ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

古事記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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本と神秘体験

『古事記』が、どんな経緯で書かれたのかの大雑把な話は知られているが、正確なところは分からないのだと思う。
著者(編纂者等と言われることが多い)は太安万侶(おおのやすまろ)で変体漢文というもので書かれているとされるが、実際の詳しいことは分かっていないのだと思う。
太安万侶は、何かの膨大な資料を編纂して『古事記』にしたのだろう。
渡部昇一は『古事記』について、講演で、こんなことを述べている。
「太安万侶は、それまで誰も読めなかった古事記(の元になって資料のことだと思う)を繰り返し読んだ時にオカルト体験(神秘体験、超常体験)をして、それを古事記に書いた」
渡部もたどたどしく語っていたので、やはり正確なことは不明なのだろう。
だが、大事なことは、古事記の著者(編纂者)は、何かの文章を繰り返し読んで神秘体験をした・・・これは天啓とも言え、それにより真理が見えたということだ。

偉大な書を何度も読んで天啓を受けた話は多い。
中山正和は、岡潔が『正法眼蔵』を意味が分からないまま20年も座右の書としていたが、ある日突然、意味が分かったと書いていたが、中山自身も『正法眼蔵』を読んで似た体験をしたと言う。
マリア・ワルトルタ(1897~1961)という女性は、新約聖書の福音書を繰り返し読んでるうちに神秘体験をして、イエスやマリアらの当時の様子が「見える」ようになってしまい、それを書にしている。
他にも、仏典、老子、荘子、バガヴァッド・ギーターといった書に関しても、そんな話があると思う。

渡部昇一が、古事記によって太安万侶が神秘体験をしたと言うのは、自分にも何らかしらの、そんな体験があったからではないかと推測する。
たとえば、彼がロンドンに留学していた時にジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』の原本を5、6回読んだと言うが、その時である。
それなら、我々も、彼が書いた、あるいは、翻訳したジョセフ・マーフィーの本を繰り返し読めば、何かの力に目覚め、初めて引き寄せの力を得ることが出来るかもしれない。彼も、それらの本を20回読むよう勧めている。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)
(2)眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー著。翻訳:大島淳一=渡部昇一)
(3)眠りながら巨富を得る(ジョセフ・マーフィー著。翻訳:大島淳一=渡部昇一)
(4)あなたはこうして成功する (大島淳一=渡部昇一)
(5)古事記の読み方(渡部昇一)
(6)正法眼蔵(道元著。ひろさちや訳)
(7)悟りの構造: 正法眼蔵の解明(中山正和)
(8)聖母マリアの詩 上(マリア・ワルトルタ、フェデリコ・バルバロ

古い煉瓦の家
AIアート2234
「古い煉瓦の家」
Kay

この言葉を自分に言え

あなたが、自分にかけるべき言葉は次のような言葉だ。
「なんて格好いいんだ」
「なんて可愛いの」
「なんて美しいのかしら」
最初のは、E.E.スミスのSF『レンズマン』シリーズ(1937~)の2作目『グレー・レンズマン』(1939)の中で、超優秀なレンズマンであるキニスンが、レンズマン就任から短期間で実績を積み、上級レンズマンであるグレー・レンズマンに昇格した際、初めてグレー・レンズマンの制服を着用したキニスンが鏡を見て思わず言った言葉だ。
私は、このセリフを鮮明に憶えている。

『古事記』で、イザナギとイザナミが、天の御柱(あめのみはあしら)を反対側から回り、出会った時に、イザナミがイザナギに、
「あなにやし、えをとこを」
と言い、イザナギがイザナミに、
「あなにやし、えをとめを」
と言った。
それぞれは、
「ああ、なんと素晴らしい男性なの」
「ああ、なんと素晴らしい乙女だろう」
という意味である。
心から褒め称える言葉こそ良い言霊で、それは宇宙全体に影響を及ぼす。
それは、別に日本だけに限らず、世界でも同じであるが、日本は特に、言葉を言霊として大事にしてきたのである。

