ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

吉永小百合

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人はみんな華になれ

醜い人間が多いし、醜い人間ほど目立つ振る舞いをする。
道のど真ん中で立ち止まってスマホをじっと見ているオバサンをよく見るが、ほぼ100%、絶対見たくないほど醜く、肥満している場合が多い。
新幹線の自由席一列を占領して寝ている男性のニュースがあったが、断言する。その男性、恐ろしく醜く、また、肥満していた可能性が高いだろう。
本当に、醜い人間が増えた。
そして、醜い人間ほど、見たくないのに、見ざるを得ないところにいる。

顔の美醜は生まれつきで、美しい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし、顔が悪いことそのものが、醜いと感じさせることはないのではと思う。少なくとも、私はそう思う。
特に、歳を取った人間に関してはそうだ。
生き様というものが美醜に現れるのではないかと思う。
若い間は、オスメスの部分があるので、それなりの美しさは与えられるが、それでも、若いのに、生まれつきの美醜と関わり無い醜さを持ってしまっている者が多い。

芸術家が、老いた美を描いたつもりの老人の絵がよくあるが、はっきり言って醜いものが多い。
「それはお前が芸術を見る目がないからだ」と言われそうだし、それはそうかもしれないが、その絵の老人も、もっと美しくいられるはずなのだ。
アラン・ドロンと言えば、若い頃は世界的なイケメンで有名だったが、最近、テレビで80歳を過ぎた彼を見たが、なかなか格好良く、美しかった。
歳を取っても、普通の人よりは節制し、自分を甘やかしていない部分があるのだと思う。
しかし、もう少し痩せていれば、そして、もう少し魂に安らぎがあれば、もっともっと美しいに違いないと思うのだ。

後藤久美子さんと言えば、10代前半で国民的美少女と呼ばれ、大きな壁いっぱいに引き伸ばされた顔写真があったが、それが全く絵になるのだから凄かった。
昔、ビートたけしさんがテレビで、40代の吉永小百合さんを美しいと称賛する人達に、当時13歳の後藤久美子さんを引き合いに出して、「後藤久美子と吉永小百合、どっち取るかと言われたら、絶対後藤久美子だろ?」と言っていたのを聞き、「いくら毒舌家として通ってても、こんなに露骨に真実を言うもんじゃない」と思ったものだった。
ところが、今74歳の吉永小百合さんが、ももクロと一緒にライブステージで踊って歌っている映像を見たが、本当、吉永さんとももクロの区別がつかなかった。
吉永さんは60歳位で、当時44歳位の男盛りの渡辺謙さんと夫婦役で映画に出た時も、全く違和感がなかった。
吉永さんも、若い頃は、彼女とオーディションで一緒になった、美女で通っていた女優ですら、吉永さんの「絵から抜け出してきたような美しさ」に、「あんな人と競って勝てる訳ないじゃない」と、オーディションを諦めたというエピソードがあるが、生まれつきの美人も、40を超えれば普通の人である。
「男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」などと言うらしいが、それは女性も同じだ。
吉永さんの場合、日々、かなりの節制と鍛錬を怠っていないことは間違いないと思う。

俳優なら、ショーン・コネリーは、ジェームズ・ボンドをやってた頃より、歳を取って禿げてからの方が圧倒的に良いと思う。
一方、ボンド役としてコネリーと双璧を成し、生まれつきの容姿はずっと恵まれていたロジャー・ムーアは、歳を取るとただのおじいさんになってしまったように思う。
まあ、ここらへんは主観でもあるが、そう外れた感覚でもないと思う。
また、私が、世界一格好良い男と思っていたジュリアーノ・ジェンマも、ある時期までは良かったが、老人になってからは、元が良かっただけにがっかりさせられたものだ。

人間、油断をすると、若くても醜くなるが、怠らないでると、いくつになっても美しいのだと思う。
黛ジュンさんの『男はみんな華になれ』という歌に、「男はみんな華になれ、あなたの後姿に私は祈る」という歌詞があるが、私は全ての男女に対してそう思う。
人間は、美しくなければならない。
まずは、少しは節制することだ。
だが、そんなに厳しくする必要はない。
私はよく言うが、「満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ良い」のである。
それで太ることはないし、少し食を慎み、よく動けば、初音ミクさんのような身体でいられる。
初音ミクさんっていうのは、決して特別ではなく、16歳の普通の美しさを表現していて、彼女が筋トレしたり、エステに通っているのを想像し難いのである。
まあ、年齢より少々若過ぎるように見えるのが得している部分もあるとは思うが(笑)。

また、欲深だと、歳を取るごとに、顔が醜くなる。
優越感を持つ、人を蔑む、人や会社に頼るというかおぶさる・・・そんなのも欲深なところから来ているのだと思う。
美しくなるのにはお金は絶対に1円もかからないし、特別なことをする必要も全くないが、我の強い人間ほど難しいことのようである。








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真の美容法

ニュース番組で、74歳の吉永小百合さんが、ももいろクローバーZとステージに立って踊っているのを見たが、私は、ほとんど、吉永さんとももクロの区別がつかなかった。
確かに、吉永さんは節制と鍛錬を欠かさないことはよく知られていて、40代や50代の頃は、まさに「若い人に負けていなかった」。
昔、ビートたけしさんが、当時、大人気だった13歳の「国民的美少女」後藤久美子さんと、当時41歳の吉永小百合さんを比べ、「どっちがいいって言われたら、皆、本音では後藤久美子だろ?」と言ったことがあったが(たけしさんも毒舌盛りだったが)、それは、ごく間近で接する場合のことで、ももクロのステージのような1万人を超えるような会場で、遠くから見れば、ほとんど変わらない。
ただ、身体つきがすらりとしている方がきれいに見えるのである。
次のことからも、そう感じるのである。

