ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

古事記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『古事記』によるIQテスト

細かいことは憶えていないが、現在の上皇后陛下であらせられる美智子様が皇后陛下であられた時のことと思うが、国際的なイベントで、『古事記』の一部を語っておられたスピーチが大変に評判で、著名な人々にも、このスピーチを取り上げていることがよくある。
美智子様が引用されたのは『古事記』の次のような部分だ。

ヤマトタケルが天皇の命令で、西方の朝廷に反逆する多くの国を平定し、都に帰ったが、旅の疲れも癒えないうちに天皇は、次は、東方の朝廷に従わない国々の平定をヤマトタケルに命じた。
それで、ヤマトタケルは東方の多くの国を苦難に打ち勝ちながら征伐したが、浦賀海峡で海神が荒波を起こし、ヤマトタケルらが乗った船が翻弄され危機的な状況に陥る。
その時、ヤマトタケルの妻であるオトタチバナヒメはヤマトタケルに、自分が海に入って海神をなだめるので、あなたは立派に仕事を果たして都に戻り天皇に良い成果報告をするよう言い残し、入水した。

当時、美智子様は民間人である小学5年生の少女で、父親に子供用の『古事記』を与えられて読んだのだったが、このお話に大変に感動されたようだった。
当時、戦時中であり、美智子様は疎開されていたのかもしれない。
書物が貴重であった頃と思う。

美智子様のスピーチを表面的に見ると、なかなか美智子様の真意は伝わらないと思う。
当時の美智子様と同じ年ごろの子供が、『古事記』のこのお話を読んでも、美智子様のようには感じることは滅多にないであろう。
それどころか、大人でも、多くの人はこれを読んでも、さほどの感銘を受けず、子供でも大人でも、人によっては笑う者もいると思う。
10歳くらいの少女で、そこまで感動したのは、美智子様が強い想像力をお持ちだったことや、そもそも、IQが相当高いのだと思う。
というのは、そのお話の、そこまでの経緯や状況、そして、ヤマトタケルの苦しい心情を想像・理解し、共感する能力がなければ、そこまで感動しないはずだからである。
偉い先生の中には、ただ美智子様がオトタチバナヒメの犠牲精神に感動したというように言う人もいるが、それは、その先生のIQや想像力が低いことを示しているのだと思う。

レム睡眠
AIアート225
「レム睡眠」
Kay


IQにも、いろんな捉え方があると思うが、私は、単にパズルのような問題を解く能力ではなく、想像力を含めたものであると思う。
ある国際ITコンサルタントが、「SE・プログラマーの能力はIQだけです。高いIQによる想像力も必要です」と言われていたが、全くその通りと思う。

『古事記』の上記のお話を読んで、どう感銘を受けるかも良いIQテストである。
そして、私が普段言う、思考を消すことによってIQを高めることが重要であると思う。








引き寄せなど忘れろ

引き寄せなんて、本も動画も沢山あるが、それは、どの本も動画も役に立たないという意味である。
つまり、古典を1冊か2冊見れば十分である。
そして、引き寄せをやめることが肝心だ。
どういうことかというと、目的は引き寄せることなのに、引き寄せメソッド(手法)をすることが目的になってしまっている。
本当は、引き寄せを行うのに、何も知る必要はない。
幼い子供でも即座に出来る。
私が小さい時に、あり得ない引き寄せを行ったことは、以前、何度も述べたが、もちろん、引き寄せの方法など、何も知らなかった。
むしろ、下手に引き寄せの知識を持つほど、引き寄せは出来なくなる。

現代人の欠点は、学校のせいであるが、問題の答を誰かが知っていると思い込んでおり、その答を教えてもらおうと思うことだ。
たとえば、日本の少子化を止めるにはどうすれば良いか、答があると思っている人が多いだろう。
ChatGPTに聞けば、立派な答を教えてくれる。
もちろん、それで解決するなら政治家はいらない(確かに不要な政治家だらけかもしれないが、それは置いておこう)。
答など、どこにもない。
誰かが、子供1人あたり1千万円支給すれば良いと言っていたが、実現する可能性のない案に意味はない。

片田舎
AIアート86
「片田舎」
Kay


子供なんて増やす必要はない。
人口が増えないと国が衰退するなんて信じてはいけない。
結婚したくないなら、しなくて良い。
結婚しても、子供を作りたくなければ作らなくて良い。
同性で結婚したいなら、私には全く理解出来ないが、勝手にすれば良い。

