ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

大パリニッバーナ経

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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釈迦の秘儀でこの世を自分の遊び場にする

釈迦は、ある部族で「7つの繁栄の法」を説き、その部族はその法を守っているので繁栄を続け、その法を守る限り繁栄は終わらないという話が『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)に書かれている。
『大般涅槃経』は『大パリニッバーナ経』という呼び名が使われることもある。
その「7つの繁栄の法」を、『ブッダ最後の旅: 大パリニッバーナ経』(中村元訳。岩波文庫)から要約して引用する。
古い言葉のいくつかは普通の言い方に改めるか簡単な説明を加えた。

1.しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する。
2.協同して集合し、協同して行動し、協同して部族として為すべきことを為す。
3.未来の世にも、未だ定められていないことを定めず、すでに定められたことを破らず、住昔(おうじゃく。昔と同じ)に定められた部族の旧来の法に従って行動する。
4.部族のうちの古老を敬い、尊び、崇め、もてなし、そうして彼らの言を聴くべきものと思う。
5.良家の婦女・童女を暴力で連れ出し拘(かかずら)え留めることを為さない。※拘(こだ。かかずら)わる:執着する
6.都市の内外の部族の霊域を敬い、尊び、崇め、支持し、そうして以前に与えられ、以前に為されたる、法に適ったかれらの供物を廃することがない。
7.真人(尊敬されるべき修行者)たちに、正当の保護と防御と支持とを与えてよく備え、未だ来らざる真人たちが、この領土に到来するであろうことを、またすでに来た真人たちが、領土のうちに安らかに住まうであろうことをねがう。

これを聞き、マガダ国の大臣ヴァッサカーラは、「このうちの1つを備えているだけでも、繁栄が期待され滅亡はないだろう」と釈迦に言った。
海外のことは知らないが、日本では、これらは全て守られておらず、よって衰退の一途である。
とはいえ、これらの一つ一つを守ろうとしても、それは無理である。
つまり、これらの法は守れない法であるり、釈迦は、「人に守れない7つの法」を説いたのである。
しかし、釈迦が昔、この法を説いた部族は、この法を守って繁栄しているという。
なぜそんなことが起こったのか?
そこに釈迦の秘儀がある。
以下は私の独断としておく。
釈迦は、その部族の人々の思考を消したのである。
思考が消えた人々は、教わらなくても、この法のようなことをする・・・と言うより拒否しないのである。
釈迦は、人々の思考が消えたかどうかのチェックポイントとして、この「7つの法」を示したのである。

妖精が住まう条件
AIアート620
「妖精が住まう条件」
Kay


悪しき人間とは「考えない人」ではなく「愚かなことを考えまくる人」である。
意識がありながら思考がない人は賢者である。
夢の中では、完全ではないが、意識がありながら思考しない。
なぜなら、夢の中で何かを考える必要がないからだ。
だから、夢の中では誰もが賢者である。
夢の中で大発見・大発明を行うことがあるのはそのためである。
どんな愚かな人間でも、夢の中ではなかなか立派なのである。
夢の中では、何でも分かってしまうのに、目覚めてしばらくし、思考が戻ってくると何も分からなくなる。
だが、この世を夢と見なし、そうであっても無茶なことをせず、穏やかにしていれば、この世は遊び場になる。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ブッダ最後の旅-大パリニッバーナ経(岩波文庫)
(2)リルケ作品集(『夢』『堕落』『白』など)
(3)荘子〈1〉 (中公クラシックス)
(4)正法眼蔵(ひろさちや訳)
(5)瞑想と潜在能力(中山正和)

侵略不可能になるブッダの法

ロシアがウクライナ侵攻を開始(2022年2月24日)してから、かなり経つ。
ロシアの侵攻目的や、侵攻の状況は、日本では、アメリカ・イギリスの特定のメディアの情報しか報じないので、本当のところは全く分からない。
少なくとも、私は、日本のメディアの情報を、別に疑いはしないが、信じてもいない。

