ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

夏目志郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

何者も逆らえない呼吸

私は、ヨガのクンバク(吸っていったん止める呼吸法)と、弓術の達人、阿波研造の呼吸法を基にした完全な呼吸法である「神の圧力呼吸」をやるようになって、高度な精神エネルギーに関する昔からの疑問がどんどん解けてきた。
その中で、今回は、何度か書いたことがある「テーブル・ツー」のお話である。

かつて世界的セールスマンで事業家であった夏目志郎さんのどれかの本にあったお話だ。
夏目さんがアメリカにいた時、夏目さんは今夜開催されるショーについてアメリカ人の友人に、「行ってみたいものだね」と言った。
すると、その友人は、「では行こう」と言う。
しかし、それは、招待状が必要な高級ショーで、いきなり招待状が得られるはずがないと思われた。
だが、友人は全く問題がない様子なので、夏目さんは何も言わず付き合った。
会場がある建物に着くと、友人は、守衛がいるのも構わず(手を軽く振るくらいはしたかもしれないが)、平気でその建物の中に入っていく。
受け付けも何も、友人は自信たっぷりにスルーして進んでいく。
そして会場に入ると、友人は支配人と思われる人物を見つけて呼び寄せると、堂々と「テーブル・ツー」と言う。
支配人は、マネージャーに「テーブル・ツー」と命じ、マネージャーはボーイに「テーブル・ツー」と命じ、2人分のテーブルが運ばれてきた。

この現象について、夏目さんは、「目的を明確にすることの力」のような説明をしていたが、夏目さんにとっても感動的な出来事だったので、なんとか説明をしたかったのだろう。
しかし、やはり夏目さんの説明では足りない。

日没の前
AIアート373
「日没の前」
Kay


夏目さんの友人は、「神の圧力」を持っていたのだ。
目には見えないが、何者も逆らえない、支配するエネルギーだ。
彼がどうやってその力を得たかは分からないが、我々は、阿波研造の呼吸法と同じである「神の圧力呼吸」でその力を得ることが出来る。
息を胸いっぱいに吸って気持ち良さを感じ、胸の中に息の圧力を感じると、それと同じ圧力を腹の中に起こすのである。
具体的には、腹にぐっと力を込めるが、その状態で息をしばらく(無理のない範囲で)保ち、そして、ゆっくり息を吐くのである。
比較的、座った方がやり易いが、慣れたら立っていても楽に出来るだろう。
これを日頃から十分にやっていれば、あなたから気のエネルギーが放射されるようになり、不可能はなくなるだろう。
尚、藤本憲幸さんの『秘法ヨガ入門』にある、「天人女史」松木草垣女史の呼吸法を参考にしても良いだろう。








斎藤一人さんのお話の使い方

最近、斎藤一人さんの脳のお話の講演の録音を聞いて、引き寄せに関し、いろんなことが「噛みあって」きた。
斎藤一人さんのお話というのは、ある意味「独断」である。今流行の「エビデンス(根拠)」はない。
天動説だって、天体の動きをある程度までは説明出来るが、斎藤さんの論も、天動説のようなものかもしれない。
天動説は、どうしても複雑で矛盾が多くなるが、斎藤さんのお話も、そんな面は確かにあると思う。
つまり、斎藤さんのお話も、普遍的真理ではないかもしれないが、それでも、やはり、真理が含まれており、自分に必要な部分を取り入れれば良いのだと思う。
これは、イエスや釈迦の・・・というより、キリスト教や仏教に関しても同じことが言えるだろう。それらの全部が正しいわけではないが、やはり、貴重な真理があるのである。
確かに、斎藤さんのお話は、間違いもあるかもしれないが、極めてユニークで重要な真理もあるのだと思う。
私にとって、斎藤さんのお話で「噛みあって」きたのは、NLP(神経言語プログラミング)と、グロデックのエスに関してで、NLPもエスも、やはり間違いはあると思うが、重要な部分もある。
これに、斎藤さんのユニークなお話と、その他の沢山のことを統合させることで、実用的な技術が生まれる。
それは、極めてシンプルなものになる。
とはいえ、その技術は、スイッチを押しさえすれば、あらゆる問題が解決するといったものではない。
どうしても、最後は心の問題になるからだ。
その心を捨てれば、ある意味で世界は消えてしまうので、心の問題は無視出来ない。
そして、心には、操作マニュアルも、取り扱い説明書も作ることは出来ない。
なぜなら、操作マニュアルは理屈の世界のものであり、心は理屈を超えているからだ。
だが、現代人は、マニュアルとか「スイッチ」を欲しがる。「このスイッチを入れれば金持ちになれる」「このスイッチを押せば結婚出来る」といったものだ。
これは、マニュアルとスイッチが全てである現代の学校教育の影響である。
学校では、先生が答を持っている問題しか扱わない。それで、生徒は、どんな問題も、誰かが答を持っているという、壮大な勘違いをするようになる。
よく、教育者が「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」とか言うが、教育で教えられるのは魚の釣り方の基本だけだ。それを学んだからといって、実際に魚が釣れるわけではない。
真の答は、自分で見つけるしかないのである。