先日の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」も1万人規模のライブなのだが、先頭の数曲は、過去のマジカルミライのミクさんと顔が違っていることに私もずっと気付かなかった。より人間の美人に近い顔なのだが、可愛い系のミクさんの顔が好きな人では、少し好みでないかもしれない。しかし、大きな会場では、分からないのである。
また、『ルカルカナイトフィーバー』での、巡音ルカさんは、「ミクパ(ミクライブパーティー)モデル」で、特に顔は人によって好みが別れるが、私はあまり好きではない。しかし、やはり、ライブでは、ほぼ、マジカルミライでの普通のモデルと区別は付かない。
「スタイルが全て」である。

そして、現実の人間も、実は同じである。
しかし、最近は、男も女も、肥満が本当に多くなった。
若い女性の場合に特に感じるのだが、肥満とは言えないとしても、余分な肉が付いていて、本来の美しさでは全くない人がとても多い。
「後ろから見たら、すらりとした若い女性だと思ったが、前から見るとおばあさんで驚いた」という話もあるが、顔は精神性が現れるのである。
40代以上でありながら、20代に見える美人を「美魔女」とか言うらしいが、人間、40も過ぎると、精神性を伴わないと、いくら肌ケアしたところで、特に顔は美しく感じないのだが、逆に、精神性が高いと、特に何もしなくても、魅力的に見えるのである。

つまり、最高の美容は、食の節制と運動、そして、精神性である。
食の節制は、別に、極端に小食である必要はないし、むしろ、「きれいになって良い思いをしたい」という欲望で無理に小食にしたら、かえって醜くなる。
おそらく、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」程度で十分だし、お菓子なんかも、決まった時間に決まっただけ適度に食べるのであれば、太ることはない。
運動も、特別なことをしなくても、車にばかり乗らず、よく歩けば十分だろう。
そして、掃除、洗濯以上に良い運動になるものは、そうはない。
精神性に関しては、とりたてて道徳的なことを言わなくても、ごく普通に、人間らしくあれば良いのであるが、現代の人々は、ほぼ「悪魔らしく」なってしまった。
美容に励む必要は、ほとんどなく、お金は1円もかけなくても、若く美しくあることは、難しいことではないに違いない。
適度な節制、鍛錬、そして、精神性が全てである。
特に、若い子であれば、『天空の城ラピュタ』のシータのように、「はい」と返事する人であれば良いし、『ラーマーヤナ』のシータのように、本当の意味で気高くあれば良いのだと思う。









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神聖なる芸能人

今、人気絶頂で、花よ蝶よ、天使か妖精とちやほやされるアイドルも、わずか十数年もしないうちに、ただのオバサンである。
仮に芸能界に残れたとしても、かつての元お姫様アイドルだった人達が今そうであるように、お笑いタレントとして三枚目になり切るしかない。
私は、そんな元アイドルの人達は、本人達は本当は屈辱的に感じていて、かなり辛いものだと思う。
しかし、それでも、しんどい労働で安い給料のパート勤めをするよりは、馬鹿になりきってそれなりの収入を得る方が良いと判断したのだろう。
世の中、辛いものである。
だが、私の知る限りでは、際立った例外は2人いるように思う。
吉永小百合さんと原田知世さんだ。
彼女達は、年を取るほどに、神聖視されるようなところがあり、笑い者役になることは、まず考えられない。
1つには、彼女達が、常に努力して能力を磨き続けているということがあるのだが、彼女達には、個人的な話題があまりないということに注意しても良いだろう。つまり、憧れの対象たる人気芸能人の割に、色恋にまつわる話が、なかったこともないのだろうが、すぐに消えてしまうのは、やはりそんな雰囲気がないからだし、他の個人的な物事・・・例えば、所有物や趣味の話題も、本人達が関与しないので、ほとんど成り立たない。本人達が意図的に関与しないというよりは、持ち物や趣味は、あくまで個人的なつまらないものであると、きちんと心得ているのだ。
彼女達には、個人というものがあまりない・・・言い換えれば、自分をそれほど重要視していないのだ。
このニュアンス(微妙な意味合い)は、ちょっと難しいかもしれないが、重要である。
一方、笑われながら芸能界で生き残る人達は、個人や個人生活を前面に押し出しているし、そうでないと仕事にならない。その個人を叩かれることを商売にしているのだ。しかし。自分を重要視している。だが、それは辛いことになる。

つまり、原理は割と簡単なのだ。
吉永さんや原田さんは、自分で最初に自己否定しているので、他者が叩くべき個人はおらず、悠然と力を発揮する。
一方、笑われて稼いでいる人達は、自分で最初に自己否定しないので、後で他者に叩かれ、それに耐えることでやっているのである。
また、自己否定もしなければ、叩かれることに耐えない人は、普通の人になっているが、どちらかというと惨めな人が多いのである。

そして、こういったことは、別に芸能人でなくても、どこでも同じことで、我々だって同じ原理に支配される。
自己否定しなければ、他者から叩かれる。それに耐えれば、ある程度の立場を得るが、辛い面が多い。
しかし、もし、最初から自分で自己否定できれば、まるで自然が味方するように、流れに乗って、何でもうまくいく。
そして、自己否定もせず、叩かれることからも逃げれば、行き着く先は地獄である。
これを努々(ゆめゆめ。決してという意味)忘れてはならない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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