ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

奇跡

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

不思議なまじない

私が小学4年生の時、クラスに奇妙な男の子がいた。
私は、特に彼と仲が良かったわけではないと思うが、時々、2人で一緒にいたことがあり、そんな時は、いつも楽しかった。
で、その子がどう奇妙なのかというと、その時は「予知能力」と言っていたが、それは、別の誰かが、その奇妙な男の子には「予知能力がある」と言っていたから、真似して私もそう言っていただけだ。
その子は、本当に予知能力があるように思えた。
たまたま教室に2人だけで居た時、彼が、「最初に入ってくるのは山田君だ」と言うと、本当にそうだった。
また、テストの答案用紙が帰って来る時、皆いつも、答案用紙の点数が書かれたところは折り返して、人に点数を見られないようにしていたが、彼は一度、返される前に「僕は95点だ」と言った。
そんなことが分かるとは思えなかったが、彼が私に見せてくれた答案用紙には、確かに「95」という点数が書かれていた。
彼はそれほど勉強が出来るようには思えなかったが、そんなに良い点を取れた子が他にいるような気がしなかったので、不思議な感じがした。
こんなこともあった。
休憩時間に、その彼と一緒に外にいたら、向こうに、クラスの人気者の美少女が歩いているのが見えた。
すると彼は、「〇〇(その美少女の姓)さんは手提げ(バッグ)を落とす」と言う。
その直後、本当に彼女は手提げバッグを落とし、慌てて拾い上げていた。

その男の子は、私の他に、2~3人に、同じようなことを見せたことがあるようだった。
ところが、私は、あの美少女が手提げバッグを落とすのを見た時、「どんなふうにやるの?」と尋ねたのだが、どうも、彼にそんなことを聞いたのは私だけらしい。
何度か書いたが、私もなかなかミラクルなことが出来たので、それほど違和感を感じていなかったのだと思う。
それどころか、自分にも出来そうな気がしたのだ。
そうしたら、彼はあっさり教えてくれた。
彼は、あるアニメのあるキャラクターを知っているかと問うので、私は知っていると答えた。
私は、そのキャラクターをあまり好きではなかったが、彼はお気に入りのようだった。
そのキャラクターが「君のテストは95点だ」と言うのを心で聴くのだそうだ。
私が、「テレパシーで話しかけてくるのか?」と聞いたら、そうではなく、自分で、そのキャラクターの声で心の中で言うのだそうだ。
あの美少女が手提げバッグを落とした時は、「〇〇さんが手提げを落とす」と言ったそうで、つまり、彼が意図的に落とさせたことになる。
尚、テストの点数に関しては、全然出来たように思えなくても、そうやれば決めた(良い)点に出来るようだ。便利なものだ。

こんな面白いおまじないを教えてくれたのは、彼が2人目だった。もう1人のことも、そのうち書くかもしれない。実は、両方忘れていたのだ。
それから、私は、下校時、いつもと違う道で帰る途中、全く人通りがない中で、自分のお気に入りのアニメキャラクターの声で、心の中で、「〇〇(例の美少女)さんが向こうから来ます」と言ったら・・・本当に来た。
彼女は優等生なので、にっこりしながら私の名を呼んだが、私は何も言い返せなかった(劣等生なもので 笑)。
その後、1回か2回、何かでこの力を使ったような気がするが、受験や資格試験で「合格です」といったようなことはやらなかった。
そして、ずっと忘れていた。
妙なことを思い出した。
何かでまた使ってみよう。
ただ、無意識で使っていたような気もするのである。
マジカルミライで、前から2~4列の席を何度も引き当てているのも関係があるのかもしれない。
コツは、とにかく信頼を感じる人物(実在、架空を問わず)の声でやることで、若干、練習が必要かもしれない。








奇跡を起こせる時と起こせない時の違い

何度か書いたことがあるが、私は子供の時に見た、西洋のある古いモノクロ映画の、こんな一場面を印象深く憶えている。
アパートのかなり高い階で、5歳位の男の子が落下しかけていて、母親が両手で、その男の子の両手を掴んでいた。
母親が手を放せば、男の子は地上に落下し、ほぼ間違いなく死亡しそうだった。
状態的に、母親は、男の子を引き上げることが出来ず、だんだん手が疲れてくる。
男の子は、聖書の詩篇91番を教わったことがあるのかもしれない。
そこには、こう書かれている。
「彼ら(天使達)は、その手であなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする」
男の子は、自分が地上に落下する様子を想像する。
天使達がやってきて、自分を支え、自分は笑いながら地上にふわりと着地する。
男の子は母親に言う。
「ママ、手を放していいよ」

