ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

夢の世界

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

夢と現実の違いがなくなる

夢の中は、現実に比べ、物理的なことも含め制約が少ないので、自由度が高いように思われる。
とはいえ、実際は、夢の中もそれほど自由ではない。
夢の中では、スーパーマンのように空を飛べることもあるが、いつでも飛べるわけではないし、スピードが遅かったり、あまり高くは飛べないなど、なかなか思い通りにいかない。
ところが、普段から「私は誰か?」と自分に問うていると、まず、夢の中での自由度が増す。
それは非常に楽しいことだ。
そのように、夢での自由度が増すことが、1つの進歩の証になる。
夢でも現実でも、自由を奪うものは思考である。
元々、夢を見ている時の思考量は目が覚めている時より少ないから、夢の中の方が自由度が高いのである。
「私は誰か?」と問うと、目が覚めている時の思考量が少なくなると共に、夢を見ている時の思考量も少なくなる。
思考量が少なくなった効果は、まず、元々思考量が少ない夢で端的(明白)に現れ、夢の世界が極めて自由になるのである。

私も、最近、こんな夢を見た。
広い道路があったので、自動車があれば良いと思ったが、人を1人連れており、その人は立派な人だったので、上品でゆったりした白いベンツのセダンが欲しいと思ったら、すでに、その車に乗っており、隣にその人を乗せて車を走らせていた。
快適に車を飛ばしていたら、目の前で道路が途絶えている。
しかし、少しも慌てず、車を道路から離陸させてしばらく飛行すると、やがて道路が現れたので、着陸して再び道路を走り続けた。
到着した先には、大きな石段があった。
一段の高さが1メートルほどもあったが、私はそこに向かって走っていき、3段目に飛び上がろうとした。
だが、ジャンプして上昇し、3段目が近付くと、まだいけそうな気がして、さらに上、さらに上と狙うと、最上段の6段まで飛び上がれてしまった。
非常に爽快であった。
このようになれば、現実でも、願わなくても幸運に恵まれる円滑現象がどんどん起こる。
初めのうちは、宅配便が狙った時間に来たり、何もせずにダイエット出来たりという小さなものだが、やがて、あらゆることが夢の中と同じになる。
だが、何かを願ってはならない。
願うことも含め、考えている暇があれば、「私は誰か?」と自分に尋ねることで思考を消すべきである。
やるべきことはただ、「私は誰か?」と問うことを思い出すことだけである。

ひんやりした場所
AIアート182
「ひんやりした場所」
Kay


一応、補足しておくと、思考を消せば超思考が現れる。
荘子は、思考を「知」、超思考を「明」と呼んだ。
だが、超思考がどんなものかは、思考があるうちは分からない。
だから、超思考について思考で考えるのは無駄であるが、思考が消えても全く大丈夫だということが分かれば良いのである。








十戒の真意

夢の中で、世界を支配する訓練をすることを勧めるマスター(大師。高次の力の所有者)は少なくない。
多くの聖者が言うように、現実も夢見も、それほど(あるいは全く)変わらないのだから、夢の世界を自由に支配出来れば、現実だってかなり支配出来る。
ただ、夢の中は、現実ほどではないが、人々の集合意識(世間的、伝統的、権威的観念から成る)の影響が大きく、なかなかうまくいかない。
その中で工夫をして、たとえば、自在に空を飛べたり、欲しいものを出したり、会いたい人に会えるようになれば、現実世界でも自信が湧き、実際に、何をやってもなぜか上手くいく。

とはいえ、やって見れば分かると思うが、夢の世界を支配することだって難しい。
そこで、想像の世界を、夢と言うよりは、1つの映画やアニメや漫画のように、ある程度の設定をし、その中で世界を動かすのは、基本的に自在に出来るだろうから、そこで訓練するわけである。
その場合、ただ「こうなった」と思うだけでは駄目で、「自然さ」とでもいうものが必要であり、そうであれば、嬉しかったり、ワクワクしたりするものである。
いかなる世界でも「自然な」という言葉ほど、良い言葉はない。
どんなことでも、それが自然であれば、それが良いことなのであるから。
たとえ貧乏であっても、好きな人に振られても、それが自然に感じられれば納得出来、別に悲しくはないものである。
しかし、不自然であれば、失敗したら不満だし、逆に、うまくいっても、どこか納得出来ず、その違和感に対し、何らかの形でツケは後で回って来るものだ。

では、どうやれば、想像の世界を自然に動かせるのだろうか?
ひいては、その感覚を適用し、現実を動かせるのだろうか?
それにはまず、心が穏やかで邪心がないことだ。
その者が嫌いだからといって、暴力を振るったり、ましてや、殺してはいけない。
実を言えば、イエスがモーセの十戒を教えたのは、こんな想像の世界で適用するためで、イエスは、こんな想像について「祈り」と言ったのだ。
だから、全部でなくて良いが、あなたの想像の世界で十戒を重要視するのである。
従うべきは、モーセの十戒のうち、後半の6つである。
すなわち、

