ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

呪文

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

子供の呪文、大人の呪文

CLAMP(4人組の漫画家ユニット)の漫画『カードキャプターさくら』は、1996年から2000年に発表された20世紀作品であったが、ずっと根強い人気が続き、これの『クリアカード編』が2016年から2023年に渡って発表された。
その20世紀の作品の中で、木之元桜(小4女子)の最強の呪文が「絶対、大丈夫だよ」で、この呪文が地味に普及したが、そもそも「大丈夫」という言葉は人気がある。
何かのアンケートで、受験生が一番心が落ち着く言葉が「大丈夫」だという調査結果があったらしい。
また、エリック・バーカーの『残酷すぎる成功法則』という、かなりエビデンス重視の自己啓発書の中に書かれていたが、成功する人は、頭の中で「大丈夫」のような肯定的な言葉をつぶやいているという専門的な調査報告があったというのが興味深かった。

だが、「大丈夫」というのは、そこそこ力があったり、それほど深刻な不安や危険がない状態で有効な言葉だ。
もし、『カードキャプターさくら』で、最強の呪文が「お金がある」だったら、作品のイメージを大きく損なったことだろうし、あくまで子供向けにはそれで良いのかもしれないが、大人にとって、最強とは言わないまでも効果がある言葉は「お金がある」だと思われる。

現代人は不安が大きく、誰でも大なり小なり不安を抱えているが、大人にとって、不安の原因で最も大きなものがお金の問題だ。
そして、この不安の原因は、子供の時、親が「うちにはお金がない」と度々言うのを聞いていたことのようである。
「金なんかなくても大丈夫だよ」という鷹揚な精神の持ち主が少なくなっているが、特に日本人がお金の不安を大きく持つようになった原因は、解説したらかなり長くなるが根拠ある話がある。
ラルフ・ウォルドー・エマソンは『自己信頼』で、お金の不安を持たない少年や封建領主の強さを讃えているが、逆に言えば、子供でもなく、王侯貴族や豪族でもない庶民は、お金の不安を抱えている。
そのお金の不安が潜在意識に定着することで、実際にお金が不足するのであると思う。

私の知り合いの金持ちが「お金がある」を口ぐせのように言うが、彼は実に心が強く、呆れるほどの度胸があるのは、その口ぐせの影響があるのだと思う。
聞けば、彼の家は祖父の代からバリバリの商売人で、「お金がある」精神と、それを確立する最強の呪文「お金がある」を受け継いでいるのだと思えた。その祖父のお金を作るやり方は、この孫どころではない気宇壮大なものだが、笑い話で済まない部分もあるので、ここで書くのはよそう。
要は、この金持ち家の伝家の宝刀とも言える呪文は「お金がある」だと思える。
言っては何だが、この一家は能力で稼ぐことを重視しておらず、どちからと言うとアイディア勝負だが、本人も「俺がうまくいったのはたまたま」と言うように強運なのだろう。
実際、どんな成功者だって、成功したのはたまたまなのだ。それを正直に言う成功者は少なく、それだけに、そんなことを言う正直な成功者は、本当に役に立つことを言ってくれる。
要は、成功したければ成功するまでやれば良いらしい。
ただし、本当に好きなことをね。
「お金がある」という呪文を活用しながら。
ただし(と繰り返すが)、ソフトタッチ(穏やかな態度)で唱えることが大切である。
「お金がある」が魔法なら、魔法を促進する触媒とか秘薬のようなものがソフトタッチである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)カードキャプターさくら(1)(CLAMP)
(2)カードキャプターさくら ※dアニメストア for Prime Video
(3)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(4)残酷すぎる成功法則(エリック・バーカー、橘玲)
(5)貧乏はお金持ち ~「雇われない生き方」で格差社会を逆転する~(橘玲)

