ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

塩田剛三

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

おびえることをやめる

合気道家の塩田剛三を取り上げた昔のテレビ番組がYouTubeに投稿されていた。
現時点では違法な投稿なのであろうが、早く、法的に自由に投稿出来るようになれば良いと思う。
この番組の中で、塩田剛三が「一番強い力とは、自分を殺しに来た者と友達になることだよ」と言ったことが紹介された。
その時、明石家さんまさんの「かっこええ!」の声で台無しになった感はあるが、さんまさんは自分の仕事をしただけなのだから、気にしてはならないと思う。

しかし、自分を殺しに来た者と友達になった実例があるだろうか?
あった。
中国出身のアメリカの女性の事業家・作家であるチン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本がある。
原題は『DO LESS ACHEVE MORE』で、「少なく行い、多くを達成する」という素晴らしいタイトルなのに、なぜおかしなタイトルに変えたのか?
本当に良い本は高確率で絶版になるが、この本も当然、絶版である。
岡本太郎が「認められなくていい。いや、認められてたまるか」と言ったように、良いものは世間的には評価されないのである。
さて、この本の中に書かれているが、ニンチュウのアシスタントの男性がギャングに殺されかけたことがあった。
ワシントンD.C.でのことで、彼が夜、ホテルに歩いて戻ろうとしたら、10人ほどのギャングにつけられていた。
彼は、「もはやこれまで。私は今晩死ぬ」と思ったが、恐怖することをやめた。
おびえていない相手を傷つけることは出来ない。
だが、ほとんどの人間は、眠っていてさえおびえている。
ギャングのリーダーが「何かあったのか?」と言いながら、握手を求めてきた。
握手を終えると、ギャング達は立ち去った。

大鷲が子猫を襲おうとしていた。
ところが、接近してきた大鷲を見ても、その子猫は全く怯えず、勝手きままに動き、大鷲の匂いを嗅いだりする。
大鷲は何も出来なかった。
動物でさえそうなのだ。
親鸞は、「念仏の行者には、鬼神も道を譲る」と言う。
念仏を唱える者は何も恐れないので、天の神、地の神も手を出せないのだ。
恐れなければ、何者も、どんな運命も、あなたに手は出せない。
子猫の真似をしたり、何か、恐れないための術を知っていれば、悪霊も逆運もひれ伏すだろう。
悠然として、微かに笑うと良い。星のように。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる(チン・ニンチュウ)
(2)岡本太郎の遊ぶ心(岡本敏子)
(3)歎異抄(梅原猛)

降りてきたフェアリー
AIアート1112
「降りてきたフェアリー」
Kay

自分を殺しに来た相手と友達になる方法

おそらく、厳密には違法アップロードだと思うが、YouTubeで、合気道家の塩田剛三を特集した、かなり昔のテレビ番組を見たことがある(違法アップロードであることは明白だが、そんなことがありふれているのでこう表現した)。
塩田剛三は、合気道の開祖、植芝盛平の高弟である合気道の達人で、国内外で超人的なデモンストレーションを見せたこともあった。
この番組の中で、塩田剛三のある言葉が紹介された。
それは、
「一番強い力は、自分を殺しにきた相手と友達になることだ」
みたいなものだった。
これが紹介された時、明石家さんまさんの「カッコエエ!」の声が飛んだと思う。
まあ、確かに格好良いと感じた人も多かったと思うが、さんまさんのこの言葉で、塩田剛三の信念が「カッコエエ(今ならカッケか)」で終わってしまったような気がする(さんまさんはそうやって盛り上げるのも仕事だから罪はないだろう)。

しかし、それでは、この力が何なのかは全く無視され、どうすればそれが得られるのか、誰も意識しない。
これほど愚かなこともない。
そして、その友情とは、映画的に、自分を殺しに来た殺し屋と、お互いの技量や精神力を認め合って「こいつ出来るな」「おまえ出来るな」という安っぽいフィーリングのようなものと思ってしまうかもしれない。
たとえば「殺したければ殺せ」とか格好いいこと言って、殺し屋の心を動かしたとかね(あり得ねー)。