ところで、昔(2500年も前だが)、インドでマガダ国という強国が、ヴァッジ族の地域に侵攻し、征服しようとしていた。
ヴァッジ族は繁栄してはいたが、一部族でしかなく、マガダ国のような強国とは比較にならない。
だが、マガダ国王アジャータサットゥは、大臣をゴータマ・ブッダ(釈迦)の所に派遣することとし、大臣に、くれぐれもゴータマ・ブッダを敬い、機嫌を取ってから、この侵略に対する、ゴータマ・ブッダの意見を求めるよう命じた。
ゴータマ・ブッダの答はこうだった。
「私はかつて、ヴァッジ族に、7つの繁栄の法を説いた(ここで、7つの繁栄の法を明かす)。今、弟子達に確認したところ、ヴァッジ族は、その法を今も守っている。よって、ヴァッジ族には繁栄しかなく、滅びはない」
これを聞いたマガダ国の大臣は、自分は聞いたままをマガダ国王に伝えるので、侵攻は中止になると確信した。
マガダ国の大臣は、7つの法の1つでも守っている限り、滅びはなく繁栄があるだけだと気付いたからである。しかも、ヴァッジ族は、7つ全てを守っていたのだ。

先程も述べたが、ウクライナの本当の状況は、日本にいる私には全く不明だ。
釈迦の繁栄の法に準じた生き方をしている限りウクライナに滅びはないかもしれないが、支配層が、その法と反することを行っているなら、その支配層は排除されるだろう。
ちなみに、繁栄の7つの法は、あまりにも当たり前のことばかりである。
例えば、公平に意見を聞くとか、先祖や老人や女性を敬うとか、外から来た優れた人物を敬うなどである。
ちなみに、日本が他国に侵攻される可能性は、決してなくはなく、むしろ、その可能性は高まっているかもしれない。
しかし、私が見るところ、現在の日本は、釈迦の繁栄の法の1つも、十分に守られていない。
それなら、せめて、我々一人一人が、厳密に釈迦の繁栄の法でなくてもいいから(まあ、時代も違うし)、当たり前の法を守れば、結果、神風が吹くとかいうのではなく、現実的な方策と幸運で滅びを免れ、さらに、国内の悪を一掃し、奇跡を起こせるかもしれない。
尚、釈迦の繁栄の7つの法は『大パリニッバーナ経(翻訳:ブッダ最後の旅)』にある。








ブッダの繁栄の法

人間には、小は、家族や友人のグループから、大は、国家や惑星に至る規模のユニット(集団)がある。
そして、
「どんな家族が栄え、どんな家族が衰退するのか?」
「どんな国が栄え、どんな国が衰退するのか?」
ということには、単純な法則がある。
釈迦は、ある小さな国で、「どうすれば繁栄するのか?」を「7つの繁栄の法」として説き、それを守ったその国は大いに繁栄した。
ある強大な国が、その国を攻め滅ぼそうとした時、釈迦は、「7つの繁栄の法を守る国を亡ぼすことは出来ない」と言い、強国は侵略を止めた。釈迦が言うことに間違いがあるはずがないからだ。
「7つの繁栄の法」は、『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』(中村元著。岩波文庫)にあるので、引用する。
次のような国、民族は栄える(企業やその他の団体も同じであると思う)。

(1)しばしば会議を開き、会議には多くの人が集まる。
(2)協同して集合し、協同して行動し、協同して為すべきことをする。
※「協同」は、心と力を合わせての「共同」。
(3)勝手にルールを作らず、決まったルールに従う。
(4)古老を敬い、尊び、崇め、もてなし、傾聴する。
(5)良家の婦人、少女を強奪しない。
(6)先祖を敬い、尊び、崇め、供養する。
(7)尊敬されるべき修行者を歓迎し、保護し、もてなす。