重要なことは、自分を美しい言葉で褒めることだ。
「イケてる」「すげー」なんて言葉を使ってはならない。
かといって、難しい、堅苦しい言葉である必要もない。
「なんて格好いいんだ」
「なんて可愛いの」
「なんて美しいのかしら」
くらいで丁度良いと思う。
もちろん、その他にも、好きな言葉を使えば良い。
こういった言葉を自分にかけることで、真の自己が、この言葉に相応しい世界を生成するのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)銀河パトロール隊 ~レンズマン・シリーズ1~(E.E.スミス)
(2)グレー・レンズマン ~レンズマン・シリーズ2~(E.E.スミス)
(3)現代語訳 古事記(福永武彦)

えをとめ
AIアート1939
「えをとめ」
Kay

神話の力

神話の中に、世界の根源的な仕組みを見出そうということが、よく行われる。
しかし、それは一生かかっても出来ない場合がほとんどと思う。
それに、沢山の賢そうな人々が嘘の説明をすることが多過ぎ、結局は混乱させられるだけだ。

ただ、なぜかは分からないが、神話を知っている人はメンタルが強いということがあると思われる。
メンタルが病んでいる人や、挫けやすい人で、神話に詳しい人は滅多にいないように思えるのである。
鎌田東二(かまたとうじ)さんという著名な哲学者・宗教学者は子供の時、鬼がはっきり見えたというから、メンタルが病んでいたのだと思われるが、彼は小学5年生の時に『古事記』と『ギリシャ神話』を読んで、これらの神話の中に、鬼や宇宙の仕組みを見て(ここらは曖昧な表現をされていたので意味不明だが)、メンタルが治ってしまったらしい。

ただ、実際に『古事記』や『ギリシャ神話』の中に、何か重要なものがあるのかというと、それは不明で、鎌田さんがこれらを読んでメンタルが治ったのは、たまたまかもしれない。
ところで、日本では『古事記』のような、日本の根本的な神話を学校で教えないのだが、私は塾の国語や日本史の専門の講師達に、『古事記』を読んだことがないし、内容も知らないという人を何人も見て、これにはかなり驚いた。学校の先生でも似たようなものではないかと思う。
一般的に言っても、教科書に出てこないが重んじられていることをよく知っている人で馬鹿は見たことがない一方、教科書に載っていることしか知らない者には馬鹿が多いと思えるのである。

それで、推測ではあるのだが、他国のことは分からないので日本に関して言えば、『古事記』を学校で一切教えず、国民が知らないようにすることで、国民を無能化するよう画策されているということがあるのかもしれない。それこそ馬鹿げたことのように思われるかもしれないが、長い間、いろいろ見たり、聞いたり、読んだりしているうちに、そのように感じるようになってきた。
上の鎌田さんも、どんな理由かは分からないが、学校で教わったり、読むよう薦められたりしたわけではなく、たまたま『古事記』と『ギリシャ神話』を読んだら、それがベリー・グッドであったわけだと思う。

『バガヴァッド・ギーター』『ラーマーヤナ』『旧約聖書』も神話であるし、『法華経』や『新約聖書』で釈迦やイエスが語ることは神話のようなものが多い。
上で、学校で教えないことが悪いような書き方をしたが、学校で強制的に読まされたり、憶えさせられることはもっと悪いかもしれない。

神話には、メンタルを調整したり、癒したり、あるいは、エネルギーを高めるための、なんらかの秘密があるのかもしれない。
そんな効果があれば、引き寄せの力も当然高まるだろう。
根拠を示すのは難しいが、いろいろな情報から考えれば、十分にありうる話と思う。
気楽に楽しく読める神話は、『古事記』や『ラーマーヤナ』であるが、多くの神話が、冒頭で退屈な記述が長々出て来たり、同じことを何度も繰り返したり、性的な描写があったりで、うまくまとめてくれることも必要だが、自分勝手なまとめ方をされるのも困る。
そこで、良いと思えるものを下にご紹介しておく。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代語訳 古事記(福永武彦)
(2)古事記物語(鈴木三重吉)
(3)超訳 古事記(鎌田東二)
(4)ラーマーヤナ(上)(河田清史)
(5)サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳(植木雅俊)
(6)日本語の法華経 新訂版(江南文三)
(7)神統記(ヘシオドス)
(8)マンガギリシア神話 (1) (里中 満智子)
(9)ワイド版 マンガ日本の古典1-古事記(石ノ森章太郎)

