ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

姥捨て山

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『姥捨て山』は本当に悲惨な話だろうか?

この季節には時々思い出すのだが、私は子供の時、黄金虫を飼育していたことがある。
黄金虫も秋には死ぬのだが、私は、この黄金虫にはいつまでも生きて欲しいと思い、来年まで生かしてやろうとすら思った。
しかし、そんなことは不可能だ。
ある時、黄金虫が私に言ったものだ。
「坊ちゃん、まず最初に言っておくが、あっしは、籠に閉じ込められて生きたことは悲しんではいない。それは別に、外での危険・・・鳥やアブなどから逃れられたからでもない。確かに、子供を作ることはできなかったが、それは他の仲間がやってくれているのだから、それで良いことだ。あっしは、いつだって自分の運命を受け入れて楽しんできた。そして、自然のままに死ぬのは楽しいことなのだ」

ところで、どこの国にも、「姥捨て山」のような伝説がある。
老人を口減らし(食料などの節約)の為に山に捨てるのだが、息子が担いで捨てに行くという話が多いと思う。
我が国でよく知られているものに、こんな話がある。老母をもっこ(竹や縄で作った運搬道具)に乗せて山に捨てに行く時、背中の母親が、度々、木の枝を折るのを見て、息子が、「何してる?」と問うと、母親が、「お前が帰りに迷わないように目印をつけている」と言う。それで、心を動かされた息子は、母親を捨てることができずに連れ帰る。
私は、この話に強い嫌悪感を感じる。
一見、この母親は息子思いのようだが、自分のために息子を苦しい状況に追い込む母親だ。この母親は、前世で、この息子に恨みがあり、復讐を果たそうとしているに違いない。
捨てられる老人は、60歳くらいだろうか?
あくまで私の感覚だとしておくが、老人でない私にしたって、法的に捨てられるなら、それはそれで嬉しいと思う。
いや、正直言うと、そうであるなら、どれほど喜ばしいかと思う。
自殺ってのは、どんな時代、どんな場合も罪であると思う。
しかし、法に従ってのことなら、寿命が尽きる前に死ぬことも赦されるのではないだろうか?
誰に赦されるかというと、宇宙の理とか、神仏にである。

まあ、あまり若い場合は問題であるが、ある程度の年齢になれば、自己申告によって死んで良いことになればと思う。
ただし、家族や親戚、その他、周囲の者がそれを促すのは罪悪である。それは、法によって罪とすべきだし、神仏の前でも罪である。
死ぬと言っても荘厳な儀式などはいらない。
山の中に捨ててくれれば良い。
捨てられる者は、
「私は死ぬのが本当に楽しみなのだ。私はあの世を信じて疑っていない。だから、念仏を唱えて、あの世に行けるのがこの上なく嬉しい」
と言い、本当にそう思えるようになれば良い。
また、なれるはずなのだ。

時代が下ってから、人間は欲望が強くなり過ぎ、生に執着するようになってしまった。
だが、私が子供の時に共に過ごしたあの黄金虫のように、運命に従い、運命を楽しみ、そして、時期が来れば喜んで死んでいくことを受け入れていれば、人生は貴く、素晴らしいものになる。
人間ってのは、無になれれば不可能はなく、それは、神に限りなく近付いているということと思う。
そして、無になる方法とは、命を捨てることだと思えるのである。これは、別に、宗教的、哲学的な意味でなく、ちょっと何かの道に通じたような、人生をよく知っている者なら誰でもそう言うと思う。
往生と言うのを、肉体的に死ぬことだと思っている人が多いが、肉体的な死は別にどうでも良いことと思う。
太古の人は、生と死に特に区別をつけなかった、あるいは、つかなかったのだと思う。そして、それが正しい感覚なのだろう。
江戸時代の臨済宗の禅僧であった至道無難(しいどうぶなん)は「生きながら、死人となりて、なり果てて 思いのままにするわざぞ良き」と言ったらしいが、「生きたまま死んでしまえば自由自在だ」くらいの意味だろうか?もちっと分かり易く言えよ、無難さんと言いたい気もする。しかし、これが太古の優れた知恵の復活である。
命を捨てるとは自我を捨てることで、自我を捨てるとは、肉体や心としての我に一切の価値を認めないということだ。
それは、自力を頼まない、即ち、自分には何の力も無いということを認めることだ。
そうであれば、高い存在に頼み、委ね、すがり、一切を任せることができるようになるだろう。
我々は、ハエが宇宙船を止めようとして苦しんでいるようなものだ。
人間のやる善いこと、悪いことなど、その程度のことと、早く理解することだ。
そして、宇宙船を止めることだって簡単にやってのける神仏に任せるだけの知恵を得れば良いのではないかと思う。