私が昔から好きだった話の1つについて、斎藤さんの教えを適用してみよう。
失敗続きの人生を送ってきた35歳の夏目志郎さんが、ある時、神様にこう祈った。
「神様、これまでの人生の失敗は私の責任です。でも、これからの人生はあなたに責任を取って欲しい」
すると、翌日、夏目さんが言うには、さっそく神の使者が来て、夏目さんの人生が動き始めた。
夏目さんの、それまでの人生の失敗も、その後の人生の成功も、全て、脳がやったことだ。
だが、やらせるのは、いずれも、夏目さんの意思なのだ。
分かり易い言い方をすれば、それまでは、夏目さんは「失敗しないとおかしい」と脳に言い、その後は、「成功しないとおかしい」と脳に言ったのだ。
それだけのことである。
夏目さんは中国人で、日本で失敗して膨大な借金を背負ってはいたが、姉から手紙が来て、
「中国に帰ってきなさい。私の夫の会社の重役のポジションを用意しています。良い家がありましたから、あなたのために買っておきました。車も運転手もつけます。借金のことは気にしなくて良いのです(私が払いますという意味)」
と言ってきたのだ。
つまり、脳は楽をするために失敗し続けたのだ。

では、脳がどれほどの力を持っているかの実例を、グロデックの論文から取り上げる。
戦争中、ある兵士が、自分の膝を指さし、「ここに弾が当たれば、俺は故郷に帰れる」と言うと、すぐに流れ弾が飛んできて、まさに、その膝に当たり、その兵士は望み通り、故郷に返れた。
それだと、脳は楽なのである。そして、脳は、そんなことは楽々出来るのだ。
斎藤さんが言われる通り、脳はサボりたがりで、放っておいたら、楽をしようとする。
だが、この兵士が、「俺は故郷に素晴らしい彼女がいるのだから、無事に帰れないとおかしいんだ」と脳に言えば、ちゃんと生き抜いた後、故郷に返れたのである。脳の仕事は多少ハードになるが・・・
しかし、多くの兵士は「自分が生きて帰れたらおかしい」と脳に言い、それで本当に死んでしまうのである。

斎藤一人さんのお話は、ただ「いいなあ」と思って聞いているだけでは効果はない。
自分で使い込み(いい思いをし)、検証し、自分にとってのエビデンスを作れば良いのである。








神様に責任を取ってもらうには

私は、人生に行き詰まった時・・・まあ、それほど行き詰まったことはないのだが・・・夏目志郎さんのやり方に倣うことにしている。
人真似・・・前に倣えは駄目だが、これは唯一、真似て良いことだと思っている。
中国のお金持ちのボンボンだった夏目さんが、戦後、高級車と大金を持って日本でビジネスを始めたが、詐欺に遭って膨大な借金を背負い、事故で脚を折り、まだ35歳なのに頭も禿げてきたという、散々な状況の中でやったことだった。
まあ、やったことと言っても、実際は何もしていないので「心で決めた」というだけのことである。
上のような、何もかも失敗続きの人生の中で、夏目さんは敬虔なクリスチャン(キリスト教徒)になったのだから、ある意味、宗教にハマったと言えなくもないが、あくどい新興宗教でなかったのが良かったのだろう。
夏目さんは、神様に、こんな感じで祈った。
「神様、これまでの私の人生の責任は私にあります。だけど、これからの人生の責任は、あなたに取って欲しいのです」
主旨はこれだけである。
そして、失業中の夏目さんは、具体的なお願いを1つした。それは、
「私はもう35歳です。生涯をかけられる、これはという仕事を下さい」
だった。
すると、翌日、百科事典を扱う外資系企業がスカウトに来て、夏目さんは百科事典のセールスマンになったのだった。