そもそも、現代人は、本当の友達というものが分からず、馴れ合う相手を友達と呼ぶだけである。
馴れ合う相手を「お友達」と呼んで区別すると、お友達どうしでは相手を否定しない。
相手が何かを主張したら、流行り言葉の「確かに」で返す。
「確かに」という相槌は、本当に同意したのではなく、「俺にはどうでもいいことだから否定はせんよ」という意味である。
では、殺し屋が、
「俺はお前を殺しに来た。お前に個人的な恨みはないが、仕事だから殺さないといけない」
と言われ、
「確かに」
と言ったら、友達にはなれずに、あっさり殺される。

私には「殺しに来た相手と友達になる」方法が分かるが、それをくどくど説明しても、ほとんどの人には分からないと思う。
だから、一応、他人のとしておくが、体験談を話す。
私が高校時代、他校の生徒で、高校レベルではだが空手の達人が私を締め(とっちめ)に来た。それも「半殺し以上」を依頼されたようだ(後で聞いた)。
その達人は、私とのトラブルがあった相手の友人だった。
私はただビビったが、ほんの少し、1人で来て「顔貸してんか」と正々堂々の態度の達人に感心もした。それに、友情の行いであることも、やはりほんの僅かだが好感を感じた。
もちろん、ほんの僅かだ。
それで、結論を言えば、私は、その達人君とは今も仲良しだ。とはいえ、滅多に会うことはないが。尚、彼は良いパパになった。

浮かぶ神殿
AIアート567
「浮かぶ神殿」
Kay


私がどうやったかというと、私と達人と達人の友人の3者で妥協点を探ったのだ。
いわば、Win-Winで終わったが、Win-Winもまた、甚だしい誤解が多い。
Win-Winとはハッピーではない。
100パーセントを望む気持ちはあるが、それは無理と諦め、お互い譲歩し合い、ことによっては相手を納得させるために、「90%の不満と10%の満足」で手を打つのである。
友達も恋人も夫婦も、あるいは、上司と部下、親子も、仲良くやっていくためには、妥協点を見つけないといけない。
親友や恋人と言っても妥協の上に成り立っているのである。これが分からない人があまりに多いと声を大にして言いたいものである。
漫画や小説や映画の世界では、100%の友情や愛情が描かれるが、人間どうし、それは絶対にない。
そして、国どうしの争いも妥協で解決するしかない。
どちらか一方が完全に満足でいこうとすると、和平に至らないか、至ったように見えて争いの火種がくすぶる。
まあ、わざとくすぶらせるのが大国のやり方でもあるのだが。
私の場合、泣いて謝り、お互いの親、学校、場合によっては警察(これはないと思うが)に私が自首(告白か)し、私が全ての責任を負うという落としどころを提示した。
まあ、相手(達人への依頼者)も話の分かるやつで、なんと私は無罪放免となったのだ(どう考えても私が悪かったのだが)。
こう言うと批判もあるだろうが、私は、個人的には塩田剛三とプーチン大統領はよく似ていると思う(剥げているところではなく)。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)塩田剛三の世界
(2)武産合気 ー合気道開祖・植芝盛平先生口述
(3)中村天風と植芝盛平 氣の確立
(4)中村天風先生 人生を走れ!(中村天風と植芝盛平の高弟、佐々木将人著)
(5)プーチンの世界―「皇帝」になった工作員

動物を観察する重要性

本当のことかどうか分からないが、合気道の超人的な達人であった塩田剛三は、7年の間、部屋の中で金魚を観察し続け、合気道の極意を得たという話がある。
また、先日も書いたが、仙道研究家の高藤総一郎氏の本で、塔の中に閉じ込められた少女が、傍らにいた亀の呼吸を真似ることで、数年の間、飲まず食わずで生き抜いたらしい。

人間の脳の中には、魚類の脳、爬虫類の脳、下等哺乳類の脳があり、それを人間の脳とも言える大脳皮質が覆っている。
アーサー・ケストラーは、そんな人間の脳の構造が、あまりに出来損ないと感じたようだが、そうではなく、あらゆる種類の脳が見事に同調して働くよう、見事に進化したのだ。
ただ、脳を最高に働かせるためには、大脳皮質が暴走しないようにしなければならない。
塩田剛三は、金魚を観察することで魚類の脳を活性化させ、大脳皮質の暴走を抑えたのだろうと思う。
確かに、より低い脳を活性化させることが効果があるが、やはり難しいのである。それで塩田剛三は7年もかかったのだろう。

