ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

天下一の剣豪

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

願望には素直になる

何年か前、テレビ放送だったかAmazonプライムビデオだったか忘れたが、1967年の時代劇『剣』の第1回『天下一の剣豪』を見たことがある。
天下一の剣豪と言われる剣の達人、戸沢一刀斉が、織田信長の前で、次々と名の知られた武勇の強豪を倒すが、それは、鍛錬と克己の厳しい日々で、気の休まる時はなかった。
その中、一刀斎は、気晴らしのため、門下の者達を連れて温泉に行き、旅館に宿泊していた。
ところが、そこで、「天下一の剣豪」戸沢一刀斎を名乗る自分の偽物と遭遇する。
偽一刀斎は、講演会を開いて高額の講演料を取り、「一刀斎グッズ」の販売を行い、さらには、強い男に憧れる高貴な姫様をたぶらかすなど、やりたい放題だった。
しかし、本物の一刀斎一行とまさかの遭遇により、ついに年貢の納め時かと思われた。
そして、一刀斎の弟子が「こらしめてやりましょうか?」と、怒りで語気を荒くして言うが、一刀斎は「捨て置け」と言う。
弟子は困惑するが、一刀斎にそう言われれば何も出来ない。
なぜ、一刀斎は、その偽一刀斎を見逃したのか?
それは、丹波哲郎が演じる一刀斎が、心の中を語ることで分かったが、私は非常に感動した。
「俺も本当はあんなことがしたいのだ。あいつは俺の代わりにやってくれているのだ。あいつは俺だ」
自分もネームバリューを使ってきれいな姫様といちゃつきたい・・・と素直に認めるだけでも大したものだ。
しかし、それを自分の代わりにやってくれていると感謝し、そいつは俺だと認めるところは、さすが達人である。

人間は「妬(ねた)む」心が強い。
他人のラッキーや長所を強く恨んで憎むのである。
正義の立場で悪を糾弾している者も、おそらく、本当の攻撃理由は、いい想いをしている悪への妬みではあるまいか?
たとえば、悪というのではないが、女性が、金持ちの男と結婚する友達の女性に、「あんな、家が金持ちなだけでロクでもない男に騙されて、あなたは馬鹿よ」となじるのも、単に、金持ちと結婚する友達を羨み妬んでいるだけである。
沢山の妾、あるいは、妾のような女性がいる男を非難するのだって、本当は羨ましいだけである。
利権や賄賂で大金をせしめている者を過剰に攻撃するのだって、単に、「俺も欲しい」と羨んでいる場合が多いのではないかと思う。

私も、不当な利権や賄賂は善くないとは思うが、自分がもらえる立場であればもらうかもしれない。
それに気付いたのは、2つのことによってである。
古い雑誌に、プロレスの大スターだったジャイアント馬場さんのこんな言葉が書かれているのを見た。
今は知らない人が多いが、馬場さんは、アメリカで、今のイチロー、大谷翔平以上のスーパースターだったかもしれない。
その馬場さんが、こんなことを言ったらしい。
「あらゆるもめ事は嫉妬から起こるんです。ジャイアント馬場という男はプロレス入りして以来、全て順調だった。だから嫉妬されるのは当然なんです」
私は心から感動した。