結局、その男の子は救出されたが、もし、母親の力がつき、手を放して地上に落下していたら、男の子はどうなっただろう?
まず、間違いなく、男の子は死んでいただろう。
男の子は、自分は天使に助けられるという信念を持っていたに関わらずである。
心から信じたことは実現するはずなのに、なぜだろう?
母親の「落ちたら死ぬ」という常識的な信念が実現する、あるいは、その信念がこの男の子に伝わるのかもしれない。
また、この男の子だって、そこそこの高さから落下して痛い目に遭った覚えはあるだろうから、いざ落ちると、それを思い出して恐くなり、「天使に助けられて死なない」という信念が壊れてしまうのかもしれない。
それは分からないが、死ぬことは、やっぱり確かと思う。
だが、希に、本当に奇跡的に確かることがある。
おそらく、歴史の中で、そんなことが何度も起こっているが、実は私も(これも何度か書いたが)、4歳の時に、少なくとも2階の窓から地上に落下したが、かすり傷1つなかったことがある。家族の話では、私はケロリとしていたのに、慌てふためいて駆けつけた親の様子に驚いて泣き出したらしい(笑)。
私は、覚えている範囲でも、とんでもない高いところから飛び降りたり、逆に、飛び上がったりをよくしていた。

ところが、私は、中学1年生の秋頃に、急にそれが出来なくなったことも覚えている。
それで、あの映画の男の子のような状況で、あの男の子のように聖書の話を信じていても、やっぱり死んでいた理由が分かるのである。
つまり、やり方だけは憶えているのだ。
それは、落下する瞬間や飛び上がる瞬間に無意識になることだ。
あの映画の男の子は、意識がある限りは、やはり墜落すれば死ぬ。逆に言えば、無意識になれば助かる。

あらゆる引き寄せがそうだ。
無意識になれば叶うのである。
それも一瞬で良い。
無意識になっていれば良いのなら、失神していたり、眠っている場合はどうかというと、これは鎌倉時代の禅僧、道元も言っているが、意識はなくても自覚がないと駄目なのである。
ほとんどの人は、ここで分からなくなる。
「意識はないが、自覚がある」という意味が分からないのだ。
答はこうだ。
自覚とは、「存在の自覚」である。それだけあれば良いのだ。
つまり、自分の意識が在るという自覚があれば良い。
そして、存在の自覚に意識を向ければ、思考は消える、つまり、無意識になる。
続けて言えば、
「自分の意識が存在しているということに意識を向ければ、思考は消え無意識になる」
である。
難しければ、初めは、「私は在る」と、声に出さず、心の中で、丁寧に何度も唱えると良い。
それによって、「私は在る」という存在の感覚を掴むのである。

「私は在る」という感覚と極めて近いものが2つある。
1つは、眠りから目覚めた直後の思考が戻って来るまでの感覚だ。
もう1つは、「今」という感覚である。だから、なるべく多く、今を意識していれば、「私は在る」という感覚も掴み易くなる。
「私は在る」が意識を向けたことは、速やかに、この世界に出現する。
なぜなら、存在の自覚が神であるからだ。
だから、モーセに十戒を授けた神は、自分のことを「私は、私は在るというものである(アイアム・ザット・アイアム)」と言ったのである。








いつ奇跡が起こるか

今は手元にないが、ジャック・エンサイン・アディントンの『奇跡の時は今』という本を、昔、さらっと読んだのだが、その中に、非常に印象的だったので、覚えていることがある。
細かいところは覚えていないのだが、イエスが使っていた古代ヘブライ語には、時間の概念がなかった・・・そういったことが書かれていたと思う。
時間の概念がないので、全てが現在形なのだ。
だから、イエスが教えた「主の祈り」の中の「神の国が来ますよう」というのは、実は、イエスは「神の国は来ているのです」と言ったというのである。
これに関して、私は、何の説明も要らずに納得し、「ああ、これだ」と思ったのだった。

現代物理学では、時間というものに実体がないことが分かっている。
つまり、時間というものが本当にあるわけではないが、人間は、それがあるように錯覚しているようだ。

だから、イエスの言葉が書かれた『新約聖書』の『福音書』も、実は、全て現在形で書かないと真意が伝わらないのだろう。
コリン・ウィルソンが編集した『時間の発見』という本は、著名な5人の理学博士が執筆し、日本最高の物理学者の1人だった竹内均氏が翻訳した。
ちなみに、ウィルソンは、日本で言う中卒である。
この本の中で、時間というものは、人間の概念であり、テクノロジーの進化と共に人類の時間観というものが変化していることが書かれている。
つまり、やはり、時間に実体はなく、概念、あるいは、幻想に過ぎないのだ。