この星の宝
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「この星の宝」
Kay

マイ・スペル(呪文)、マイ・エクササイズ

マントラは真言という意味で使われ、たとえば、観世音菩薩のマントラは「オン・アロリキャ・ソワカ」であるといった具合だ。
ただ、マントラは古代インドの言葉であるサンスクリット語で、単に「言葉」といった意味であるらしい。
英語でスペルと言ったら「綴り」という意味だが、これにも「呪文」という意味がある。
自分用の呪文は英語では「マイ・スペル」と平凡だが、日本語では「自分の呪文」となかなか雰囲気がある。

それはともかく、人間は「マイ・スペル(自分の呪文)」を持っている者と持っていない者の2種類に分けられ、いつの時代でも、持っている者が圧倒的に少ない。
そして、持っている者が創世の力を持っている。
よって、マイ・スペルを持っているべきである。
別に「マイ・マントラ」「マイ呪文」など、何と言っても構わないが。
また、呪文がいくつあっても、また、使う呪文が変わっても構わないが、最も高い力を発揮するのは、1つの呪文を長く多く使う場合で、使えば使うほど良い。
それで、どんな言葉を呪文にすれば良いかだが、悪い言葉でない限り何でも良い。
悪い言葉とは、不道徳な言葉や下品な言葉、道理に反する言葉だ。
私が知っている金持ちは、「金があるからな」とか「儲かってしゃーない」と、あまりお上品でない言葉を使うが、それでうまくいっているのだし、まあ、許容範囲だろう。
知っている人は少ないと思うが、政木和三さんは「(お金が)入って来るものは仕方がない」とか「(女が)来るものは仕方がない」と、あまり高貴とは言えない言葉も使っていたが、まあ、これも良いのである。
「神様の奇跡が起こる」とか、私がよく薦めている「お金がある」も良い。しかし、やはり、何でも良いのである。
もちろん、念仏や真言も良いし、「アジマリカン」という神呪も良い。「アジマリカン」でなく「アチマリカム」が正しいと言う人もいるが、私はどちらでも同じと思っている。

人間をもう1つの分け方をするなら、マイ・エクササイズを持っているかどうかで、これも持っていない人が圧倒的で、持っている者は仙人や妖精のような身体に近付く。
エクササイズとは身体運動のことだ。
ここでよく取り上げる、腕振り運動や佐川幸義流四股が非常に良いのは、まず、なんと言っても楽だからだ。
きつい運動は、無理にやればストレスがたまり、いずれ、身体や心を壊す。
今、『アイアンクロー』という映画がヒットしているらしいが、これは、親子で人気プロレスラーだったエリック一家の、父親と彼の息子たちのお話だ。
俗説では、父親のフリッツ・フォン・エリックは、元々は2流レスラーだったが、意外に握力が強いことに気付き、野球のボールを常に持ち歩き、それを握って握力を鍛え、それで「アイアンクロー(鉄の爪)」と呼ばれる大スターレスラーになったらしい。
模範にすべき鍛え方だ。
ちなみに、日本武道館で初めてプロレス興行が行われた時のメインイベント試合は、ジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリックだった。
アニメ『陰の実力者になりたくて』で、シド・カゲノーは、高校生であった前世から転生後まで、ハンドグリップで常に握力を鍛えている。並外れた存在となる者の心構えが出来ているところが素晴らしい。

眠りの国へ
AIアート822
「眠りの国へ」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気
(2)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)
(3)数霊のメッセージ ~内なる神とつながる生き方~(佐々木将人)
(4)陰の実力者になりたくて! ※Amazon Prime Video
(5)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~

心の支えになる言葉

人間は、心の支えが無くても生きていけるとは思うが、心の支えがない人は生きることが辛いし、何かあったら脆い。
心の支えとは、生き甲斐とか、まあ、三度の飯より好きなもの・・・といった感じだろうか?
これで思い出すのは、林悦道さんの『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』に書かれていた、海軍の船に乗っていた人の話だ。
海軍の船が敵国の魚雷を受けて沈没したら、生き延びるには木材に捕まって漂流し、運よく救助されるのを待つしかない。
しかし、ほとんどの者は、体力的な問題より、サメなどの海の恐怖で一晩もたずに死んでしまうらしい。
ところが、そんな目に何度も遭いながらしぶとく生き延びた男がいたが、彼は部類の酒好きで、「何としても陸に戻って酒を飲むんだ」と思うことで気力を保って生き抜いたそうだ。

