ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

天才

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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超賢者お墨付きの超人・神人になる意外な方法

天才子役が大人の俳優として成功する確率は非常に低いらしい。
これは、役者に限らず、スポーツや芸術、あるいは、学問で、子供の時には天才ともてはやされた者も、少し時が経てば、大抵は全く見なくなる。
いわゆる「10で神童、15で天才、二十歳過ぎればただの人」である。
これに関しては、「子供の時にちやほやされて思い上がり、能力を磨かなかったからだ」とよく言われるし、そういうこともあるのかもしれないが、本質は全く別だ。

私も、子供の時は引き寄せの天才で、イエス並であったからよく分かるのである。
尚、「元天才」は、普通の人になっても、かつての得意分野に関しては、普通の人よりはずっと上である場合が多い。
私の引き寄せも同じである。

では、なぜ神童は大人になって駄目になるのかというと、まず、神童の秘密を明かさないといけない。
神童というのは、得意なこと以外では、普通の子供よりも下手で、普通の子供が簡単に出来ることが全く出来ないことも多い。
だが、そこが神童のみならず、天才の秘密だ。

ある7歳の女の子は、習ったこともない絵で、レオナルド・ダ・ヴィンチ並のデッサンが描けたが、彼女は言語中枢の発達が遅れていて、話すことが出来なかった。
そして、彼女の言語中枢が発達し、話せるようになるにつれて、彼女の絵の能力は消えていった。
大成功したシンガーソングライター、ジョージ・マイケルは自分の才能について「特別な何かがあるわけではない。むしろ何かが欠けているんだ」と言ったそうだが、全くそうであると思う。
ジョージ・マイケルの本名はイェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥで、ジョージ・マイケルというのは、彼が子供の時に空想で作り上げた架空のヒーローだ。そんなところからも想像出来る通り、彼は非常に内気で、何も出来ない子供だった。そして、子供のまま大人になった。

大人になるにつれ、普通のことが出来るようになると天才でなくなるのだ。
天才ピアニストのグレン・グールドは、大人になっても人並みのことは何も出来なかった。だから彼は生涯天才だった。
表面的に見れば例外も沢山いるが、天才の本質はそんなものだ。
アインシュタインは人間的にも優れていたと言われ、ある意味ではそうかもしれないが、実は徹底的に歪んでいた。
ただ、彼が天才であったのは42歳までと言われ、その頃、彼は人並みのことが出来るようになったのだと思う。
大俳優だった勝新太郎が、50歳だったか60歳だったか知らないが、かなりの歳になって追い詰められた状況になった時、そのために「30歳くらいには大人になれた」と言ったが、つまり、30歳の普通の人が出来ることが出来なかったから大俳優だったわけだ。実際は、20歳並のことも出来なかったのだと思う。

私も、子供の時は並外れて何も出来なかった。
今でも憶えているのが、6歳の時、数字が全く読めなかった。
ピアノか絵でもやっていたら天才的な能力を発揮したかもしれないが、それはなかった。
ただ、興味を持ったことは、やはり驚くべき能力を発揮し、大人を驚かせた。
そんな中で、私は引き寄せというか、魔法の天才になっていたわけである。
しかし、いろんな普通のことが出来るようになってしまい、プロの魔法使い(?)でなくなった。
とはいえ、全く仕事をせずに高給をもらうくらいの魔力はあるが。
リスクはあるが、引き寄せの超人になりたければ、全くの無能者になることだ。
普通の無能では駄目で、徹底した無能でなければならない。
これは荘子も強調していたことだったのだ。
1日中「神様の奇跡が起こる」と唱えるなんて、なかなか良い無能振りと思う。
もちろん、「南無阿弥陀仏」でも「お金がある」でも良いと思う。

庭園の隅
AIアート830
「庭園の隅」
Kay


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(1)幼児化するヒト - 「永遠のコドモ」進化論
(2)残酷すぎる成功法則 ~9割まちがえる その常識 を科学する~
(3)荘子 (PHP文庫)
(4)ハングリーであれ! 愚かであれ! (スティーブ・ジョブズ講演録)