ナスターシャ・キンスキーという有名な女優がいる。
彼女は18歳にして(サバ読み説あり)『テス』という、悪名高いロマン・ポランスキー監督作品で世界的女優になった。
絶世の美少女で、演技力もあったが、やはりポランスキーの作品が良かったのだろう。
ところで、なぜポランスキーが悪名高いかと言うと、カルロス・ゴーンのことで思い出すが、ポランスキーは、アメリカに入った途端逮捕されるのだと思う。
もう40年以上前だろうか、ポランスキーは11歳の少女を性的暴行し、逮捕状が出されたが、ゴーン同様フランスに逃亡。フランスではアメリカの警察は手を出せない。
ポランスキーは無実を主張し、「アメリカで裁判に出る」と言っていたが、まあ、40年以上、そんなことはないと思う(よく知らないが)。
そして、その後も数多くの傑作映画を制作している。
で、ナスターシャだが、『テス』の18歳での美少女振りも凄かったが、それより2年ほど前の、無名だった時代に出演した映画があるが、その初々しい魅力は『テス』の時のナスターシャはもう劣化していたとさえ感じるほどだった。
その無名時代の映画ではヌードすら披露しているが、はっきり見えた、その小ぶりな、いかにも少女らしい胸の美しさは大変なものだったと記憶している。
ところが、ナスターシャは14歳の時から、いいオッサンだったポランスキー監督と性的関係にあったことを本人が告白していたと思う。
無論、そんな女の子はナスターシャだけではあるまい。
私は、「ポランスキーは極悪人。フランスに逃げたままなど言語道断。アメリカはなんとしても逮捕しろ」と、ゴーンの時にはさっぱり感じなかった怒りを感じたが(笑)、何のことはない。一刀斎のように「俺もあんなことがやりたいのだ」で、単なる妬みである(笑)。

自分が正義の味方だなどと思わないことだ。
単に嫉妬し、妬んでいるのである。
まあ、これは単に私に関することで、あなたのことまで知らない。
しかし、妬んでいる間は引き寄せは絶対に出来ないものだ。
だが、羨んでいると素直に気付けば、力を取り戻すのである。
くそ!ポランスキーめ!!(笑)








具体的なことを願うべきか

引き寄せの法則には、2通りがある。
それは、具体的な願いを願うものと、具体的には願いを述べないものの2つである。
これは、結構重要である。
古典的なもので言えば、科学的なクラウド・ブリストルでは、「1億円」とか「専務の地位」といった、具体的なことを願う。
だが、宗教的(キリスト教)のノーマン・ヴィンセント・ピールでは、聖書の言葉を唱え、具体的な願いは述べない。聖書においては、「神はあなたに必要なものなど、とっくにご存知」だからである。
両方が混じったのが、ジョセフ・マーフィーや、フローレンス・スコーヴェル・シンだ。聖書の言葉を唱えつつ、具体的な要望をはっきりさせ、それを願う。

どちらが良いかは、本人の気質によるだろうが、具体的な願望は言わない方が良い。
クラウド・ブリステルだって、本来は、せいぜいが、「豊かになる」とか「うまくいく」、あるいは、ぼんやりと、「そうなればいいなあ」程度の想いを持つことで、それを実現させた。
マーフィーも、スコーヴェル・シンも、実際には、聖書の言葉を重視し、具体的な目標を言わないやり方を教えている場合が多いのである。

ただ、新しい成功法則では、「願望は、金額や、達成期限まで明確にせよ」と教えるものが多い。
ビジネスマン向けには、そっちの方が良いのである。
しかし、これは、一般的にはマイナスになる。
なぜなら、プレッシャーで緊張するし(それが良いという教えもあるのだが)、何よりも、違和感を感じたり、薄汚れた欲望を持ち勝ちである。
古典的で純粋な教えである、RHJの『Ii Works』では、具体的願望を記すのであるが、書き換え自由であるとして、そんな弊害を緩和している。

特に、日本人の場合は、願いは具体的にしない方が良いと思える。これには、異を唱える者もいるだろうが、そんな者達は、違和感に苦しまず、どんどん願いを叶えているのだろうか?そうではないように思う。
神様と呼んでも、宇宙エネルギー、あるいは、潜在意識と言っても良いが、そういった深層の英知が、我々の願望を知らないはずがない。
しかし、それを自意識で言葉にすれば、大抵は悪い方に歪むのである。

