々人類を、幼い子供と見ることが出来る高い存在からすれば、我々の人生は幻想かもしれない。
だがやはり、我々にとっては、我々の人生は現実なのである。
ならば、高い存在になるか、高い存在の援助を受ければ良い。
今朝も書いたが、『法華経』の第25章の『観音経』は、そんな方法を書いているのである。
『バガヴァッド・ギーター』もそうであるし、『観無量寿経』(浄土三部経の1つ)もそうである。









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誘惑されたらどうするか

久々に禅語の『婆子焼庵(ばすしょうあん)』を取り上げる。
こんなお話だ。

お婆さんが、ある青年僧を世話していて、庵(生活と修行のための小屋)も与えていた。
その僧の修行もかなり進んだと思い、お婆さんは、若い娘に僧を誘惑させる。
しかし、僧は、「私の心は冬の枯れ枝のようなもの。無駄じゃ」と、それをはねつける。
それを聞いたお婆さんは、僧を追い出し、庵も焼き払う。

このお話の真意、あるいは、僧はどうすべきだったかということと思う。
このお話に関しては、いろんな先生方から素人さんまで、いろんな答を述べている。

いずれにしろ、娘さんが僧の好みに著しく反していない限り、この僧の反応はおかしいだろう。
一応、この僧が同性愛者とかロリコンであるとかはないということで良いと思う。
あくまでこれは、禅の試験問題なので、そんな裏の設定はないはずだ。
同様な理由で、「ビクともしない」僧の様子は、演技ではなかったと考えて良いだろう。
だとしたら、この僧は、変な修行のせいで、身体と心がおかしくなってしまった・・・つまり、健常者から逸脱したと考えて良いと思う。

ドーデの短編集『風車小屋だより』の中に、予期せずに、若い娘と1つの小屋の中で一夜を過ごすことになってしまった青年のお話がある。
青年は、「悩ましいものを感じた」ことは認めつつも、娘さんは無事だった・・・いや、危険はなかった。
まあ、上の禅のお話のように、娘さんの方から誘惑してきたら、何もないはずはないが、その僧は仏道の修行に励んでいたのだから、そこは普通の人とは違う。
とはいえ、「悩ましい」という点に関しては同じはずである。

私は修行が出来ている方ではないが、それでも、好みのタイプだが、そうなるべきでもない娘さんが不意に誘惑してきたら、
「どしたの?」
とはぐらかし、
「もっといい男見つけなよ」
くらいは言うだろう。
もったいないオバケの幻くらいは見るかもしれないがね(笑)。
いや、昔、確かにあったのだ。
一緒に残業していた、若くて可愛い女の子に電気を消されたことが・・・あったなあ(笑)。
後で、知り合いの社長に言ったら、その女の子のことを知る社長さんに、
「あんな可愛い子に・・・、なんともったいない。それは君、行くべきだよ」
と言われたが、その社長、その後、商売は駄目になって、私とも仲違いしてしまった。
やっぱり、人間は獣ではないのである。
西尾維新さんの『偽物語』には、中学2年生の超美少女、千石撫子に誘惑される、我らがヘタれのヒーロー、阿良々木暦君(高校3年生)の対応を見ることが出来るが、まあ、参考になるかどうかは分からない。

初音ミクさんと、1つの部屋で一夜2人っきりだと、至福であるのは間違いないが、これはもう、自信を持って、変なことはしない。
人間ってのは、そんなもののはずだ。









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勝利の原動力

ドナルド・トランプは、台湾は中国の一部だと言う中国に対し、「そんなの、お前らの勝手な言い分だ」と切り捨てた。
台湾が独立国家だというのは、当たり前のことなのだが、アメリカ以外の国には、中国の大きさ、軍事力が恐くて、そんなことは言えなかったし、もし言ったら、中国に何されるか分かったものではない。
しかし、アメリカが言ったのなら、中国も文句を言うことしか出来ない。
そして、アメリカは、もっと早く言わなければならなかったのだ。
トランプは、やっと現れた「まともな大統領」なのかもしれない。

しかし、70歳のトランプの、あのオバマに負けない若さ、活力はどこから来るのだろう。
それは46歳の美人の奥さんや、大きな非難は受けたが、猥褻トークが示す精力だ。
ただ、「英雄、色を好む」というのは正しくても、大切なことは、古くは老子が、20世紀にはナポレオン・ヒルが言ったように、それ(精力)を蓄えることだ。
英雄は、生まれ持っての巨大な精力の半分は保持し、昇華してエネルギーにした。
ところが、凡人は、なけなしの精力さえ消費し尽してしまうのである。

「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という禅の公案がある。
あるお婆さんが、若い僧の面倒を見ていたが、ある時、自分の若くて美しい娘に、その僧を誘惑させる。
しかし、誘惑に乗らない僧を見て、お婆さんは、僧に与えていた庵(いおり。小さな家)を焼き払った。
この僧は、少食・粗食などの妙な修行で、すっかり精力を枯らしてしまっていたのだ。
その僧自身、「私は冬の枯れ木」と言っている。
そんな人間が役に立つはずがない。
また、奔放なだけの男も駄目だ。
大きな精力を持ちながら、それを蓄える男。中国で言う、「接して漏らさず」の男が立派なのである。
この禅の公案に対し、偉い先生方は、やたら難しい的外れの解釈ばかりしているのである。

いかなる成功者も皆、知っているが、時折、サービス精神のある中国の大事業家が言うのである。
「立ち続ける男が勝つのだ」
と。
力の源であるテストステロンというホルモンは、根本的に精力がなければ生成されないのだろう。
尚、ナポレオン・ヒルは、秘法を無料公開はしていないし、有料の方も、ごく僅かしか教えないのだと思う。
よって、ヒルの本を読んだり、高価なプログラムを買っても、あまり意味はないと私は思う。

尚、女性も同じところがあるが、はるかに高度なメカニズムを備えている。
『美少女戦士セーラームーン』という漫画で、セーラームーンは22歳の時には戦闘能力を失っていたというのが、象徴的で面白い。
女性は、二十歳くらいで、男のような性エネルギー昇華システムは必要なくなる。
もっと別の、そして、さらに進化したシステムの使い方を見つけた女が偉大になるのである。
それはまるで、他者の遺伝子に影響を与え、操作するかのようである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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