月の光に導かれ
AIアート1191
「月の光に導かれ」
Kay

罪悪感を回避し魔力を高める書とは

キリスト教も仏教も無茶なところがある。
日本人には馴染がないだけで、他の宗教(イスラム教、ヒンズー教等)も同じだろう。
キリスト教では、原罪といって、存在するだけで罪があることになる。
仏教でも、人間は煩悩にまみれた罪人であると断罪する。
宗教は、人々の無意識の内に罪悪感を植え付けている。
日本人は、あまり宗教を信仰しないとはいえ、日本の学校は儒教の教えが深く影響していて、儒教は宗教とは言わないかもしれないが、罪悪感を与える効果は宗教と全く変わらない。

そして、罪悪感が大きければ大きいほど、引き寄せ力は下がる。
引き寄せ(潜在意識による成功法則も同じ)を熱心にやっても、叶うことと叶わないことがあるが、叶うことというのは罪悪感を感じないことであり、叶わないことは、罪悪感を感じることであることが分かると思う。

罪悪感を感じないように見える者というのは、ほとんどの場合、悪人と言うよりIQが低いのだが、そんな者はあらゆることに緩く罪悪感を感じているので、道徳に反することにことさらに強い罪悪感を感じない。それで、本能的に強い欲望を感じることなら、罪悪感を殺して、少しはうまくやってしまうが、普通のことでも少ししかうまくやれないので、低レベルな人生を送ることになる。
IQが低い者、あるいは、IQが低い状態の者が道徳に反することをやってうまくいくとしても、そのように少しうまくいくだけだが、普通の人だと罪悪感を感じて全くうまくいかないことなので、馬鹿が得に見えることもある。しかし、やはり馬鹿は損だ。

IQが高いのに罪悪感を感じないように見える者はサイコパス的で、引き寄せの力も強い。
ただし、世間で言うサイコパスは、上に書いたようなIQが低くて罪悪感を少ししか感じない者も含めてしまっている。
IQが高い本物のサイコパスは、実は罪悪感を感じていないわけではないが、罪悪感を回避することがうまく、これはもう天才と言って良い。
実に、天才とは、IQが高いのに罪悪感を回避する方法を知っているだけの者なのだと思う。
尚、この場合のIQが高いとは、特別に高い必要はなく、110以上くらいで良いが、誰でもその程度まで引き上げるのは簡単だと思う。
毎日、2度は深呼吸をし、少しは本を読めば、その程度のIQにはなると思う。

