夢の中は、現実に比べ、物理的なことも含め制約が少ないので、自由度が高いように思われる。
とはいえ、実際は、夢の中もそれほど自由ではない。
夢の中では、スーパーマンのように空を飛べることもあるが、いつでも飛べるわけではないし、スピードが遅かったり、あまり高くは飛べないなど、なかなか思い通りにいかない。
ところが、普段から「私は誰か?」と自分に問うていると、まず、夢の中での自由度が増す。
それは非常に楽しいことだ。
そのように、夢での自由度が増すことが、1つの進歩の証になる。
夢でも現実でも、自由を奪うものは思考である。
元々、夢を見ている時の思考量は目が覚めている時より少ないから、夢の中の方が自由度が高いのである。
「私は誰か?」と問うと、目が覚めている時の思考量が少なくなると共に、夢を見ている時の思考量も少なくなる。
思考量が少なくなった効果は、まず、元々思考量が少ない夢で端的(明白)に現れ、夢の世界が極めて自由になるのである。
私も、最近、こんな夢を見た。
広い道路があったので、自動車があれば良いと思ったが、人を1人連れており、その人は立派な人だったので、上品でゆったりした白いベンツのセダンが欲しいと思ったら、すでに、その車に乗っており、隣にその人を乗せて車を走らせていた。
快適に車を飛ばしていたら、目の前で道路が途絶えている。
しかし、少しも慌てず、車を道路から離陸させてしばらく飛行すると、やがて道路が現れたので、着陸して再び道路を走り続けた。
到着した先には、大きな石段があった。
一段の高さが1メートルほどもあったが、私はそこに向かって走っていき、3段目に飛び上がろうとした。
だが、ジャンプして上昇し、3段目が近付くと、まだいけそうな気がして、さらに上、さらに上と狙うと、最上段の6段まで飛び上がれてしまった。
非常に爽快であった。
このようになれば、現実でも、願わなくても幸運に恵まれる円滑現象がどんどん起こる。
初めのうちは、宅配便が狙った時間に来たり、何もせずにダイエット出来たりという小さなものだが、やがて、あらゆることが夢の中と同じになる。
だが、何かを願ってはならない。
願うことも含め、考えている暇があれば、「私は誰か?」と自分に尋ねることで思考を消すべきである。
やるべきことはただ、「私は誰か?」と問うことを思い出すことだけである。

AIアート182
「ひんやりした場所」
Kay
一応、補足しておくと、思考を消せば超思考が現れる。
荘子は、思考を「知」、超思考を「明」と呼んだ。
だが、超思考がどんなものかは、思考があるうちは分からない。
だから、超思考について思考で考えるのは無駄であるが、思考が消えても全く大丈夫だということが分かれば良いのである。
とはいえ、実際は、夢の中もそれほど自由ではない。
夢の中では、スーパーマンのように空を飛べることもあるが、いつでも飛べるわけではないし、スピードが遅かったり、あまり高くは飛べないなど、なかなか思い通りにいかない。
ところが、普段から「私は誰か?」と自分に問うていると、まず、夢の中での自由度が増す。
それは非常に楽しいことだ。
そのように、夢での自由度が増すことが、1つの進歩の証になる。
夢でも現実でも、自由を奪うものは思考である。
元々、夢を見ている時の思考量は目が覚めている時より少ないから、夢の中の方が自由度が高いのである。
「私は誰か?」と問うと、目が覚めている時の思考量が少なくなると共に、夢を見ている時の思考量も少なくなる。
思考量が少なくなった効果は、まず、元々思考量が少ない夢で端的(明白)に現れ、夢の世界が極めて自由になるのである。
私も、最近、こんな夢を見た。
広い道路があったので、自動車があれば良いと思ったが、人を1人連れており、その人は立派な人だったので、上品でゆったりした白いベンツのセダンが欲しいと思ったら、すでに、その車に乗っており、隣にその人を乗せて車を走らせていた。
快適に車を飛ばしていたら、目の前で道路が途絶えている。
しかし、少しも慌てず、車を道路から離陸させてしばらく飛行すると、やがて道路が現れたので、着陸して再び道路を走り続けた。
到着した先には、大きな石段があった。
一段の高さが1メートルほどもあったが、私はそこに向かって走っていき、3段目に飛び上がろうとした。
だが、ジャンプして上昇し、3段目が近付くと、まだいけそうな気がして、さらに上、さらに上と狙うと、最上段の6段まで飛び上がれてしまった。
非常に爽快であった。
このようになれば、現実でも、願わなくても幸運に恵まれる円滑現象がどんどん起こる。
初めのうちは、宅配便が狙った時間に来たり、何もせずにダイエット出来たりという小さなものだが、やがて、あらゆることが夢の中と同じになる。
だが、何かを願ってはならない。
願うことも含め、考えている暇があれば、「私は誰か?」と自分に尋ねることで思考を消すべきである。
やるべきことはただ、「私は誰か?」と問うことを思い出すことだけである。

AIアート182
「ひんやりした場所」
Kay
一応、補足しておくと、思考を消せば超思考が現れる。
荘子は、思考を「知」、超思考を「明」と呼んだ。
だが、超思考がどんなものかは、思考があるうちは分からない。
だから、超思考について思考で考えるのは無駄であるが、思考が消えても全く大丈夫だということが分かれば良いのである。