これを聞いた強国の大臣は、「このうちの1つを守っているだけでも、その集団は繁栄し、滅亡はないだろう」と確信を込めて言った。
もちろん、時代に合った解釈も必要だが、現在においても、企業やチームや国が繁栄するか、滅びるかは、この「繁栄の7つの法」で決まる。
逆に言えば、傾く会社、消え去るチーム、衰退する国というのは、「繁栄の7つの法」から外れているのである。
例えば、会社で、権限のある者が、決まっているルールを無視し、勝手なルールを作って、自分が行ったり、幹部や社員に強制すれば、確実に会社は傾く。
徳川家康は、重鎮達との会議では、自分はほとんど発言せず、他の者達が討議するのを大人しく聞いていたという。
功績ある人物を「老いぼれ」「老害」と言って軽んじる企業、政治組織、学術団体は必ず廃れる。

7つ全部は難しくても、1つでも、何があっても厳格に守れば、あなたのチームも繁栄する。
だが、釈迦の時代は、人間には知恵があり、道理を理解する心があった。
だが、時代が進み、物質主義、営利主義の世の中になると、確かに一面では、人間の知識や思考力は増大したが、知恵は失われた。
多くの企業や国は、「繁栄の7つの法」の1つも守っておらず、それに所属する個人も、そんな企業や国の考え方に流され、国は衰え、人々は不幸になり、そして、人間はますます愚かになっていった。
そして、釈迦は、それを予言していた。
そこで、釈迦は、「念仏だけが残る」と言ったのである。
もちろん、直接、「念仏だけが残る」と言ったのではなく、どんなに落ちても、神仏を崇め頼ることを忘れるなと言ったのであり、そのためには、神仏の名を呼ぶ言葉を唱えれば良く、また、愚かな人間には、それしか出来ないだろうと言ったのである。
よって、神仏の名、神仏を褒め称える言葉、神仏の存在を認める言葉を、絶えず唱えることで、宇宙の無限の知恵と力に守られるのである。
このような言葉を真言と言う。
従って、我々は、好きな真言を自主的に選び、自主的に、たゆまず唱えれば、決して不幸にならず、むしろ、嬉しいことばかりになる。
選ぶ真言は、1つでも、2つでも、3つでも、あるいは、それ以上でも構わない。
だが、何を真言とするかは、親、教師、先輩、権威者に強制されてはならない。
家の宗教が何で、宗派が何かは全く関係がない。
自分が、どの真言を唱えているかは、誰にも言う必要はない(親しい人に言うのは構わないが、注意深くすること)。
真言は、声に出さず、心で、静かに、丁寧に唱えなければならない。
そのように真言を唱える者には繁栄があるのみで、滅ぶことはないだろう。








たった1つの掟で破滅を免れ平安を得る

ゴータマ・ブッダ(釈迦)は、ある時、ある国で、滅びを免れる7つの掟を説いた。
その教えを守っていたその国は繁栄し、しかも、無敵であった。
7つを全て守れば、確かに磐石である。
だが、大パリニッバーナ経では、ある強国の大臣が、「その1つでも守れば、繁栄し、滅亡はない」と述べたことが取り上げられている。
この掟は、国から個人まで、あらゆるレベルで、滅亡を遠ざけ、繁栄を呼ぶことは明白と思う。
その「滅びを免れる掟」は、次の通りである。

(1)あらゆる人の言い分に耳を傾ける。
(2)誰かを仲間外れにせず、平等に役割を分担する。
(3)ルールを守る。特定の者が勝手にルールを作らない。
(4)老人を敬い大切にする。
(5)良き女性を貴きものとして守る。
(6)今日の繁栄を祖先の手柄と認め、祖先を敬う。
(7)高貴な人間を敬い、積極的に世話をする。

この1つでも、しっかり守っていれば、悲惨な目に遭うことは決してなく、平安で、喜びある人生を送れる。ただし、1つでも自分の都合で破るなら、転落を始め、やがて奈落に沈む。
それを「破滅を呼ぶ掟」と呼ぶなら、以下の通りである。

(1)気に入った者の意見や、自分に都合の良い意見だけを聞く。
(2)誰かを仲間外れにしたり、不平等な役割を与える。
(3)自分の都合でルールを破ったり、ルールを歪めたり、勝手なルールを強引に作る。
(4)老人を軽んじ、粗雑に扱う。
(5)良き女性の意思を軽んじ、あるいは、騙し、あるいは、安全を脅かす。
(6)祖先の恩ある労苦を忘れ、今日の繁栄を自分の力によるものと思い上がる。
(7)高貴な人間を自分より劣るもののように扱う。

