今は知らない人も多くなったと思うが、淀川長治さん(1909~1998)という有名な映画解説者がいた。
一般には明るいイメージで捉えられていたが、横尾忠則さんとの対談が書かれた書籍で、非常に複雑な家庭で育ち、記憶違いかもしれないが、霊体験みたいなものもある人だったようだ。
淀川さんは、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960)を400回以上見て、見る度に必ず涙を流すと語っていたが、それには、淀川さんが育った環境にも関係があると思う。
『太陽がいっぱい』は、世界的な美男俳優アラン・ドロンが24歳の「美貌盛り」の頃の映画で、ドロンは、おそらく子供の時から貧しく何も持たないトムという名の若者を演じている。
淀川さんは別に貧しい家庭で育ったわけではない(むしろ非常に豊かだったと思う)が、精神的には貧しい環境であったと思う。
トムは、富豪の息子であるフィリップと仲良くなるが、友人と言っても、富豪の息子と何も持たない貧しい男という立場の差は歴然としており、対等な関係では全くない。見かけ上は仲良しの若者同士であるが、フィリップは平然とトムを下僕扱いするようなところがあった。
これは映画を見る者によって異なるかもしれないが、私としては、人間としてはフィリップに劣るところが全くないトムが、何も、持たないがゆえに軽く、時に屈辱的に扱われるのは辛いだろうと思うのである。
そういえば、私も小学生の時、お金持ちの家の一人息子の友人がいて、そのことでは良い想いはしなかった。
トムは優れた能力を悪用し、危険も冒しながら犯罪を重ね、ついに富を得る。
完全犯罪を成し遂げ、ゆったりとくつろぐトムに、ウエイトレスが「気分はどうですか?」と尋ねると、トムは微笑み「いい気分だよ」と答える場面を、私ははっきり憶えている。
ウィキペディアによれば、原音声でも、トムは「気分はいいよ」「人生で最高の気分だよ」と答えているらしい。
ネヴィル・ゴダードが発見した優れた引き寄せ法則である「想定の法則」では、願いを叶えた時の気分を想像すれば、強い引き寄せが起こり、願いは叶う。
それで言えば、トムは以前から、願いを叶えた時の気分を想像済みで、それによって難しい状況も切り抜け、願いを叶えたように思える。
問題は、貧しいがゆえの恨みや、正しい方法で成功する発想を持てないことで、歪んだ「青春の野望」になってしまったことだ。
トムはその直後に最悪の気分を味わうだろうが、そこは映画では描かれず、代わりに、ニーノ・ロータのあの有名な切ない曲が流れる。
これほどの演出はそうは見れない傑作映画と思う。
監督は『禁じられた遊び』でも知られるルネ・クレマンである。
さっきも言ったが、想定の法則では、願いが叶った時の気分を想像すれば、願いが叶う引き寄せが速やかに起こる。
まあ、想定の法則をこんなに簡単に説明してくれる人はいないが、これほど簡単なことである。
そして、願いが叶った時は皆、トムのように「いい気分」を感じるだろう。
しかし、願いが叶った時の気分を想像する際、私なら、まず、ちょっと「よかった」とつぶやくことを勧める。
でないとトムのようになる危険があると同時に、そうした方が願いが叶った時の気分を想像し易いと思う。
そして、昨日も書いたが、志賀一雅博士が開発した究極の呼吸法「よかった、ありがとう呼吸」を「よかった、いい気分だ呼吸」で行う方が良いと思う。
すなわち、「よかった」と思いながら息を吸い、「いい気分だ」と思いながら息を吐くのである。
「ありがとう」ではなく「ありがたい」なら良いと思う。なぜなら、「ありがたい」というのは「いい気分」だからだ。
感謝とは無理にするものではなく、感謝の念は自然に起こるものである。
我々は建前で、あるいは、コミュニケーション手段として「ありがとう」と言い、それは悪いことではないが、本気で「ありがとう」と言った気になってはならないのだと思う。
正直に自分の心を見るなら、私は本気で「ありがとう」と言ったことはただの一度もなく、それは全部嘘であった。
嘘の「ありがとう」を本気で言ったと思えば心が歪む。
私なら「ありがとう」と言うくらいなら、何かしてあげるか、何か良いものをあげようと思う。
あるいは、それは借りとして憶え、なるべく早く返そうとする。
「ありがとう」でチャラにしようとするなど卑しいし、そんな卑しい人間が多い。
「同情するなら金をくれ」なんて有名なセリフがあったが、それに倣えば「ありがとうと言うなら金をやれ」である。
AIアート875
「古い部屋」
Kay
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)太陽がいっぱい [Blu-ray]
(2)太陽がいっぱい(パトリシア・ハイスミス)
(3)禁じられた遊び(字幕版)※Amazon Prime Video
(4)見えるものと観えないもの(横尾忠則)※淀川長治氏との対談収録
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