昨日もご紹介した、1967年の時代劇『剣』の第1回、『天下一の剣豪』で、無敵の剣豪、戸沢一刀斉は、「あなたは日本一です」と語りかけてくる刀の力で、天下に敵はいなかった。
この脚本を書いた人は、実に知恵がある人だろう。
剣が語りかけてくるのは、「あなたは次の誰それに勝ちます」だの、「あなたは日本一の剣の達人です」でもない。
「あなたは日本一です」なのだ。
そして、戸沢一刀斉は具体的には、剣で天下一でありたいことは、大きな存在には、言わなくても解っているのである。

「私はうまくいく」と言った時、どんなことでうまくいけば良いのか知らないのは子供である。
だから、子供の夢は、眠っている夢の中でしか叶わない。
大人が、くどくど具体的な願いを言うのは、神様とか宇宙の活力を信頼していない証拠である。
だが、「多くの人間の問題は、具体的な目標がないこと」と言うのもまた真理である。
しかし、それは、生き方の問題である。
夢や目標がないというのは、怠慢で、弛んだしまっているだけだ。
人間らしく生きていれば、「ああなりたい」「あれが欲しい」なんて目標は、いくらでも現れる。
そうでないなら、生き方を反省し、改めた方が良いだろう。
「具体的な目標は?」というのは、自分では解っていても言う必要はない。だが、ディテール(細かいこと)ははっきりしなくても、自分では知っていなければならないのである。その訓練の意味では、『It Works』は良いのではないかと思う。









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魔剣を得る方法

何度かご紹介したが、私が好きな時代劇に、
『剣』(1967~1968。全46話)
の、第1回、
『天下一の剣豪』
がある。
丹波哲郎演じる戸沢一刀斉は、織田信長に仕える剣士で、あらゆる名人・達人と対戦するも、一度も遅れを取ったことがなく、遂に、信長に「天下一の剣豪」を名乗ることを許される。
ところで、この戸沢一刀斉が、不思議な名刀を所持していた。
その剣を持つと、剣が、「あなたは日本一です」と語りかけてくるのだ。

これは、時代劇、あるいは、「お話」ではない。
ありふれた、しかし、重要な話だ。
つまり、「あなたは日本一です」と語りかけてくるのは、剣ではなく、この場合、戸沢一刀斉の潜在意識に沈んだ暗示・・・もっとはっきり言えば「思い込み」である。
それがあるからこそ、戸沢一刀斉は天下一の剣豪になれたのだ。
「最後の天才」と言われた画家、サルバドール・ダリも、ある木片を肌身離さず持っていたが、それが、戸沢一刀斉の剣と同じような作用を起こす象徴的な何かだったのだろう。
実際は、自分が何かを思い込む道具にさえなれば、剣でも木片でも聖書でも何でも良い。
ある偉大な発明家は、ゲルマニウムに自分から語りかけていたそうで、そうすることで、ゲルマニウムからアイデアをもらえるのである。もちろん、アイデアの出所は、ゲルマニウムではなく、自分の潜在意識につながった無限の意識である。

私が総務課の社員だった時、同じフロアにいた技術課長が、私にプログラミングの勉強を勧めたが、彼は、自分はプログラミングが出来るようになれなかったという。
だが、私は楽々プログラミングをマスターした。
その違いは、単に、「自分に出来て当たり前」という思い込みだけである。
私は、何の根拠もなく、「私なら絶対出来る」という確信を持っていた。
それは、当時読んでいた、ひろさちやさんの『空海入門』に、空海は自分を仏陀だと勝手にみなし、仏陀の真似をしたから仏陀のようなものになったと書かれていたのを見て、私は、高級プログラマーらしくしていたのである。
思い込みだけでやっていたのは、間違いなくスティーブ・ジョブズだ。
彼は、「人間は信じるしかないんです」と言っていたのだ。
で、どんな人が信じ易い、つまり、思い込みを持ち易いかというと、やはり、素直で偏見がないことだ。
自分が賢いと思っていたり、優越感の強い者ほど、偏見を持ち易く、権威ある常識や世間の常識以外のことを信じられない。
ジョージ・アダムスキーが本当に宇宙人とのコンタクティーだったかどうかは分からないが、彼の話をすぐに「下らない」「馬鹿馬鹿しい」と言いたがる者は、残念ながら飛躍出来ない。
ある意味、馬鹿で子供っぽい方が良いのだと思う。
それでいて、何か1つのことを自主的に欠かさずやれれば(それが本当の子供と子供の心を持った大人の違いだが)、必ずや、戸沢一刀斉の名刀を持てるだろう。








