ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

反復の力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

洗脳を壊す現実的な唯一の方法

タイムリープ(昔の自分に戻ってやり直すこと)しさえすれば上手くいくというものではない。
知恵を持ってタイムリープしなければ、この世に負けてしまう可能性が高い。
そして、最も重要な知恵は「この世は素振り数で決まる」だ。
言葉で知っているだけではなく、実践しなければこの知恵は身につかない。
だが、この知恵を得てしまえば、ほとんどの場合、タイムリープの必要もなくなる。
早急に「タイムリープしたい」などと思うのは、この知恵がないからである。

私が幼い時、テレビで、ある古いモノクロの西部劇映画を見ていたことがあった。
その映画の中で、一人の若者が銃の練習をするのだが、おそらく、彼は初心者で、上手くなりたいと思っているようだった。
彼は的を狙って撃つが全く当たらない。
そして、どのくらいか分からないが、時間が経過する。
すると、地面には薬きょう(弾丸の殻)の山が出来ていた。
私はそれに感動したものだが、学校やテレビは、こんなやり方を否定し、インスタントで素早い成果を称賛する。

『MADLAX』という、やや古い(2004年)アニメがある。
美少女ガンアクションものと言われ、主人公は2人の17歳の少女で、その1人マドラックスは銃を含む戦闘の超スペシャリストだ。
ある時、ヴァネッサという名の若い女性が、マドラックスに銃を教えて欲しいと乞う。
ヴァネッサは、あらゆることで極めて優秀であったが、今は紛争地帯にいて、目的の遂行には銃が必要だと悟ったのである。
了承したマドラックスは、一通り銃の扱いを教えると、ヴァネッサに、山のような弾丸のケースを渡し「今日中に全部撃て」と命じる。
もちろん、毎日だろう。
マドラックスも、かつてそうやって訓練したのだろう。

人形
AIアート165
「人形」
Kay


『怒りの荒野』(1967)という、ジュリアーノ・ジェンマ、リー・ヴァン・クリーフという2大スターが共演した西部劇映画がある。
主人公のスコットという名の青年は、娼婦の母親マリーの私生児で、町中の人々から蔑まれ、掃除や便所のくみ取り(当時は手作業)で生計を立てていた。
だが、彼は、銃を買うために、密かに金を少しずつだが貯めていた。
そして、壊れた銃で、毎日練習をしていたが、壊れていて撃てないので、銃を抜いて構えるという動作を延々と繰り返す「素振り」だった。
それで直接的な練習にはならないが、自主的な反復は必ず力になる。
流れ者の凄腕ガンマン、タルビーは、目的があってだが、スコットに銃を買って与える。
「撃ってみろ」と言われたスコットは、銃を持った喜びに満ち、何も考えず、いつもの練習の通りに撃つと、弾は全て的に命中する。

自主的な素振りで力を得た者の話は楽しいと感じる。
力を得たければ、素振りに励むことだと思う。
究極の力である魂の力を得たければ思考を消さないといけないが、そのための素振りが「私は誰か?」と自分に問うことである。
成功する者が少ないのは、今の日本の学校やテレビと同じ、西洋合理主義の弊害が大きい。
つまり、延々と自主的に素振りを行うことが出来ないのだ。
だが逆に、素振りに励めば、そんな洗脳を打ち破れるが、他の方法はほとんど有効ではない。
ひたすら素振りに励むべきである。








人間最大の美徳

このブログのメインテーマの1つになったが、この世界で真の力を得る手段は「自主的な反復」のみである。
これは、誰にでも出来、得られる力を決めるのは「回数」だけである。
よって、1回1回は楽でなければ無理であるが、楽ではあってもチャランポランでは駄目で、真面目というか真剣でなければならない。
また、数多くやるのは大変そうに見えることを楽にやることに秘儀めいたものを感じるのである。
ところで、反復と言ったら、一頃ブームになった「ルーチン」のことを思い出したり、「ああ、ルーチンですね」と安易に納得する者もいると思うが、ルーチンとは違う。
ルーチンは、形式化、無意識化、習慣化しているが、力の反復はそうではない。
野球の素振りはルーチンではなく、もし、素振りをルーチン化しても力は得られない。
楽ではあっても、自主的、意識的に振るはずで、やはり「真剣」なのであるが、真剣が度を過ぎてもいけない。
とはいえ、別に難しいことではない。
一言で言えば「丁寧」にやれば良い。
「丁寧」は、いつも、自主的、意識的であるのだから。
そして、「丁寧」こそ人間最大の美徳であり、万物の霊長たる人間と、獣と変わらないレベルの人間を分けるポイントは「丁寧」である。

偉大なセールスマンであった夏目史郎に関する、こんな話がある。
彼が一時、19歳の女子大生をセールスの助手にしていたことがあったらしいが(今の時代ならちょっと問題視されるかもしれないが)、その女子大生が、夏目さんに、「あなたはかわいそうだ」と言って泣き出したという。
その理由は、夏目が、朝から晩まで、セールス先で同じことを言うからだ。
これについて、夏目は述べている。
「セールストークは同じでないといけない。繰り返してこそ、そのセールストークに力が生じる」
私が知る限り、全ての一流セールスマンは同じことを言っている。
これは、セールスの著書を出すほどの超一流もだが、私が直接会ったトップセールスマンも、間違いなく同じであった。
彼らは、同じセールストークを自主的、意識的に、つまり、「丁寧」に繰り返すのである。