罪悪感を回避する方法を知れば、それこそ、あらゆることで引き寄せ万能だ。
私は、先月(2024年1月)から今月にかけて、そのやり方がほとんど分かってしまったが、簡単なことではあっても、説明が難しい。
そこで、今回は、これに関する面白い話を1つ取り上げる。
哲学者・宗教学者の鎌田東二さん(論文博士)は、子供の時、鬼が見えたと言う。
それで非常に苦しんだが、古事記とギリシャ神話を読んだら解消したという。
私は、長くその意味が分からなかったし、ひょっとしたら、ご本人も分かっていないかもしれない。
鬼とは、鎌田さんの罪悪感である。学校などから叩き込まれた罪悪感を持っていたのだが、鎌田さんは特に強く罪悪感を抱えていたのだろう。
ところが、古事記とギリシャ神話を読んだら、罪悪感が消えたわけではないだろうが、回避出来るようになったのだろう。
古事記やギリシャ神話は、神様が沢山登場するので宗教っぽいところがあるし、実際、宗教として扱う人々も少なくないのだが、実は、普通の宗教と真逆のところがある。
ギリシャ神話の神様なんてエロエロで、偉い神様は、少女だろうが他の神や人の奥さんだろうが、実の姉や妹や娘ですら、襲いまくって子供を作っている。だが、全く非難されない。
古事記では、エロい部分はあまりないが、イザナギが自分の子供を切り殺したり、ヤマトタケルは兄を撲殺したりしているが、別に悪く書かれていない。それどころか、賛美されている。そんな阿呆なであるが、それがごく自然に行われているのだ。
それら、本来、罪悪感を感じるべきことを巧妙に回避する何か不思議な・・・言い訳ではない、超越した道理があるのだ。
細かくは言わない。
古事記とギリシャ神話を読め。
実際、高位の神道家には、現代人に古事記を読めと熱心に進める者は少なくないが、なぜ古事記を読まなければならないのかは言わなかったり、デタラメな理由を述べている。彼らも分からないのだ。
しかし、本当の理由は、私が明かしたように、罪悪感を回避する能力を得て神のごとき引き寄せの力を得るためである。
それと、渡辺淳一さん(作家。医師。医学博士)の『鈍感力』と、澁澤龍彥(しぶさわ たつひこ)さんの『快楽主義の哲学』は読んでおくと良いと思う。

幼心の君
AIアート661
「幼心の君」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)超訳 古事記(鎌田東二)
(2)現代語訳 古事記 (福永武彦)
(3)古事記物語(鈴木三重吉)※子供向けだが名著
(4)神統記(ヘシオドス)※ギリシャ神話の基本的古典
(5)ホメーロスの諸神讚歌※ギリシャ神話の代表的古典
(6)マンガギリシア神話 1 オリュンポスの神々(里中 満智子)
(7)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(8)鈍感力(渡辺淳一)

聖典の意外な読み方

『法華経』を読もうとすると、冒頭の大量の仏、菩薩、神の名を見て疲れてしまう。
これは『古事記』も似たようなものだが、『新約聖書』の『福音書』でも、イエスの家系がずらずら説明されていて退屈になる。
『バガヴァッド・ギーター』では、戦士らの名が長く述べられる。
こういうことは、他の聖典にもある。
そこで、これらの、一般読者にとって退屈な部分を、なるべく簡易化して書く著者もいるが、さすがに完全に取り除くことはない。
しかし、簡易にしたものも含め、これらの冒頭の部分を飛ばし読みする読者がおり、特に、再読の際は読まない人も多くいるかもしれない。

結論を言うと、実は、それら冒頭の名前の羅列に霊的な力があり、聖典を読んで神秘な力を得た者は、そこを淡々と読んだ人達だ。
それに、子供に読ませると、冒頭部分を別に苦痛なく読むものである。
さらに驚くべきことに、それらの冒頭部分のみを読んでも、高次の力を得ることが出来るのである。
冒頭部分をやや簡易化したものであっても、かなりの効果がある。
なぜそうであるのかの説明は難しい。
神仏の名などは、日本語に翻訳された時点で、元の名とはかなり違ったものになっているし、仏典であれば、サンスクリット語から中国語に翻訳される時に、全く別の名になった名前が大半である。
それでも威力があることは、経験的に語るしかない。

花と夜景
AIアート565
「花と夜景」
Kay


今は少ないが、昔の本では印刷が不鮮明であったり、時の経過と共に印字が薄れて、特にフリガナが見えなくなる場合が多い。
そんな場合でも、見える範囲の文字だけ眺めていても何かの力を感じるのである。
天才的な発明家であった中山正和さんは、『法華経』を文字を読解せず眺めているだけでイメージが湧くのは、漢字が象形文字であるからかもしれないと書かれていたことがあったが、それもあるかもしれないが、やはり別の霊的な力がある。

信じなくてもいいが、そんなこともあるかもしれないと思いながら聖典を読むと、新しい発見や体験があるかもしれない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)日本語の法華経(江南 文三)
(2)古事記物語(鈴木 三重吉)
(3)新約聖書 福音書(塚本 虎二)
(4)神の詩―バガヴァッド・ギーター(田中 嫺玉)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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