なぜ、人間が時間という幻想を持つようになったかについては、いろんな本に書かれているが、1つの考え方としては、全ては無秩序に向かうというエントロピー増大の法則(熱力学の第2法則)に、時間という概念を持ち込むといい感じになるので、人間は無意識にそんなことをやるのだという話がある。
つまり、時間の経過と共に、全てが無秩序になる(例えば、熱いコーヒーの熱が拡散してコーヒーが冷える)と考えると納得し易いのだ。
実際は、熱いコーヒーが先で、冷えたコーヒーが後にあるわけではない。同時にあるのだ。
鎌倉時代の禅僧、道元は、それに気付いていたので、「薪が燃えて灰になると思っているが、そう勘違いしてはならない。薪は薪で灰は灰だ。春は春で、夏は夏であり、春が夏になるのではない」と『正法眼蔵』の『現成公案』に記したのだ。

で、何が言いたいのかというと、我々の重要な呪文「神様の奇跡が起こる」を唱える際、「いつか奇跡が起こる」「3か月後位に奇跡が起きて欲しい」などと考えてはいけないということだ。
アディントンの著書の通り、「奇跡の時は今(THE TIME FOR MIRACLES IS NOW)」なのである。
宇宙に時間はない。
ならば、奇跡は今起こるのである。
いや、もう起こっているのである。
そう思いながら唱えれば、奇跡は即座に起こるのである。








これをやれば不安はなくなる

これほどまでに歪み穢(けが)れた世の中では、宗教的とかオカルトと言われることなど恐れず、やっておいた方が良いことがある。
本来の人間は、邪悪に負けるものではないが、ここまで地獄の腐臭に満ちると、心が浸蝕されて弱くなってしまっていて、悪霊に対する十分な反発力を持つことは難しい。
そして、もう、すっかり悪霊と融合してしまった者達よさらば。彼らは、もう自ら抗うことは出来ず、地獄という概念で示される次元に、やがて完全に引きずり込まれ、永遠に苦しむことになる。それが彼ら自らの選択である。

そして、どこかに良い世界があるのではなく、世界は自分で作り出すものである。
そのためには、何か1つ、あるいは、いくつかの真言を唱えることだ。
なぜ、そのようなことをするのかいうと、自分より高い存在に意識を向けるためである。
心は、自分より上位の存在に意識を向け続けると浄化され、すると、創造の力を持つのである。
そうすれば、生活のため、安全のために、やりたくもないことをしなくても良くなる。

「南無阿弥陀仏」というのは、人間を超えた存在の象徴である阿弥陀仏を意識することである。
「南無阿弥陀仏」は、決して、葬式で唱えるためのものではない(葬式で唱えて害があるわけではないが)。
「アーメン」というのは、人間よりはるかに高い存在である神の意思に同意し、自分よりはるかに賢く善良なる神に従うことを意味する。
いかなる神の名、仏の名を呼んでも、それら、自分に優る存在に意識を向けることになり、そうすれば、心はやがて(上位の存在に)屈服する。すると、心の穢れは祓われ、神聖なるエネルギーが心を通って顕現する。
育った環境によって、阿弥陀仏や観世音菩薩が好きなら、「阿弥陀様」とか「観音様」でも良いし、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」と唱えても良いだろう。
あるいは、「アマテラスオホミカミ」を始め、『古事記』に登場する好きな神の名を唱えるのも良い。
遠い過去からのあらゆる神々を意識する「トホカミエミタメ」や造化三神の総称である「サムハラ」と唱えても良いのである。

これは、宗教的な行為ではなく、自分より高い存在があることを受け入れ、それに意識を向けるという科学的行為である。
だって、どれほどの馬鹿が考えたところで、自分以上の存在がないことはおかしいと分かるはずだからで、自分を超える存在を受け入れられないのは、馬鹿だからというより、心を歪められている、あるいは、破壊されてしまっているのである。
「アメノミナカヌシ様、お助けいただきまして、ありがとうございます」と唱えると、心が直ちに高い存在を意識し、あらゆる奇跡を起こすことを確認した。
とはいえ、何か特定の言葉を唱えるよう、誰かに強要することは出来ない。
これは、逆に言えば、自分の好きな言葉を何でも選んで良いということで、また、言葉を変えても構わない。
覚えているところでは、私は子供の時、「南無三(ナムサン)」と唱えて、いろいろな奇跡を起こしたものである。
真言を唱えれば、困ったり、不足したりすることはないだろう。
また、多少の不都合は、むしろチャンスであり、それは、神のチョイスであると考えるべきなのだ。
起こること全ては、あなたの意思である。そう認識することで、人は神に近付くのである。