生命の輝き
AIアート160
「生命の輝き」
Kay


笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯らし紋次郎』で、32歳の主人公、紋次郎は、我流の喧嘩剣法ながら、滅法腕が立った。
道場で剣を習ったこともない紋次郎が、なぜそんなに強いのか?
明らかにされたのは、この作品の第2シリーズである『帰って来た木枯らし紋次郎』シリーズだった。
38歳になり、体力が衰えた紋次郎は、体調が悪い時に、大したことのないヤクザ者達に負けて刺されるが、運よく急所は外れていて、昔、たまたまた命を助けた大商人に発見され、義理堅いその大商人に屋敷をあてがわれて、客人扱いされる。
普段ならそんなことは受け入れない紋次郎も、満足に動けないことや、義理に厚い大商人の気持ちに逆らえず厄介になっていた。
しかし、体調が回復しても、「その歳で旅は無理。ここでずっと安楽に暮らして欲しい」という大商人の要請のまま過ごしていると、紋次郎は耐えられなくなり、せめてということで牧割りをやらせてもらう。大商人は、しぶしぶ了承した。
ところが、紋次郎の薪割の腕前が凄かった。
実は紋次郎は若い頃、木こりをしており、毎日、山から木を倒してはふもとまで運び、そこで朝から晩まで薪を割っていた。当時は大量の薪の需要があったのである。
紋次郎の剣の腕の基礎は薪割で作られたのだ。
書かれてはいなかったが、それほどの腕の薪割が出来る紋次郎は、長時間、真面目に、自主的に、意識的に・・・つまり、丁寧に薪割をしていたに違いない。

重要なので繰り返すが、「丁寧」こそ人間最大の美徳であり、人間を高いものにするか劣ったものにするかを分けるのは「丁寧」である。
人間が真の意味で成功するか・・・たとえば、優れたスポーツ選手や芸術家や職人になれるかどうかを決めるのは、「丁寧」を伴った反復である。
腕振り運動や足踏み四股といった楽な運動でも、丁寧に繰り返せば人間を超え、「私は誰か?」と丁寧に自分に繰り返し問えば神になるのである。








この世は数が全て

今回はベストな内容が書けたと思う。

この世の大抵のことは、「数が全て」だ。
よく言う言い方をすれば「質より量」である。
頭を使う者は「量より質」と言う。
だが、人間が理解出来る質など、たかが知れている。
しかし、数であれば、考えなくても分かるし、誰でも無限を目指せる。

何度か言ったが、私が最初にやった仕事はセールスマンだ。
ある時、売り上げ不振だった私に、トップセールスマンの上司が同行し、私のセールスを見ていた。
その上司が言ったものだ。
「トークはお前の方が俺よりうまい。俺とお前の差は件数だ」
私が1日50件なら、その上司は500件訪問していたのだ。

それより先にいたセールスの職場で、全国でも屈指のセールスマンだった上司が、自分がどうしても勝てなかった元同僚のセールスマンの話をしてくれた。
その上司は、セールストークの達人で、その見事な話術には私は恐れ入ったものだった。
だが、その上司が勝てなかった同僚は、恐ろしく口下手で、売り込みなど全く出来ないほどだった。
自分の口下手を強く認識していた彼はひたすら件数をこなすことでセールスの成績を上げていたのだ。
彼らの時代は、訪問が許される時刻の法的規制がなく、そのセールスマンは、明かりがついていれば深夜でも呼び鈴を鳴らしてセールスし、民家が寝静まれば交番にセールスした。

ある優良な上場企業で、その会社の創業者である成功した社長が、幹部達に話をしているのを聞いていたことがある。
社長は幹部達に言う。
「俺とお前達で能力の差はない。違うのは素振りの数だ」

オンディーヌ
AIアート151
「オンディーヌ」
Kay


落合博満さんが中日のゼネラルマネージャーだった頃の話かもしれないが、ある若手選手が、勇敢にも、落合さんに個人指導を乞うた。
すると、落合さんは、部屋の中だったが、そこで、その選手に素振りをやれと言う。
当然、その選手は素振りを始めたが、落合さんは、いつまで経っても「やめろ」と言わず、延々5時間も素振りをやらされた。
その選手は、結局、成功しなかった。
彼はスランプになると「あの時のことを思い出して素振りをやった」と言う。
そんなんじゃ駄目だ。
スランプだろうが絶好調だろうが、いつでもどこでも、数多く素振りをしなくてはいけないのだ。

私も愛好して行っている佐川流四股の開発者、大東流合気柔術の達人(超人と言うべきだが)佐川幸義も、
「僕は死ぬまで四股を踏める」
と言い、毎日、とんでもない数、踏んでいたらしい。
だが、彼は、四股のやり方を弟子たちに教えることはなかった。
形など、大した問題ではないのである。
重要なのは数だけだ。

腕振り運動も同じで、正しいやり方なんか説明出来ない。
しかし、数をこなしていれば、自ずと自分にあったやり方が分かるのである。

「私は誰か?」と自分に問うことも同じだ。
どんなふうにやるのか聞きたい人は多いだろうが、数多くやれば分かることで、逆に言えば、数をこなして自分でやり方を見つけないと、どれほどうまく説明されたって駄目なのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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