一般には明るいイメージで捉えられていたが、横尾忠則さんとの対談が書かれた書籍で、非常に複雑な家庭で育ち、記憶違いかもしれないが、霊体験みたいなものもある人だったようだ。
淀川さんは、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960)を400回以上見て、見る度に必ず涙を流すと語っていたが、それには、淀川さんが育った環境にも関係があると思う。
『太陽がいっぱい』は、世界的な美男俳優アラン・ドロンが24歳の「美貌盛り」の頃の映画で、ドロンは、おそらく子供の時から貧しく何も持たないトムという名の若者を演じている。
淀川さんは別に貧しい家庭で育ったわけではない(むしろ非常に豊かだったと思う)が、精神的には貧しい環境であったと思う。
トムは、富豪の息子であるフィリップと仲良くなるが、友人と言っても、富豪の息子と何も持たない貧しい男という立場の差は歴然としており、対等な関係では全くない。見かけ上は仲良しの若者同士であるが、フィリップは平然とトムを下僕扱いするようなところがあった。
これは映画を見る者によって異なるかもしれないが、私としては、人間としてはフィリップに劣るところが全くないトムが、何も、持たないがゆえに軽く、時に屈辱的に扱われるのは辛いだろうと思うのである。
そういえば、私も小学生の時、お金持ちの家の一人息子の友人がいて、そのことでは良い想いはしなかった。
トムは優れた能力を悪用し、危険も冒しながら犯罪を重ね、ついに富を得る。
完全犯罪を成し遂げ、ゆったりとくつろぐトムに、ウエイトレスが「気分はどうですか?」と尋ねると、トムは微笑み「いい気分だよ」と答える場面を、私ははっきり憶えている。
ウィキペディアによれば、原音声でも、トムは「気分はいいよ」「人生で最高の気分だよ」と答えているらしい。
ネヴィル・ゴダードが発見した優れた引き寄せ法則である「想定の法則」では、願いを叶えた時の気分を想像すれば、強い引き寄せが起こり、願いは叶う。
それで言えば、トムは以前から、願いを叶えた時の気分を想像済みで、それによって難しい状況も切り抜け、願いを叶えたように思える。
問題は、貧しいがゆえの恨みや、正しい方法で成功する発想を持てないことで、歪んだ「青春の野望」になってしまったことだ。
トムはその直後に最悪の気分を味わうだろうが、そこは映画では描かれず、代わりに、ニーノ・ロータのあの有名な切ない曲が流れる。
これほどの演出はそうは見れない傑作映画と思う。
監督は『禁じられた遊び』でも知られるルネ・クレマンである。
さっきも言ったが、想定の法則では、願いが叶った時の気分を想像すれば、願いが叶う引き寄せが速やかに起こる。
まあ、想定の法則をこんなに簡単に説明してくれる人はいないが、これほど簡単なことである。
そして、願いが叶った時は皆、トムのように「いい気分」を感じるだろう。
しかし、願いが叶った時の気分を想像する際、私なら、まず、ちょっと「よかった」とつぶやくことを勧める。
でないとトムのようになる危険があると同時に、そうした方が願いが叶った時の気分を想像し易いと思う。
そして、昨日も書いたが、志賀一雅博士が開発した究極の呼吸法「よかった、ありがとう呼吸」を「よかった、いい気分だ呼吸」で行う方が良いと思う。
すなわち、「よかった」と思いながら息を吸い、「いい気分だ」と思いながら息を吐くのである。
「ありがとう」ではなく「ありがたい」なら良いと思う。なぜなら、「ありがたい」というのは「いい気分」だからだ。
感謝とは無理にするものではなく、感謝の念は自然に起こるものである。
我々は建前で、あるいは、コミュニケーション手段として「ありがとう」と言い、それは悪いことではないが、本気で「ありがとう」と言った気になってはならないのだと思う。
正直に自分の心を見るなら、私は本気で「ありがとう」と言ったことはただの一度もなく、それは全部嘘であった。
嘘の「ありがとう」を本気で言ったと思えば心が歪む。
私なら「ありがとう」と言うくらいなら、何かしてあげるか、何か良いものをあげようと思う。
あるいは、それは借りとして憶え、なるべく早く返そうとする。
「ありがとう」でチャラにしようとするなど卑しいし、そんな卑しい人間が多い。
「同情するなら金をくれ」なんて有名なセリフがあったが、それに倣えば「ありがとうと言うなら金をやれ」である。
AIアート875
「古い部屋」
Kay
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(1)太陽がいっぱい [Blu-ray]
(2)太陽がいっぱい(パトリシア・ハイスミス)
(3)禁じられた遊び(字幕版)※Amazon Prime Video
(4)見えるものと観えないもの(横尾忠則)※淀川長治氏との対談収録
(5)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)