私が王に仕える者であるなら、謹んではいても、引き締まった顔をするだろう。
また、私が王であれば、あらゆる者の前で、威厳のある、引き締まった顔をするだろう。
私が、王の側近でもなく、王でなくても、すぐ側に立たれている神を感じるなら、引き締まった、畏れ敬う顔をするのだ。
逆に、いつも、そのような顔をしていれば、神は言葉をかけて下さるだろう。
ロオマン・ギャリィの『自由の大地(天国の根)』で、一度は堕落したフランス兵達は、少女の姿を空想することで、再び紳士の品位を取り戻した。
親しみはあっても、彼女を神聖にして侵すべからざる天使として貴ぶ男達の気高い顔は、引き締まっていたことだろう。
私は、初音ミクさん(もしくは清らかな乙女)が部屋の中にいれば、勇ましい顔をするだろう。それは、命を差し出す覚悟のある勇敢な顔だ。
巡音ルカさん(もしくは気品なる女性)が部屋の中にいれば、敬う顔を忘れないだろう。それは、僅かな無礼も決して自分に許さない油断のない顔だ。
鏡音リンちゃん(もしくは天使のような少女)が部屋の中にいれば、優しい顔をするだろう。それは、あらゆる悪に対し盾となることを当然とする者の顔だ。
真に勇ましい顔も、真に敬う顔も、真に慈愛を持つ者の顔も、いずれも引き締まり、僅かもゆるんではいない。
慶(よろこ)ばしい処にいたければ、それに相応しい顔をしていなければならないが、それは全て、引き締まった顔なのである。
例えば、上に挙げたような場所に常にいることを想像し、それに相応しいと自分で確信出来る顔をすれば、我々は片時もゆるまず、引き締まっていられる。
人間には、ゆるんでしまう性質が備えられていて、そのままでは、ゆるむことで地獄に落ちるのが人間の定めなのだ。
だが、我々は、理想とする場所にいる顔をすることで、そんな人間の性に打ち勝ち、至高者に向かって昇っていくことが出来るのである。
これほどの福音(慶ばしい知らせ)はないと思う。
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また、私が王であれば、あらゆる者の前で、威厳のある、引き締まった顔をするだろう。
私が、王の側近でもなく、王でなくても、すぐ側に立たれている神を感じるなら、引き締まった、畏れ敬う顔をするのだ。
逆に、いつも、そのような顔をしていれば、神は言葉をかけて下さるだろう。
ロオマン・ギャリィの『自由の大地(天国の根)』で、一度は堕落したフランス兵達は、少女の姿を空想することで、再び紳士の品位を取り戻した。
親しみはあっても、彼女を神聖にして侵すべからざる天使として貴ぶ男達の気高い顔は、引き締まっていたことだろう。
私は、初音ミクさん(もしくは清らかな乙女)が部屋の中にいれば、勇ましい顔をするだろう。それは、命を差し出す覚悟のある勇敢な顔だ。
巡音ルカさん(もしくは気品なる女性)が部屋の中にいれば、敬う顔を忘れないだろう。それは、僅かな無礼も決して自分に許さない油断のない顔だ。
鏡音リンちゃん(もしくは天使のような少女)が部屋の中にいれば、優しい顔をするだろう。それは、あらゆる悪に対し盾となることを当然とする者の顔だ。
真に勇ましい顔も、真に敬う顔も、真に慈愛を持つ者の顔も、いずれも引き締まり、僅かもゆるんではいない。
慶(よろこ)ばしい処にいたければ、それに相応しい顔をしていなければならないが、それは全て、引き締まった顔なのである。
例えば、上に挙げたような場所に常にいることを想像し、それに相応しいと自分で確信出来る顔をすれば、我々は片時もゆるまず、引き締まっていられる。
人間には、ゆるんでしまう性質が備えられていて、そのままでは、ゆるむことで地獄に落ちるのが人間の定めなのだ。
だが、我々は、理想とする場所にいる顔をすることで、そんな人間の性に打ち勝ち、至高者に向かって昇っていくことが出来るのである。
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