佐川幸義という大東流合気柔術の達人が考案した佐川流四股と言うべきものが優れた鍛錬だということは、一般に受け入れられることはないだろう。
そう言えるのは、一般人の運動に対する偏見が大きな理由で、その偏見とは、西洋流の運動が優れたものであるとか、運動は苦しいほど効果が高いというもので、これらはもう、偏見と言うか、現代人の病的な思い込みになっている。
ただ、大東流合気柔術のような古典武術側にも問題がある。
たとえば、佐川幸義のことは、大東流合気柔術では「宗範」と呼称するが、「宗範」なんて言葉を知っている人なんかいないし、私も、つい最近まで読めもしなかった。
「宗範」でググっても、人名にこんなのがあるということが分かるだけだ。
大東流合気柔術の関係者の動画を見ると、「宗範」は「そうはん」と言い、実は、私も、今でも意味は分からないが、要は偉い人を指す敬称なのだと思う。多分、一番偉い人を指しているのだとは思うが、やっぱり分からないのだ。
大東流合気柔術の関係者の中でだけ使うのなら何の問題もないが、一般向けにこんな通用するはずのない言葉を使うのは、個人的には間違いと思う。

AIアート152
「永遠の一瞬」
Kay
佐川流四股が優れた鍛錬法だということは、ごく一部で知られているが、おかしなことに、正しいやり方というものは「ない」としか言えないのだと思う。
今は、佐川幸義のお弟子さんや、孫弟子さんのような方が佐川流四股のやり方を雑誌や本や動画で公開されていることがあるが、そのやり方は全くバラバラである。
佐川幸義も、弟子に「こうやるんだ」と丁寧に教えたことはないのだと思う。
ひょっとしたら、佐川幸義自身が固定したやり方を持っていなかったのかもしれないし、私はその可能性が高いと思う。
佐川幸義の弟子に対する四股のやらせ方は、とにかく「四股を踏め」と言うだけであったのだと思う。
全ての弟子は、一般人同様、四股と言えば相撲の四股しか知らないので、弟子は相撲の四股をやる。
ところが、佐川は弟子に「1日千回踏め」とか「一晩中踏め」といったように、長時間やることを要求する。
相撲の四股を1日千回は無理である。
だが、中には凄い根性の持ち主でやってしまう人もいたようだが、それでも、毎日はやはり無理なのではと思う。やったことがないので分からないが。
そして、適当な時期に、佐川はちょっとやり方を教える。
どんなふうに教えるたのかは知らないが、自分がやって見せるのではなく、弟子にやらせ、相撲式の四股をやる弟子に、
「そんなに腰を落とすな」
「そんなに身体を傾けるな」
と言って矯正していき、結局、足踏みと大差ない運動だと、弟子はやっと分かるのである。
しかし、やっぱり大雑把にしか教えないので、弟子同士でもやり方がバラバラなのだと思う。
ひょっとしたら、弟子の中にはよく研究した後で、「このやり方が正しい」と思って、それをしっかり自分の弟子などに教える人もいるのかもしれないが、それが正しいかどうかは分からない。
大東流合気柔術の高段者の中には「形はどうでも良い」と言う人もいるが、私はそれに賛成である。
佐川流四股を説明するとすれば、
「両足を少し開いて立ち、静かに足踏みをする。手は動かさない」
程度になると思う。
後はどうでも良いのだ。
手は太股の外側に軽く添えるが、これも別に決まっておらず、下腹部に当てろという人もいる。
また、足は外股(逆ハの字)や内股(ハの字)ではなく、平行にという人もいて、私もそれでやっているが、外股でやっている大東流合気柔術の人も多く(というかそれが普通)、これもやっぱり好きにやれば良い。
困ったのは、独自のやり方を、あたかも権威があるように説明する人であるが、そんな人の説明はやたらややこしいのが多いので、相手にしない方が良い。
結局、いろんなやり方を見ながら、自分で工夫するしかないと思う。
ただ、今の人は、先生に正解を教えてもらって、それを憶えるということしか出来ない人がほとんどと思う。
だが、重要なものに正解はない。
答なんてものはないと思った方が良い。
たとえば、愛とは何かとか、同性愛が正しいかなどだ。だが、学校で「誰かが答を知っている」と思い込まされている現代人は、こんなことでも答を決めたがる・・・いや、「決めて欲しがる」のである。
腕振り運動もまた、正しいやり方なんてない。
