ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

四股

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ますます気楽な足踏み四股

私の、佐川幸義流四股の説明が、ますます簡単になってきた。
もう、佐川幸義流四股と言うより、足踏み四股と言った方が良いと思う。
足踏み四股は、こう言い表せる。
「横に少し足を開いて立ち、腕を振らずに行う小さな足踏み」
「少し開いて」って、どのくらい少しか?
「小さな足踏み」って、どれくらい小さいか?
そんなことは、自分が「楽で」「気持ちいい」ように、好きにすれば良い。
敢えて言えば、なるべく安定した立ち方で立つこと。
足踏みの大きさ(小ささ)については、私の場合、足を上げた時、踵が10cm程度、つま先は2cm程度、床から上がっているが、つま先が床に接したままのこともある。
単に、それが私にとって一番快適だからで、踵が床からわずかでも離れる限り、好きにやればいい。
また、私の場合、足はほぼ平行・・・つまり、外股でも内股でもないが、これも、自分がやり易いようにやればいい。

歩く時だって、極端に悪い歩き方をしている場合を除き、どんなふうに歩くかなんて他人に指図されないが、それと同じだ。
いや、少々変な歩き方をしていようが、本人が気に入っているなら勝手にやれば良いはずだ。

ただし、歩き方が、十分に歩いた上で、そんな歩き方になったのなら良いが、歩くことが少なければ、それが本人にとって良い歩き方とは限らない。
だから、良い歩き方を身に付けるには、十分に歩かないといけない。
それと同じで、足踏み四股も、よほど不健康でない限り、片足ずつ数えた場合で、出来れば千回、少なくとも三百回は踏んで、快適に感じる・・・つまり、「楽」で「気持ちいい」踏み方に自然になるよう心掛ければ良い。
いきなりベストな踏み方にならなくて良く、ベターな踏み方を気楽に探れば良い。
それで、一か月くらいで、そこそこ良い踏み方になれば良く、後は、一生をかけて向上すれば良い。

腕は動かさなければ、基本、どうでも良いが、私の場合、手を膝に軽く当てて行う。これは真似してもらっていいと思う。
というのは、強調する気はないが、脚と腕が、軽く同調する・・・つまり、上下に同じ方向に動くことが好ましいと思っているからで、これは、日本古来の「ナンバ歩き」の考え方から来ている。ちなみに、西洋の歩き方、走り方では、腕と脚は逆方向だ。
それで考えれば、ポケットに手を突っ込んで行う四股も全然良いと思う。
とはいえ、腕は故意に動かさなければ良いのであり、腕組みして行おうが、手を後ろに回して行おうが、あるいは、本を読みながら行おうがいっこう構わない。あくまで、楽に気持ち良く行えれば。

ペースも好きなようにやれば良い。
テンポ良く「トントントントン」と踏んでも良いし、じっくりと「トン・・・トン・・・トン・・・」と踏んでも良い。
私の場合、百回を30秒ちょっとと、やや速く、回数を数え間違いそうになるが、もっと速いことも遅いこともある。

どのくらい(回数や時間)やるかだが、「なるべく多く(あるいは長く)」だけである。
1分より2分、2分より10分と、長ければ長いほど良く、極端に言えば、起きている間ずっとが良い。
足踏み四股には、それだけの価値がある。
出来れば、少なくとも、一度に300回、あるいは、5分はやりたいと思う。

効果に関しては、私はかなり多くの運動を、かなり熱心にやったが、個人的には、これほど優れたものはないと思う。
これほど軽く動けるようになる運動はなかったし、腰のバランスが良くなるせいか、力も強くなった。
また、私は太り易い体質と思うし、あまり良くないのかもしれないが、いくら甘いものを食べても全く太らず、スリムで美しい体型のままである。まあ、他に腕振り運動などもしており、その影響もあるのかもしれないが。

ついでに言えば、妖精にでもなったつもりで身軽に行えば、そんな身体になるし、怪力人間になったつもりでゆったり行えば、そんなふうになるのだと思う。
ただし、いずれの場合も、「静かにやる」ことは大切ではないかと思う。
佐川幸義も、「足をどすんと落としてはならず、つま先からそっと下ろす」と言っていたようだ。
ある佐川幸義の直弟子は、和式の家の2階で踏んでいたが、下の階の人の迷惑にならないよう、ほとんどつま先を上げず静かにやっていたと言うが、結局、それが良かったのではないか、そして、佐川もそのように踏んでいたのではないかと言っている。