ただ、知性の10%だけは、物質世界のことをちゃんとすることに使うこと。10%だけ・・・全意識の0.5%だけで良いのである。
(知性の意識は全意識の5%だからである)
これが、この世で効率的にうまくやっていくコツである。








空を飛ぶ方法

スーパーマンのように空を飛ぶ夢を見たことがあるだろうか?
私は何度かある。
ところで、手塚治虫の漫画『海のトリトン』の中で、空を飛ぶ夢というのは、太古の昔、人類が魚類だった時に海を泳いでいた記憶なのだという説もあると書かれている。そういえば、夢で空を飛ぶ時の飛行速度はかなり遅い場合が多かったと思う。

ただ、私は、ある時期から、空を飛ぶ夢を見なくなった。空を実際に飛んだらどうなるかを、多少なり想像出来るようになったら、高い所に浮かぶのが恐ろしく感じるようになったからだ。
最近、久々に空を飛ぶ夢を見たが、自分より高いところにある木や山や星は見たが、下は見なかった。高所恐怖症のスーパーマンだ(笑)。

ところで、空を飛ぶ夢を見たことがある人でも、そう簡単に飛べるわけではないと思う。
なぜかというと、飛び方が分からないからだ。考えてみたら、至極当然のことだ。人間は実際は飛べないのだから。
先に言っておくと、夢の中で自在に空を飛べれば、夢の中でも、現実でも、世界を自由に創造出来る・・・つまり、引き寄せが簡単に出来る。
以下、その(空を飛ぶ等の)やり方を説明する。

藤子・F・不二雄さん(1933~1996)の漫画作品『パーマン』では、スーパーマンから特殊なマスクとマントを与えられた人間は、それらを着用することでパーマンになるが、パーマンのマントを着用した人間は空を飛ぶことが出来る。
ところが、パーマンからマントを奪った男が、それを着用して空を飛ぼうとするが、うまくいかない。
そこで、その男がパーマンに、「どうやったら飛べるんだ?」と尋ねると、パーマンは「飛びたいなあって思えばいいんだよ」と答える。
実に、これは現実創造、あるいは、引き寄せの秘訣の1つである。
飛びたいなあと思って、マントにまかせれば飛べるように、「こうなって欲しいなあ」と思って、宇宙とか神とか潜在意識にまかせれば、それは実現する。
まあ、もっとよく知られたやり方は、「そうなったと思う」とか「そうなると信じる」などだが、それはなかなか難しい。
私が奇跡を起こした時は、多くの場合、「こうなる」と強く願った、あるいは、念じた気がするが、よく考えたら、その願いを手放した時に、願いが叶うのである。
大作詞家だった阿久悠さんも、ヒット曲を作る時は、曲がヒットした様子をイメージした後、それを忘れるらしいが、それはよく分るのである。彼も、作詞家としては引き寄せマスターだった。
だが、願ったり、好ましい状況をイメージした後に忘れるというのは難しい。人間は、願いに執着するからだ。
そこで、パーマンのように、軽い気持ちで、こうなればいいなあと思うと、すんなり叶うのである。
尚、ここまでは、自己啓発家でも、言っている人は多いのである。
ただし、最終の秘訣は、願いにモラルがあることだ。
なぜかこれは、私が知る限り、一人も言っていない。
なぜモラルが必要かと言うと、自然や宇宙にはモラルがあるからだ。
モラルとは、「制限すべきことは制限する」ということだ。
例えば、動物や虫は、オスがメスを争って戦う時でも、勝敗を決するルールが有り、それを超えて攻撃して、相手に怪我をさせることはない。
それがモラルである。
モラルがあるかどうか疑わしいような者が書いた道徳の本なんか読んだってモラルは得られない。
それよりも、宮沢賢治がモラルがある状態で書いた『銀河鉄道の夜』を読めば良い。
あるいは、『ソクラテスの弁明』や、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』の吉岡源左衛門について読めば、真のモラルが分かると思う。私も、時々、読み返す必要があるんだ(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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