人生詰んでしまった人のウルトラCに向けて

「人間は気合いだ」というのも一面の真理と思う。
ただ、気合いと言うと、力むことだと誤解する者が多いから困るのだが、「エネルギーだ」と抽象的に言っても分からない者が多い。
それなら、英国の作家コリン・ウィルソンが、何かの本で書いていた、
「いかなる天才も、所詮、内的衝動なのだ」
というのが、なんとか分かるだろうか?
早い話が、好きなことでしか内的衝動は起きない。
だから、好きなことでないと、気合は入らない。
「気合い入れていくぞー!」
と言われても、無理矢理やらされている者には無理なことだ。
逆に言えば、コリン・ウィルソンの言葉を信じるなら、内的衝動を感じるなら・・・気合が入るなら、天才になれる。
ただし、気合が継続しなければならないので、天才になるには、本当に好きなことを見つけないといけない。

黙っていても気合が入ることと言えば食欲と性欲で、少食を続けたり禁欲すれば気合は継続する。
実際、食欲性欲のエネルギーを利用してパワーに変える方法もあるらしいが、まあ、変な方に行くリスクが大きい・・・というか、適度にやるのは非常に良いが、過度にやれば、ほとんど変な方に行く。
よって、ある程度寝食を忘れる、色欲を忘れるほどの好きなことを見つけないといけない。
まあ、心配しなくても、誰でも三度の飯より好きなもの、女(男)より好きなものはある。
ただ、無理矢理何かを多くやらされると、好きなことをやる意欲がなくなってしまう。

だが、「嫌なことはすぐやめて、好きなことを始めなさい」と言う無責任な人がいる。
それが許されるのは、好きなことですぐに成果を出せる人だけだ。
具体的には、IQが高い人だ。
だって、IQが高い人は、出来もしないことをやろうとはしないからね。
そんなわけで、何をおいてもIQを高めることが必要である。
静かな呼吸をすることだ。
自然、本を読みたくなるくらい十分ね。

きらめく水面
AIアート282
「きらめく水面」
Kay


というのが基本だが、人生、詰んでしまった人もいる。
つまり、自分がやるべきことをしない、あるいは、やるべきことが分からないまま、無駄に人生を浪費した者だ。
傑作映画『パピヨン』で、主人公のパピヨンが人生最大の罪と自覚したことが、まさに「人生を無駄にすること」だ。
だが、心配無用だ。
大逆転のウルトラCがあることが分かった。
パピヨンはウルトラEくらいをやったのだが・・・
とりあえず、せいぜいIQを高めておくよう。








【絶対的真理】天才とはぼーっとすること

いかなる問題も、思考を消すことによって解決されるということは、まず、大多数の人が認めることはない。
ところで、こういう言い方なら、なんとか納得する人はいると思う。
「考え尽くした後で何も考えなくなった時にアイデアが閃いて問題が解決する」
つまり、確かに、無思考になった時に解答が分かるが、それはあくまで、考える努力をしたから、潜在意識が答を教えてくれたという言い分である。
これなら、7%くらいの人は受け入れるかもしれない。
まあ、それでも7%であるのだが・・・。