健やかなる身体
AIアート597
「健やかなる身体」
Kay


スクワットを否定しないが、スクワットが続く人は滅多にいないと思う。
それも、「膝が床と並行になるまで曲げ」「上体を真っすぐに」などというやり方は苦行でしかない。
私は、子供の頃からスクワットをやっていて、十年ほど前は、毎晩少なくとも300回は連続でやっていたが、全く楽しくなく、運動の時間が来るのが憂鬱になっていた。しかも、身体を痛めることもあった。スクワットをやるなら、かなり注意をしながらやらないと故障をする恐れがあると思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
・佐川幸義流四股関連
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)四股鍛錬で作る達人
(3)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
・腕振り運動
(1)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)
・ナンバ歩き、ナンバ走り
(1)飛脚走り
(2)ナンバ走り (光文社新書)
(3)本当のナンバ歩き [DVD]
(4)「ナンバ歩き」で驚異のカラダ革命 (立風ベストムック 85) ムック

「楽で気持ちいい」が何より大切

身体、精神、さらには、霊的な向上のための最上のメソッド(手法)の1つである深呼吸と足踏み四股でも、自分の好きなようにやれば良いのだと確信した。
心がけるべきことは、「楽で気持ちいい」ことだけである。

突出した人間は皆、我流なのである。
アインシュタインは学校の授業や大学の講義を全く聞かず無視した。
ただ、彼も、大学予備校(そこで学ぶと無試験で大学に入学出来た)の科学の教師の教え方が非常に良いと思い、それだけは聞いていたらしい。
我々も、何でもかでも拒否するのではなく、良いと思うもの、それこそ、聞いていて(あるいは教わっていて)楽で気持ち良ければ聞けば(教われば)良いのである。
とはいえ、やはり、アインシュタインは大学の講義は一度も受けていない。
また、「悪魔に魂を売って演奏技術を手に入れた」とまで言われた天才ヴァイオリニストであるバガニーニも、演奏技術は全て独学だった。

いかなることでも、最上の教師は自分の内にいるのである。それは、魂とか神とか真我とか言われるものである。
人から教わるのは、あくまで、内なる神に通じ易くするためであり、その目的のためには昔から、学ぶより盗めとか慣れろと言われている。
だから、良い師は、あえて教えないのである。
佐川幸義だって、四股のやり方を丁寧に教えたことはないと思う。

笹沢佐保の時代劇小説『木枯し紋次郎』で、流れ者の渡世人(博打打ち)である紋次郎の剣法は、勘と度胸の喧嘩剣法であり、全くの我流で、確かに、本格的な剣の修行をした達人には全く敵わないことが何度も語られる。
しかし、それは、剣の達人達が剣の修行に多くの時間を注ぐことが出来ただけのことである。
一方、貧しい農家の出で、しかも、10歳で村を出た紋次郎は、生きるだけで精一杯であった。
だが、それでも、剣の達人達に、紋次郎は一度も負けなかった。どんな手を使ってでも勝ったのである。
むしろ、剣の達人達は、剣の腕に囚われて紋次郎に後れを取ったのである。

さて、我流の凄さについて、私自身が経験したことがある。
私は、走り高跳びで一度も負けたことがない・・・というよりは、一度も失敗したことがなかった。
極端に言えば、バーの高さが3メートルでも、妖精的、仙人的、天狗的、あるいは天使的に飛べたかもしれない。
中学1年生のある日までは。
ところが、私は、自分がどんな飛び方をしていたのか、全く分からないのである。
ただ、他の子達とは飛び方が全く違うことだけは確かだった。
小学校では普通、バーに対し、斜めに走って来る「はさみ飛び」で飛ぶ。授業ではこのはさみ飛びを教えるので、それをやらなかった私は、教師の教えを無視したのだろうが、なぜか、このことで教師に文句を言われた覚えは一度もない。不思議なものだ。
ひょっとしたら、教師に文句を言われたのかもしれないが、飛べてしまうのだから教師も何も言わなくなったのかもしれない。
それで、私はずっと走り高跳びのキングだったが、中学1年生の時、全校生徒で行う陸上競技大会で、私は当然のように走り高跳びに出たが、なぜかその時、自分の飛び方が他の子と違うことが気になってしまい、私もはさみ飛びでやってしまった。それで、予選敗退してしまった。
その後も、はさみ飛びで、クラス内程度ではいつも一番だったが、飛び抜けたというほどの能力ではなくなってしまった。
いまも、私は、以前の自分がどんな飛び方をしていたのか、全く分からない。
何も考えず、閃きのまま飛んだのだろう。
このように、思考を消してしまえば、何ごともうまくいくのである。