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真正のぼっちとは

ほぼ2年前の2017年8月1日に、こんなことを書いた。

**********
1967年に放送された『剣』という時代劇の第1話『天下一の剣豪』で、丹波哲郎演じる戸沢一刀斉は、天下にその名が鳴り響く日本一の剣豪だった。
ところが、戸沢一刀斉を名乗る偽物が現れ、そのネームバリューで若い娘を誘惑し、面談料やサインで儲けるなど、やりたい放題だった。
ある時、なんと、一刀斉本人が宿泊した宿に、その偽物がいて、そこでも、姫様を弄び、サイン入りグッズを販売していた。
ところが、一刀斉の門下の剣士達が、「懲らしめてやりましょうか?」と言うと、なぜか、一刀斉は、「捨ておけ」と言う。
一刀斉は心で想う。
「あれは俺だ。俺も、本当は、あんなことをしたいのだ。あいつは、俺の代わりに、それをやってくれているのだ」
***********

一刀斉は、日々節制し、トレーニングに励み、ストイックに生きていたのだろう。
それだけでなく、常に得たいの知れぬ強豪武芸者と戦い続ける運命であり、しかも、必ず勝たねばならないプレッシャーに耐え続けている。
若い娘といちゃついている暇はないが、本当は、自分もそんなことをしたい。
すると、自分の名を騙(かた)って(だますこと)、きれいな姫様と温泉入浴している悪いやつがいた。
それを見て一刀斉は、「あれは俺」と思ったのだ。
そして、実際そうなのだ。
悪いやつ、いやなやつほど自分に似ていると思わないだろうか?
あるいは、誰かが人の悪口を言っているのを聴くと、間違いなく、その者は自分の悪口を言っているようにしか聴こえないものなのだ。
「あの人は本当にいい加減だ」と言う者は、その者自身が全くいい加減なのである。
逆もまたそうなのだ。
「あの人は本当に人格者だなあ」としみじみ言っている人がいたが、そう言っている人が、本当に人格者なのだ。
つまり、人間には、自分にある美点、あるいは、欠点しか、他人の中に見ることは出来ないのである。

一刀斉の「あいつは俺」は、正にその通りなのだが、俺でないあいつもいない。
他人というものは存在しない。
そして、悪いやつにしろ、善いやつにしろ、気になるあいつほど自分に近く、融合出来るのである。元々1つな上、波長が近いからだ。
凄い美人女子高生と親しげに歩いている男子高校生がいて、私はふと、彼と融合したが、別におかしな感じはない。最初から同じ者だからだ。
そして、彼が、その子を全然女だと思っていないのも、意外でも何でもない。そんなこと、初めから解っているのだからだ。
女の子の方と融合することもあるが、その時のことは、一瞬、夢でも見ていたようで、ほとんど覚えていない。多分、覚えているとやり切れないことが多いと思うので、うまく忘れるようになっているのだろう。
また、私は、よく、犬や猫や鳩やカラスや亀を見て、「可愛いなあ」と思のだが、そうすると、やはり、すっと融合する。
量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが『聖なる量子力学9つの旅』で、鷹と融合した時のことを書いていて、私は、その時のこと(動物と融合した時のこと)を、やはりほとんど記憶していないが、それでも、大体、あんな感じだったということを微かに覚えている。
ロバート・モンローが『魂の体外旅行』で、狼や鳥などと次々融合する話を書いていたと思うが、とても生き生きと書かれているせいか、私が動物と融合した時のことを思い出すような気がした。
そして、私自身、ふとちょっと変わった思いが浮かぶ時、肉体的には別の誰かと融合した(融合された)のだということが解るが、それは、別に嫌なことでも何でもない。繰り返すが、元々一体なのであるから、何の支障もない。
そして、融合体験は非常に良いものであるが、最近は、自分の殻に閉じこもり、他者と一体にならず、狭い狭い世界を生きている者が多い。
LINEでつながっているつもりになっている者の中に、そんな「真正ぼっち」が多いのである。









