日本で一番有名な神様は、天照大神(アマテラスオオミカミ)であると思うが、改めてよく見ると、なんとも素晴らしい名前だ。
天照…天を照らすのである。
ただ、問題は、我々が、天という言葉の意味を知らないことだ。
キリスト教でも「天にまします我らの父(神)」と言うが、西洋人の大半が、天を、空(そら)、あるいは、空の上の方と思っているだろうし、現在では、我々日本人も同様と思う。
せめて、天を宇宙と思うくらいであって欲しいが、この場合の宇宙とは、宇宙の一部ではなく、宇宙全体である。
つまり、アマテラスは、宇宙全体を照らす神である。
古事記で、天照大神が天岩戸(あめのいわと)から出てこられた時、天である高天原も、地上も明るくなったと書かれてある通りである。
そして、天とは、宇宙全体であると同時に、我々の内にあるものであることを忘れてはならない。
どこの国でも、古代から、神、あるいは、天は、人の内側にあることを教えていたが、物質的なものばかりに関心が集まり、目に見えないものを信じなくなった人間には、そのことが分からなくなったのである。
しかし、サン・テグジュペリの『星の王子様』で、星の王子様が「本当に大切なものは目に見えない」と言うと、その言葉が深く刻まれるのであり、本来、人間は真理を感じるようになっている。ただ、過ぎた欲望に目が眩んでいるのだ。
インドでは、古代から、人間は小宇宙であり、神である大宇宙と等しいものであることを教えている。
天は、我々の内側に存在しているのだ。
それは、身体のどの部分というのではない。内側とは、身体の中の一部ではない。どうしてもイメージが欲しいなら、胸の中に異次元に通じる深く暗い穴があり、そこを通って出る処と思っても良いが、無論、医学的、生物学的に存在する穴ではない。
天照大神は、宇宙全体としての天と共に、我々の内側の天を同時に照らすのである。なぜなら、外側の天と内なる天は同じものだからだ。
古事記以前に書かれたと云われるホツマツタヱでは、天照大神は、アマテルという名の男神であるが、この名前も素晴らしい。
天(アメ)が自ら照るのである。これが、神本来の姿なのかもしれない。
ところで、日本では、最高の神、根本の神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)である。
最高に素晴らしい名前である。天の真ん中の主なる神であるのだから。
この神は、ホツマツタヱでも、アメノミナカヌシと同じ名で、やはり、貴い名であるのだろう。
その名を、我々日本人があまり知らないとは、驚くべきことである。
日本人は、歴史的に色々な経緯があって、仏教やキリスト教の神仏を祈ることも多く、それは無論、悪いことではない。
だが、いざという時には、我が国の神が助けてくれるのであり、その中心になる神がアマテラスであり、さらに、その本質がアメノミナカヌシであるのだと思う。
インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』で、至高の神クリシュナは、「我のみ拝せよ。だが、本来は正しいことではないが、他の神を通して我を祈っても良い」と述べている。
日本にも、その地方で祭られている親しみのある神があり、その神に祈るのは実に良いことである。そして、それは、根本神たる、アマテラスあるいはアメノミナカヌシを祈ることになるのだろう。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、天照大神を深く信仰していたが、それは、神話に登場する女神であると共に、宇宙の根源たる日の神としてのアマテラスであり、本質において、アメノミナカヌシのことであったのだとも思う。
だが、何をおいても、やはり、日本の神は、名前が素晴らしい。
その名前だけでも大きな恵みなのであると思う。
その名前だけで、神の有り様を示すことが出来るのであるから。
我々は、その名を忘れてはならないと思う。
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天照…天を照らすのである。
ただ、問題は、我々が、天という言葉の意味を知らないことだ。
キリスト教でも「天にまします我らの父(神)」と言うが、西洋人の大半が、天を、空(そら)、あるいは、空の上の方と思っているだろうし、現在では、我々日本人も同様と思う。
せめて、天を宇宙と思うくらいであって欲しいが、この場合の宇宙とは、宇宙の一部ではなく、宇宙全体である。
つまり、アマテラスは、宇宙全体を照らす神である。
古事記で、天照大神が天岩戸(あめのいわと)から出てこられた時、天である高天原も、地上も明るくなったと書かれてある通りである。
そして、天とは、宇宙全体であると同時に、我々の内にあるものであることを忘れてはならない。
どこの国でも、古代から、神、あるいは、天は、人の内側にあることを教えていたが、物質的なものばかりに関心が集まり、目に見えないものを信じなくなった人間には、そのことが分からなくなったのである。
しかし、サン・テグジュペリの『星の王子様』で、星の王子様が「本当に大切なものは目に見えない」と言うと、その言葉が深く刻まれるのであり、本来、人間は真理を感じるようになっている。ただ、過ぎた欲望に目が眩んでいるのだ。
インドでは、古代から、人間は小宇宙であり、神である大宇宙と等しいものであることを教えている。
天は、我々の内側に存在しているのだ。
それは、身体のどの部分というのではない。内側とは、身体の中の一部ではない。どうしてもイメージが欲しいなら、胸の中に異次元に通じる深く暗い穴があり、そこを通って出る処と思っても良いが、無論、医学的、生物学的に存在する穴ではない。
天照大神は、宇宙全体としての天と共に、我々の内側の天を同時に照らすのである。なぜなら、外側の天と内なる天は同じものだからだ。
古事記以前に書かれたと云われるホツマツタヱでは、天照大神は、アマテルという名の男神であるが、この名前も素晴らしい。
天(アメ)が自ら照るのである。これが、神本来の姿なのかもしれない。
ところで、日本では、最高の神、根本の神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)である。
最高に素晴らしい名前である。天の真ん中の主なる神であるのだから。
この神は、ホツマツタヱでも、アメノミナカヌシと同じ名で、やはり、貴い名であるのだろう。
その名を、我々日本人があまり知らないとは、驚くべきことである。
日本人は、歴史的に色々な経緯があって、仏教やキリスト教の神仏を祈ることも多く、それは無論、悪いことではない。
だが、いざという時には、我が国の神が助けてくれるのであり、その中心になる神がアマテラスであり、さらに、その本質がアメノミナカヌシであるのだと思う。
インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』で、至高の神クリシュナは、「我のみ拝せよ。だが、本来は正しいことではないが、他の神を通して我を祈っても良い」と述べている。
日本にも、その地方で祭られている親しみのある神があり、その神に祈るのは実に良いことである。そして、それは、根本神たる、アマテラスあるいはアメノミナカヌシを祈ることになるのだろう。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、天照大神を深く信仰していたが、それは、神話に登場する女神であると共に、宇宙の根源たる日の神としてのアマテラスであり、本質において、アメノミナカヌシのことであったのだとも思う。
だが、何をおいても、やはり、日本の神は、名前が素晴らしい。
その名前だけでも大きな恵みなのであると思う。
その名前だけで、神の有り様を示すことが出来るのであるから。
我々は、その名を忘れてはならないと思う。
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