だが、実際は、人間が「考え尽くす」ということはなく、思考は無限で、地獄に行くまで考えるものである。

エジソンは「天才は1%の霊感と99%の努力」と言ったことになっている。
おそらく、誰かの作り話だろうが(笑)。
だが、これも、まずは1%の霊感が最重要で、これは、思考していない時に閃くものだ。
エジソンは、1%の閃きを得た後、凄い努力をして白熱電球を発明したということになっているのだろうが、実はこれは嘘で、いくつか実験したら、たまたまうまくいっただけだろう。
それを、さも大変な努力をしたようにエジソンが言ったということはあったと思う。
エジソンはそんなやつだ(笑)。
いや、成功者は大抵そうだ。
たまたまうまくいっただけなのに、自分の成功を志・理念や努力の賜物と言うのである。
これもまた、思考がやることだ。
エジソンが1%の閃きを得た時というのは、彼はぼーっとするのが好きなので、意識ははっきりしていながら、思考が消えていたのだろう。
そんなことが出来たエジソンは確かに天才である。
もう少し言えば、エジソンは、子供の時からぼーっとする癖があり、授業中もずっとそうだから、教師を怒らせて学校をやめる破目になった。
だが、甘い母親がエジソンを責めず、家で好きなようにさせたので、エジソンはますますぼーっとする才能に磨きをかけ、そのおかげで世紀の発明王になれたのである。

エジソンとアインシュタインが大学の必要性について論争した時、エジソンは、
「大学は不要。実践あるのみ」
と言い、これに対し、アインシュタインは、
「大学はじっくり考える場所」
と反論したが、アニメの『かぐや様は告らせたい』のナレーションなら、2人に対し「嘘である!」と言うだろう(笑)。
上述のように、エジソンは子供の時から、アインシュタインだって、大学では講義に1度も出ずに下宿でぼーっとしていたのだ。
この2人は、ぼーっとすることで天才になったのである。

素敵な場所
AIアート166
「素敵な場所」
Kay


吉本隆明は、自分の子供たちがぼーっとしている時、母親がおつかいを命じたら、この日本最高の思想家は、自ら買い物かごを持って、子供たちの代わりに買い物に行ったのだ。
彼は、ぼーっとすることの大切さを知っていたのである。

私が若いサラリーマンだった時、その会社の、短期間で東証上場を果たした社長が私に本当にこう言ったのだ。
「すぐセカセカ仕事をするようでは駄目だ。ぼーっとしてろ」
だが、真面目な・・・と言うか、自己顕示欲が強かった私は仕事をしたがり、小さな成果しか上げられなかった。
私が天才でなかった理由はただ1つ。
いつもぼーっとしなかったことだけである。
吉本隆明の『ひきこもれ』はバイブルにすべきと私は思う。








狂いのすすめ

宮本武蔵は悲運の武芸者だった。
彼は、自分の実力に見合った地位と栄誉を強く望んだ。
だが、それは得られなかった。
とはいえ、全く悲惨かというと、そうではない。
武蔵は、生涯、金に困ることはなかった。
武蔵を心から崇拝する弟子達がいただけでなく、武蔵を敬う、身分の高い武士や大名もいて、相当な援助を受けていたからだ。
武蔵を召し抱えたいと思う大名もいたが、武蔵は法外な報酬(当時では石高)を要求するので、武蔵の士官は叶わなかった。
それだけでなく、武蔵の山賊のような風袋(見かけ)にも問題があった。
武蔵は、髪を切らず、髭を剃らず、着物を洗わず、風呂にも入らなかった。
加えて、長身で強面の武蔵は、女子供なら、鬼だと思って、泣いて逃げ出すほどであった。
ところが、ある大きな藩の大名が、武蔵に興味を持ち、城に招くと、試合をするよう武蔵に願い、武蔵は了承した。
武蔵が、40歳をいくらか過ぎた頃である。
その大名の他、家臣達や武芸者達・兵法家達が見守る中、試合が行われた。
選び抜いた強豪剣士が打ち込むのを、武蔵は軽く交わし続けた後、武蔵が歩み寄ると、相手の剣士は後ずさるばかりだった。
相手は、蛇に睨まれた蛙のように、何も出来ず、そして、武蔵が気合いを込めると、バッタリ倒れた。
見ている者達は皆、武蔵の強さに感動した。
だが、武蔵を招聘した、若いが極めて優れた藩主は考えた。
武蔵は、単に剣の腕が立つのではなく、先天の強大な気力を持っている。
そんな者に人を育てることは出来ない。つまり、武蔵を藩の剣術の指導者にしても、誰もついてこれない。
また、こんな男は、他の人間とうまくやれず、必ず諍(いさか)いを起こす。
よって、武蔵が召し抱えられることはなかった。