つまり、神様への全托である。
これは、ラマナ・マハルシや、ラメッシ・バルセカールといったインドの聖者達も「神への人生の完全な明け渡し」として推奨していることだった。
マハルシは無職だったが、バルセカールは銀行の頭取だった。
ちなみに、バルセカールの師匠は、小さなタバコ屋だった。
日本でも、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が、神様に「丸ごと」まかせてしまう「まること」の教えを説いている。
宗忠もまた、病気で長年寝込み、もう駄目(もう死ぬだろう)という状況で、神様(天照大神)に祈ったのだった。

神様に全托するにはどうすれば良いかというと、別に何もない。
「まかせた」と思えば良いのである。
ただ、日本やインドでは、神様の名を唱えることが習いになっている。
キリスト教やユダヤ教では、神の名を口にしてはいけないということがあるらしいが、夏目さんのように「責任取って下さい」と言うのも分かり易い(笑)。
まあ、神様は全托すれば、必ず責任を取ってくれる。
人間のチャラい男と違って力があるからね(笑)。
「南無阿弥陀仏」という念仏は、「阿弥陀様に全ておまかせします」という意味で、念仏を唱えれば、阿弥陀様(あるいは阿弥陀仏が象徴する万能の力)が責任を取ってくれるわけである。
日本にも、「十言の神呪(とことのかじり)」と言って、天照大神の名「アマテラスオホミカミ」と唱える神呪(まじない。真言)がある。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の名を唱えることや、造化三神を含むという「サムハラ」を唱えるというものもある。
自分が好きな名を選んで唱えると良い。
要は、まかせたということを自覚すれば良いだけである。

神様にまかせたら、怠惰になるかというと、そういうこともあるかもしれない(笑)。
以前は、そんなことはないと思っていたが、どうなるかは神様次第だ。
ただ、まかせたからには、どうなっても文句を言ってはならないのだと思う。
しばらくは散々な目に遭い、いわゆる「試される」かもしれない。
まあ、不純だったり、甘かったりすると、試されるのかもしれない。
あるいは、大物になる素質があれば、大いに試されるかもしれない。
だが、あまり苦しくなく、楽が出来るように(笑)、十言の神呪を熱心にやろうかと思う。








なりたいものに勝手になる

私は、プログラマーやシステムエンジニアになるにはどうすれば良いかといったことをよく聞かれるし、そのような相談者に対し、カウンセリングをしたこともある。
しかし、本音を言えば、
「勝手になれば」
「俺の言うことなんか聞かない方が良い」
と思うし、私以外の者の言うこととなると、偏見を植え付けられる恐れが大きいので、(私の話より)もっと聞かない方が良いと思う。
プログラマーになりたいなら、プログラミングくらい出来るはずだし、何を知っておくべきで、何をすれば良いかなんて、私より、(偏見の少ない)君達の方がよっぽど知ってるはずだと思うのである。
いまどき、プログラミングなんて、ほとんどタダでいくらでも出来るし、必要な情報は、ネットや書籍で、いくらでも手に入る。
そこそこプログラミングが出来る人なら、企業の方でいくらでも欲しがっている。
全く「勝手になれば」であるが、下で、もっと丁寧にフォローしよう。

しかし、「勝手になればいい」は、プログラマーに限らない。
アメリカの作家マイク・ハーナッキーが『成功の扉』に書いていたが、彼はよく、中年以上の人などに、
「作家とは羨ましいですね。私も、昔は作家が夢だったんですよ」
と言われることがあるらしい。
そんな時、ハーナッキーは、必ず、
「じゃあ、あなたも作家になればいいじゃないですか」
と返答するという。
別に、冗談でも冷やかしでもない。極めてマジに言っているのである。
ところが、そう言ってやると、相手は、
「でも請求書の支払いはちゃんとしなくてはいけませんし、会社の方も、後10年はクビにしないと言ってくれてますし」
と、まともに受け取らないようだ。
そんなこともあり、ハーナッキーは、出版社から、物書きで成功する方法の本を書いてくれと言われて『成功の扉』を書いたのだが、この本の原題は、
“The Ultimate Secret to Getting Absolutely Everything You Want”
で、意味は、「欲しいものを全て確実に手に入れる究極の秘法」だ。
つまり、作家になることに限定せず、あらゆる願いを叶える方法なのである。

