ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

四股

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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腕振り運動や四股が運を良くする原理

人間は、なぜ生きようとするのだろうか?
死んだらどうなるか分からないからとか、生きることは凄く重要なことだと思っているから、あるいは、生きるのが楽しいから生きる・・・というのではなく、実は、脳に「生きろ」という命令が与えられているから生きるしかないらしい。
そして、脳に与えられた命令は、「生きろ」だけだという説もある。
自殺する人や、死に場所を求めているという人だって、別に死にたいわけではない。
「死にたい」と言う人だってそうだ。

生きるためには、当然過ぎるが、命が必要だ。
命、生命は、どのように発生したのだろう?
生命が偶然に誕生する可能性は、ほぼゼロで、その喩えとして、「腕時計をバラバラに分解して100mプールにまき散らし、プールの水を動かしたら、偶然に元の腕時計が組み立てられるようなものとか、ゴミ捨て場のゴミを竜巻が巻き上げ、偶然にコンピューターが組みあがるようなものとか、猿がデタラメに紙に黒インクをなすり付けたら、偶然にノーベル文学賞級の小説になるくらい、あり得ないことらしい。
つまり、人間が考える神とは、おそらく、かなり違うだろうが、とにかく、神がいるのは間違いないようだ。
神は、我々の想像の範囲をはるかに超えて万能であり、我々に思いつく程度のことは、いかなることも、健康な若者が腕を曲げたり伸ばしたりするよりはるかに簡単に出来る。
ならば、楽しく生きられるよう神にお願いするのが一番である。
実際、神は、我々1人1人に対応する能力は十分にあると思うが、いくら我々が馬鹿でも、何でも無分別に言うことを聞いてもらえることはないくらいは分かる。
とはいえ、我々の脳に「生きろ」という命令を与えたのはきっと神なので、それに対する責任は取ってくれるはずだ。
そこで、基本的には、生きることに前向きな人には、良い条件を与えるように思われる。
ところが、おかしなことに、命を捨ててかかった時に、人間は奇跡を起こす(神が起こさせる)。
この矛盾に気付き、その理由を洞察出来た者が人間を超えた力を持ち、地上を自由に闊歩する。
なぜ、命を捨ててかかる時、奇跡が起こるのかは、自殺との違いを考えれば分かる。
自殺は、命を無駄にすることだが、命を捨ててかかるのは、命を生かすためだ。
また、怠惰な人生を送ることも、命を無駄にしているのであり、自殺と変わらないか、近いことだ。
美味しいものを食べたり、ゲームをして楽しんだり、色事に興じて喜んでも、命を生かしているとは言えない。
正しく命を生かしている時、幸運に恵まれ、ついでに願いが叶うのだと思われる。

命の生かし方は、考えて分かることではない。
実を言えば、命を生かす準備をしている者に、命を生かす道が用意される。
つまり、エゴを支配する術を身に付け、心身を健康にすることが、その準備になる。
スポーツトレーニングは、競技に勝つためとか、力を自慢するためのものである部分が大きく、必ずしも、心身を健康にしない。
だから、いくらマッチョになっても、命を生かす道が見つからないことが多い。
だが、腕振り運動や、正しい四股といった、心身を真に鍛えることをしていれば、命を生かし易く、その道が開く。
腕振り運動や四股を淡々と行うと、自我を支配する術も得られるので、尚更である。

そんなわけで、今回は、いつも勧める腕振り運動や、佐川幸義流四股をやれば、なぜ運が良くなるかの原理を少し語ってみた。








足りているか?

私はよく、自分に「足りているか?」と尋ねる。
何が足りているかというと、腕振り運動と佐川幸義流四股の数である。
私は、腕振り運動と四股は、1日3回、ほぼ同じ時刻に行っているが、それは大した数ではない。
それぞれ、「腕振り400回、四股200回」「腕振り200回、四股200回」「腕振り200回、四股200回」で、この合計が1日の最低回数で、それが、腕振り800回、四股600回となる。
しかし、それだけで終わることはまずなく、暇を見つけてはやるので、共に、少なくとも1000回、普通は2000回、多い日は4000~5000回以上であるが、記録していない。
とにかく、座って何もしていないことに気付けば、立って、腕振り運動や四股をやるわけである。
いずれも、80cm四方の空間があれば出来、音はほとんど立てないので、本当にいつでもどこでも出来る。
ちなみに、私の四股には、いろんな呼び方があり、普段は「佐川幸義流四股」「佐川流四股」と言っているが、本当は、
「ナンバ四股」「泥棒四股」「音無しの四股」
と言うべきかもしれない。
他にも、「Kay式四股」「超人四股」「妖精化四股」などの言い方があるが、まあ、どうでもいいか(笑)。