こう思っていれば、結果的には人口が増えるのかもしれないが、肝心の国の発展が実現するのである。
だいたい、こんな政治家がのさばっている国で子供を増やしても、子供が不幸になるだけじゃないか?
しかし、国が発展し、子供が幸せになれるなら、今の政治家は自然にいなくなり、国は変わるのである。

お金を引き寄せたい人も、何のためにお金がいるのか分かっていない場合が多く、大抵は、将来への不安をなくすためとかなのである。
それなら、将来の不安などないと分かれば、自然にお金も出来る。
本当に必要なお金であれば、お金を引き寄せようと思わなくてても、やっぱり勝手にお金が集まるのである。

いろいろ言い過ぎた。
こんなこと言うから混乱するのだった(笑)。

『古事記』で、イザナギとイザナミが、天沼矛(あめのぬぼこ)という矛(ほこ。槍に似た武器)を海に突っ込んで陸を作ったが、別に、イザナギとイザナミは、そうやったら陸が出来ると教わったことなどなかった。
「なぜか分からないが知っていた」のである。
これと同じだ。
あなたは、この世で何でも、ただ今から全て出来る。
この自信を持てば良いだけだ。
「どうすればその自信が持てるか?」などと言うなら、もうアウトである。
夢の中でお城を魔法で建てる時、「どうやって魔法を使おうか?」などと考えたりはしない。
もし考えるなら、出来ないのである。
考えなければ、出来ると分かる。
つまり、考えないことだ。
どうしても考えてしまうなら、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うことである。








神話の真実は酷いものだった

最近は、このブログでずっと、ローレンス・R・スペンサーの『エイリアンインタビュー』について語っているが、この宇宙人エアルに対するインタビューの内容は、私は事実だと思うが、万一、作り話だとしても、我々が本来持っている力を回復させ、人類の危機的状況を救うために、あまりに「使える」ストーリーを提供してくれている。
これまで疑問に思っていたことへの合理的な解答を得られ、聖典や賢者の教えに統一性をもたらす。

今回は、ちょっと変わった神の話をしようと思う。
神と言えば、キリスト教やイスラム教(いずれも起源は旧約聖書だが)のような、神は1人であるとする一神教と、ヒンズー教、ギリシャ・ローマ神話、北欧神話、神道のように沢山の神々がいるとする多神教がある。
この中で、我々にも比較的馴染みのあるギリシャ神話や神道の神について、疑問を持っている方は多いと思う。
神道の神については、古事記や日本書紀に記述がある。
これらの神々は、良い言い方をすれば「人間味があって親しみ易い」と言えるかもしれないが、神に人間味があってどうなるものでもないし、その人間味の多くは非人格的という意味である。
ギリシャ神話では、神々の王ゼウスが率先して、女神だけでなく、美しい人間の娘を見て欲情しては手を出し子供を作る。
女神の中には、ゼウスの相手になるのが嫌で自分の美しい身体を島に変えて元に戻らなかったり、泣く泣く相手をした女神もいる。
ゼウスの息子のアポローンは、美しい精霊のシュリンクスを無理矢理犯そうとし、シュリンクスは絶対嫌なのだが、アポローンのような偉い神には逆らえない。そこでシュリンクスは父親に願い、葦に姿を変えてしまった。
力のある神々は、人間に対し(下位の神や精霊に対してもだが)、やりたい放題であるが、神のやることに人間が異義を唱えるのは身の程知らずとされるなど、なんともディストピア(暗黒郷)的なお話である。
古事記の神々は、比較的、ギリシャ神話の神々のような奔放さはなく、人間を慈しみ、身を慎む場合が多いが、そうとも言えない神も多い。
『エイリアンインタビュー』によれば、神々は宇宙人である。無論、ギリシャ神話や古事記、あるいは、旧約聖書では、脚色され、物語化されているが、神話と似たことが行われてきた。
地球にやってきた宇宙人の中の良からぬグループは、やはり美しい人間の娘に手を出しまくっていたことは聖書にも書かれている。
聖書では神そのものは1人であるが、神の子とされる特別な人間や権威ある神官なども、そんな宇宙人である。
元々、人間の身体も宇宙人の身体もテクノロジーによって作られた同じ(少なくとも似た)もので、宇宙人が人間に好意を感じても不思議はないし、子供を作ることも出来る(というか出来てしまう)。
尚、『エイリアンインタビュー』の宇宙人エアルは、調査目的に限定して作られたボディー(いわゆるグレイタイプ)を持ち、人間にあまり似ていない。エアルは、いつでも、そのボディーから離れることが出来るが、それは死を意味するわけではない。