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極悪人は芝居をしている

私は、特にダニエル・グレイブがボンドを演じる007映画や、『スーパーマン』の映画は、見ると、本当に疲れる。
これらの映画では、必ず、優秀な一人の悪役が登場する。
『スーパーマン』では「大天才」レックス・ルーサーだし、007では、毎回違っているが、やはり天才的な敵が登場する。
しかし、その敵達が、「あまりに真面目な悪人」でいけない。
「あまりに真面目な悪人」とは、「心に一点の曇りもない悪人」である。
まあ、悪の権化ってやつだ。
しかし、そんなものは世の中に存在出来ないはずなのだ。
だから、悪人ってのは、本当は、どこか芝居がかったところがあり、「作り物感」がもっとあるはずなのだ。

宇宙には、「与えたものが与えられる」という、絶対的な法則があることは、宗教や科学で教わらなくても、あまりに自然なこととして、誰だって感知しているはずだ。
だから、レックス・ルーサーのような超頭の良い人が、そんなことを、はっきりと知っていないはずがない。
もし、ルーサーがいたとしたら、彼は、自分がいつか、自分が他の人達にやったくらいの酷い目に遭うことくらい、完璧に理解しているはずなのである。

人類最悪の人間が誰かを決めることは出来ないだろうが、アドルフ・ヒトラーがその1人であるということに、あまり異論がある人はいないだろう。
しかし、ほとんどの人が、ヒトラーの悪事を、自分で確認した訳ではない。
こう言うと、現実に被害に遭った人達やその関係者の反発は大きいかもしれないが、それでも、私にとっては、ヒトラーのことは、ただの情報であることも確かなのだ。
もし、ヒトラーが本当に、情報の通りか、それに近い存在であるなら、彼に共感する部分があるはずで、彼について知れば知るほど、「彼は私だ」と思うはずなのである。
そうであってこそ、私はヒトラーにならないし、次のヒトラーは生まれないのだ。
そして、ヒトラーもやはり、作り物で、偽物で、芝居がかっており、まるで戯曲や映画の登場人物なのである。
それも、とびきり下手なキャラクターだ。
つまり、007やスーパーマンに出てくる悪人達のキャラクター設定は、情報としてのヒトラー並に、絶望的なまでに下手で馬鹿げているのである。

1967年に放送された『剣』という時代劇の第1話『天下一の剣豪』で、丹波哲郎演じる戸沢一刀斉は、天下にその名が鳴り響く日本一の剣豪だった。
ところが、戸沢一刀斉を名乗る偽物が現れ、そのネームバリューで若い娘を誘惑し、面談料やサインで儲けると、やりたい放題だった。
ある時、なんと、一刀斉本人が宿泊した宿に、その偽物がいて、そこでも、姫様を弄び、サイン入りグッズを販売していた。
ところが、一刀斉の門下の剣士達が、「懲らしめてやりましょうか?」と言うと、なぜか、一刀斉は、「捨ておけ」と言う。
一刀斉は心で想う。
「あれは俺だ。俺も、本当は、あんなことをしたいのだ。あいつは、俺の代わりに、それをやってくれているのだ」
さすが天下一の剣豪である。

与えるものが与えられる。
イエスの教えの最重要事項であるが、これさえ知っておけば、他はいらないほどである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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