どうすれば、武蔵のような気力…つまり、その本質である精神エネルギーを持てるだろうか?
武蔵直筆の『五輪書』を丹念に読めば良いのか?
私はそうは思わない。
『五輪書』は、名文の誉れ高いし、優れたことも書かれているが、所詮、表面的なことが書かれているだけだと思う。
武蔵は生まれつきの天才か?
そうかもしれない。
しかし、私は、武蔵の気力は、育ちと関係があると見る。
武蔵の父、新免無二(しんめんむに)は、優れた武芸者であったが、奇人変人というより、常軌を逸した狂人と言えるほどであった。
無二は武蔵を嫌っていたが、武蔵もこの父を蔑み、しかも、平気で罵倒したようだ。
すると、父は武蔵に小刀を投げつけ、武蔵も投げ返す。
そんな狂った家庭であった。
そんな中で、武蔵の常識の枠にはまらない、狂気じみた精神が作られたのだと思う。
突き抜けた狂気こそ、天才を生む強大な精神エネルギーではないだろうか?

これで、私は、良いことを思い出した。
うまくいけば、武蔵の気力の説明がつく。
西尾維新の小説『刀語(かたながたり)』という作品がある。私は、アニメで見ただけだが。
全国にその名を轟かせた、虚刀流(きょとうりゅう)という武術の流派の6代目当主の男には、2人の子供がいた。
姉の七実(ななみ)と弟の七花(しちか)だ。
当主は、姉の七実を7代目当主にしたかった。
七実の実力というか、素質が、弟の七花とけた違いに大きいからだ。
しかし、当主は、弟の七花を、次代の当主にすることに決めた。
七実が女だからではない。
七実が強過ぎるからだ。
その強さは、化け物と言って良かった。
当主は、そんな化け物を、自分には育てられないことを悟ったのだ。七実と比べれば、達人・超人と言われる自分も凡人に過ぎない。
では、七実は、生まれながらの天才なのか?
そうかもしれない。
だが、話が進むうちに分かってくることがある。
それは、七実の狂気である。
七実は、一見、しとやかで美しい娘だが、寺1つ、村1つを笑って滅ぼす狂気があるのだ。
敵の忍者を平然と殺すが、簡易ではあるがちゃんと墓を作り、線香を立てて弔う。その島には誰もいないのに。
そんなしびれる狂気に私は萌え萌えで(笑)、たちまちファンになった。

英国の世界的作家コリン・ウィルソンは、「天才とは所詮、内なる衝動なのだ」と書いていて、それには納得出来るが、むしろ、「天才とは狂気」なのであると思う。
言い換えれば、狂気のない天才、狂気のない偉人は存在しない。
アインシュタインは温厚な人格者であったと伝えられているが、それは作り話だし、少なくとも、彼の胸に狂気が宿っていたことは間違いなく、その片鱗も知られている。
狂気を、欲望のまま暴虐に振る舞うことと思い違えてはならない。
狂気とは、桁外れな憧れや願望だ。それが大きければ大きいほど精神エネルギーは大きくなる。
ただ狂え(笑)。
それであなたも天才だ。
逆に、狂わねば凡人である。








自分は天才かも

誰でも一度くらいは、「人間の脳は数パーセントしか使われていない」という話を見聞きしたことがあると思う。
この表現は科学的には正しくないのかもしれないが、人間の脳が極めて大きな能力を秘めていることを、一般に分かり易いよう、そんな言い方をしたのだと思う。
解剖学的に、優秀な脳と劣等な脳に明らかな違いがあるのかというと、そうだと主張する研究者もいると思うが、微妙と思う。
アインシュタインの死後、彼の家族の了解を得て、アインシュタインの頭を解剖し、脳を検査したらしいが、重さに関しては標準であったようだ。
また、神経科学者のジェームス・ファロンは、サイコパス(程度の差はあるが良心を持たない人間)の脳には特徴があり、彼自身が、まさに、サイコパスの脳の持ち主だというが、彼はIQ150超の優秀な知的能力を持っている。
そして、非常に混乱させられるのは、脳自体がほとんどない無脳症でありながら、IQは120で、大学の数学科を優秀な成績で卒業した人がいたということだ。