「破滅を免れる掟」は1つをしっかり守れば良いが、「破滅を呼ぶ掟」は、1つでも該当すれば滅びは免れない。
いずれも、生きている間に十分に、その報いがあるが、むしろ、死んでからの方が、楽しい、あるいは、恐ろしいかもしれない。
とはいえ、滅びを免れることは、あまりに簡単なので、特に不安はないと思う。
ところが、滅びを免れない者も、報いを受けるまでは、ほとんど不安を持たないのである。












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釈迦やマハルシや荘子らの簡単だがなかなか出来ない成功法

釈迦やラマナ・マハルシは、簡単で明白な成功法を説いているが、それを知る者は少ない。
釈迦に関しては、『大パリニッバーナ経』の最初になり、訳本は、岩波書店の『ブッダ最後の旅』(中村元翻訳)がある。
それは、7つの繁栄の法で、個人と言うよりは、国家の成功法であるが、個人でも同じと思う。
1.会議を開き、多くの人が参加する。
2.いつも協力し合う。
3.定められた掟に従い、勝手な掟を作らない。
4.古老を厚く敬う。
5.淑女や令嬢を無理矢理自分のものにしない。
6.祖先を敬う。
7.立派な修行者を敬う。
この内の1つでも守るなら、繁栄のみがあり、そんな国を侵略しようとしてもうまくいかない。
もちろん、上記のことは、肯定的な意味に捉える必要がある。
例えば、3の「定められた掟に従い、勝手な掟を作らない」は、「古臭い伝統や教義にしがみつけってことか?」などとうがった見方をするものではない。
どんな国にだって「美しい流れ」はある。それを大事にしろってことだ。
これらの法の良いところを理解する本当の賢さも必要であり、そのためには、国よりも個人の方が容易く、国の状況が悪くても、個人として繁栄することは可能かもしれない。
どれか1つを重視するなら、私ならNo.5の騎士道精神をしっかり守ろう。

ラマナ・マハルシの成功法はもっと簡単だ。
だが、誤解される。
マハルシの教えは、人生の神への明け渡しだ。
この宇宙を維持している万能の力に全てまかせることだ。
ところが、そう言われると、「神の意思により自分が不幸になる恐れがあるのではないか?」「怠惰になってもいいのか?」などと考える者がいる。
そして、世の中には、「神にまかせておけばハッピーラッキー、金持ちにもなる」なんて言う者がいて、そんなことが書かれた本が売れたりする。
しかし、話は簡単で、自分の愚かさに応じて、嫌なことは起こる。そうでないと大変だと思うのだが・・・
甘やかされた馬鹿を叱らず、ご機嫌を取っていたら悲惨なことになるのは当たり前である。
一方、神は愚かではなく、立派な人を懲らしめたりはしない。ただし、特別な素質のある者に対しては別だろう。
荘子の教えも全く同じなのだが、『荘子』には、その結果、悲惨な状態になる者が沢山描かれているから困るのである。
立派な人なのに、貧困に喘いだり、難病奇病になって苦しんで死んだり。
ただ、それでも、彼らは幸福であった・・・ということになるのだが、「そんなの嫌だ」と言いたくもなるだろう(笑)。
まあ、そこらは、荘子の時代の、庶民の悲惨な境遇を考えれば仕方がないことだ。
今の時代に、そんな心配はいらないし、そももそもが、荘子の時代ですら、上記のことは、あくまでやむなく極端に書いただけである。

馬鹿には、釈迦やマハルシや荘子の教えも届かない。
それを見越し、釈迦やマハルシは、念仏やジャパ(神の名の称名)を教えたが、荘子はあくまで道理を丁寧に説いた。
イエスの教えも根本は明渡しであり、そこに至り易いよう教えたが、権威ある馬鹿が歪めてしまった感がある。
だが、ちょっと賢くなれば簡単なはずである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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