世の中には、頭の良いやつがいる。
小学校の低学年の教室で、教師がこんなお伽噺を子供達にする。
ある老夫婦に、神様が、「願いを3つ叶えてあげよう」と言う。
喜んだおじいさんは、「では、大きなソーセージを」と願うと、すぐに、大きくて美味しそうなソーセージが現れた。
しかし、おばあさんは「そんな下らないことに、たった3つしかない願いを使うなんて、おじいさんは何て馬鹿なの」と怒り、「このソーセージをおじいさんの鼻にくっつけておくれ」と願う。
すると、ソーセージはおじいさんの鼻にぴったりくっつき、どうしても離れない
(ソーセージなんだから切れば良いというご意見は、ここでは無視する)
困った2人は、3つ目の願いとして、ソーセージをおじいさんの鼻から離してくれるよう願う。
願いは叶い、おじいさんの鼻からソーセージは離れたが、これで、3つの願いは使い切り、2人は、これまで通りの貧しい生活を続けるしかなかった。
こんな話をした後、教師は、子供達に、「君達なら、どんなことを願うか、ノートに書きなさい」と指示し、子供達が書き終わると、全員に発表させた。
自分本位の願いばかりの子もいれば、妙に高貴な願いを考えた子もいたし、小賢しく、自分のための願いと皆のための願いに分けた子もいたが、皆のための願いの方は、何となく嘘っぽいと、皆、薄々感じていた(笑)。
ところで、ある男の子は、皆の願いを聴きながら、誰も、最良の願いを考えていないのが不思議であった。
彼は、自分の番が来ると、こう言った。
「どうしても3つと言うなら、何でもいいから適当に考えますが、本当は1つで結構です。それは、いくつでも願いが叶うようにしてくれることです」
私は、引き寄せの法則が大好きで、かなり熱心に研究しているが、一番引き寄せたいものは何かと言うと、「簡単に引き寄せが出来るようになること」だ。
それを叶えたから、後は楽だ。
つまり、何でも出来る何にもしない人になれる訳だ。
このように、「3つの願いは?」と聞かれ「無限の願いが叶うこと」といった発想は、出来る者には当たり前だが、出来ない者には浮かばない。
これは、集合論とか型理論(階型理論)、再帰といった理論から導き出し易いと思われ、そんな素養があれば思いつくのかもしれない。
しかし、そう言っておいて何だが、実を言えば、型理論から言えば、願いを無限にすることは出来ない。
例えば、「例外のないルールはない」は本当だが、これもルールだということにしたら、
「例外のないルールはない」というルールはない
ということになり、結果、「例外のないルール」があることになってしまう。
よって、ルールそのものにルールを適用することは出来ない。
丁度、「回れ右」を命じた隊長自身は、回れ右をしなくて良いようなものだ。
(このような例は沢山ある)
同じように、この男の子の願いのように、「願いを叶える」に「願いを叶える」を適用することは出来ない。
さっきの賢い男の子の願いを聞いても、教師は、おそらく型理論を知らないだろうから、ズバっと答えることは出来ないだろう。
(そもそも、小学生に型理論の説明は無理だろう)
そして、教師は困るだろう。
だが、教師は、「とにかく、そんなズルは駄目だ」と言う。
そしたら、やはりオツムの良い男の子は、「じゃあ、魔法使いにしてもらう。それと、魔法のランプと、魔法の指輪」と言う。
いやはや(笑)。
私の、「引き寄せが出来るようになることを引き寄せる」も、やっぱり反則である。
そこで私は、魔法使いにしてもらうと言った男の子同様、「結局、それと同じ意味を持つことを引き寄せた」のである。
それが、最近、説明した、好きなパラレルワールドにフォーカスする能力だった。
これに関しては、また、説明する。
質問に意外な答をする者は賢い。
漫画『ぴたテン』は、こげどんぼさん(旧ペンネームは、コゲどんぼ)のデビュー作だが、これが、そんな意味で実に素晴らしい。
天使見習いの美紗(みしゃ)は、 天使試験に合格するために、湖太郎(小6)の一番大切な願いを叶えないといけない。
だが、美紗には、湖太郎の一番大切な願いが、なかなか分からない。そもそも、湖太郎にも分からない。
けれども、それが分かり、美紗がその願いを叶えた時のことは、私は、どんな作品でも感じたことがないほど感動した。
まあ、良かったら読んでみていただければと思う。
ただし、必ずしも感動するとは限らないが(笑)。