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姥捨て山の話はペテンだ

姥捨(うばす)て山とは、高齢になった人間を山奥に捨てることで、社会の口減らしをするというものだ。
ところで、昔話として、姥捨て山には2通りある。
1つは、社会が危機に陥った時、捨てたお婆さんが、良い知恵を与えてくれて国や人々が救われ、年寄りの知恵を見直すというもの。
もう1つは、息子が、捨てるために母親を背中に背負って山奥に入っていくと、母親があちこちで木の枝を折る。息子が何をしているのかと聞くと、母親は、お前が帰りに迷わないよう目印をつけていると言い、感じ入った息子は母親を捨てることが出来ずに連れ帰るというものだ。

いずれも詐欺のような話である。
第一の、老人の知恵で救われたという話であるが、それでは、実利を与えてくれない老人、はては、人間には価値が無いと言っているようなものだ。
実際、老人の知恵が実益になる場合はむしろ非常に少ない。
これは、なんとも実利主義、物質主義に染まった卑しい話である。
老人には素晴らしい知恵があるが、物質主義に陥った人間や社会にとって、それは何の価値もない。
それは、少なくとも、実利と直接的な関係はない。
だが、物質主義に偏らない、魂を尊重する人間にとって、それは貴いものなのである。
このお話を思うと、助かるために、良いアイディアを出そうと必死になる悲惨な老人の顔が浮かぶのである。
しかし、そんな欲を捨てた時に、真の知恵と一体化するのである。

第2の、息子を気遣う母親も卑しい。
これは、自分の愛情をアピールし、息子の情を呼び起こす浅ましい行為ではなかろうか?
それが成功すれば、息子を困難に陥れることになるだろう。
姥捨てが良い悪いの問題ではなく、捨てられるのが運命であれば、それに従うまでである。
そして、息子が妙な情を持たないよう、これが我々の運命なら従うしかないのだと諭し、運命からは決して逃れられないし、お前が私を捨てるのは運命であるのだから、お前の意思でどうにもなるものでもないと教え、息子の罪悪感を拭ってやるべきなのだ。
それでこそ、知恵ある老人である。
昔のことであるから、捨てられる年齢は50歳くらいのものだろうか?
それまでに、人生への執着を断つことである。
楽しい思い出のあまりない、苦しいことばかりの人生だったかもしれないし、思い残すことも多いに違いない。
だが、人生とはそんなものである。
そして、この世で楽しむことが人間の務めではない。
むしろ、なるべく苦しみ、それに黙って耐えたことで、神は、「もうよい。お前の務めは終った。その地を離れ、ここにおいで」と言われるのである。

第1の老人も、第2の老人も、有能で親切であったとしても、自我に生きる人間である。
この老人達は、若いうちは、案外に弱い者いじめをしたようなタイプではないかと思う。
世間では、学校でも、会社や病院、警察その他の職場でも、必ずいじめの話がある。
御存知のように、学校では、生徒同士もあるが、教師から生徒に対するいじめ、立場の強い教師から立場の弱い教師へのいじめもあり、それはもっと凄惨(せいさん。むごたらしいこと)かもしれない。
人類からいじめはなくならない。
自我としての人間はいじめが大好きだ。死ぬほど好きなのだ。
たまたま強い立場にある者が、弱い立場の者を虐げるのは当たり前なのだ。
そして、姥捨て山の話の優しい年寄り達や、別に年寄りでなくても、自我的に親切な者というのは、本質で同じだ。
表向きは天使のような人が、裏ではひどいいじめをしているなんて、よくあるどころか、普通のことである。
平家物語には、「奢れる者は久しからず」とある。
それは別に、権力者や金持ちのことばかりではない。
自分より弱い立場の者を虐げる者全てのことだ。
あるいは、優しい仮面の下でほくそ笑む、世間的善人も同じだ。
そんな者達は、皆、すぐに悲惨な状況になる。病気になったり、大事故に遭ったり、騙されて大損害を被ったり、家族や親しい人に裏切られたり、予期しない大失敗から破滅する。表向きはうまくいっている場合は、もっと悲惨である。
「奢れる者も久しからず」
自制なんて意味はない。ただ、苦しみに黙って耐えることだ。
人生は悲劇である。死ぬまで逃れられないのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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