・殺してはならない。
・姦淫してはならない。
・盗んではならない。
・隣人に関して偽証してはならない。
・隣人の妻を欲してはならない。
・隣人の財産を欲してはならない。

である。
言っておくと、人々の集合意識は、本当の意味ではこれらを守っていないばかりか、「バレさえしなければ」と思っている。
その中で、これらを守る者は、とても個性的で、精神の力が強く、引き寄せも自在なのである。








夢と現実を思うようにする方法は同じ

人生が苦しい人は、まず、現実とか人生を夢と見なし、気楽になると良いと思う。
そして、まるごと全部、潜在意識にまかせてしまうことだ。
それでうまくいかないのは、エゴが介入するからだ。
「あれが欲しい」とか「こうあるべきだ」とかね。

現実と夢に違いはない、あるいは、夢の方がよりリアルな世界と言ったのは、
荘子
ラマナ・マハルシ
ニサルガダッタ・マハラジ
江戸川乱歩
バシャール
といった、いかにも怪しい連中(笑)を思い出す。
では、「怪しいと言ってるのは誰か?」と問うと良い。
それは、エゴ(自我)であることが分かる。
そして、引き寄せが上手い人って、エゴを完全に無視出来るか、エゴを手懐けた者なのだ。
だが、普通の人は、エゴに「手懐けられている」。あるいは、人生の主導権をエゴに手渡してしまっている。
だから、「怪しい」なんてエゴの主張に同意するのだ。

まあ、それはともかく・・・
夢と言っても、それほど思い通りになるわけではない。
目的地に行こうとしたら、なかなか行けないなんてことがよくある。
そんな時、私なら。「別に、行かなくていいんじゃね?」と思い、行くのを止める。
エゴは騒ぐし、それで悪いことになりそうだが、ならないって(笑)。

夢は、それほど自由にならないと言っても、物理法則はかなりゆるい。
モノが浮いていることがあるし、自分が浮いたり、空を飛べることもある。
サイコキネシス(念力)が使えることもあるかもしれない。
ある時、私は夢の中で、サイコキネシスで物を動かし、「おお!サイコキネシスが使える!」と感動し、是非、目が覚めた世界に、この力を持って行こうとしたものだ。
夢の中で、可愛い女の子や格好良い男に会いたいと思って強く念じると、そんなのが遠くに現れるが、近付くとピカソの絵のように変形したり(残念w)、それほど(可愛かったり、格好良かったり)でなくなったりするかもしれない。
かと思えば、いきなり、天使のような美しい少女が神秘的な衣装で現れたこともある。
思い通りにするコツは、何も考えないことだ。
行こうと思うほど行けないし、飛ぼうと思うほど飛べない。
可愛い女の子に近付こうとするほど近付けない。
私は、現実で営業の仕事をやったことがあるが、一級のセールスマン達は口をそろえて「注文を取ろうとすればするほど取れない」と言っていたが、何ごともそうなのだ。
つまり、夢も現実も同じだ。
そして、より「柔らかい」夢の中では、思考を捨てれば、すぐに何でも出来る。
ところが、それは、現実と言われる世界でも、ちっとも変わらないのだ。
思考を消去すれば、何でも思いのままである。
「考えずに思いのままなんてのは矛盾している」なんて言うのは、「まだ分かってないのか!」である。
思考は、勝手に起こるのである。
自分が考えているなんて錯覚でしかない。

余談だが、夢と現実のスキマを埋めるのは、初音ミクさんのライブだ。
初音ミクさんは、現実のアイドルでは不可能な速さ、軽さでステップを踏み、ターンし、飛び跳ねる。
ミクさんは、とても素晴らしい3DCGなので、脳はミクさんを現実と見なし、脳のミラーニューロンは、我々がミクさんのように動く脳内の活動を起こす。
だから、ミクさんを見てると、だんだん人間離れしてきて・・・私のようになるのである(笑)。そして、それをあっという間に超えていく(笑)。








静かに現実を創る

人間の本体は神だと説く賢者、聖者は多い。
では、神であるのに、なぜこんなに不自由するのかというと、不自由であることを楽しむためであると言う。
なら、不自由は存分に満喫したので、そろそろ神に復帰し、王侯貴族の生活を送りたいと思うが、それにはどうすれば良いのだろう?
ほとんどの人は、ラットレースをしている・・・つまり、自分が回し車の中で走り続けているネズミのようだと感じている。

ラットレースから外れる方法はある。
こう言うと、ほとんどの人は、
「ラットレースを終わらせるスイッチはどこだ?」
と尋ねるが、そんなものはない。
しかし、過去に、努力もせずに、何かでうまくいった時に、やったのと同じようにやれば良いのである。
つまり、ラットレースを上から客観視すると、ラットレースがどうでもよくなり、どうでもよくなったことは消えていくのである。
ただこれを難しく考えると、 アウフヘーベン(止揚。しよう)とかを始め、より深い迷路に迷い込む。
スイッチを押すのではないが、難しいことでもなく、易しい例を取り上げるに限る。
ただし、この易しい例は、スイッチの押し方を教えるものではない。

