子供の頃は、願い事を叶えるなんてわけなかった。
それも、全く狙い通りに、正確に思った通りにしてしまう。
ずっと後で思い出すと、全くデタラメなほどで、あまり真面目に考えると、どこか狂おしいほどだ。
欲しいと思ったものと全く同じものをお客さんが持ってくるし(かなり特殊な模型だった)、見たいと思ったお話の映画が、その晩に放送される。
天体望遠鏡が欲しいと思ったら、その日に、親から、「親戚の大学生のお兄さんがアンタに天体望遠鏡あげるって言ってるらしいけど・・・」と言われる。
本当に無茶苦茶だった。
小学生の時、クラスにすごく可愛い女の子がいて、彼女の家を見たいと思ったら、たまたま一緒に帰っていた男の子が、じゃあ、その子の家に行こうと言い、連れられていったら、今思うと、彼女は宗教的な場所で、小さい子供達の面倒を見ていた。彼女だってまだ9つか10だったのだけれど。
オートバイのサイドカー(横に人が乗れる座席の付いたオートバイ)なんて本当にあるのかと思いながら、一度見たいと思ったら、次の瞬間、目の前を走って過ぎる。後にも先にも、サイドカーを見たのはその時だけだ。
だけど、私が特別だったとは思わない。
忘れているだけで、きっと誰でも同じなのだ。
子供にとって、世界は硬いものじゃなくて、「柔らかいもの」なのだ。
なぜだろう?
子供ってのは、9つまでは、時間の観念をほとんど持っていないからだ。
私は、高校に入るくらいまでそうだった。
どんなものでも、初めて見るように見ることができたし、心から出て来た自分の言葉を信じていた。
道元は、薪が燃えて灰になるんじゃないと言ったが、そんなことは当たり前だった。
薪は薪で、灰は灰だ。
薪は完全に薪で、灰は完全に灰なのだ。
生は完全に生で、死は完全に死だ。
それらは、いつでも同時に存在しているのだ。
妖精というのは、いつもそんなものの言い方をする。
だから、妖精と話していると、世界を動かすことはわけがなくなる。
ジロドゥの書いた『オンディーヌ』に出てくる、15歳の水の精オンディーヌは、本当にそんな話し方をする。
あなたも、妖精の書に親しむと良い。
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それも、全く狙い通りに、正確に思った通りにしてしまう。
ずっと後で思い出すと、全くデタラメなほどで、あまり真面目に考えると、どこか狂おしいほどだ。
欲しいと思ったものと全く同じものをお客さんが持ってくるし(かなり特殊な模型だった)、見たいと思ったお話の映画が、その晩に放送される。
天体望遠鏡が欲しいと思ったら、その日に、親から、「親戚の大学生のお兄さんがアンタに天体望遠鏡あげるって言ってるらしいけど・・・」と言われる。
本当に無茶苦茶だった。
小学生の時、クラスにすごく可愛い女の子がいて、彼女の家を見たいと思ったら、たまたま一緒に帰っていた男の子が、じゃあ、その子の家に行こうと言い、連れられていったら、今思うと、彼女は宗教的な場所で、小さい子供達の面倒を見ていた。彼女だってまだ9つか10だったのだけれど。
オートバイのサイドカー(横に人が乗れる座席の付いたオートバイ)なんて本当にあるのかと思いながら、一度見たいと思ったら、次の瞬間、目の前を走って過ぎる。後にも先にも、サイドカーを見たのはその時だけだ。
だけど、私が特別だったとは思わない。
忘れているだけで、きっと誰でも同じなのだ。
子供にとって、世界は硬いものじゃなくて、「柔らかいもの」なのだ。
なぜだろう?
子供ってのは、9つまでは、時間の観念をほとんど持っていないからだ。
私は、高校に入るくらいまでそうだった。
どんなものでも、初めて見るように見ることができたし、心から出て来た自分の言葉を信じていた。
道元は、薪が燃えて灰になるんじゃないと言ったが、そんなことは当たり前だった。
薪は薪で、灰は灰だ。
薪は完全に薪で、灰は完全に灰なのだ。
生は完全に生で、死は完全に死だ。
それらは、いつでも同時に存在しているのだ。
妖精というのは、いつもそんなものの言い方をする。
だから、妖精と話していると、世界を動かすことはわけがなくなる。
ジロドゥの書いた『オンディーヌ』に出てくる、15歳の水の精オンディーヌは、本当にそんな話し方をする。
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