ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

唯円

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

笑う「大天才」親鸞

いつもそう思っているのかは定かではないが、本を1冊というなら、私なら『歎異抄』を挙げる。
「ついでにこの本」なんてのは無いし、全く迷いもしない。
全18章というのは『バガヴァッド・ギーター』と同じだが、各章は、81章ある老子並に短いので、全体でもかなり文章量は少ない。
何の本かというと、親鸞の弟子の唯円が書いた、「正しい念仏のあり方」だ。
『歎異抄』は人気があるので、現代語訳や解説書等は大変な数が出ている。
ひろさちやさんなんて、一人で10冊も書いている。
そのひろさんが、多分、一番最初に書いた歎異抄の本である、『入門 歎異抄の読み方―この現代を心豊かにおおらかに生きぬくために』(1982年)が私が最初に読んだ歎異抄の本だった。
だが、この本で良かったのは、現代語訳だけで、それは誰が書いても、大体同じになる。
ひろさんは面白い本を書く人だが(だから何百冊も出している)、この本のひろさんの解説や自己主張は、私には楽しいものではなかった。
こんな話が書かれていたと思う。
当時、小学生だったひろさんの息子の友達が死に、息子がとても悲しんでいた。
そこで、心を痛めたひろさんが提案し、家族で一緒に「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えた。
それが、ひろさんが歎異抄の本を書こうと思ったきっかけだったと思う。
まあ、そんな「いい話」から入るのだが、私は、妙な違和感、深い反感・・・ほとんど嫌悪感を感じたのだが、昔は、その理由が分からなかった。
だが、今なら解る。
私には息子も嫁も妾もいないが、間違いなく、息子の友達が死んでも、悲しくもなんともないだろう。
息子そのものが死んだら、何らかの理由で動揺はするかもしれないが、悲しい訳ではないだろう。
現役クラスメイトが死んだという経験はないが、元クラスメイトが死んでも何とも思わないし、おそらく・・・と言うより、間違いなく、学校時代にクラスメイトが死んでも悲しくはなかっただろう。
実際のこととしては、親や友人(私は勝手に親友と思っていたが)が死んでも、悲しいという感情は起こらなかった。

ひろさんや、その家族のような、「まともな人間」に歎異抄は必要ない。
だから、ひろさんが書く歎異抄の本は、現代語訳や学問的解説以外は的外れなのである。
『歎異抄』は、私のような、良心も共感も持たないサイコパスに一番相応しい本だ。
だが、ひろさんのはまだ「マシ」で、その他の『歎異抄』に関する自説を述べた本を読むと、大抵ヘドが出るか、「うざ」と思うのである。
『歎異抄を読む』なんていう書名を見ただけで吐き気がするようになってしまったほどだ(そんな内容に決まっているからね)。
しかしね、やっぱり、みんなどこかサイコパスなのだ。
共感や良心を、私はほとんど持たないとしても、普通の人だって、必要な量の10~20パーセントも持っていないのではないだろうか?
まあ、今の地球では、そうでないと生きていけない。
資本主義社会では特にそうだが、社会主義では国家が存続出来ない(強力なサイコパスがリーダーをやっている間はなんとかなるかもしれないが、それだって無理がある)。

極悪非道のサイコパスでも、阿弥陀如来は守ってくれる。念仏さえ唱えればね。
とはいえ、私は極楽浄土に行くことには興味はないが、『歎異抄』を書いた唯円の先生の「大・大・大天才」親鸞は、念仏を唱えれば、「この世の利益は無限」と、『現世利益和讃』で明言している。
親鸞は、赤い舌を出しているとまでは言わないが、肩をすくめる位のことはしてくれて良いと思う。

ドクター=ファンクビート 夢を見た
誰もが幸せになるコドモ騙しの妄想SHOW
誰もが不幸なのだ その巫山戯(ふざけ)たディストピアの中では
~『ドクター=ファンクビート』(作詞・作曲・編曲:nyanyannya、歌:KAITO)より~

親鸞はドクター=ファンクビートかもしれない。









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自分だけの真言を持て

合気道家の藤平光一氏の本に、「重みは下にある」と言えば、氣が出ると書かれていた。
これは、氣を出す1つの方法が、真理をあえて口に出すこと・・・というものだったと思う。
そして、重みが下にあるのは、確たる真理だということだろう。
「氣」は、普通、気功などで言う「気」と同じだが、藤平氏は「氣」の字に大変にこだわっておられた。

