和時計というものをご存じだろうか?
江戸時代から明治初期まで使われたと言われる日本製の時計だ。
今の世の中、ググれば何でも分かると思っているだろうが、和時計は分からない。
なぜか皆、和時計の「考え方」や「メカニズム」を得意がって解説し、一番大事なことを言わない。
それは、西洋時計のように、針が回るのではなく、文字盤が回ることだ。
この重要性が分からないから、皆、肝心なことを言えないのだ。
和時計は、針は、構造上の都合で一番上を指すのだが、この、針が指している一番上が「今」だ。
「今」は動かない。いつも「今」だ。
未来が勝手にやって来るのだ。
我々は、「今」にじっと居れば良い。
「今」から動く必要はないし、実際は動けない。
しかし、西洋時計は、「今」である針が常に動く。
「今」に居る我々が未来に動き続けなければならない。
自分は動かないのが日本流だ。
西洋の弓では、的に向かって矢を放つ。
日本の弓も、見かけは同じに見える。
だが、日本の弓では、矢を放たない。
矢はじっとしていれば良い。
的の方から矢に当たる。これが日本の弓の神髄だ。
中島敦の『名人伝』(オリジナルの話は中国の『列子』)でも、究極の弓は「不射の射」と言う。
中国の道教が、日本の神道と同じように「道」の文字を使う通り、道教には神道と近いところがある。
日本流の引き寄せも、和時計や和弓と同じだ。
自分は動かない。
ただ待っていれば願いは実現する。
だが、磨いた矢でなければ的を射抜かないように、自分を磨いておかなければならない。
それには、クンバク(息を吸って止めること)や、瞑想をするのが良い。
瞑想の中でも、日本流の瞑想は、神道でいう「中今」、つまり、今この瞬間を感じる瞑想で、これは今は、今今瞑想、今今メソッドと言われることがある。
ただ、今この瞬間を感じれば良いだけであるが、難しければ「今、今、今、・・・」と心で呟けば良いだけである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(2)李陵・山月記(中島敦)※『名人伝』含む
(3)中心感覚(内海康満)
(4)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院)
AIアート1160
「化身した女神」
Kay
江戸時代から明治初期まで使われたと言われる日本製の時計だ。
今の世の中、ググれば何でも分かると思っているだろうが、和時計は分からない。
なぜか皆、和時計の「考え方」や「メカニズム」を得意がって解説し、一番大事なことを言わない。
それは、西洋時計のように、針が回るのではなく、文字盤が回ることだ。
この重要性が分からないから、皆、肝心なことを言えないのだ。
和時計は、針は、構造上の都合で一番上を指すのだが、この、針が指している一番上が「今」だ。
「今」は動かない。いつも「今」だ。
未来が勝手にやって来るのだ。
我々は、「今」にじっと居れば良い。
「今」から動く必要はないし、実際は動けない。
しかし、西洋時計は、「今」である針が常に動く。
「今」に居る我々が未来に動き続けなければならない。
自分は動かないのが日本流だ。
西洋の弓では、的に向かって矢を放つ。
日本の弓も、見かけは同じに見える。
だが、日本の弓では、矢を放たない。
矢はじっとしていれば良い。
的の方から矢に当たる。これが日本の弓の神髄だ。
中島敦の『名人伝』(オリジナルの話は中国の『列子』)でも、究極の弓は「不射の射」と言う。
中国の道教が、日本の神道と同じように「道」の文字を使う通り、道教には神道と近いところがある。
日本流の引き寄せも、和時計や和弓と同じだ。
自分は動かない。
ただ待っていれば願いは実現する。
だが、磨いた矢でなければ的を射抜かないように、自分を磨いておかなければならない。
それには、クンバク(息を吸って止めること)や、瞑想をするのが良い。
瞑想の中でも、日本流の瞑想は、神道でいう「中今」、つまり、今この瞬間を感じる瞑想で、これは今は、今今瞑想、今今メソッドと言われることがある。
ただ、今この瞬間を感じれば良いだけであるが、難しければ「今、今、今、・・・」と心で呟けば良いだけである。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(2)李陵・山月記(中島敦)※『名人伝』含む
(3)中心感覚(内海康満)
(4)現代訳 正法眼蔵(禅文化学院)
AIアート1160
「化身した女神」
Kay