いずれにしろ、人間が潜在的に持っている知的能力が発揮されれば、誰でも天才になれる可能性はあるのかもしれない。
とはいえ、特に成人してから、凡人だったのが天才になったという話は、全く聞かないのではと思う。
いや、実は、そんなことは、かなり頻繁にあるのかもしれないが、注目されないだけであるかもしれない。
つまり、天才の能力の中で、分かり易いタイプのものはごく一部で、ほとんどの天才の能力は、分かり難かったり、実利的でないという理由で無視されてしまうのである。
そもそも、天才的な頭脳の持ち主自体が案外に、どこにでもいるものらしいが、天才であっても、学校の勉強に興味がなくて成績が悪く、働いても、周囲の凡人達と調子が合わず、むしろ、馬鹿扱い、無能扱いされる場合も多いらしい。
あなたも本当は天才かもしれない・・・なんてことは、まあ、そうそうはないと思うが(笑)、絶対ないとも言い切れない。

ベティ・エドワーズの、定期的に改訂される超ロングセラー『脳の右側で描け』は、純粋な美術の本ではなく、絵を描くことを通して右脳を発達させるもので、それによって、極めて優秀な人間に生まれ変わった例は多いという。
ただ、その割には実践者が多いとは言えないのは、訓練が分かり難いのか、あるいは、絵を描くこと自体に、苦手意識を持った人が多いからだろう。
そもそもが、絵が上手いからといって、必ずしも優秀というわけではない。
山下清は、絵は天才であったが、知的障害であったくらいだ。

英国の作家コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』には、一応、右脳の力を解放することによって…という言い方をしているが、凡人から天才になった人の話がある。
ある者は、古代の賢者を彷彿とさせる、まさに天才であったが、世間やマスコミは、天才であろうがなかろうが、注目するのは儲かることにつながる者だけであり、人類の進歩や世界平和に貢献出来る可能性など、知ったことではないのである。
そして、本物の天才は、金儲けに興味を持っていない場合が多い。

とはいえ、常識を持ち、健康的な精神を持っていれば、やはり、優秀であれば必要なお金は楽々稼ぐものである。
これは、別に天才でなくても、そこそこに優秀であればよく、その程度であれば誰でもなれる。
そのためには、新たな何かを得るのではなく、余計なものを捨てれば良いだけである。
だが、多くの人が、沢山の不要な(精神的な)ガラクタを後生大事に抱えている。
不要なものを不要なものとして捨てることが出来るかどうかが運命の分かれ道だ。

かといって、初音ミクさんの熱烈なファンが、初音ミクさんを捨てる必要はない。
ただ、初音ミクさんを貶されても、何とも思わなければ良いのである。
世の中には、ひいきの野球チームやサッカーチームを貶されると激怒したり、トランプ大統領の崇拝者がトランプを否定されると攻撃的になったりすることが多いが、そんな性質が、せっかくの自分の能力に足枷をかけてしまっているのだと気付かないといけない。
天才は心静かだ。
激情家に見える天才もいるが、それは単にポーズであったり、本当に激情家であったとしても、怒った直後に御機嫌になっている。
心が乱れた時は、息を吸って止めることだ。
あるいは、「神様の奇跡が起こる」と唱えても良い。
または、最近よく話題にする、西田文郎氏の『かもの法則』の通り、「私は天才かも」「儲かるかも」「成功するかも」「〇〇になれるかも」と思うと良い。
下らないことに心を向けている暇があったら、こういうことをすれば良い。
これらは、優秀になるためのエビデンスのある方法なのだからだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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