例えば、実際に私が子供の時にやったことで言えば、9歳の子供が本物の天体望遠鏡を与えられ(これを与えられること自体もやり方があるのだが、それは省く)、喜んでいたが、この子供は、土星の環を見ないと満足ではない。
だが、夜空には星が沢山あり過ぎて、どれが土星かなんて分かるはずがない。
この子供は、土星はかなり明るい星だということも知らないし、知っていても、明るい星だって沢山ある。

こんな時、最も簡単に言えば、「土星が見つかると信じる」ことが出来れば良いのだが、「土星を見つけるぞ」と思うと信じられないのだ。
誰が、水道の蛇口をひねりながら「水を出すぞ」と思うだろうか?
つまり、水道の蛇口をひねる時、我々は、何の意欲も願望もなく、蛇口を回すことも意識しない。
そんなふうに土星を見つければ良いのである。
子供の時、実際、私は、「水を出すぞ」と「わざと」思って蛇口をひねったら、やっぱり水が出ないことを確認したのである。
天体望遠鏡を覗く自分、空、星、世界、土星・・・そんなものを、中立的に、静かに客観視すれば、土星を見る自分が成立する。

もし、練習の仕方があるとすれば、眠っている時の夢の中でそんなことをやることだ。
別に、本当に夢を見る必要はなく、夢を見ている空想で良い。
夢の中で自転車に乗る時、「自転車に乗ってやるぞ」とか「自転車に絶対乗りたい」などと思わず、自転車に乗っている自分を、中立的に、「静かに」思うだけで、もう自転車に乗っているのである。
夢の中で空を飛べない時というのは、空を飛ぼうと思っている時だ。
「静かに空想する」
夢の中でも、現実でも(両者は大して変わらない)、同じようにやれば、どんなことも、その通りになるのである。








夢の世界の動かし方

『怪人二十面相』等で知られる小説家、江戸川乱歩(1894~1965)は、色紙にサインをする際、必ずこう書き添えたという。
「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」
(以上、Wikipediaより引用)
意味は、眠っている時の夢こそ本物の世界で、目が覚めている時の世界は幻想といったところだと思う。
目が覚めている時の意識は、ほとんどが顕在意識だが、顕在意識は全意識の5%に過ぎない。
しかし、夢の中では、顕在意識の割合はさらに小さくなるが、95%の意識である潜在意識の中にあるものが(少しずつだろうが)どんどん出てくるのだから、理屈で考えても、江戸川乱歩のその言葉は正しい。

ところで、今が現実か、夢の中かと考えたことがあるかもしない。
普段の生活とよく似た夢を見た時に、そんなことがあると思う。
そして、その判断は普通、難しい。
しかし、何かの理由で、ぱっと判ることがある。
現実世界ではありえない、あるいは、起こりえないことに気付いた時だ。
小説・アニメ『灼眼のシャナ』で、坂井悠二は、コーヒーを持って来てくれた母親に問う。
「ねえ母さん、このコーヒー、どこで買ってるの?」
母は微笑むが答えない。
それで、坂井悠二は、これが夢であると気付く。
彼は、母がコーヒーをどこで買っているか知らない。
自分の知らないことは、誰も答えられないからだ。
だが、実際は、答てくれることも多いが(笑)。
夢かどうかを見破りたい時は、指を引っ張ってみると良い。ただし、覚えていればだが(笑)。
夢の中では、指を引っ張ると、指が伸びる。

指を引っ張ることはなかなか覚えていないだろうから、普段から、何か特定の簡単な習慣を持っておくと良い。
例えば、人差し指を1本立てるとか、トランプ大統領のように、親指と人差し指で輪を作ってそれを振るとか(笑)。
または、呪文や念仏を唱えたり、数式を思い浮かべ、その意味を思い出したりなど。
面白いところでは、『銀河鉄道の夜』に出てくる、かおる子(12歳くらいの可愛い少女)の6歳位の弟のように、
「ケンタウルスよ露を降らせ」
と言うとか。
普段、特別な想いを持ってやっていることをやると、夢の中では、その「感じ」が異なるので、夢かそうでないか分かり易い。

夢だと分かったら、早速、世界を動かしてみよう。
この時、あせると、大抵失敗する。
それは、現実世界も同じだ。
あせるとうまくいかないのだ、何事も。
そして、夢の中では、何かになろうとするのではなく、何かでいようと思うとうまくいく。
例えば、美しい少女でも現れたら、彼女の恋人になろうと思うのではなく、彼女の恋人でいようと思うことだ。
それをやると、潜在意識の中に、1つのルートが出来、それは、目が覚めている時も存在する。
すると、現実も、自在にコントロール出来るようになる。
ゲーム感覚でやるとうまくいく。
だが、夢の中とはいえ、物理法則や道徳には、なかなか逆らえないものである。
そこで、普段から、物理法則に注意し、道徳を重んじるようにしておけば、夢も現実も、より自在になるのである。
現実の社会の取り決めではなく、自分の正義を貫くことだ。
それが力になるように心、あるいは、魂は出来ているようだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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