ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

古事記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

罪悪感を回避し魔力を高める書とは

キリスト教も仏教も無茶なところがある。
日本人には馴染がないだけで、他の宗教(イスラム教、ヒンズー教等)も同じだろう。
キリスト教では、原罪といって、存在するだけで罪があることになる。
仏教でも、人間は煩悩にまみれた罪人であると断罪する。
宗教は、人々の無意識の内に罪悪感を植え付けている。
日本人は、あまり宗教を信仰しないとはいえ、日本の学校は儒教の教えが深く影響していて、儒教は宗教とは言わないかもしれないが、罪悪感を与える効果は宗教と全く変わらない。

そして、罪悪感が大きければ大きいほど、引き寄せ力は下がる。
引き寄せ(潜在意識による成功法則も同じ)を熱心にやっても、叶うことと叶わないことがあるが、叶うことというのは罪悪感を感じないことであり、叶わないことは、罪悪感を感じることであることが分かると思う。

罪悪感を感じないように見える者というのは、ほとんどの場合、悪人と言うよりIQが低いのだが、そんな者はあらゆることに緩く罪悪感を感じているので、道徳に反することにことさらに強い罪悪感を感じない。それで、本能的に強い欲望を感じることなら、罪悪感を殺して、少しはうまくやってしまうが、普通のことでも少ししかうまくやれないので、低レベルな人生を送ることになる。
IQが低い者、あるいは、IQが低い状態の者が道徳に反することをやってうまくいくとしても、そのように少しうまくいくだけだが、普通の人だと罪悪感を感じて全くうまくいかないことなので、馬鹿が得に見えることもある。しかし、やはり馬鹿は損だ。

IQが高いのに罪悪感を感じないように見える者はサイコパス的で、引き寄せの力も強い。
ただし、世間で言うサイコパスは、上に書いたようなIQが低くて罪悪感を少ししか感じない者も含めてしまっている。
IQが高い本物のサイコパスは、実は罪悪感を感じていないわけではないが、罪悪感を回避することがうまく、これはもう天才と言って良い。
実に、天才とは、IQが高いのに罪悪感を回避する方法を知っているだけの者なのだと思う。
尚、この場合のIQが高いとは、特別に高い必要はなく、110以上くらいで良いが、誰でもその程度まで引き上げるのは簡単だと思う。
毎日、2度は深呼吸をし、少しは本を読めば、その程度のIQにはなると思う。

罪悪感を回避する方法を知れば、それこそ、あらゆることで引き寄せ万能だ。
私は、先月(2024年1月)から今月にかけて、そのやり方がほとんど分かってしまったが、簡単なことではあっても、説明が難しい。
そこで、今回は、これに関する面白い話を1つ取り上げる。
哲学者・宗教学者の鎌田東二さん(論文博士)は、子供の時、鬼が見えたと言う。
それで非常に苦しんだが、古事記とギリシャ神話を読んだら解消したという。
私は、長くその意味が分からなかったし、ひょっとしたら、ご本人も分かっていないかもしれない。
鬼とは、鎌田さんの罪悪感である。学校などから叩き込まれた罪悪感を持っていたのだが、鎌田さんは特に強く罪悪感を抱えていたのだろう。
ところが、古事記とギリシャ神話を読んだら、罪悪感が消えたわけではないだろうが、回避出来るようになったのだろう。
古事記やギリシャ神話は、神様が沢山登場するので宗教っぽいところがあるし、実際、宗教として扱う人々も少なくないのだが、実は、普通の宗教と真逆のところがある。
ギリシャ神話の神様なんてエロエロで、偉い神様は、少女だろうが他の神や人の奥さんだろうが、実の姉や妹や娘ですら、襲いまくって子供を作っている。だが、全く非難されない。
古事記では、エロい部分はあまりないが、イザナギが自分の子供を切り殺したり、ヤマトタケルは兄を撲殺したりしているが、別に悪く書かれていない。それどころか、賛美されている。そんな阿呆なであるが、それがごく自然に行われているのだ。
それら、本来、罪悪感を感じるべきことを巧妙に回避する何か不思議な・・・言い訳ではない、超越した道理があるのだ。
細かくは言わない。
古事記とギリシャ神話を読め。
実際、高位の神道家には、現代人に古事記を読めと熱心に進める者は少なくないが、なぜ古事記を読まなければならないのかは言わなかったり、デタラメな理由を述べている。彼らも分からないのだ。
しかし、本当の理由は、私が明かしたように、罪悪感を回避する能力を得て神のごとき引き寄せの力を得るためである。
それと、渡辺淳一さん(作家。医師。医学博士)の『鈍感力』と、澁澤龍彥(しぶさわ たつひこ)さんの『快楽主義の哲学』は読んでおくと良いと思う。