捧げる
AIアート516
「捧げる」
Kay


思考を消すためには深呼吸が一番であるが、さらにその根本には「楽で気持ちいい」があるのである。
深呼吸だって、楽で気持ちいいようにやるから、良い深呼吸になる。
足踏み四股や腕振り運動もそうで、それこそ、アインシュタインの物理学やバガニーニのヴァイオリンも同じであるはずだ。
だが、名声を獲得し、本人が言うところでは「珍獣のように有名になった」アインシュタインは、楽で気持ちいいことが出来なくなり、苦しくて気持ち悪いことをしなければならなくなった。それで、彼は天才でなくなった。それは彼が42歳頃のことと思う。

楽に気持ち良く深呼吸や足踏み四股をすることで、魂の力を発揮するコツをさらに掴んでいただきたい。
「気持ちいいことは何をしても良い」は、医師で整体家であった橋本敬三のポリシーであった。
(度々言うが、ここで言う「気持ちいい」で、アルコール、ドラッグ、性的快感等を持ち出すのは馬鹿な人間である)

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)からだの設計にミスはない―操体の原理
(2)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(3)人生を思うように変える呼吸法
(4)木枯し紋次郎(一)

足踏み四股で若返る原理が科学で分かってきた

長時間じっとしていた後・・・眠っていた後でもだが、軽く腕振り運動をすると、ぞわーっとするような気持ちよさを感じる。
これは多分、肩甲骨を動かすことで血流が良くなるからだと思う。
中国の運動は肩甲骨を動かすことを重視するものが多いように感じるが、中国では肩甲骨が血流に大きく影響することがよく知られていたのだと思う。
よって、腕振り運動を行うと、血流が良くなって、健康になり、脳に血液とそれに乗って酸素が運ばれ、頭も良くなると思う。

ところで、私が愛好する足踏み四股(佐川幸義流四股)がなぜ、健康や身体強化や若返りに効果が高いかについて、新しい説を知った。
骨に刺激を与えると、「メッセージ物質」と呼ばれる特殊なホルモンが出て、これが内蔵、脳に肯定的な影響を与えるのである。
この骨への刺激は、軽いものを繰り返し与えるのが良いと思われる。
それで言えば、足踏み四股は最良の刺激を足の骨に与える。
実際、足踏み四股を毎日数千回行ってた、大東流合気柔術の達人、佐川幸義は、95歳で亡くなって火葬した後、骨の骨密度の高さに驚かれたという。老人の場合、骨密度が低く、いわゆる「スカスカ」の骨になるのに、佐川は若い人のようであったらしい。
佐川の四股は、大変に速く、1回1回の刺激は軽かったはずだ。
佐川から直接、四股の指導を受けた弟子には、ほとんど踵の上げ下ろししかしない人もいたが、この3段の弟子は「佐川先生も同じだったのではと思う」と言っていたそうだ。
佐川の若さ・・・記憶力や動作の軽さ、肌つやの良さ、そして、体力に関しては、多くの驚くべき証言があるが、その秘密は彼が発明した足踏み四股にあると思ってだいたい間違いないと思う。

この骨から出るメッセージ物質は、実際、科学的にも注目されており、膝、肩、腰、頭などを軽くトントン叩く健康法が、長く受け継がれ愛好されていることの合理性にもなるかもしれない。

夕暮れ空
AIアート509
「夕暮れ空」
Kay


足踏み四股は、特に細かいやり方はなく、両足を少し開いて立ち、腕を振らずに小さく、軽く、テンポよく足踏みをするだけである。
上で取り上げた、佐川の3段のお弟子さんは、階下の迷惑にならないよう、踵の上げ下げだけで静かに行ったが、これが良かったと言っている。
私も、古い部屋で床がギシギシ音を立てないようなつもりでやっている(多少は仕方ないが)。
それで、私は、この足踏み四股を忍者四股、あるいは、腕を動かさないことによりナンバ四股と呼んでいるのである。

◆当記事に関連すると思われる書籍のご案内(上3冊には佐川流四股の解説あり)◆
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(3)四股鍛錬で作る達人
(4)医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ 1分間骨たたき
(5)“骨ホルモン"で健康寿命を延ばす! 1日1分「かかと落とし」健康法
(6)1分ポコポコ骨たたき体操 100歳でもジャンプができる!

