人に魔法のような力を与え人生を良い方に大きく変える唯一の鍵である至高体験(英語:Peak experience。絶頂体験)をもたらす方法は、緊張の後の弛緩であることは間違いないと思う。
だから、全く緊張のない生活をしている者が、いくら引き寄せのメソッドを行っても、目立った引き寄せが起こらないことが分かるのである。
同時に、緊張ばかりで弛緩することを知らない者も、優れたことを行うことが出来ないことも分かる。
今回は、理想的で自然な感じがする至高体験の例を示す。私が非常に好きな話で、何度かこのブログでも取り上げ、私は、何か重要なことがある話だとは思っていたが、これまでは本質がつかめなかった。
ある、劣等感の強い青年の話だ。
彼は、何をやってもうまくいかず、自信がなくて辛い人生を送っていたのだろう。
そんな彼が、「僕は何て駄目なんだ」とつぶやいた時、たまたま近くにいた知人が、
「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」
と言うのを聞き、その青年は強い印象を受けた・・・きっと、はっとしたのだと思う。
その時、この青年は劣等感による長い緊張から、弱くかもしれないが解放され、至高体験を起こしたのだと思う。
それだけではない。
この青年は、その知人の、「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」という言葉が至高体験のトリガーになり、この言葉を想うだけで至高体験を起こせるようになったのだ。
それで、彼は、この言葉を想い続け、至高体験を味わい続けることが出来た。
元々は弱い至高体験かもしれないが、長く味わい続けることで至高体験が深まったのだと思う。
それで、ほどなく、彼は誰からも一目置かれる優れた人物となったのである。
誰にだって、天啓を受けたように感じる言葉や出来事があるはずだ。
だが、ほとんどの人はそれに意識を向けず、忘れてしまうのだ。
そんな天啓のようなものは至高体験であり、それを味わうべきであるのだと思う。
お釈迦様は、5年もの断食修行をしながら、さっぱり悟りを得られず、「なぜなんだ?」という緊張状態の中、たまたま近くを通った琵琶法師の歌を聴く。
その歌は、「琵琶の弦を強く張り過ぎても緩め過ぎても良い音が出ない」といったような内容だったが、それを聴いてお釈迦様ははっとする。至高体験を起こしたのだ。
それで、お釈迦様は菩提樹の木の下に座り、その歌の言葉を想いながら、その時に感じた至高体験の感覚を味わい続け、元々資質があったお釈迦様は、強い至高体験に達したのだと思う。
私は子供の時、テレビでイギリスのテレビドラマを見ていたら、ヒーロー(ロジャー・ムーアが演じていた)が、
「祖父が言ってた。攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃とは無抵抗なり。つまり、何もしない者が一番強いんだ」
と言うのを聞いて、きっと至高体験を起こしたのだろう。
だが、私はその感覚に十分に意識を向けなかったので、お釈迦様になるチャンスを逸したのだ(笑)。
AIアート723
「夜景」
Kay
オーソン・ウェルズが24歳で監督・脚本・主演を行った傑作映画『市民ケーン』の中で、ある老人が言う。
「人生にはなぜか忘れられない瞬間がある」
その老人は、若い時に見た、白いパラソルを持った少女をなぜか忘れられずに憶えていた。
その老人と言うより、オーソン・ウェルズにも、その理由は分からなかったのかもしれない。
だが、それは至高体験が起きたからであることは確かと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)市民ケーン [DVD]
(2)至高体験(コリン・ウィルソン)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(5)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(6)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)
(7)賭博者(ドストエフスキー。新潮文庫)
だから、全く緊張のない生活をしている者が、いくら引き寄せのメソッドを行っても、目立った引き寄せが起こらないことが分かるのである。
同時に、緊張ばかりで弛緩することを知らない者も、優れたことを行うことが出来ないことも分かる。
今回は、理想的で自然な感じがする至高体験の例を示す。私が非常に好きな話で、何度かこのブログでも取り上げ、私は、何か重要なことがある話だとは思っていたが、これまでは本質がつかめなかった。
ある、劣等感の強い青年の話だ。
彼は、何をやってもうまくいかず、自信がなくて辛い人生を送っていたのだろう。
そんな彼が、「僕は何て駄目なんだ」とつぶやいた時、たまたま近くにいた知人が、
「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」
と言うのを聞き、その青年は強い印象を受けた・・・きっと、はっとしたのだと思う。
その時、この青年は劣等感による長い緊張から、弱くかもしれないが解放され、至高体験を起こしたのだと思う。
それだけではない。
この青年は、その知人の、「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」という言葉が至高体験のトリガーになり、この言葉を想うだけで至高体験を起こせるようになったのだ。
それで、彼は、この言葉を想い続け、至高体験を味わい続けることが出来た。
元々は弱い至高体験かもしれないが、長く味わい続けることで至高体験が深まったのだと思う。
それで、ほどなく、彼は誰からも一目置かれる優れた人物となったのである。
誰にだって、天啓を受けたように感じる言葉や出来事があるはずだ。
だが、ほとんどの人はそれに意識を向けず、忘れてしまうのだ。
そんな天啓のようなものは至高体験であり、それを味わうべきであるのだと思う。
お釈迦様は、5年もの断食修行をしながら、さっぱり悟りを得られず、「なぜなんだ?」という緊張状態の中、たまたま近くを通った琵琶法師の歌を聴く。
その歌は、「琵琶の弦を強く張り過ぎても緩め過ぎても良い音が出ない」といったような内容だったが、それを聴いてお釈迦様ははっとする。至高体験を起こしたのだ。
それで、お釈迦様は菩提樹の木の下に座り、その歌の言葉を想いながら、その時に感じた至高体験の感覚を味わい続け、元々資質があったお釈迦様は、強い至高体験に達したのだと思う。
私は子供の時、テレビでイギリスのテレビドラマを見ていたら、ヒーロー(ロジャー・ムーアが演じていた)が、
「祖父が言ってた。攻撃こそ最大の防御なり。最大の攻撃とは無抵抗なり。つまり、何もしない者が一番強いんだ」
と言うのを聞いて、きっと至高体験を起こしたのだろう。
だが、私はその感覚に十分に意識を向けなかったので、お釈迦様になるチャンスを逸したのだ(笑)。
AIアート723
「夜景」
Kay
オーソン・ウェルズが24歳で監督・脚本・主演を行った傑作映画『市民ケーン』の中で、ある老人が言う。
「人生にはなぜか忘れられない瞬間がある」
その老人は、若い時に見た、白いパラソルを持った少女をなぜか忘れられずに憶えていた。
その老人と言うより、オーソン・ウェルズにも、その理由は分からなかったのかもしれない。
だが、それは至高体験が起きたからであることは確かと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)市民ケーン [DVD]
(2)至高体験(コリン・ウィルソン)
(3)右脳の冒険(コリン・ウィルソン)
(4)フランケンシュタインの城(コリン・ウィルソン)
(5)悪霊(上)(ドストエフスキー。江川卓訳。新潮文庫)
(6)悪霊 (1) (ドストエフスキー。亀山郁夫訳。光文社古典新訳文庫)
(7)賭博者(ドストエフスキー。新潮文庫)