幼心の君
AIアート661
「幼心の君」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)超訳 古事記(鎌田東二)
(2)現代語訳 古事記 (福永武彦)
(3)古事記物語(鈴木三重吉)※子供向けだが名著
(4)神統記(ヘシオドス)※ギリシャ神話の基本的古典
(5)ホメーロスの諸神讚歌※ギリシャ神話の代表的古典
(6)マンガギリシア神話 1 オリュンポスの神々(里中 満智子)
(7)快楽主義の哲学(澁澤龍彦)
(8)鈍感力(渡辺淳一)

聖典の意外な読み方

『法華経』を読もうとすると、冒頭の大量の仏、菩薩、神の名を見て疲れてしまう。
これは『古事記』も似たようなものだが、『新約聖書』の『福音書』でも、イエスの家系がずらずら説明されていて退屈になる。
『バガヴァッド・ギーター』では、戦士らの名が長く述べられる。
こういうことは、他の聖典にもある。
そこで、これらの、一般読者にとって退屈な部分を、なるべく簡易化して書く著者もいるが、さすがに完全に取り除くことはない。
しかし、簡易にしたものも含め、これらの冒頭の部分を飛ばし読みする読者がおり、特に、再読の際は読まない人も多くいるかもしれない。

結論を言うと、実は、それら冒頭の名前の羅列に霊的な力があり、聖典を読んで神秘な力を得た者は、そこを淡々と読んだ人達だ。
それに、子供に読ませると、冒頭部分を別に苦痛なく読むものである。
さらに驚くべきことに、それらの冒頭部分のみを読んでも、高次の力を得ることが出来るのである。
冒頭部分をやや簡易化したものであっても、かなりの効果がある。
なぜそうであるのかの説明は難しい。
神仏の名などは、日本語に翻訳された時点で、元の名とはかなり違ったものになっているし、仏典であれば、サンスクリット語から中国語に翻訳される時に、全く別の名になった名前が大半である。
それでも威力があることは、経験的に語るしかない。

花と夜景
AIアート565
「花と夜景」
Kay


今は少ないが、昔の本では印刷が不鮮明であったり、時の経過と共に印字が薄れて、特にフリガナが見えなくなる場合が多い。
そんな場合でも、見える範囲の文字だけ眺めていても何かの力を感じるのである。
天才的な発明家であった中山正和さんは、『法華経』を文字を読解せず眺めているだけでイメージが湧くのは、漢字が象形文字であるからかもしれないと書かれていたことがあったが、それもあるかもしれないが、やはり別の霊的な力がある。

信じなくてもいいが、そんなこともあるかもしれないと思いながら聖典を読むと、新しい発見や体験があるかもしれない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)日本語の法華経(江南 文三)
(2)古事記物語(鈴木 三重吉)
(3)新約聖書 福音書(塚本 虎二)
(4)神の詩―バガヴァッド・ギーター(田中 嫺玉)

日本人は欧米人レベルに落ちた

この2000年ほどは、日本人に与えられた最も高い指示は「無になれ」で、一般的には「無心になれ」であり、「無私になれ」「無我になれ」といったバリエーションがあるが、どれも同じである。
有名な事業家の稲盛和夫さんが、判断をする際、「私心なきか」を基準にしていたという話が知られていて、これが非常に高度なことのように感じるが、実は、元々日本では、これが当たり前の教えなのである。
で、誰がそう日本人に指示したのかというと、よくは分からないが、それは人間を超えた高度な存在で、神とか善なる宇宙人といったレベルであると思われる。

ただ、上の稲盛和夫さんの「私心なきか」は、インドで誰でも知っている『ラーマーヤナ(ラーマの模範)』という物語の最後で、英雄ラーマが、宿敵である魔王に教わる教えだ。インドの美しい伝統では、戦いで勝った者は負けた者に教えを請わないといけないのである。
稲森さんは、もしかしたら、このインドのお話に学んだのかもしれないが、日本にこそ、この教えはあったのである。
『古事記』で、イザナギ神がイザナミ神と決別し、服や飾りを1つずつ全部取り去り、海に入って身体の汚れを1つずつ落としていくのは、思考という穢れを消していくことを示しており、完全にクリーンになった・・・つまり、無心、無私、無我になった時、両目と鼻から、3柱の貴い神が生まれたのである。