四股で子供の時のような感覚が蘇る

運動と言えば、見栄っ張りの現代人は、
「人に見られた時、恥ずかしくない」
「人に見せて自慢出来る」
運動をしたいのだと思う。
つまり、負荷が大きく、出来れば普通の人には出来ないような運動、「本格的」に見える運動だ。
しかし、そんな運動は、身体を壊し勝ちで、長続きしない。
見栄を張って、ある程度続けても、運動が辛くて身体や心は嫌がっており、それを無理にやるとストレスがたまり、心身に異常を起こすだろう。

昔は、数回しか出来ないような負荷が高い運動でないと筋力がつかないと言われ、教科書にもそう書いてあった。
それで、重いダンベルをゆっくり持ち上げるような運動が見栄えも良く、好まれた。
しかし、近年の研究では、弱い負荷で回数を多くすれば良く、また、スピードがあった方が効果があることが分かっている。
そのような運動の方が、怪我のリスクが少なく、しかも、楽で気持ち良く、長続きする。

大東流合気柔術の達人、佐川幸義がトレーニングを見せなかったのは、秘密主義と言うよりは、上のような見栄っ張り運動を良しとする者達に揶揄されたり誤解されることが嫌だったからかもしれないと思う。
実際、佐川は「特訓なんかしない」と言っていたという話もある。

私がメインでやっている運動の1つが、佐川幸義がやっていたような四股であるが、佐川が四股を踏むところを見た人はいないらしく、正確なやり方は分からないが、5年以上、佐川幸義やその弟子から四股の指導を受けた人達の四股や、その他のことを研究し、改良を重ねながらやっている。
そもそも、佐川は、弟子に四股をやらせる時、何も説明せずただ「四股を踏め」と言った場合が多かったらしく、言われた弟子は、相撲の四股を踏んだらしい。それで、数か月も経った頃にやっと(それでも運が良い方かもしれない)、佐川に自分の四股を見てもらって、それを佐川に矯正してもらえる場合もあったが、下手したら、ずっと相撲の四股を踏んだ人がいたかもしれない。
さらには、何と、佐川に「四股を踏め」と言われず、四股を踏まない弟子もいたと思われる(物理学者の保江邦夫さんは、彼の著書を見れば、佐川の直接の指導を受けながら、四股に関しては兄弟子の木村達夫さんに言われるまで知らなかったように思われる)。

それで、先ほども述べたが、私は佐川幸義流、その他の四股を研究するうち、四股の良いやり方は、次のようであると結論した。
「両足を適当に横に開いて、腕を振らずに行う軽い足踏み」
これで十分である。
後は、自分の感覚でやり易いように適当に修正すれば良い。
私は、手に関しては、ナンバ歩き・ナンバ走りの研究から、手のひらを膝に当てて行うのが最も良いと思っている。
しかし、手を横にだらんと下ろしてやっても良いし、後ろで組んでも構わないと思う。
大東流合気柔術6段という喜多原 歓喜地さんは、手を前に組むよう薦めている(強制はしていない)が、これは彼が気功もやっているからで、もちろん悪くはないが、私はあまりピンとこないので、そんなふうにはやらない。しかし、どうやるかは各個人で決めれば良い。

くつろぐ
AIアート500
「くつろぐ」
Kay


佐川幸義は、四股を非常に高速にやったというが、私も非常に速く行うようになった。
だが、佐川のお弟子さんにも、ゆっくりやる人もいるようで、自分の好きなようにやれば良い。私もゆっくりやることもある。
私は、いつでもどこでも、気が付けば行う。
子供の時、スキップをすると、気分が良くて、どこまでも行けそうな気がしたが、あの感覚が蘇ってきた。
つまり、身体を軽く感じ、言ってみれば、野生動物のようになった感じだ。
子供の時は、皆そうなのであると思う。
また、私の仕事は1日に何時間もデスクに座って行うので、時々腰痛になることがあるが、四股を少しやると腰の状態は完全によくなる。
スクワットだと、腰痛を悪化させる場合もあると思う。
この四股をやっていたら、おそらく、老齢になっても足腰が弱ることはない。
しかも、本当に楽で気持ち良い運動である。学校で教えれば良いのにと思う。
老人に変な運動を教えず、皆、四股をやれば良いと思う。

◆当記事と関連する書籍のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(3)四股鍛錬で作る達人
(4)歩法の極意

