うまくいっていないと感じている時やピンチだと思っている時は、必ず呼吸が乱れている。
呼吸が乱れるとは、呼吸が速くなっているということである。
一方、呼吸が整うとは、呼吸がゆっくりしていることである。
このように、我々は、呼吸について、「整っている」「乱れている」といった、曖昧でいい加減な表現を使うが、「ゆっくり」「速い」といった明晰で正確な表現をすべきだ。
そして、呼吸が「ゆっくり」なまま・・・俗に「整った」まま、うまくいっていないとかピンチを感じることは出来ない。
そんな時(呼吸がゆっくりしている時)は、ただ1つの状況があるだけで、うまくいっていないわけでもピンチでもない。
逆に、呼吸が速ければ、どんな場合もうまくいっておらずピンチなのである。
それなら、常に呼吸をゆっくりにすべきである。
コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』の中で、右脳の優秀さを指摘し、右脳の力が発揮されれば難しい問題も解決出来るという正しいことを示唆したが、その方法論は曖昧で稚拙だった。
彼は、右脳を働かせるには、左脳のスピードを落とせば良いと言った。
しかし、左脳のスピードを落とすって、いったい何なんだい(笑)。
そうではなく、呼吸のスピードを落とすと言わなければならない。
呼吸のスピードを落とすと思考が消えていくのである。
十分に呼吸のスピードが遅いと、思考はほとんど消える。
こんな簡単なことを、ウィルソンはひどく難しく言うのであるが、彼に悪意はなく、単に気付かなかったのである。
そういえば、どうすれば引き寄せが出来るのかについて、何十冊、何百冊、何千冊もの本が書かれ、今も書かれ、今後も書き続けられるが、必要なことはゆっくり呼吸をするだけである。1ページもいらない。
よって、我々は、常日頃、ゆっくり呼吸をすることを心がけ、時間があればゆっくり呼吸をする練習をすれば良いと思う。
ただ、こう言うと、深い呼吸をすることと思い違いをする者が大半で、大袈裟な深呼吸をしたがる。
不自然に息を大量に吸う必要はないし、不自然に苦しそうに息を吐き出す必要もない。
単にゆっくり呼吸をすれば良いのである。
私は、そこらを誤解し難いように「微かな呼吸」という表現を好むのである。

AIアート205
「根のない花」
Kay
ラマナ・マハルシは思考と呼吸が同じであることは指摘していた。
だが、思考を消す方法としては、思考の主体である「私」を追い詰め消滅jさせる「私は誰か?」という自分への問いを重視した。
その一方、呼吸の制御は一時的として軽視した。
マハルシすら誤解や偏見があったのは面白い。彼だって万能ではない。
おそらく、彼は、悪い呼吸制御の方法を見て、そんなこと(呼吸制御を軽視すること)を考えるようになったのだと思う。
だが、シンプルに呼吸のスピードを下げる・・・つまり、ゆっくりした呼吸をすることの欠点はなく、むしろ、「私は誰か?」と問い続ける方が難しい人が多いと思う。
だから、微かな呼吸をするか、「私は誰か?」と自分に問うか、自分に合った方でやれば良い。
だが、以上のことが分かれば、コリン・ウィルソンやラマナ・マハルシらの本は役に立つし、優れた引き寄せの本もそうである。
彼らはやはり偉大なのである。
呼吸が乱れるとは、呼吸が速くなっているということである。
一方、呼吸が整うとは、呼吸がゆっくりしていることである。
このように、我々は、呼吸について、「整っている」「乱れている」といった、曖昧でいい加減な表現を使うが、「ゆっくり」「速い」といった明晰で正確な表現をすべきだ。
そして、呼吸が「ゆっくり」なまま・・・俗に「整った」まま、うまくいっていないとかピンチを感じることは出来ない。
そんな時(呼吸がゆっくりしている時)は、ただ1つの状況があるだけで、うまくいっていないわけでもピンチでもない。
逆に、呼吸が速ければ、どんな場合もうまくいっておらずピンチなのである。
それなら、常に呼吸をゆっくりにすべきである。
コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』の中で、右脳の優秀さを指摘し、右脳の力が発揮されれば難しい問題も解決出来るという正しいことを示唆したが、その方法論は曖昧で稚拙だった。
彼は、右脳を働かせるには、左脳のスピードを落とせば良いと言った。
しかし、左脳のスピードを落とすって、いったい何なんだい(笑)。
そうではなく、呼吸のスピードを落とすと言わなければならない。
呼吸のスピードを落とすと思考が消えていくのである。
十分に呼吸のスピードが遅いと、思考はほとんど消える。
こんな簡単なことを、ウィルソンはひどく難しく言うのであるが、彼に悪意はなく、単に気付かなかったのである。
そういえば、どうすれば引き寄せが出来るのかについて、何十冊、何百冊、何千冊もの本が書かれ、今も書かれ、今後も書き続けられるが、必要なことはゆっくり呼吸をするだけである。1ページもいらない。
よって、我々は、常日頃、ゆっくり呼吸をすることを心がけ、時間があればゆっくり呼吸をする練習をすれば良いと思う。
ただ、こう言うと、深い呼吸をすることと思い違いをする者が大半で、大袈裟な深呼吸をしたがる。
不自然に息を大量に吸う必要はないし、不自然に苦しそうに息を吐き出す必要もない。
単にゆっくり呼吸をすれば良いのである。
私は、そこらを誤解し難いように「微かな呼吸」という表現を好むのである。

AIアート205
「根のない花」
Kay
ラマナ・マハルシは思考と呼吸が同じであることは指摘していた。
だが、思考を消す方法としては、思考の主体である「私」を追い詰め消滅jさせる「私は誰か?」という自分への問いを重視した。
その一方、呼吸の制御は一時的として軽視した。
マハルシすら誤解や偏見があったのは面白い。彼だって万能ではない。
おそらく、彼は、悪い呼吸制御の方法を見て、そんなこと(呼吸制御を軽視すること)を考えるようになったのだと思う。
だが、シンプルに呼吸のスピードを下げる・・・つまり、ゆっくりした呼吸をすることの欠点はなく、むしろ、「私は誰か?」と問い続ける方が難しい人が多いと思う。
だから、微かな呼吸をするか、「私は誰か?」と自分に問うか、自分に合った方でやれば良い。
だが、以上のことが分かれば、コリン・ウィルソンやラマナ・マハルシらの本は役に立つし、優れた引き寄せの本もそうである。
彼らはやはり偉大なのである。

