ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

天国

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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神になる1つの易しい方法

今回は、世界が夢のようなものであることを前提として話す。
世界は実際に夢なのであるが、そうであることを無理に信じる必要はない。
だが、信じられなくても、ここでは1つのフェアリーテール(おとぎ話)として、世界は夢であるとする。

この世界という夢に対し、人々は2通りの印象を持つ。
それは単純で、不満か満足かで、大人になるまでに、ほとんどの者は不満につく。
だが、神らしい力を得たければ、満足しなければならない。
たとえどんな状況であろうと。
それは難しいと思うかもしれないが、今、この一瞬だけが世界であるとすればそうではなくなる。
普通、世界について考える時、遠いか近いかに関わりなく、過去や未来のことを考えるが、そうであれば必ず不満が浮かぶ。
しかし、今、この瞬間だけを考えれば、不思議な満足を感じる。
一般に引き寄せででは、「現状に感謝しろ」と言うが、わざとらしい不自然な感謝は、実際は不満の表明である。
そうではなく、今一瞬だけを意識するなら、それで良いのである。

ある意味、過去や未来を創るのが自我である自分で、今を創るのが神である真の自分である。

世界に不満だから、これを変えようとすると悪魔に魅入られたように感じることになる。つまり、悪魔に使役されるように感じ、シンドイのである。
だが、今この瞬間を意識すれば、悪魔から解放されたように感じ、無理に満足しようとしなくても満足し、やすらぎを感じる。
それは、やってみればすぐに分かると思う。

その上で、この夢の世界を創ったのは、自我ではない本当の自分、つまり、高次の自分であることが分かれば、高次の自分は良いものだけを創る。
高次の自分とは何であるかが理解出来ない場合は、それと最も近い概念である神と考えると良いと思う。

今この瞬間
AIアート529
「今この瞬間」
Kay


ここらについては、『コーラン』の56章アル・ワーキア(出来事)に、近い雰囲気のことが書かれている。
ここには、我々が高次の世界(いわゆる天国か)に踏み入った後のことが書かれているが、この章には曲解が多い。
ただし、曲解と言っても、あながち間違いではない。
それに、その曲解もムハマンドの解釈を基にしていると思われる。
例えば、沢山の聖なる乙女が与えられるというものがあるが、永遠に若い少年のことも書かれているから、女性の場合も適当に当てはめて考えれば良いと思う。
そして、コーランのこの章では、世界の全ては神が創ったものであり、それを理解するかしないかが重要であるといったことが書かれている。
この章に記述された夢のような世界を想い、それが、真の自分である神が創ったのだと思えば、視界が開けるかもしれない。
そう思って、ちょっとこんな話をした。

尚、コーランに関しては、機械翻訳されただけの安価なKIndle本があるが、57章に関しては、それで割合に雰囲気が掴めると思うので、下の1冊目に紹介した。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神聖なコーラン
(2)さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
(3)原典訳 アヴェスター
(4)世界一わかりやすい!大科学者スウェーデンボルグの天国と地獄Q&A

天国や極楽浄土はあるか

天国とか極楽浄土があるかというと、ない。
それは確かだ。
では、天国や極楽浄土のことを説いた過去の聖者達が馬鹿だったのかというと、そうではない。
庶民に対しては、その程度の説明しか出来なかったし、ほとんどの聖者だって、死んだらどうなるか、はっきり知っていたわけではない。
では、天国や極楽浄土がないことは悲しいことかというと、それが難しいのだ。
本来であれば、事実は、天国や極楽浄土があるよりずっと良い。
だが、普通の人間は、死ぬと全ての記憶を消されて、この地獄のような地球で、またゼロから人生を繰り返すのだから、何とも悲惨だ。
上で、天国や極楽浄土はないと言ったが、地獄ならある。この世界が地獄だ。

本来の我々は、いつでも好きな時に死ねる。
死ぬためには、首を吊る必要も、心臓をナイフで突き刺す必要も、毒や多量の睡眠薬を飲む必要もない。
単に、肉体から離れれば良いだけだし、そんなに時間が経っていなければ、身体に戻ることも出来る。
だから、「死ぬ」というのではなく、やはり、単に「身体から離れる」だけだ。
そして、本当なら、身体を離れても、記憶が消えることはない。

言い換えれば、我々は、肉体の使用期限が来て機能を失うまで、その肉体に縛り付けられ、離れることが出来ない。
人間の肉体はメンテナンスを十分にすれば200年は持つが、実際は50年くらいでガタが来て、100年持たせるのは難しい。
そして、本来であれば、50年やそこらは若いままでいられるのだが、ずっと早く老化してしまう。
地球以外では、使いたい時だけ使う身体が用意されている場合が多く、その身体は地球人のものよりはるかに高機能だ。
そして、いくつの身体を出入りしても、記憶が消えることは全くない。