真に健康になり、しかも楽な日本式運動

日本人が、筋トレや腕立て伏せやスクワットやジョギングをやるようになったのは、終戦後にアメリカから伝わってからだと思う。
江戸時代には、人々に「走る」という概念がなく、走るのは忍者と飛脚くらいだという話を聞いたことがあるが、その通りでないとしても、武士がジョギングや筋トレをしたという話は聞いたことがない。
また、忍者や飛脚が走ると言っても、西洋流のランニングとは相当違った走り方で、その走り方が今、「ナンバ走り」として再注目されているという話もある。
戦前の日本のスポーツと言えば相撲があったが、相撲力士も筋トレやジョギングなどはせず、四股、すり足、鉄砲(柱を手で押す運動)などで身体を鍛えた。
そして、昔の四股は、今のように高々と足を上げるやり方ではなく、足の裏が地面を向いたまま、コンパクトに行うものだったようだ。

日本は、江戸末期のペリー来航と第二次世界大戦の敗北で、それまでの文化が否定され、西洋のものが優れているとして押し付けられたが、世界が堕落と腐敗で滅びようとしている今、実は日本文化は素晴らしいものであったことが分かってきたのではないかと思う。

私が毎日長時間やっている佐川幸義流四股(足踏み四股)は、大東流合気柔術の達人、佐川幸義が昔の相撲の四股を復活させ、さらに改良したものだ。
腕振り運動(せい手。スワイショウ)は中国のものだが、発想としては日本式に近いと思われる。
日本には、上半身、腕を鍛えるという発想がなく、仕事を熱心にやれば必要な筋肉が発達するし、多くの仕事が神経を使うもので、熟達すれば名人と呼ばれるようなものだ。そんなこともあって、日本人は器用で細かいことに向いているようになったのだと思われる。
ここらに関しては、西洋の絵が大きく雄大であるのに対し、日本人がそれを真似しても、今はともかく、昔は全く様にならず、小さな精巧な工芸品や装飾品を作るのがうまかったことからも分かる。

日本人が日本式運動に向いているのはもちろんだと思うが、実は、日本式運動は人間にとって良いものだと思われる。
ただ、西洋やアフリカでは、どうしても、大型獣を狩る狩猟民族であったことから、腕力や速く走る脚力が必要で、筋トレやランニングが発達したのだと思う。
それが西洋の文化となり、狩猟をしない今も変わらないが、日本人が真似するメリットはない。
そんな西洋文化を真似することで、野球やサッカーで世界のレベルに追いついてきたのだが、少なくとも、野球やサッカーをしない一般人が狩猟民族の運動をしても、益は全くないと思う。

日本式の運動の特徴は、「効率的でなるべく楽な動きを長時間」だ。
例えば、歩くことがそうだが、日本人の歩き方は、学校で教わる軍隊式行進のように、腕を脚と逆に大きく振る効率の悪いものではなく、歩く時には腕は振らないものだった。
また、走る珍しい日本人であった忍者や飛脚も、やはり、腕を振らずに走るが、それはエネルギー効率が高く、長距離を楽に走ることが出来る。

私も以前は、西洋式トレーニングをかなりやっていたが、身体に負担がかかり、どんどん身体の調子が悪くなり、膝や腰や背中や肩が壊れがちだったが、スポーツ選手だって、年齢が高くなると、かなり身体が壊れていることがほとんどで、引退後は普通の生活すら出来ない人が少なくない。
高齢になっても活躍する選手の多くは、負荷の少ないトレーニングを長時間やる日本流の選手が多いように思う。
狩猟民族は、働けるのは若い間だけで、年を取って働けなくなると居場所がなくなったのだと思われる。

日の光
AIアート330
「日の光」
Kay


今の日本で、運動と言ったら、やっぱり西洋式のジョギングやウォーキング、筋トレ、腕立て伏せ、スクワットなどだ。
だが、そんなものは、まず、日本人に向いておらず、身体を痛め、苦痛でストレスが溜まる。
そんなものはいい加減にやめ、私のような、足踏み四股や腕振り運動をやれば健康になると思う。
西洋の足踏みと日本の足踏み四股の違いは、西洋の足踏みは、足を閉じて腕を振るが、足踏み四股は、肩幅に足を開き、腕は振らない。

腕振り運動に関しては、これは中国のものだが、私は、意外にも、正座の代替として良いものだと思っている。
かつての日本人は、毎日、何時間も正座をすることで腹筋や背筋が鍛えられ、運動など全くしなくても身体が強かったと、著名な解剖学者の養老孟司氏が著書に書かれていたが、その通りではないかと思う。
しかし、いまさら正座の生活に戻るのは無理だ。
だが、腕振り運動は、むしろ、正座よりやや強い、しかし、しんどくはない適度な負荷で腹筋や背筋を刺激し、また、仙骨の調整にもなるし、何より、肩甲骨を動かすことで、血行を良くし、心臓や肺の周辺の筋肉を柔らかくする。実に素晴らしい運動である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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