学校では、念仏について、貧困と圧政に苦しむ庶民が、念仏を唱えれば死後に極楽浄土に行けることを心の支えにしたように教わったが、私はあまり信じなかった。死後の幸福が心の支えになるとは思えないからだ。
実際、親鸞は『現世利益和讃』という15の歌を作り、念仏があらゆる現世地益を引き寄せることを訴え、そっちの方が念仏を流行らせたのではないかと思う。
親鸞の師の法然は、もっぱら、念仏は極楽往生のためのものとして、そんな親鸞を怒ったのだが、実のところ、法然だって『選択本願念仏集』で、念仏を唱えることで、現世で仏の手厚い加護が得られると書いている。
それで、実際、念仏を唱えることで、仏の恵みのようなことが得られた話は多いのだが、これは別に、念仏に特殊な力があるのではなく、念仏を唱えることで頭の中の余計な思考を消すことで、人間が本来持っている力を発揮したに過ぎないと私は思う。
だから、唱えるのは何でも良く、大切なことはただ、数多く唱えることだけだ。

念仏なり、その他の呪文、マントラを、数多く唱えなくても、一度唱えることでビシっと心をクリアにする・・・つまり、思考を消せる人なら、一度で効果があり、私も子供の時「ナムサン(南無三)」と唱えることで、即座に無になり、いろいろな奇跡を起こしたものだが、これは素質のようなものが必要で、私も今は難しい。
それで、特に大人の場合は、何かの言葉を絶え間なく繰り返したり、あるいは、何かの動作をそこそこ真剣に延々と繰り返せば、思考が消え、引き寄せの力と言って良い、普通の人には神秘な力が発揮される。

唱える言葉は、心の支えに関連付いたものが唱え易い。
念仏が心の支えになるのは、やはり、親鸞が言うように(実は法然も言ったように)、現世の恵みがあると信じられる場合がほとんどと思う。しかし、現代では、念仏でそう思うのは難しいかもしれない。
さりとて、露骨に欲望を表現する言葉や、下品な言葉は選ばない方が良い。
心が乱れ、心が揺れ、結局、思考が消えないからだ。
人間は、意識を持ったまま思考が消えることで隠し持った力(潜在能力。潜在意識の力)を発揮するのである。
それで、「神様の奇跡が起こる」といった、精神性と願望のバランスを取った言葉が良く、馴染む人にとっては、この言葉が心の支えになり、実際に奇跡も起こり易い。
スピリチュアル界隈の有名人がよく「ありがとう」という言葉を薦める。しかし、私には「ありがとう」という言葉は抵抗が出まくりだが、それは脳科学的に自然なのだそうだ。
脳というのは、何か良いことがあった後で感謝するのであり、いきなりは感謝出来ない仕様になっているのだそうだ。
それで、志賀一雅博士は「よかった・ありがとう」呼吸を作ったのだが、まずは「よかった」と思わないとうまくいかないらしい。
尚、私も「ありがたい」なら抵抗はない。
「ありがたい」は「ありがとう」とは異なり、感謝すべきものを見つけたり、あるいは、感謝すべきことを想定し易いのである。
偉い人が勧める言葉には注意した方が良い。
あくまで、自分が唱え易い言葉を自分で選ばないといけない。
教祖的な有名人の信者がうまくいかない原因は、それをせず、「これを唱えよ」と言われた言葉を採用するからである。
私のお奨めは「お金がある」だが、まあ、自分の好きなものを選んでいただきたい。
尚、「お金がある」は、単に「ある」と言っているだけであり、別に欲深い言葉ではない。

神の愛娘
AIアート821
「神の愛娘」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル(林悦道)
(2)三帖和讃(現代語版)(親鸞)
(3)選択本願念仏集(法然)
(4)神さまの周波数とシンクロする方法(志賀一雅)
(5)いのちの教え: 黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方