それで、時間を見つけてしっかりやっているかという確認と、「もっとやれ」という促進のため、自分に「足りているか?」と聞くのである。
腕振り運動や四股は、やればやるほど、身体の強化と調整を行い、強く、若く、美しくなるのだから、多くやるのはメリットだらけである。
さらに、引き寄せの力を高める。
引き寄せの力を高めるには、これらの運動をやっている時、「今、腕振り運動をしている」「今、四股を踏んでいる」と意識しながらやると効果がより高くなる。
別に、映画を見ながらとかニュースを見ながらでも効果があるので、そんな時は、数は数えなくても良いから大いにやれば良いが、全集中してやれば、宇宙意識と一体化し、願わずとも幸運に恵まれ、願いが叶う。

禅語にある話では、倶胝(ぐてい)という禅僧は、何を聞かれても、人差し指を1本立てて見せたそうだ。
人差し指を1本立てれば、思考が消え、宇宙意識と融合するのだから、どんな時も、これが最上の回答である。
質問者に、最高の回答を示すと共に、自分も思考を消し、宇宙意識と一体化していたのだろう。
倶胝は死ぬ時、「師に教わった一本指の禅を使い切れなかった」と言ったという。
これは、もっとやれば良かったという後悔ではなく、「もっとやる価値のある優れたメソッド(手法)であり、これを教えてもらえて良かった」という感謝の想いであろう。
女性アイドルがよく、指を1本立てて見せるのは、これをやると、なぜか魅力的になるからである。
そりゃ、思考が消えるのだから、生命が輝き、魅力が高まるのは当然である。
だから、もっと大いにやれば良く、特に、普段もやれば良い。
私もやろう(笑)。

もちろん、アファーメーションをやっている人は、これの数が十分かという意味で「足りているか?」と自分に問うと良いと思う。
スクワット、腕立て伏せ、般若心経、大祓祝詞・・・全て同じである。
尚、肝心なことは、やっていて楽しいことである。
嫌々、根性でやっても、ロクなことはないだろう。
そのためには、やるのは楽なことでないといけない。
腕振り運動も佐川流四股も楽である。
楽ではあっても、丁寧に「ちゃんと」やらなければならない。
この世に、ちゃらんぽらんで良いことなどないのである。








「泥棒四股」の神秘の力

潜在意識の力だけで難病を治したなんて話は、ジョセフ・マーフィーの本を始め、潜在意識による成功法や引き寄せの本には沢山の事例があり、その中には、奇跡的な回復例も珍しくない。
その全部が全部、本当だとは言えないかもしれないが、かなり多くの真実の話もあると思う。
ところで、潜在意識の力で病気を治した人が、それ以降の健康維持も、潜在意識だけに全面的にまかせるとどうなるかというと、それでうまくいく場合もあるだろうが、食事や睡眠に気を使わず、全く運動もしないという場合には、また病気になる可能性が高いと思う。
つまり、いかに物質的なものに本質的な価値がないとはいえ、物質的なものにも、ある程度の配慮をしなければならないのだ。
そもそも、多くの人は、物質的に楽しむために、お金や、愛が欲しいわけである。
そして、お金というのは、かなりあっても、もっと欲しいと思うものだが、健康に関しては、失いでもしないと、なかなか欲しいと思わないものだ。
しかし、健康はお金より大事であり、健康あってこそのお金だ。
また、若くて美しいのは当然としても、歳を取っても美しく強ければ、自分の価値を高く感じ、気分も良くなるだろう。
そして、実のところ、本当の意味で健康であれば、引き寄せは容易いのである。
そこで、本当の意味で健康になるための手段として、腕振り運動のような、仙道、気功、易筋経の運動があるが、日本には四股があり、日本人に向いていて、凄い効果があるのだが、現在の相撲の四股は、見栄えが重視され(別に悪いことではない)、本来の四股とは違ってしまったという話がある。

