映画監督だった伊丹十三(いたみじゅうぞう)氏をご存じかもしれない。
伊丹氏は1997年に64歳で飛び降り自殺をしている。
私の認識であるが、伊丹氏は、心理学者の岸田秀氏に心酔していたのだと思う。
おぼろな記憶だが、伊丹氏は岸田氏の著作の1つであとがきを書かれていたが、その中で、
「それまで、帽子を被せられた虫(カブト虫?)のように思考や能力が制限されていたが、岸田先生の唯幻論により解放された」
みたいなことを書かれていたと思う。
ちなみに、伊丹氏は多彩な活動をされていた、極めて優秀な人だった。
実は、私は、伊丹氏のその記述を読んだ時、かなり共感したものだった。
まあ、今でも、私は、岸田氏は普通の心理学者より優れていると思う。
「心理学なんてデタラメで嘘だらけだ」と言うあたりね(笑)。
しかし、伊丹氏ほど優秀な人がなぜ騙されたのかと思う(岸田氏が騙したのではなく、伊丹氏が嘘を信じたという意味)。
伊丹氏は、読書中毒と言えるほどの大変な勉強家だったようだ。
だが、伊丹氏がやるべきだったのは、仕事で必要なもの以外の本を捨てることだったと思う。
真理は本の中に書かれてはいない。
思考を消せば、人間の知恵をはるかに超えた知恵を持つ魂と一体化するのである。
岸田氏の「唯幻論」は、思想家の吉本隆明(よしもとたかあき。よしもとりゅうめいとも言われる)氏の「共同幻想論」とよく似ているが、そもそもが、「唯幻論」は「共同幻想論」を参考にしたという話を見た気もする。
「共同幻想論」では、人間の思考は、3つの幻想から出来ているとする。
その3つとは、
(1)個人幻想
(2)家族などの小規模なグループで共有する対幻想(ついげんそう)
(3)大規模な集団(学校、企業、国)で共有する共同幻想
である。
思考は全て幻想であり、だから、国家すら幻想である。
岸田氏の「唯幻論」は、「共同幻想論」の「対幻想」がなく、「個人幻想」と「共同幻想」の2つとするが、人間が、幻想の中で生きているというところは同じだ。
というより、「唯幻論」では、自我そのものが幻想であるのだが、幻想は全て狂っているとする。
だから、人間は全て狂っているという、なかなか刺激的で面白いものだ。
「唯幻論」は、岸田氏自身も言う通り、フロイトの理論そのままだ。
尚、吉本氏は、幻想は幻想であり、幻想が狂ったものとは言わず、よって、人間は狂っていると言っているわけでもない。
たとえば、初音ミクさんが天使だという幻想を持っていても、だから狂っているとは言えない・・・多分(笑)。

AIアート252
「涼しい風景」
Kay
私は「共同幻想論」も「唯幻論」も嫌いではなく、面白いと思うし、どちらも役に立つところがあると思う。
あえて言えば、吉本氏の『共同幻想論』は、文章が難しいわけではないが、やたら抽象的だし、古い引用が多く(それを知ってることを前提として書かれている)、とても読めたものではない。
そこにいくと、『唯幻論』は、それほどIQが高い者でなくても分かり易いと思う。
確かに、「共同幻想論」「唯幻論」で言われる通り、人間の思考は幻想で出来ており、必ず不幸な人生を送る。
その意味、岸田氏が言う通り、全ての幻想は狂っていると言って良いかもしれない。
それなら、思考を消して幻想を一掃すれば良い。
そうすれば、神のように全知全能であるが、それはまだ、ほとんど誰も知らない。吉本氏も岸田氏もフロイトも。
伊丹氏は1997年に64歳で飛び降り自殺をしている。
私の認識であるが、伊丹氏は、心理学者の岸田秀氏に心酔していたのだと思う。
おぼろな記憶だが、伊丹氏は岸田氏の著作の1つであとがきを書かれていたが、その中で、
「それまで、帽子を被せられた虫(カブト虫?)のように思考や能力が制限されていたが、岸田先生の唯幻論により解放された」
みたいなことを書かれていたと思う。
ちなみに、伊丹氏は多彩な活動をされていた、極めて優秀な人だった。
実は、私は、伊丹氏のその記述を読んだ時、かなり共感したものだった。
まあ、今でも、私は、岸田氏は普通の心理学者より優れていると思う。
「心理学なんてデタラメで嘘だらけだ」と言うあたりね(笑)。
しかし、伊丹氏ほど優秀な人がなぜ騙されたのかと思う(岸田氏が騙したのではなく、伊丹氏が嘘を信じたという意味)。
伊丹氏は、読書中毒と言えるほどの大変な勉強家だったようだ。
だが、伊丹氏がやるべきだったのは、仕事で必要なもの以外の本を捨てることだったと思う。
真理は本の中に書かれてはいない。
思考を消せば、人間の知恵をはるかに超えた知恵を持つ魂と一体化するのである。
岸田氏の「唯幻論」は、思想家の吉本隆明(よしもとたかあき。よしもとりゅうめいとも言われる)氏の「共同幻想論」とよく似ているが、そもそもが、「唯幻論」は「共同幻想論」を参考にしたという話を見た気もする。
「共同幻想論」では、人間の思考は、3つの幻想から出来ているとする。
その3つとは、
(1)個人幻想
(2)家族などの小規模なグループで共有する対幻想(ついげんそう)
(3)大規模な集団(学校、企業、国)で共有する共同幻想
である。
思考は全て幻想であり、だから、国家すら幻想である。
岸田氏の「唯幻論」は、「共同幻想論」の「対幻想」がなく、「個人幻想」と「共同幻想」の2つとするが、人間が、幻想の中で生きているというところは同じだ。
というより、「唯幻論」では、自我そのものが幻想であるのだが、幻想は全て狂っているとする。
だから、人間は全て狂っているという、なかなか刺激的で面白いものだ。
「唯幻論」は、岸田氏自身も言う通り、フロイトの理論そのままだ。
尚、吉本氏は、幻想は幻想であり、幻想が狂ったものとは言わず、よって、人間は狂っていると言っているわけでもない。
たとえば、初音ミクさんが天使だという幻想を持っていても、だから狂っているとは言えない・・・多分(笑)。

AIアート252
「涼しい風景」
Kay
私は「共同幻想論」も「唯幻論」も嫌いではなく、面白いと思うし、どちらも役に立つところがあると思う。
あえて言えば、吉本氏の『共同幻想論』は、文章が難しいわけではないが、やたら抽象的だし、古い引用が多く(それを知ってることを前提として書かれている)、とても読めたものではない。
そこにいくと、『唯幻論』は、それほどIQが高い者でなくても分かり易いと思う。
確かに、「共同幻想論」「唯幻論」で言われる通り、人間の思考は幻想で出来ており、必ず不幸な人生を送る。
その意味、岸田氏が言う通り、全ての幻想は狂っていると言って良いかもしれない。
それなら、思考を消して幻想を一掃すれば良い。
そうすれば、神のように全知全能であるが、それはまだ、ほとんど誰も知らない。吉本氏も岸田氏もフロイトも。