お守り・呪文はこうすれば効く

覇気のない人と言えるかもしれないが、何かのお守り1つ持つだけで、あるいは、簡単な1つの呪文を唱えるだけで、不安がなく、しかもいい想いが出来るようになりたいと思う人はいるし、多くなっているようにも思う。
こんな人の現実的な対処法というか、はっきり言って矯正法みたいなものもあるが、それは今回の話題ではない。
で、上に挙げたような都合の良い話があるのかというと、ある。
お守りであれば、本当に肌身離さず身に付けているか、呪文であれば、本当に1日中、ある程度の頻度で唱えているかだけが問題である。
ちなみに、どのお守りが良いか、どの呪文が良いかは全く関係ない。
どれでも同じである。
私など、小学3~5年生の時は、自分でお守りを作っていたものであるが、霊験はあらたかであったと思う。
大人になってからも、ダビデの星のマークを描いた紙を持ち歩き、かなり威力があったと思う。
オモチャの指輪や安物のネックレスなんてものも、気に入りさえすれば大変に良いと思う。
小学生の時、あまり頭の良い子ではなかったが、お母さんにもらった指ぬき(指輪形状の裁縫道具の一種)を魔法の指輪に見立てていた子がいたが、この指輪の威力がまた神がかっていた。
『ベントフ氏の超意識の物理学入門』に書かれていたと思うが、木や岩などに人間が思念を込め続けると不思議な精神エネルギーを宿すことがあるという。お守りも、自分が良いお守りだと思えば、その思念を受けてお守りが成長するのであると思う。
しかし、特に大人の場合は、思念を向け易いという意味で、最初からそれなりのお守りの形を整えたものが良いと思う。

呪文にしたって、「アビラウンケン」(大日如来の真言)を「油売らんか」と憶えていたお婆さんのこの呪文がよく効いたという話にあるように、自分が有難い呪文だと思うことが肝心である。
まあ、呪文も、その気になり易いように、最初からまともなものを憶える方が良いとは思う。

再度言うが、あくまで、大切にすること、よく唱えることといった、ある種の真面目さ、ひたむきさが必要である。
また、お守りを持つことや、呪文を唱えることがおっくうであってはならないし、お守りであれば、いつも意識する必要はないが、時には心を向けることが大切である。
根性があるタイプの人がいて、本当に呪文を1日3千回とか、決めた数をきちんと唱える人が時々いるが、それ自体は無論、良い性質ながら、その行いにストレスを感じるようであれば効果はない。
感情を込めず、淡々と唱えるのだが、いい加減であってはならない。このあたりの感覚が難しいと言えば難しいかもしれないが、そこは自分で工夫しなければならない。
それには、単純で子供っぽい人の方がうまくいき易いかもしれない。
確かに、単純で子供っぽいことは、イエスも褒めたように、非常に優れた性質である。

陽射し
AIアート744
「陽射し」
Kay


戦争中、ある神社で「サムハラ」と読む難しい漢字で書かれたお札を出兵する人達に持たせたところ、高い確率で生還したらしい。
これも、お札に意識を向け、「これを持っていれば大丈夫」と思ってリラックスしたことが良い結果になったのだと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)ベントフ氏の超意識の物理学入門(イツァク・ベントフ)
(2)密教の聖なる呪文
(3)信念の魔術(クラウド・ブリストル)
(4)人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー・トライン)

呪文・マントラの効果の原理(決定版)

マントラ(真言、呪文)になぜ効果があるのかについて、決定版とも思えるものがある。
それは、密教を中心とした沢山の著書を持つ宗教学者、正木晃(まさき あきら。1953年~)氏の著書『密教の聖なる呪文』に書かれていることであるが、理屈で納得出来ると思う。
この本の中でも、根拠となる本が引用されているが、その本がまた大変なものだ。
それは『瑜伽師地論』(ゆがしじろん)という、大乗仏教唯識派の重要な文献とされるもので、
この書は、インドの無著(むじゃく。アサンガ)という唯識派の宗教学者が、弥勒菩薩から聞いた教えを書いたと言われるもので、あの玄奘(玄奘三蔵)が中国語に訳した100巻もの大著だ。
さすがに専門の学者でもないと読めないものだが、正木晃氏がうまく引用してくれている。