そこで、大東流合気柔術の最高位の武術家だった佐川幸義氏が、工夫をして四股の本来的な優れたやり方を考案したが、やり方が公開されることはなかった。
しかし、佐川氏の死後、しばらく経ち、佐川氏の弟子の中に、そのやり方を公開する者が出てきている。良いことである。こんな良いものは是非、無料公開すべきである。
ところが、佐川氏の弟子や、大東流合気柔術の指導者の間でも、佐川流四股のやり方が微妙に、あるいは、かなり異なり、実践しようとする者を混乱させている。
ある大東流合気柔術の高段者が、佐川氏の四股のやり方を紹介していたが、独特なやり方だったので問い合わせたら、確かに、佐川氏のやり方とは違うかもしれないと言われる。無論、その方に悪意はないし、佐川氏の四股をさらに進歩させたのかもしれないが、そのあたりはちゃんと言ってくれないと混乱を起こす。

しかし、一般の人が実践するレベルでは、佐川氏の四股は、実は簡単なものだと思う。
特に、こんな話からも、それが分かる。
佐川氏が晩年(90をかなり超えていた)、あくまで内耳の病気であったが、立つことが出来なくなった。
ところが、佐川氏は、全く落胆する様子もなく、「四股は座っても出来る」と言って、座ったままやられていたという話を読み、私は「なるほど」と思ったものだ。
ところで、昔の武道・武術というのは、手取り足取り教えることは全くなく、自ら工夫してやるもので、佐川氏が弟子達に四股のやり方を教えなかったのは、別に不思議なことではない。
私も、もう3年以上も四股を研究しながらやっている中で、なるほど、正式なやり方を知らない方が良かったと思うようになった。
というのは、私のやり方は、私の知る限りでは、佐川氏のお弟子さん方で、四股のやり方を公開している人達のやり方より良いからである。
私のやり方は簡単ではあるが、タイミングやスピードといったことを文章にするのは難しく、それは、動画にしたところで同じだ。
そこで、これだけ知っていれば良いという基本中の基本だけ言おう。
私の四股は「泥棒四股」とでも言うものだ。
泥棒が人家や城や神社仏閣に忍び込み、中の人に気付かれないよう、音を立てずに移動するところに、四股の極意がある。
武術の達人は、感覚の鋭い相手に近付いても気付かれない。
また、カンフー映画で見たことがあるかもしれないが、少林寺では、板の上に敷いた柔らかい濡れた紙を破らずに歩く訓練をすると言うが、これも四股に通じる。
こういったことが出来るようになったら、あなたは、肉体だけでなく、精神を自在にコントロールし、いかなることも成し遂げる。

やり方は自由で良い。
たった1つのことを守れば。
それは、「上げた足をそっと下ろす」である。
だから、座ってでも、極端に言えば、寝ても出来る。
私は、静かに歩いても、床板が軽くだが鳴る部屋で四股を踏み、やがて、音を全くさせずに出来るようになった。
いつでも泥棒デビューOKである(笑)。
実際、必要なら、いつでも忍び込みが出来る。
一応、四股のやり方の、全体的なスタイルの1つを示そう。
まず、両足を平行に、肩幅くらいに開いて立つ。
そして、片足を上げる。
佐川氏のお弟子さんらは、普通、つま先を外側に向けて立ち、足を上げる時も、横に上げることになる。
しかし、私のやり方では、前に上げる。
四股は、バランス感覚を磨くことも重要なのだが、つま先が横を向いている場合は、ほんの少し足を上げれば十分だが、私のように平行にする場合は、やや高く上げる。とはいえ、10cmも上げれば十分である。私は、10~40cm以上と、いろいろでやっている。
そして、足をそっと下ろす。
下ろし方は、静かであればあるほど良い。
足をそっと下ろすようにすると、神経も筋肉もバランス感覚も鍛えられる。
実際、初めてやると、かなり疲れる。
ここで鍛えられる筋肉は、筋トレで鍛える筋肉とは異なり、微妙な筋肉やインナーマッスルで、これにより、達人や本物の妖精のようになるのである。








脳内チップ埋め込みは必要か?

