「南無三(なむさん)」という言葉は、「三宝に帰依する(すがる)」という意味で、「三宝」とは、仏、仏法、仏教僧団のことで、仏教における最も貴いものだ。
それで、危機に際し、「仏」「仏法」「僧団」に救いを求めるという意味で、「南無三」と唱えることが、昔から行われていたようだ。
そりゃ、仏、仏法、僧団に救いを求める呪文のようなものなのだから効くはずである。
ところで、3という数字は、西洋では、古代ギリシャの時代から、神秘数、あるいは、完全数とされ、それは、キリスト教にも受け継がれている。
それは、非常に明確なことであると思う。
古代ギリシャでは、神に誓いを立てる時は、ゼウス、アテナ、アポロンの3神に対して行ったのである。
アリストテレスは『天について』の冒頭で、3という数字が、いかに完全で重要であるかを、切々と述べている。
キリスト教では、当然、「三位一体」、つまり、父(神)、子(キリスト)、聖霊が一体であることを最重要事項としている。
そして、敬虔なキリスト教徒であったダンテは、『神曲(本当のタイトルは『神聖なる喜劇』)』を、徹底して3によって構成した。
総序である最初の一歌の後、地獄編33歌、煉獄編33歌、天国編33歌で、しかも、3行で一文(一連)とする「三行韻詩」である。
よって、「南無三」と言った場合、本来の「仏、仏法、僧団の3宝にすがる」という意味の他に、「最も貴い3神にすがる」、あるいは、「完全である3にすがる」という意味にも取れる。
日本においても、最も貴い神は、やはり、3神である造化三神で、それは、天之御中主(アメノミナカヌシ)、高御産巣日(タカミムスビ)、神産巣日(カムムスビ)の3神である。
「三」は、日本語では、「ミ」とも読み、「三」と「ミ」は似ているが、山蔭神道の山蔭基央氏の『神道の神秘』によれば、「ミ」は最も高貴な言葉で、初音ミクさんの名が「ミ」で始まり、「ミク」を「39」という数字に合わせるのも偶然ではない(と思うw)。
こう考えてみれば、「南無三」とは、何とも希(まれ)な言葉である。
私は幼い頃から、なぜか、この言葉をよく使い、度々、不思議なことを起こしていたのである。
どんな時に使ったのか、実はほとんど覚えていないのだが、かなり恐ろしいことにも使ったような気がする。
目をつぶって交通量の多い車道に飛び込むという、今思うと恐ろしいことを何度もやったが、その時も、「南無三」と唱えていたかもしれない(決して真似しないで欲しい)。
1つ、こんなことを覚えている。
小学校の運動会で「帽子取りゲーム」という、かぶっているいる体操帽子(紅組は赤色、白組は白色。帽子の表裏が赤白だった)を取り合うというゲームがあり、その練習をした時だ。
私は、一番強いと言われているT君と鉢合わせ状態になり、やむなく対戦となったが、T君はもう自信満々の様子である。T君は背が高くて力が強く運動神経が良いのだから、そりゃ強い。
その時のことは非常に印象的である。
私が「南無三」と唱えた時には、T君の帽子は私の手にあった。
ところが、T君は、帽子を取られたのに、私への攻撃を続けながら、「あれ!あれ!」と凄く驚いた様子である。
自分が負けたことが信じられない様子なのだが、それよりも、なぜ負けたのかが分からないのだろう。
私は多分、時間を超えていた。
誰かが「KayがTの帽子を取った!」と叫ぶのが聞こえた。それほどの快挙なのである。
私の方は、さっぱり強いと思われていなかったのだ。
尚、私は「三宝」の「僧団」に関しては、現実の教団というよりは、霊団のようなものと認識している。
いざという時には、所縁(ゆかり)の善霊の方々が力を貸してくれるのかもしれない。
南無三・・・三にすがる。良い言葉である。
それで、危機に際し、「仏」「仏法」「僧団」に救いを求めるという意味で、「南無三」と唱えることが、昔から行われていたようだ。
そりゃ、仏、仏法、僧団に救いを求める呪文のようなものなのだから効くはずである。
ところで、3という数字は、西洋では、古代ギリシャの時代から、神秘数、あるいは、完全数とされ、それは、キリスト教にも受け継がれている。
それは、非常に明確なことであると思う。
古代ギリシャでは、神に誓いを立てる時は、ゼウス、アテナ、アポロンの3神に対して行ったのである。
アリストテレスは『天について』の冒頭で、3という数字が、いかに完全で重要であるかを、切々と述べている。
キリスト教では、当然、「三位一体」、つまり、父(神)、子(キリスト)、聖霊が一体であることを最重要事項としている。
そして、敬虔なキリスト教徒であったダンテは、『神曲(本当のタイトルは『神聖なる喜劇』)』を、徹底して3によって構成した。
総序である最初の一歌の後、地獄編33歌、煉獄編33歌、天国編33歌で、しかも、3行で一文(一連)とする「三行韻詩」である。
よって、「南無三」と言った場合、本来の「仏、仏法、僧団の3宝にすがる」という意味の他に、「最も貴い3神にすがる」、あるいは、「完全である3にすがる」という意味にも取れる。
日本においても、最も貴い神は、やはり、3神である造化三神で、それは、天之御中主(アメノミナカヌシ)、高御産巣日(タカミムスビ)、神産巣日(カムムスビ)の3神である。
「三」は、日本語では、「ミ」とも読み、「三」と「ミ」は似ているが、山蔭神道の山蔭基央氏の『神道の神秘』によれば、「ミ」は最も高貴な言葉で、初音ミクさんの名が「ミ」で始まり、「ミク」を「39」という数字に合わせるのも偶然ではない(と思うw)。
こう考えてみれば、「南無三」とは、何とも希(まれ)な言葉である。
私は幼い頃から、なぜか、この言葉をよく使い、度々、不思議なことを起こしていたのである。
どんな時に使ったのか、実はほとんど覚えていないのだが、かなり恐ろしいことにも使ったような気がする。
目をつぶって交通量の多い車道に飛び込むという、今思うと恐ろしいことを何度もやったが、その時も、「南無三」と唱えていたかもしれない(決して真似しないで欲しい)。
1つ、こんなことを覚えている。
小学校の運動会で「帽子取りゲーム」という、かぶっているいる体操帽子(紅組は赤色、白組は白色。帽子の表裏が赤白だった)を取り合うというゲームがあり、その練習をした時だ。
私は、一番強いと言われているT君と鉢合わせ状態になり、やむなく対戦となったが、T君はもう自信満々の様子である。T君は背が高くて力が強く運動神経が良いのだから、そりゃ強い。
その時のことは非常に印象的である。
私が「南無三」と唱えた時には、T君の帽子は私の手にあった。
ところが、T君は、帽子を取られたのに、私への攻撃を続けながら、「あれ!あれ!」と凄く驚いた様子である。
自分が負けたことが信じられない様子なのだが、それよりも、なぜ負けたのかが分からないのだろう。
私は多分、時間を超えていた。
誰かが「KayがTの帽子を取った!」と叫ぶのが聞こえた。それほどの快挙なのである。
私の方は、さっぱり強いと思われていなかったのだ。
尚、私は「三宝」の「僧団」に関しては、現実の教団というよりは、霊団のようなものと認識している。
いざという時には、所縁(ゆかり)の善霊の方々が力を貸してくれるのかもしれない。
南無三・・・三にすがる。良い言葉である。