ここでは、正木氏の著書に倣い、マントラなどを呪文という言葉でまとめる。
以下は、『密教の聖なる呪文』に書かれていることを、ごく普通の言葉で言いなおしていることをお断りする。
簡単に言うと、呪文がなぜ効果があるのかというと、「呪文が無意味であることを、呪文を唱える者に認識させるから」という、とんでもないものだ。
なぜそうであるかは『瑜伽師地論』にも書かれていないので、正木氏は推測するしかないとするが、「誰でも体験出来る」こととして、呪文を繰り返し唱えていると、呪文は単なる音の羅列になって、言葉の意味が頭の中で消えてしまうという、ごく当たり前のことだ。
しかし、(『密教の聖なる呪文』に書かれていることではないが)それは呪文でなくても、どんな言葉でもそうだ。
たとえば「時計」という言葉を1万回も連続で唱えていたら、頭が麻痺して「時計」という意味は消え、「トケイ」という単なる音でしかなくなる。
ただ、これも私の考えだが、優れた呪文というのは、言葉の意味が無くなる効率が高いというだけなのだろう。
そもそも、「オン・アロリキャ・ソワカ」という呪文は、観音菩薩の真言で、インドでは「オーン、蓮華を持つ者よ、幸いあれ」という意味らしいが、我々日本人には元々意味がない。

総じて言えば、呪文になぜ効果があるのかというと、繰り返し唱えているうちに、思考が消えるから効果があるのだが、単に、呪文を唱えていれば他のことを考えることが出来ないだけでなく、徹底的に思考が消えることで「空(あるいは無と言って良いと思う)」を体感するのである。
だから、『般若心経』では、観自在菩薩(観世音菩薩)は、「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」という呪文を繰り返し唱えることで「空」を感じた、つまり、悟りを開いたと書かれているのである。
空海は求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)といって、一定期間に虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える荒行で天才になったというが、これも、100万回という回数とか、特に虚空蔵菩薩の真言に意味があるのではなく、これだけ徹底的に唱えれば、思考なんて完全に消えるというだけのことであると思う。

ただ、正木氏の論から考えれば、元々、我々には意味を感じられない古代インドの言葉(サンスクリット語)の呪文を唱えるより、南無阿弥陀仏や南無観世音菩薩、あるいは、南無妙法蓮華経といった、多少でも意味が分かる言葉の方が、言葉が音の羅列に変わるプロセスを得られるから良いのかもしれない。
あるいは、そうではなく、最初から意味のない言葉の方が、早く思考が消えるかもしれない。
これは、各自で試してみるしかない。
ただ、いろいろ聞くところから考えると、まずは意味がある言葉で唱えて、悟りのレベルを含め、引き寄せがうまくいったという話が多いように思う。
悟りでは、南無阿弥陀仏を唱えて万物一体を体験した普通の人の話は多いし、アファーメーション(これも一種の呪文)で引き寄せを行った例は沢山ある。
たとえば、「神様の奇跡が起こる」「お金がある」「ありがたい」「しあわせだ」といった言葉を唱えて引き寄せが起こったことも、これで納得出来る。
我々であれば、日本の神様の名前、たとえば、アマテラスオホミカミやアメノミナカヌシノカミ、あるいは、大祓詞(おおはらえのことば)では長過ぎるので、短い祝詞を唱えるという手もある。
たとえば「いろは祝詞」や、もっとも簡単に「祓いたまえ 清めたまえ」とかである。
「トホカミエミタメ」であれば「遠い昔からおられる神々よ、微笑みたまえ」という意味が感じられる。
とはいえ、何でも良い。
呪文、マントラの原理が分かった気がする。

重厚な屋敷
AIアート689
「重厚な屋敷」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)密教の聖なる呪文(正木晃)
(2)よくわかる祝詞読本 (角川ソフィア文庫)
(3)歎異抄(梅原猛。講談社学術文庫)
(4)選択本願念仏集(法然。角川ソフィア文庫)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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