人間も動物であり、脳に組み込まれた本能は、生存と種族の存続を第一に目指していることは間違いない。
そして、そういった目的を達成するために、脳は快感を求めることも、大分前から分かっている。
ところで、快感は、実際には脳内で感じるのだが、脳は、そのために五感から神経を通じて来る信号を必要とする。
五感は肉体のもので、結局のところ、身体が健康でないと快感に必要な信号を送ってこなくなる。
もちろん、覚醒剤などの薬物を使えば、強制的に、脳に快感を感じさせる脳内物質を発生させることが出来るが、弊害が大きく、結果、効果は期間限定であると共に、身体にも脳にも深刻なダメージを残す。
そこで、デジタル技術で、脳に快感を発生させる信号を送ることが考えられ、今でも、やろうと思えば出来ると思うが、やったら、その弊害は覚醒剤どころではない。
この目的に使える技術として、有名なところでは、イーロン・マスクのニューラリンカ社が、脳内に埋め込むチップや、それを埋め込む自動手術の技術を開発し、もうほとんど完成している。
この脳内チップにより、脳に快感物質を発生させることが出来る。
すると、本人に断りなく、快感物質発生信号をチップを通して脳に送り、凄い快感を発生させた後、「政府の命令を聞かないと、快感発生信号を送ってやらない」と言われたら、逆らえる人間はいない。
こんな危険に気付かず、「俺は進歩的だから脳内チップを埋め込む」なんて言っている者は、真っ先に政府の奴隷かもしれない(笑)。

しかし、たとえば、学校で、他の生徒達が、教師に絶対に気付かれず、脳内チップを通して会話しているのに、自分だけチップを埋め込まずにそれが出来ないことに耐えられず、積極的にチップを埋め込む手術を受けるようになるという話もある。
そして、実は、生徒間の会話は、教師に筒抜けという可能性がある・・・というより、そんなふうに作られるだろう。

テレビにしろ、SNSにしろ、日本人だけの特徴ではないが、人間は、何かの思想に流される傾向がはっきりしている。
イーロン・マスクが、ツイッターにつまらない投稿をしても、いいねやリツイートが何十万、何百万、何千万と行われる。
しかし、極めて良い投稿が、なぜか拡散しないという話がある(私はインターネットテレビのデイリーウィルで見たが)。
こんな流され易い人達を誘導し、とにかく、脳にチップを埋め込む手術を受けさせれば、支配者の完全勝利である。
手術費用は極めて安価、あるいは、タダで、無痛・短時間(数分)で手術を終わらせる技術も開発済みというから、あちらさん、準備万端、抜かりなしである(笑)。

我々は健康的にいきたい。
健康的で適切な脳内快感物質発生のためには、まず、身体を健康な状態にしなければならない。
そのためにも、腕振り運動や、佐川幸義流四股である。
いずれも、微妙な点を含めれば、やり方はいろいろであるが、ここは、各自、自分で工夫して、自分に相応しいやり方を見つけるしかない。
自分に分からないことは何でも先生に教わり、先生の言う通りにしか出来ない人間が多く、そんな人間は、「自分で工夫しろ」と言われたら困惑すると思う。
しかし、自分で工夫する人間だけが、今後の世界で生き残ることが出来る。
言われた通りにやる、自分がやることを誰かに言って欲しい、自分はスイッチを押すだけでいたい・・・こんな人間に価値はない。

四股に関しては、たとえば、腰を左右に動かすだけでも、四股に近い効果がある。
ただ、巷で言われる腰振り運動のようにセカセカやるのではなく、両足間の体重移動をスムーズに行うのである。
まあ、これだって、やっぱり自分で工夫することが必要だ。
座ったままでだって、片足ずつ上げたり(あるいは踵を浮かしたり)、ゆっくり床に降ろすことで四股になる。
佐川幸義だって、晩年、内耳機関の病気で立って四股が出来なくなると、椅子に座ったまま四股をしていたらしい。
(腕振り運動も椅子に座ったまま出来る)
腰回し運動で一世を風靡したあるインストラクターも、腰振り運動の腰回し運動以上の効果に気付いていたような気もする。
いろいろ研究すると面白いと思う。

脳内チップは、麻薬同様、短時間で極端な効果があるが、弊害の大きさは麻薬すら比較にならないほど大きいかもしれない。
それよりも、腕振りや四股でしっかり身体を鍛え調整し、脳を良いコンディションにすれば、個性を磨き易くなり、自ずと引き寄せも上手くなる。
宇宙意識、宇宙の活力、潜在意識の力の前では、脳内チップなどお呼びではないと私は思う。