我々も、魚類でも爬虫類でも良いが、下等動物の美しさをもっと観察した方が良い。
私は昔、ある邸宅に通っていたのだが、そこの客間にミドリガメが飼われていた。
ミドリガメは非常にリラックスしてのんびりしていたが、それをいつまで見ていても飽きないのである。
鯉が好きな人は、1日中でも眺めていられるらしく、そんな人には、芸術家や大事業家が多いらしいが、彼らも、鯉を観察することで魚類脳を活性化させているのである。
私の場合、ミドリガメという爬虫類を観察することで爬虫類の脳を活性化させたが、そんな時は、引き寄せの力とか、いろいろな超能力が磨かれた感じがし、確かに不思議なことがよく起こったのである。
おそらく、犬や猫(あるいは、その他の哺乳類)を観察しても、下等哺乳類の脳を活性化させ、生命エネルギーを高めることが出来る。

天女
AIアート212
「天女」
Kay


人間は、もっと動物と接しなければならない。
そして、虫や小動物を、意味もなくいじめたり、必要もなく危害を加えると、脳が健全に活動せず、能力も生命力も引き寄せの力も落ちると思う。
実際に動物と接する機会がない場合、空想の中で動物と接しても、かなり効果があるものである。
そして、人間以外の動物は、平時は非常にゆったとした呼吸をする。
そこで、特に呼吸に留意して動物を観察すると、静かな呼吸、微かな呼吸をするコツを自然に得られる。
いつも言う通り、人間は、呼吸を微かにすることで思考を消すごとに全知全能に近付く。
動物を観察することで、それを容易く成し遂げることが出来るのである。








人間性や実力は一目で分かる

ある武道の達人は、人間を一目見れば、どんな人間でも、それが武道家であれば実力を、それ以外の者でも、その人品が簡単に分かるという。
それが本当かどうかは分からないが、我々だって、それ(その人間がどんな人物か)が分かると思える時がある。
特に、極めて優れた人間の場合や、逆に、極めて下等な人間の場合、その隠しようのない人間性が分かってしまうのである。
確かに、それが勘違いであるかもしれないし、詐欺師には、立派な人間を装うのが上手い者がいるという話も聞く。
しかし、我々だって、虚心に、偏見のない目で見れば、やはり、その人間がどんな人間かが分かるのではないかと思うのだ。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、人間は、本来、人の内面を見抜く能力があり、人間は、自分がどんな人間か書かれた看板を頭上に掲げているようなものだと述べている。

あくまで個人的な感覚で、偏見であるかもしれないが、私は、河野太郎や岸田文雄らは嘘つきにしか見えず、彼らが「ワクチンを打ちましょう」とにっこり笑って言えば、ああ、これは絶対に打ってはならないなとしか思えないのだが、他の人がそうでないのが不思議だ。
・・・いや、あくまで冗談ということにしておく(笑)。

そんな私のような者ではなく、最初に挙げた武道家のような、真に、人の審美眼に優れた人間に認められるようになれば、人間としての本当の力がついたということと思う。
人間としての本当の力とは、神のような力であり、簡単に言えば、引き寄せの力である。
では、どうすれば、本当に優れた人間の雰囲気をまとえるのだろうか?

私が好きな話に、こんなものがある。
江戸時代、ある武士が1人の町人に目を留め、その町人に歩み寄って問うた。
「お前は何者だ?」
その武士が初めて見る、一見ごく普通の町人であったが、この武士がそう問うには、それだけの理由があったのだ。
しかし、その町人は、自分はただの町人であると言う。
だが武士は、
「これでも人を見る目には自信がある。その立ち居振る舞い、尋常にあらず。ただ者のはずがない」
と食い下がる。武士には、それほどの確信があったのだ。
町人は、やはり自分はただの町人であると言うが、ただ、人と違ったところがあるとしたら、毎夕、墓地に行くことだと言う。
彼は、幼い時から、ひどく臆病で、それを少しでも治そうと、毎夕、欠かさず、墓地に行くのだと言う。

最初に述べた武道家とは、実は、合気道家の塩田道三のことだが、彼は、本当の達人だったのだと思う。
そして、同時代の武道家に、佐川幸義という、大東流合気柔術の、やはり、凄い達人がいた。
おかしなたとえだが、少し昔、インドに、ラマナ・マハルシという有名な大聖者がいたが、その同時代に、ニサルガダッタ・マハラジという、こちらは全く無名だったが、やはり大聖者がいた。
マハラジは、マハルシに会ったことはなかったが、お互い相手を見れば、真我を実現した(解脱した、あるいは、悟りを開いた)者であることが分かると言っていたようだ。