白百合
AIアート67
「白百合」
Kay


だが、地球人は、どこかの宇宙人が地球に仕掛けたマインドコントロール装置により、死んで肉体を離れると、記憶を消されて赤ん坊の身体に入れられ、その後も、偽の記憶を植え付けられ、自分を虫けらのような存在と思い、実際、虫けらのように生きる。
それを果てしなく繰り返すのである。
そこから脱却したければ、生きているうちに、本当の自分が、全知全能の無限の魂であることを思い出さなくてはならない。
その方法は、これまでも、釈迦や老子らによって教えられてきたが、その教えは難しく、ほとんどの者が呪いのループを脱出出来ずにいる。
ところが、20世紀初頭に、偶然に「私は誰か?」と自分に問えば、それが出来ることを発見したラマナ・マハルシがそのことを教え、多くの人々が、確かにマハルシの教えに、探し求めていた答があるとは感じたが、最後まで「私は誰か?」と問い続ける者は滅多にいない。
そして、今や、そんな者は皆無になりつつある。
問いさえすれば、天国や極楽浄土に行くよりずっと良いことになるし、まあ、その気になれば、天国や極楽浄土を作ることも出来るのである。








天国を思い出し、力を取り戻す

この我々の住む世界より高い次元の世界には、願ったことが何でも即座に叶う世界がある。
仏教では、それが天界である。
仏教の天界は、高位から下位に大きく3つに別れ、その3つのそれぞれにも、また、高位から下位へのいくつかの段階がある。
最も低い天界では、我々の世界と似た感じではあるが、やはり天界であり、心に願ったことは、かなり簡単に実現する。
低い天界ほど、そこの人々は、まだ欲望を多く持っているが、高位の天界に進むにつれ、人々の欲望は少なくなる。そして、欲望が少なくなるほど、もっと大きな喜びがある。
人間は、なるべく立派に生き、死んだ後は、まずは、最低レベルで良いから天界に行くべきで、そこから、徐々に上の天界に上がっていけば良い。

これは仏教に限った宇宙観ではなく、特に、キリスト教、イスラム教には、よく似た部分がある。
日本の天界は高天原(たかまがはら。たかあまはら)であるが、古事記には、天界にレベルがあることは書かれていない。しかし、古事記を読むと、やはり天界に区分があることが推測されるのである。
イスラム教では、アラーの教えに従って生きることを奨めるために、特に、男性教徒には、天界の嬉しいシステムが明かされている。
即ち、死んで天界に行けば、全く好みのタイプの花嫁が70人とか100人、与えられるのである。まあ、実際は、無限に与えられるということと思う。

これらは、宗教的な話のようだが、実際に、それに近いようになっていると思われる。
どういうことかというと、我々の世界も、高位の世界も、極めて高度な知生体によって作られた仮想世界のようなものであると考えられるからだ。これを「シミュレーション仮説」と言い、今のところ、その名の通り「仮説」ではあるが、特に知性が高い者には、それはほぼ間違いないと考える者が多いのである。

ところで、そのような、願いがすぐに叶う世界があるのに、なぜ、我々は、こんな不自由な世界に住んでいるのだろう?
それには、いろんな説があり、罰であるとか、修行であるとか言われることもある。
しかし、キリスト教の牧師などでも、特に頭の良い人は、だいたい、こう説明するのではないかと思う。
つまり、こんな不自由な世界では、願いを叶えた時の喜びは格別なので、それを味わうためである。
それで、我々は、敢えて、力がないフリをするため、この世界に自主的に降りて来たのだ。
本来、我々は、どんな願いも即座に叶えることが出来る神のようなもので、それは、この世界でも変わらない。
だが、この世界では、自分は無力だと信じることが出来るのである。
そして、自分が無力だと思うほど、実際に無力なのである。
しかし、空腹の後の食事が美味しいように、我々は、散々、不自由な想いをした後で望みのものを手に入れて歓喜を経験するのである。
とはいえ、今や、あまりに駄目な者が多過ぎるのである。
力がないフリにも限度がある。それなのに、本当に駄目な人間になり切ってしまっている者が、あまりに多いのである。
まあ、そこからの大逆転というのも確かに面白いだろうが、やっぱりやり過ぎだ。

そこで、我々は、必要に応じ、高位世界に戻らなければならない。
もちろん、高位世界に戻ると言っても、それは想像の中でやるのである。
その世界で、どんな願いも、即座に叶える様子を想像すれば、神の力の感覚が戻るから、この世界でも、同じようにやると良い。
少し慣れれば、すぐに、高位の世界に居る時と近いことが出来るようになる。
相変わらず制限は多いが、高位世界の感覚を思い出すごとに、どんな大きな願いも叶えられるようになる。
そして、十分に楽しんで満足すれば、死んで高位世界に戻り、別のゲームをすることで、さらに高位の世界に進むのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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