ところが、その『成功の扉』の後で書いた本で、ハーナッキーは、
「『成功の扉』の読者から、この本を読んでも願いが叶わないという相談を沢山受けた」
ことを明かしている。
そんな相談者と話していると、そのような人達は、願いを叶えるために必要な電話の1本もしていなかった。
これは、プログラマーになりたいのに、プログラミングもしていないというのと同じである。
早い話、プログラマーになろうなんて気は、本当は無いのだ。
だが別に、プログラマーになんてならなくて良い。
格闘家の堀部正史さんが『喧嘩芸骨法』で書いていたが、
「誰でも三度のメシより好きなことがあるはずだ。私の場合は、それが喧嘩だったので、子供の時から喧嘩に励み、格闘家になった」
のであるが、これが自然なことなのである。
ただし、いくら好きでも、「美味しいものを食べる」とか「エロいことをする」など、快楽に関することは違うと思った方が良い。
(まれに、池田満寿夫さんや、団鬼六さんのように、エロいことで大成功した人達もいるが、あまり気楽に真似しないよう忠告する)
ゲームなんかは微妙だが、ゲームを命懸けでやれると感じているなら、その天性があるかもしれない。
しかし、そんなこと、自分で判断すべきであろう。

とはいえ、ここは親切に、なりたいものになる、また、天性の才能があるかどうか見分ける簡単な方法を述べる。
作家になりたいなら、
「私は作家だ」
と心で、ゆっくり丁寧に、ずっと唱えるのだ。
そうすれば、作家になれる。
しかし、唱えるのがシンドかったり、唱える習慣が出来ないなら、本当は作家になどなりたくないのだ。
そもそも、本当に作家になりたいなら、すでに、それなりに書いているはずである。
村上春樹は、修行時代、昔のことだから(ワープロもなかった時代と思う)、原稿用紙10枚をノルマに毎日書いていた。
おそらく、盆暮れ正月例外なく書いたはずだ。
イチローだって、自分は毎日練習していることについて、
「どうして練習を休まないといけないのか理解出来ない」
と言っていたと思う。
ただし、村上春樹は、原稿用紙10枚以上は書かなかったそうだ。
一方、確かに、イチローの練習時間が長かったことは知られている。取材した記者によると、「イチローの練習は永遠に続く」のだそうだ。
しかし、イチローは練習を楽しんでいたのだし、実際、「毎日やりたいですね」と言っていたのだ。
村上春樹も、楽しく書けるのが10枚だったのだろう。
ただし、イチローも村上春樹も、それを、地球が爆発しても続けたのだ。

ところが、「自分は何が向いているか分からない」「夢がない」なんて言う者が多い。
それは、あなたが奴隷の仕事しか選べないようになるために、学校とテレビに思想統制されたからだから、まあ、仕方がないかもしれない。
だが大丈夫。
これに関しては、何度も書いたが、世界的セールスマンだった、夏目志郎さんの話が参考になる。
失敗ばかりのまるで駄目男人生をばく進していた夏目さんは、神様にこう祈った。
「これまでの人生の失敗は私の責任です。しかし、これからの人生については、神様、あなたに責任を取って欲しいのです。まずは、これはという仕事を下さい」
すると、夏目さんが言うには、奇跡が起こり、翌日、百科事典販売会社からスカウトが来たのだ。
まあ、そんなに難しいことをしなくても、
「神よ、与えたまえ」
と心で言えば良いのである。
イエスも言ったではないか。
「欲しいものは何でも神に求めよ。全部、与えられるだろう」
(マタイ福音書より)








「神」という言葉の力

イエス・キリストは、こんなことを言っている。
「丈夫な人に医者は必要ない。医者を必要とするのは病人だ。同じく、立派な人に私は必要ない。私は罪人のために来た」
「迷える子羊」という言葉を聞いたことがあるだろうが、その意味を知らない人が多い。
イエスは、こんなふうに言ったのだ。
「良い羊飼いは、百匹の羊の群れは放っておいて、一匹の迷える羊を探しに行くのだ」