佐川幸義は、自分が考案した佐川流四股を、毎日、千回とも二千回とも、あるいは、それ以上、踏んでいて、四股を踏ながら死ぬことが出来ると言ったらしい。
そして、弟子にも四股を踏ませたが、熱心に四股を踏んだ弟子は驚くほど強くなったが、その弟子が気付かないうちに強くなっていたという話もある。
佐川流四股は秘伝で、外部には公開されなかったが、今は、佐川幸義のお弟子さんの中に、そのやり方を真面目な想いで公開している人もいる。
ただ、佐川幸義の弟子同士でも、やり方が異なる場合があり、また、佐川幸義自身も、弟子に、明確にやり方を教えたわけではないらしい。
しかし、各自で工夫してやれば良いのだと思う。
ちなみに、私は、ややユニークなやり方で、佐川流四股をやる人物に尋ねたら、そのやり方の由来を教えて下さり、それはそれで良いものだと思った。
しかし、正当なやり方は、やはり、下に紹介した書籍や雑誌(最後の本は除く)に書かれているものに近いと思われ、実践するなら、それらを参考に、後は自分で工夫してやるべきだろう。
そして、この四股も、本当に熱心にやれば、特に人を見る目のある人物に感銘を与えるほどの人間になれるかもしれない。
それも、優れた個性であろう。
そんなわけで、私も毎日、少なくとも千回は四股を踏んでいるが、よろしければやられればと思う。
足腰が抜群に強くなり、バランス感覚も磨かれて俊敏に動けるようになり、美容にも素晴らしい効果があると思う。








力を抜く

今の大相撲は、横綱が率先して稽古をしなければならないような雰囲気になっているのだと思う。
これでは、本当に強い横綱は出ないと思う。
おそらく、戦前とか、もっと昔の横綱は、部屋の力士達が練習している間、悠然と座っていたと思うのだ。
なぜなら、横綱というものは、普通の力士が努力してなれるものではなく、極意を掴んだ者であるはずだからだ。
その極意とは、力を抜くことである。
横綱は、1人で稽古をすることも多かったと思う。稽古の様子を見せないためだ。
分からない者にとっては、力を抜く稽古は誤解されるからだ。
合気道の塩田剛三は、極意は確かに力を抜くことだが、力を抜くことを分かるためには、まず力を出す修行が必要なので、若い連中は徹底的にしごいたという。
しかし、それはどうかと思う。
政木和三さんは、50歳を過ぎてからゴルフを始め、関西シニアで優勝したり、年齢以下のスコアで回ってギネス認定されたこともあるらしい。
そして、トッププロでもなかなか出せない370ヤードを飛ばしたりであったが、その極意は、やはり、力を抜くことであると、何度も言っておられた。
しかし、政木さんは別に、「力を抜くことを分かるためには、まずは力を出す修行」などとは言わず、最初から力を抜くことを勧めた。確かに、なかなか出来ないが、それは、「飛ばすためには力が必要」という固定観念のためで、意識を変えれば、すぐに飛ばせると思う。

個人的には、昔やったセールスの仕事も同じと思う。
売ろう売ろうと思うとさっぱり売れないが、売ろうという意識を捨てて、ふわっと客のところに行くと売れ、私は、駆け出しの時にベテランセールスマン達を抜いてセールスコンテストで優勝した。
まあ、その後、売ろうとして売れなくなってしまったが、これもやはり、力を抜かないとうまくいかないことを示していたのである。

このブログで、腕振り運動や佐川流四股をよく勧めているが、どうしても、普通の人がこれらをやる時、腕や脚の筋肉が疲れたり、汗をかくように、力を入れてやる人が多いはずである。
運動というのは、シンドいもの、キツいもの、辛いものだという固定観念を持つよう、学校やテレビで洗脳されているからだ。
また、これらの運動を、「老人向け」と、頭から馬鹿にする人も多いと思う。
だが、これらの運動は、力を抜き、楽々と長時間やってこそ、辛い運動をはるかに超える成果を出せる。
実のところ、腕振り運動や四股に限らず、腕立て伏せやスクワットでも、楽な方法でやった方が効果があると思う。
もちろん、辛い運動が好きというのは、個人の趣味であり、それに難癖をつける気はさらさらないが、他人に強要してはならない。
楽な運動で、十分な、そして、マッチョマンになるのとは全く違う、本当に素晴らしい成果を得られると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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