好きなようにやれば良いが、謙虚に学ぶという姿勢も必要であろう。
そう言えるのは、一般人の運動に対する偏見が大きな理由で、その偏見とは、西洋流の運動が優れたものであるとか、運動は苦しいほど効果が高いというもので、これらはもう、偏見と言うか、現代人の病的な思い込みになっている。
ただ、大東流合気柔術のような古典武術側にも問題がある。
たとえば、佐川幸義のことは、大東流合気柔術では「宗範」と呼称するが、「宗範」なんて言葉を知っている人なんかいないし、私も、つい最近まで読めもしなかった。
「宗範」でググっても、人名にこんなのがあるということが分かるだけだ。
大東流合気柔術の関係者の動画を見ると、「宗範」は「そうはん」と言い、実は、私も、今でも意味は分からないが、要は偉い人を指す敬称なのだと思う。多分、一番偉い人を指しているのだとは思うが、やっぱり分からないのだ。
大東流合気柔術の関係者の中でだけ使うのなら何の問題もないが、一般向けにこんな通用するはずのない言葉を使うのは、個人的には間違いと思う。

AIアート152
「永遠の一瞬」
Kay
佐川流四股が優れた鍛錬法だということは、ごく一部で知られているが、おかしなことに、正しいやり方というものは「ない」としか言えないのだと思う。
今は、佐川幸義のお弟子さんや、孫弟子さんのような方が佐川流四股のやり方を雑誌や本や動画で公開されていることがあるが、そのやり方は全くバラバラである。
佐川幸義も、弟子に「こうやるんだ」と丁寧に教えたことはないのだと思う。
ひょっとしたら、佐川幸義自身が固定したやり方を持っていなかったのかもしれないし、私はその可能性が高いと思う。
佐川幸義の弟子に対する四股のやらせ方は、とにかく「四股を踏め」と言うだけであったのだと思う。
全ての弟子は、一般人同様、四股と言えば相撲の四股しか知らないので、弟子は相撲の四股をやる。
ところが、佐川は弟子に「1日千回踏め」とか「一晩中踏め」といったように、長時間やることを要求する。
相撲の四股を1日千回は無理である。
だが、中には凄い根性の持ち主でやってしまう人もいたようだが、それでも、毎日はやはり無理なのではと思う。やったことがないので分からないが。
そして、適当な時期に、佐川はちょっとやり方を教える。
どんなふうに教えるたのかは知らないが、自分がやって見せるのではなく、弟子にやらせ、相撲式の四股をやる弟子に、
「そんなに腰を落とすな」
「そんなに身体を傾けるな」
と言って矯正していき、結局、足踏みと大差ない運動だと、弟子はやっと分かるのである。
しかし、やっぱり大雑把にしか教えないので、弟子同士でもやり方がバラバラなのだと思う。
ひょっとしたら、弟子の中にはよく研究した後で、「このやり方が正しい」と思って、それをしっかり自分の弟子などに教える人もいるのかもしれないが、それが正しいかどうかは分からない。
大東流合気柔術の高段者の中には「形はどうでも良い」と言う人もいるが、私はそれに賛成である。
佐川流四股を説明するとすれば、
「両足を少し開いて立ち、静かに足踏みをする。手は動かさない」
程度になると思う。
後はどうでも良いのだ。
手は太股の外側に軽く添えるが、これも別に決まっておらず、下腹部に当てろという人もいる。
また、足は外股(逆ハの字)や内股(ハの字)ではなく、平行にという人もいて、私もそれでやっているが、外股でやっている大東流合気柔術の人も多く(というかそれが普通)、これもやっぱり好きにやれば良い。
困ったのは、独自のやり方を、あたかも権威があるように説明する人であるが、そんな人の説明はやたらややこしいのが多いので、相手にしない方が良い。
結局、いろんなやり方を見ながら、自分で工夫するしかないと思う。
ただ、今の人は、先生に正解を教えてもらって、それを憶えるということしか出来ない人がほとんどと思う。
だが、重要なものに正解はない。
答なんてものはないと思った方が良い。
たとえば、愛とは何かとか、同性愛が正しいかなどだ。だが、学校で「誰かが答を知っている」と思い込まされている現代人は、こんなことでも答を決めたがる・・・いや、「決めて欲しがる」のである。
腕振り運動もまた、正しいやり方なんてない。
好きなようにやれば良いが、謙虚に学ぶという姿勢も必要であろう。