ところが、日本人が駄目になってしまい、「無になれ」の教えが理解出来なくなってしまった。
世界一清らかだった日本人の心が曇り、日本が、特に支配層が、そして、庶民が乱れに乱れてしまった。
そして、今の日本人に対する(神か宇宙人の)教えの第一は「良い人になれ」になってしまった。
これは、ヨーロッパ等で教えられていた、一段低い教えである。
つまり、神による日本人に対する特別視は終わり、他国と同じ扱いになってしまったのである。
有名なファティマでの聖母マリアの出現で、マリアが子供達に教えたことが「良い子でいなさい」だった。
せっかく、世界一の精神大国であった日本が、ヨーロッパに並んでしまったのである。
まあ、ヨーロッパやアメリカはさらに落ちようとしているのだが・・・

それで、これからの世の中、良い人でなければ生きていられなくなる。
自己中心的な人間、それで嫌われる人間はもう駄目である。
これまでは、自分勝手な行動を率先して行う人間がいい思いをしていたが、これからはそんな下種は本当に駄目になるのだ。
神や宇宙人は、日本人は無になることは無理でも、良い人くらいにはなれると思っているのだろうか?
それは疑問だが、それが出来なければ、当たり前の国に落ちてしまった日本は最後である。

お城が見えるバルコニー
AIアート508
「お城が見えるバルコニー」
Kay


とはいえ、あなたは日本人であって欲しいのだ。
つまり、無になって欲しい。
簡単に言えば、思考を消して欲しい。
何度も取り上げるが、矢追純一さんが言ったように、「僕は頭が悪いから考えることを放棄した」のようにやって欲しい。
頭が悪くない人間などいないのだが、凡人は皆、自分は頭が良いと思っているのである。
駄馬ならぬ駄民に落ちてしまった日本人は、まさに、自分は頭が良いと思って思考を止められないし、教育やマスメディアは日本人に思考を崇拝するようそそのかしている。
だが、深呼吸を忘れなければ日本人でいられ、思考を消していけ、無に進むことが出来る。
無になれば無敵であるが、まだ無敵でないなら、単に深呼吸が足りないだけである。

◆当記事に関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)ラーマーヤナ(上) (レグルス文庫)
(2)ワイド版 マンガ日本の古典1-古事記
(3)新装版 ヤオイズム あなたは本当に生きているか
(4)聖母マリアの秘密: 今も続くメジュゴリエでの奇跡
(5)弓と禅

古事記の何が良いのか?(保存版)

世の中で肯定的な評価が高い著名な人物が、「古事記を読め」とか「古事記を基にした国造りが大切だ」と言ったり、哲学者の鎌田東二さんは子供の時、精神的に不安定だったが古事記とギリシャ神話を読んで治ったといったようなことを述べていたが、『古事記』は良いものだろうか?
『古事記』にはいくつかの殺人(殺神)シーンがある。
たとえば、地上に降りた最初の天の神であるイザナギは息子である生まれたばかりの火の神を切り殺しているが、その理由は、妻のイザナミが火の神を産む時に焼け死んだ(あるいは焼かれたことが原因で死んだ)ので怒ったというものだ。
ところが、このイザナギの行為を批判・非難する人を見たことがない。
また、有名なヤマトタケルは、兄を便所で強殺しているが、その理由は、まあ、うっぷん晴らしみたいなものだった。
これもまた、「ヤマトタケルはひどいやつだ」と言う人を見たことがない。
そもそも、イザナギもヤマトタケルも、何の罪にも問われていない。
これって、いいのか?
本当に子供に読ませてもいいのか?
(子供用古事記というものもあり、上皇后の美智子様も子供の時に愛読されたようだ)

まあ、それで言えば、旧約聖書にだって、文字通りに読めば、ちょっと子供に見せられない部分は少なくない。
たとえば、父親が自分の実の娘に子供を産ませたりである。
いやいや、ギリシャ神話となると、神々の王ゼウスの正妻ヘラはゼウスの実の姉で、さらに、ゼウスは別の実の姉であるデメテルとの間にペルセポーネという娘を作っている。そのペルセポーネの夫はゼウスの兄だ・・・ともう無茶苦茶だが、特にギリシャ神話には常軌を逸した話が多い。

神話のこんなデタラメなことを、まるで人類が催眠術にかかってでもいるかのように誰も問題視しない。
いや、実際に人類は催眠術にかかっているのかもしれない。
もちろん、神話というものは、象徴的に書かれているのであり、文字通りに受け取ってはならないのかもしれないが、象徴的と言っても、あまりに曖昧で、どんな意味に取って良いか分からず、また、言葉通りに解釈する人にだって罪はないだろう。