人間性や実力は一目で分かる

ある武道の達人は、人間を一目見れば、どんな人間でも、それが武道家であれば実力を、それ以外の者でも、その人品が簡単に分かるという。
それが本当かどうかは分からないが、我々だって、それ(その人間がどんな人物か)が分かると思える時がある。
特に、極めて優れた人間の場合や、逆に、極めて下等な人間の場合、その隠しようのない人間性が分かってしまうのである。
確かに、それが勘違いであるかもしれないし、詐欺師には、立派な人間を装うのが上手い者がいるという話も聞く。
しかし、我々だって、虚心に、偏見のない目で見れば、やはり、その人間がどんな人間かが分かるのではないかと思うのだ。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、人間は、本来、人の内面を見抜く能力があり、人間は、自分がどんな人間か書かれた看板を頭上に掲げているようなものだと述べている。

あくまで個人的な感覚で、偏見であるかもしれないが、私は、河野太郎や岸田文雄らは嘘つきにしか見えず、彼らが「ワクチンを打ちましょう」とにっこり笑って言えば、ああ、これは絶対に打ってはならないなとしか思えないのだが、他の人がそうでないのが不思議だ。
・・・いや、あくまで冗談ということにしておく(笑)。

そんな私のような者ではなく、最初に挙げた武道家のような、真に、人の審美眼に優れた人間に認められるようになれば、人間としての本当の力がついたということと思う。
人間としての本当の力とは、神のような力であり、簡単に言えば、引き寄せの力である。
では、どうすれば、本当に優れた人間の雰囲気をまとえるのだろうか?

私が好きな話に、こんなものがある。
江戸時代、ある武士が1人の町人に目を留め、その町人に歩み寄って問うた。
「お前は何者だ?」
その武士が初めて見る、一見ごく普通の町人であったが、この武士がそう問うには、それだけの理由があったのだ。
しかし、その町人は、自分はただの町人であると言う。
だが武士は、
「これでも人を見る目には自信がある。その立ち居振る舞い、尋常にあらず。ただ者のはずがない」
と食い下がる。武士には、それほどの確信があったのだ。
町人は、やはり自分はただの町人であると言うが、ただ、人と違ったところがあるとしたら、毎夕、墓地に行くことだと言う。
彼は、幼い時から、ひどく臆病で、それを少しでも治そうと、毎夕、欠かさず、墓地に行くのだと言う。

最初に述べた武道家とは、実は、合気道家の塩田道三のことだが、彼は、本当の達人だったのだと思う。
そして、同時代の武道家に、佐川幸義という、大東流合気柔術の、やはり、凄い達人がいた。
おかしなたとえだが、少し昔、インドに、ラマナ・マハルシという有名な大聖者がいたが、その同時代に、ニサルガダッタ・マハラジという、こちらは全く無名だったが、やはり大聖者がいた。
マハラジは、マハルシに会ったことはなかったが、お互い相手を見れば、真我を実現した(解脱した、あるいは、悟りを開いた)者であることが分かると言っていたようだ。

佐川幸義は、自分が考案した佐川流四股を、毎日、千回とも二千回とも、あるいは、それ以上、踏んでいて、四股を踏ながら死ぬことが出来ると言ったらしい。
そして、弟子にも四股を踏ませたが、熱心に四股を踏んだ弟子は驚くほど強くなったが、その弟子が気付かないうちに強くなっていたという話もある。
佐川流四股は秘伝で、外部には公開されなかったが、今は、佐川幸義のお弟子さんの中に、そのやり方を真面目な想いで公開している人もいる。
ただ、佐川幸義の弟子同士でも、やり方が異なる場合があり、また、佐川幸義自身も、弟子に、明確にやり方を教えたわけではないらしい。
しかし、各自で工夫してやれば良いのだと思う。
ちなみに、私は、ややユニークなやり方で、佐川流四股をやる人物に尋ねたら、そのやり方の由来を教えて下さり、それはそれで良いものだと思った。
しかし、正当なやり方は、やはり、下に紹介した書籍や雑誌(最後の本は除く)に書かれているものに近いと思われ、実践するなら、それらを参考に、後は自分で工夫してやるべきだろう。
そして、この四股も、本当に熱心にやれば、特に人を見る目のある人物に感銘を与えるほどの人間になれるかもしれない。
それも、優れた個性であろう。
そんなわけで、私も毎日、少なくとも千回は四股を踏んでいるが、よろしければやられればと思う。
足腰が抜群に強くなり、バランス感覚も磨かれて俊敏に動けるようになり、美容にも素晴らしい効果があると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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