小学校の低学年の教室で、教師がこんなお伽噺を子供達にする。
ある老夫婦に、神様が、「願いを3つ叶えてあげよう」と言う。
喜んだおじいさんは、「では、大きなソーセージを」と願うと、すぐに、大きくて美味しそうなソーセージが現れた。
しかし、おばあさんは「そんな下らないことに、たった3つしかない願いを使うなんて、おじいさんは何て馬鹿なの」と怒り、「このソーセージをおじいさんの鼻にくっつけておくれ」と願う。
すると、ソーセージはおじいさんの鼻にぴったりくっつき、どうしても離れない
(ソーセージなんだから切れば良いというご意見は、ここでは無視する)
困った2人は、3つ目の願いとして、ソーセージをおじいさんの鼻から離してくれるよう願う。
願いは叶い、おじいさんの鼻からソーセージは離れたが、これで、3つの願いは使い切り、2人は、これまで通りの貧しい生活を続けるしかなかった。
こんな話をした後、教師は、子供達に、「君達なら、どんなことを願うか、ノートに書きなさい」と指示し、子供達が書き終わると、全員に発表させた。
自分本位の願いばかりの子もいれば、妙に高貴な願いを考えた子もいたし、小賢しく、自分のための願いと皆のための願いに分けた子もいたが、皆のための願いの方は、何となく嘘っぽいと、皆、薄々感じていた(笑)。
ところで、ある男の子は、皆の願いを聴きながら、誰も、最良の願いを考えていないのが不思議であった。
彼は、自分の番が来ると、こう言った。
「どうしても3つと言うなら、何でもいいから適当に考えますが、本当は1つで結構です。それは、いくつでも願いが叶うようにしてくれることです」
私は、引き寄せの法則が大好きで、かなり熱心に研究しているが、一番引き寄せたいものは何かと言うと、「簡単に引き寄せが出来るようになること」だ。
それを叶えたから、後は楽だ。
つまり、何でも出来る何にもしない人になれる訳だ。
このように、「3つの願いは?」と聞かれ「無限の願いが叶うこと」といった発想は、出来る者には当たり前だが、出来ない者には浮かばない。
これは、集合論とか型理論(階型理論)、再帰といった理論から導き出し易いと思われ、そんな素養があれば思いつくのかもしれない。
しかし、そう言っておいて何だが、実を言えば、型理論から言えば、願いを無限にすることは出来ない。
例えば、「例外のないルールはない」は本当だが、これもルールだということにしたら、
「例外のないルールはない」というルールはない
ということになり、結果、「例外のないルール」があることになってしまう。
よって、ルールそのものにルールを適用することは出来ない。
丁度、「回れ右」を命じた隊長自身は、回れ右をしなくて良いようなものだ。
(このような例は沢山ある)
同じように、この男の子の願いのように、「願いを叶える」に「願いを叶える」を適用することは出来ない。
さっきの賢い男の子の願いを聞いても、教師は、おそらく型理論を知らないだろうから、ズバっと答えることは出来ないだろう。
(そもそも、小学生に型理論の説明は無理だろう)
そして、教師は困るだろう。
だが、教師は、「とにかく、そんなズルは駄目だ」と言う。
そしたら、やはりオツムの良い男の子は、「じゃあ、魔法使いにしてもらう。それと、魔法のランプと、魔法の指輪」と言う。
いやはや(笑)。
私の、「引き寄せが出来るようになることを引き寄せる」も、やっぱり反則である。
そこで私は、魔法使いにしてもらうと言った男の子同様、「結局、それと同じ意味を持つことを引き寄せた」のである。
それが、最近、説明した、好きなパラレルワールドにフォーカスする能力だった。
これに関しては、また、説明する。
質問に意外な答をする者は賢い。
漫画『ぴたテン』は、こげどんぼさん(旧ペンネームは、コゲどんぼ)のデビュー作だが、これが、そんな意味で実に素晴らしい。
天使見習いの美紗(みしゃ)は、 天使試験に合格するために、湖太郎(小6)の一番大切な願いを叶えないといけない。
だが、美紗には、湖太郎の一番大切な願いが、なかなか分からない。そもそも、湖太郎にも分からない。
けれども、それが分かり、美紗がその願いを叶えた時のことは、私は、どんな作品でも感じたことがないほど感動した。
まあ、良かったら読んでみていただければと思う。
ただし、必ずしも感動するとは限らないが(笑)。