それに、旧約聖書やギリシャ神話のノアの箱舟は実際にあったなんて話が出ることがあり、それでは、聖書を字義通りに解釈したくなるかもしれない。

これらの面倒な問題を解決する方法がある。
それは、神話は全て夢の世界のことと解釈することだ。
しかし、それだけでは片手落ちなのだ。
そこで、我々が現実と思っている世界も実は夢であると解釈しなくてはならない。
なぜか、それで完璧なのである。

たとえば、現実世界で嫌いな相手を夢の中で殺したり、夢の中で自分の妹や娘、あるいは童女に性的行為をしても、誰も咎めないばかりか、そんな夢を見たからといって人間性を否定されることもない。
まさに神話の世界だ。
ところが、有名な聖者達(あるいは科学者の一部)は、我々が現実世界と思っているものと夢の世界に違いはないと言う。
しかし、現実世界で殺人を犯せばただでは済まない。
そうしたら、「いや、現実世界は、殺人を犯したらただでは済まないという夢に過ぎない」と言う者だっているだろう。
そうえいば、どれほど奇想天外に思える夢にだって、それぞれ何らかの規則みたいなものがあると思われる。

夜明け前
AIアート496
「夜明け前」
Kay


さて、結論はこうだ。
どんな世界であれ、意識する世界は全て夢だ。
だが、どの夢にも規則(法則やルールと言っても良い)があり、それに支配されている。
そこで、その規則を暴き、それを利用すれば勝ちだ。
その規則を身に付ける訓練のために、神話を読むのである。
簡単なことを言えば、神話に馴染めば引き寄せは確実にうまくなる。
また、神話でなくても童話でも同じである。
私が高校生くらいの頃、馬鹿馬鹿しいほど引き寄せが上手かったのは、グリムやアンデルセンの童話を愛読していたからだろう。
ちなみに、この世界の規則は、「深呼吸すれば神に近付く」であるが、頭の眩んだ凡人にはそのことがどうしても分からない。
分からなくても、深呼吸することを忘れなければ、そうなるのである。
だが、ほとんど皆、憶えないか忘れるのである。

◆当記事関連書籍のご案内◆
(1)現代語訳 古事記 (河出文庫)
(2)古事記物語 (ハルキ文庫)
(3)神統記 (岩波文庫 赤)
(4)四つのギリシャ神話―『ホメーロス讃歌』より (岩波文庫 赤)
(5)完訳 グリム童話集 1 (岩波文庫)
(6)アンデルセン童話集(上)
(7)ペロー童話集

Lemonとオトタチバナ姫

深呼吸さえすれば、IQが上がり、健康になり、運動せずともダイエット出来、引き寄せがうまくなり、良い呼吸をするようになれば金はいくらでも出来る。
だが、私もだが、なかなか深呼吸をしない。
これはどういうことかと言うと、深呼吸しながら思考は出来ないが、逆に言えば、思考しながら深呼吸も出来ないのである。
つまり、まだまだ思考が多い・・・頭の中のおしゃべりが多いということだ。
そこで、本当は、いつでもどこでも深呼吸が好ましいが、特に初めのうちは、時間を決めて・・・たとえば、起床時、就寝時、食事前・後、お風呂の中、その他からいくつでも選んで、そこで必ず深呼吸をすると良いと思う。その成果は計り知れないのだから。

米津玄師さんの有名な楽曲『Lemon』の中で、「あれから思うように息ができない」という歌詞があるだろう。
心の傷や重荷があると、思考が積り、思考が積もっていると良い呼吸が出来ないのである。
だが、それでも、無理にでも深呼吸し、そんな苦しみの元であるエングラム(記憶痕跡)を精神の中の無害な場所に配置し直さなくてはならない。
詳しくは書かないが、それもまた、深呼吸を行えば、脳の量子的作用によって自動で行われる。
我々のすべきことは、確かに他の方法もあるのだが、この本当は戦争状態の滅びかかった世界で、手段を研究している暇はなく、今すぐに誰にでも出来る深呼吸をすべきと思う。
逆に言えば、深呼吸をして、脳の量子力学的能力によってノイズ(思考を指す)を消せば、世界は意のままである。

懐かしい風
AIアート399
「懐かしい風」
Kay


それと、最近書いている、『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスのような思考のない高貴な魂を感じれば、深呼吸をし易くなるのである。
世界中に沢山あるだろうと思う。
例えば、上皇后美智子様が子供の時に感激された『古事記』のオトタチバナ姫が、まさにクラリスのような存在と思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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