ところで、私は、「重みは下にある」という言葉には抵抗があった。
重みが下にあるのではなく、重みがかかる方向を下と言うとしか思えなかったからだ。
「地球には重力がある」と言うなら、まだマシだが、それなら、月や火星にだって重力はある。
結局のところ、真理というなら、万有引力があるということになるが、これとて、万有引力があるというよりは、万有引力の原因があるということだと思う。
別に、私が特別にひねくれていると言うのではなく、理系・・・と言うほどでなくても、現代的に考える癖があれば、私のように思うのではないかと思う。

藤平氏はとても偉い人のようだが、残念なことに、その教えは、あまり私にはしっくりこなかった(勿論、参考にはなった)。
そして、彼が言う、「下腹の一点に想いを沈める」なんてのは、分からないものは分からないのであり、それを分かったフリをするのは馬鹿だと思うのである。

ニサルガダッタ・マハラジは、「私は在る」こそ究極の真理であり、「私は在る」が最高のマントラ(真言)であるとも言っていたと思う。
しかし、これも、「私」の意味が、あまりに曖昧である。
よって、私は、「私は在る」と思うごとに疑問が浮かび、心が乱れた。
本で見る限り、彼の教えは美しいと思う部分も多いが、私には結局、意味不明だった。
追求していけば、分かったつもりにはなれても、臨終になるまで、本当のところは分からないだろう。

別に、藤平光一氏やニサルガダッタ・マハラジの教えに問題があるのではない。
単に、私には合わなかったというだけのことだ。
そして、そんなものを後生大事に抱えていられるほど、人生は長くない。

「重みは下にある」、「私は在る」が、真理として受け入れられる人もいるかもしれない。
そんな人にとっては、これらの言葉が貴いマントラ(真言)になる。
貴いマントラであれば、それを言ったり、想ったりすると、心に喜びが満ちるだろう。
『歎異抄』には、唯円が親鸞に、「念仏を唱えても、躍り上がるほどの喜びが湧かないのですが、どうしたことでしょう?」と尋ねると、親鸞は、「私もじゃ。それは煩悩のせいなのだが、煩悩の深い凡夫を救うのが阿弥陀如来様の意思なのだから、ますます往生確実じゃ」とうまいことを言ったことが書かれている。
『歎異抄』は大好きだが、しかし、これはちょっとどうかと思うのだ。
「躍り上がる」の度合いにもよるが、念仏が自分に合っているなら、それなりの喜びが湧いてくるはずである。
そうしたら、そんな疑問は出てこないと思う。
つまり、唯円は、親鸞の弟子に安住していないで、自分の道を探すべきだったかもしれないのだ。
土台、いつまでも師匠の元にいるやつに、ロクなのはいないじゃないか?
別に、人間は、必ずしもロクなものになる必要はない。
ロクなものでないということなら、私は相当な自信がある。
単に、唯円は、私同様ロクデナシの一人と(勿論、唯円は私の百万倍マシだが)、貶す訳ではなく、本当のことを言いたいのである。

皆、権威あるものを捨て、自分だけの真理を探さないといけない。
でないと、短い生涯を、満足のないまま終わってしまう。
ましてや、会社のポリシーを崇めるなんてことは、会社や経営者には都合が良いかもしれないが、そんなことをいつまでも続けたら、死ぬ時に後悔するぞと言っておく。
L.H.ロースンの言った「神の他に何もない。ただ神だけがある」という言葉は素晴らしいと思うが、やはり、これは彼の言葉だ。私には関係ない。
YMOの『LOTUS LOVE』では、「I Love You」がいつもの呪文だと言うが、これも、「そんな人もいるだろう」といいうだけのことだ。
私には、「ミクさんの他に何もない。ただミクさんだけがある」の方が真理であり、「I Love Miku」が私らしい呪文である。

唱えれば、大地が振動し、天楽が響き、花が舞い散る真理を、各自が持たなければならない。
それは権威に平伏したり、人真似をすることをやめない限り得られない。
聖書を権威的に見ずに探せば、自分に合う言葉も見つかるだろう。
私は、そうやって見つけたのだ。
だが、唯円が親鸞に言ったように、唱えて躍り上がる・・・かどうかはともかく、喜びが湧き上がらないなら正しくない。
ただし、言葉は神である。
だから、自分もまた、少しは、それを受けるに相応しくしなければ、それは得られない。
それにはただ、権威、あるいは、世間の教義や信念に平伏すことをやめ、人真似もやめること・・・それが、「自分であること」である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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