つまり、イエスは、立派な人や、社会で皆と仲良くやっている順調な人ではなく、ロクデナシや、はぐれ者、つまはじき者を救いに来たのである。
同じと言っては不遜だが、私も、興味があるのは、落ちこぼれ、引きこもり、まるで駄目なヤツ、無用者、ガラクタで、私自身も含め、そんな者達を確実に救済する方法を探してきたのである。
そして、イエスが教える、ロクデナシ脱出法は、実は簡単なのだが、難しく解釈されてしまった。
丁度、仏教の教えというものが、本来、法然や親鸞が言うように、念仏を唱えれば救われるというような簡単なものなのに、難しいものにされてしまったようなものだ。
イエスは、駄目なやつは、神様に頼れと言っただけである。
そして、神様に頼るとは、神様と呼べば良いだけである。

ちょっと例を上げる。
私は、セールスマンとして社会人のスタートを切ったが、その時の私のスターは、世界的セールスマンだった夏目志郎さんだった。
だが、夏目さんも、本来は、まるで駄目男だった。
元々、中国の富豪の息子で、戦後まもなく、大金を懐に、アメリカの高級車と共にやって来た。
やって来た・・・はいいが、事業で一旗揚げるつもりが、あっという間に詐欺に遭い、一文無しどころか、多額の借金を背負い、早くもツミだった。
典型的な、駄目なボンボンだったのだ。
ところが、膨大な借金を抱えて終わるはずが、彼はクリスチャンになり、イエスの教えを上手くつかんだ。
彼は、神様に、こう祈った。
「私のこれまでの人生の失敗は私の責任です。けど神様、私のこれからの人生の責任はあなたに取って欲しい。まず、いい仕事下さい!」
翌日、良い仕事が来て、彼は成功一直線になった。
つまり、彼は、「神よ、与えよ」と言っただけである。
そして、「責任はあなたが取って」と神様に下駄を預けた、つまり、全ておまかせしたのである。
もう丸投げである(笑)。
イエスは言ったのだ。
「何でも欲しいものは神に求めよ。全部与えられるだろう」
ポイントは、必ず、「神よ」「神様」と、「神」と言うこと(思うこと)。
後はもう、ご自由に。
「神」という言葉に、強い力があるのである。
これについては、最近、たびたび言うように、「ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻」で、イエスが力強く説明している。

「神」という言葉は強力である。最高のヴァイブレーション(波動)を発し、全てを変える。
それに関する例として、2つの話を取り上げる。

今も映画が作られる『美少女戦士セーラームーン』という歴史的アニメがある。
2018年、パリで行われた、日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、初音ミクさんがコンサートを行ったが、セーラームーンはミュージカルを行った。世界的人気を誇る、2人の金色と緑のツインテールの少女達がパリを熱狂させたのだ。
ところで、セーラームーン放映当時、セーラームーンに負けないくらいの人気があったアニメ『怪盗セイント・テール』があった。
『怪盗セイント・テール』は、漫画の連載が数回で終わる予定(漫画雑誌の穴埋め作品だったのかもしれない)が、人気が出て、長編になり、さらに、アニメになり、堂々、女王セーラームーンと張り合うほどの人気作品になった。
確かに『怪盗セイント・テール』は良い作品だったが、ヒロインの羽丘芽美は、セーラームーンこと月野うさぎと同じ14歳で、モロに競合するし、セーラームーン側は、個性的な女の子キャラクターがいっぱいだったのに、セイント・テールは、芽美と、芽美の親友でシスターの聖良(せいら)の2人だけだった(聖良も、水野亜美と被ったところがあったと思う)。
全体に、セイント・テールが、セーラームーンに対抗出来るとは思えず、セーラームーンに吹っ飛ばされるのが当然だった。
だが、『怪盗セイント・テール』は、漫画の中でも「神」という言葉が多く出て来た。
そして、アニメ予告編で、それぞれ、セーラームーンとセイント・テールが言う最後の言葉は、
「月の光は愛のメッセージ」(美少女戦士セーラームーン)
「あなたに神のご加護がありますように」(怪盗セイント・テール)
だった。
セイント・テールは、魂のある作品だっただけでなく、この神という言葉の力で、異例のヒットをし、今だ人気は衰えない。私はそう思う。

また、『勇者ライディーン』という1975年のアニメがあり、正直、意外と思われるヒットをし、歴史にも残った。
この作品では、毎回のように、イメージソング『神と悪魔』という曲が流れ、その中で、子門真人氏の素晴らしい歌声で「神の力」という言葉が使われた。
そして、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が、このアニメのタイトル『ライディーン』を、ほとんどロクに考えずに、彼らの世界的名曲『ライディーン』のタイトルに採用してしまった。
これも、神という語の力であると私は思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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