厳重に隠蔽されてすら、宗教教団の偉い神職の者達の性的な良からぬ話は昔から少なくないのは、これら宇宙人の行いに倣っているようにも感じるのである。
しかも、連中は滅多なことでは罪に問われなかったし、現在でも正当化される風潮があるだろう。
少なくとも美しい女性は宗教には関わらないことである・・・と私は思う(笑)。
間違えても美少女には、宗教団体の門を絶対にくぐらせてはならない・・・と私は強く思う。

神話のお話は、人間は弱く惨めな存在であり、神のやることに異議を唱えてはならず、いいなりになるべきという根性を叩き込まれたことを意味している。
しかし、本当は、我々は神(のようなもの)である。
宇宙人は、人間にそれを思い出させないよう、テクノロジーを駆使しているので、我々は自分が神であることを自覚することは難しい。
しかし、宇宙人の人間を無力化するテクノロジーを回避し、力を取り戻した人間はいる。
宇宙人の手段は、人間の記憶の消去と偽の記憶の植え込みで、それは、肉体の死と共に行われる。それは、装置によって自動的になされる。
だが、記憶を取り戻した人達がいたし、今もいる。
記憶を取り戻せば力も戻る。
我々の中には、エアルのグループの善い宇宙人の魂を持った者もいる。善い宇宙人にも、悪い宇宙人によって記憶を消され、我々の中で転生を繰り返している魂もいる。
引き寄せの力が強い者、直観や予知能力に優れた者、優れた発明家や芸術家や哲学者は、神の記憶を部分的に取り戻した者であり、それには、地球人やエアルの仲間の宇宙人もいる。

そんなわけで、いつも述べる通り、我々は消された記憶を取り戻し、神の力を回復させなければならない。
しかし、悪い宇宙人はそれを恐れており、妨害があることも考えられ、実際、妨害されているに違いない。
現在の世界情勢も、それを現わしているように思う。








日本の伝統儀式の本質は「今今メソッド」である

日本古来からあるスポーツ(と言うのは適切ではないかもしれないが)で、よく知られているのは相撲くらいだが、プロフェッショナル相撲である大相撲は、試合だけではなく、様々な儀式や作法がある。
今や、それらの儀式や作法が何のために行われるのか知らない人がほとんどだろう。

華道、茶道にも様々な儀式や作法があり、特に茶道は、茶を飲むことそのものより、儀式や作法の方が重要と言える。
武家社会においても、茶道にどれだけ通じていて、どれだけ見事に儀式を行え、どれほど作法が見事であるかで武士の出世が大きく左右されるほど、茶道は重要視され、茶道の極意、秘伝、秘法が武士の名家に伝えられていたことが、たとえば、1986年の邦画『鑓の権三』(やりのごんざ)を見ると分かる。
だが、今の日本人が、茶の湯で茶を立てるのを見ても、やたらまどろっこしいことをやっているようにしか見えないところは、外国人観光客と似たようなもものである。むしろ、ごく新鮮な目で見る外国人の方が、茶道の美しさを感じるかもしれない。

だが、今や、相撲や弓道、そして、茶道、華道の儀式や作法が何のために行われているかは、その道にかなり関わっている者や、ひょっとしたら、師範的な人でさえ、分かっているのかどうか疑問である。
これらの儀式や作法は、神道的なものであることは想像が出来るが、その中でも「中今」に在ることも目指しているものだと私は確信する。
中今とは、辞書によれば抽象的な説明も書かれているが、単に「今、この一瞬」のことである。
中今こそ神の世界であり、武道や茶道などを通じ、神の世界に触れることが目的だが、目的を露骨に表に出すことはせず、あくまで、さげなく行うところが和の精神である。
今、「神の世界に触れる」と書いたが、これも真摯な表現を重んじる伝統に則ったもので、言って見れば「神と交流する」さらには「神になる」ということである。
では、神とは何かと言うと、『古事記』に登場する男神や女神ではなく、まるで一神教と誤解されそうな根本神とも言える宇宙意識である。
たとえば、江戸末期の神道家、黒住宗忠は天照大神を崇め祭っていたが、この天照大神も、『古事記』に登場する女神ではなく、宗忠は太陽神として扱っているように見えたが、やはり、根本神と考えて良いだろう。
ただ、『古事記』は、聖書と同じく象徴的に書かれているのであり、ただの歴史ではなく(歴史としては正しくない)、宇宙意識、あるいは、人間の本質的精神を描いたものである。

日本に伝わる伝統的儀式を行うことは、中今に潜入する優れた方法であるが、それらはほとんど専門家のためのものである。
しかし、普通の人も、専門家の儀式や作法の一部を借りることで、中今に入る手助けとすることが出来る。
それは、儀式や作法そのものではなく、その敬虔な様、優雅さ、静かで落ち着いた態度などである。
そして、それらのことは、万物に神が宿ると考えていれば、自然に出来ることである。

「今、この一瞬」に生きることは、個人の意識が宇宙意識にシンクロ(同調)し、その無限の知恵と力と一致する方法で、引き寄せのような実用的な力になり、今や、スピリチュアル界で「今今メソッド」などと呼ばれることもある。やや軽薄に感じるかもしれないが、一般人にとって、非常に良いものである。
万物に神が宿ると考えてあらゆるものを見れば、いつでも今今メソッドを行っていることになる。
神、つまり、宇宙意識に時間はなく、過去や未来はなく、ただ永遠の一瞬である「今」しかない。
幻想である過去や未来を妄想せず、あるいは、なるべく妄想せずに、今をしっかり捉えることで、我々は真の人でいられる。
そうなれば、結果として、人間は神のようなものとして在るのである。
つまり、俗っぽく聞こえるかもしれないが、引き寄せの力が自在になり、支配層が神を忘れた拙い社会になってきた中で、何も恐れず、安全、平安に過ごせるのである。








神話はこの世界(メタバース世界)の操作マニュアル

結局、引き寄せというのは、この世界であるメタバース(※)を動かすシステムの操作技術のことだ。
※メタバース・・・メタ(超)・ユニバース(宇宙)の略語。コンピューターが作る3次元仮想空間のことであり、我々が居る世界はメタバースと考えられる。

我々の多くが、閉塞感や不安を感じているのは、まず、この世界が物質世界であって、思うようにならないと信じているからだ。
そこで、この世界がメタバースであることや、それを動かすシステムの操作方法が分かれば、安心し、幸福を感じるだろう。
最初に言ったように、このメタバースシステムの操作技術が引き寄せだが、引き寄せは特権のある者しか出来ないことではなく、また、そのやり方は、別に隠されてもいない。
引き寄せの方法は、神話の中に明かされていて、実際、神話が消された国では誰も引き寄せが出来ない。
自分では聖書や古事記を読んだことがなくても、間接的に内容を知れば、ある程度の引き寄せは出来るが、あまりうまく出来ない。
また、聖書や古事記の誤った解釈を知ったら、やはり、引き寄せがうまく出来ない。

聖書や古事記は何なのかというと、霊界の話・・・つまり、上位メタバースの話で、我々の概念で言えば、精神世界の話だ。
あまりに個性的に書き換えられていない限り、読めば、知性ではなく、心で理解出来、何となく引き寄せが出来るようになる。
昔は、子供でも、いくらかの古事記の内容を大人に教えてもらったので、かなり引き寄せが出来た。
もちろん、キリスト教国では聖書がそれに相当する。
インドでは、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』になるのだろう。
『ギリシャ神話』や『北欧神話』、それに、『アラビアンナイト』も、おそらく、そのようなものなのだろうと思う。

日本では、古事記は聖書のように宗教として扱われていないおかげで、余計な解釈を聞かされることがないことは良いことである。
読みさえすれば、知らず知らず引き寄せが出来るようになる。
昔はもっと、「古事記を読め」という人がいたが、今は滅多にいないし、古事記を読めば何が良いのかを言う人はさらに少ない。
古事記を読むことが良いことと理解している人も、何が良いのか理屈では説明し難いので、それは仕方ない。
しかし、やはり、古事記を読むのは、この世界というメタバースを動かしているシステムの操作技術の習得のためである。
他の国の神話を読むことも良いことである。
内容自体はだいたい同じなのだが、視点が異なるので、いろいろ読めば理解が深まるかもしれない。
しかし、中途半端にあれこれ手を出すと混乱してしまうことになるだろう。
とりあえず、自分の国のをしっかり読むと良いと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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