日本で最も成功した映画は、スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』(2001)のようだ。
正直、私は、この作品をあまり熱心に見た覚えがないが、主人公の10歳の少女、千尋(ちひろ)が鍛えまくられるのが、ちょっと胸が痛い。
もちろん、現実の世の中で、10歳の子供が頼る者なく放り出されたら、あんなものではないのだが。
千尋という名の尋(ひろ)は長さの単位で、1尋で1.818メートルらしい。
千尋は1.818キロメートルである。
千尋は「せんじん」とも読み、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という有名な伝説があることをご存知と思う。
すると、ライオンは、我が子を約2キロメートルの深さの谷に突き落として、這い上がってきた子のみを育てるという、いかにも梶原一騎のスポ根ものに出てきそうな(実際に、梶原一騎はよく引用している)ことをやると言われている訳だ。
私は、子供の時は、ライオンが本当にそんなことをするのだと信じてしまったが、もちろん、そんなはずはない(落ちた時点で即死だ)。
だが、『千と千尋の神隠し』の千尋が散々な目に遭う様子は、まさに千尋の谷に突き落とされたライオンの子供だ。
しかしまあ、人生なんて、千尋の谷に突き落とされるようなものだと思った方が良い。
だから、「這い上がり人生」といった言葉があり、どん底に落ちた人間が挫けずに奮闘することを「這い上がる」と表現する。
ただ、人生の場合は、這い上がりのゴールはなく、一生、這い上がり続けるしかない。
つまり、「人生いろいろあったなあ」「悪くない人生だった」と思っても、まだ千尋の谷の半分かもしれないのだ。
一番悪いのは、谷底でじっとしていることだが、おそらく、そんな者は、鬼でも現れて手荒くいじめるのだろう。
しかし、親が鬼を遠ざけてくれ、谷底でのんびり過ごすような者は悲惨だ。
親は、そんなことをすべきでない。
しかし、それが子供のためになると思う愚かな親が多いのだろう。
それでいえば、梶原一騎のスポ根ものも、ある意味では良いものである。
たとえ、ヘリコプターで谷底から引っ張り上げられても、やっぱり自分で這い上がらなかったら、また谷底に戻される。それが人間の人生だ。
今の世の中で増えているらしいが、40歳とか50歳まで働かずにニートで過ごしている者というのは、谷底から自分で這い上がった経験がない者のようなものだ。
千尋のような子供なら、身軽で元気があるので、自分で這い上がることが出来るが、歳を取った者で、自分で這い上がった経験がなければ何も出来ない。
ニートでなくたって、たまたま美人に生まれて、お金持ちと結婚し、安楽に過ごしている女性は、やはり、谷から這い上がった経験があまりないので、這い上がった者のみが持つ、強さ、気高さがなく、そして、そんな者だって、いつ千尋の谷の底に突き落とされるか分からないのだ。
皇后陛下のような立場は、一見、谷の上のさらに高い山の上のようだが、実際は、特に深い、数千尋の谷の底のようなものに思える。
思いあがった者は、いくつになっても、千尋の谷の底に突き落とされる。
可哀想に思えないこともないが、身から出た錆である。
だが、歳を取るほど、心と身体が重い鎧になり、這い上がることが出来なくなる。
あるいは、プライドという余計な重い荷物を背負っていると言っても良い。
いらないものは脱ぎ捨てれば、かなり楽になるのである。
いや、本当は、いらないものを脱ぎ捨てるために、我々は千尋の谷に突き落とされるのである。
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正直、私は、この作品をあまり熱心に見た覚えがないが、主人公の10歳の少女、千尋(ちひろ)が鍛えまくられるのが、ちょっと胸が痛い。
もちろん、現実の世の中で、10歳の子供が頼る者なく放り出されたら、あんなものではないのだが。
千尋という名の尋(ひろ)は長さの単位で、1尋で1.818メートルらしい。
千尋は1.818キロメートルである。
千尋は「せんじん」とも読み、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という有名な伝説があることをご存知と思う。
すると、ライオンは、我が子を約2キロメートルの深さの谷に突き落として、這い上がってきた子のみを育てるという、いかにも梶原一騎のスポ根ものに出てきそうな(実際に、梶原一騎はよく引用している)ことをやると言われている訳だ。
私は、子供の時は、ライオンが本当にそんなことをするのだと信じてしまったが、もちろん、そんなはずはない(落ちた時点で即死だ)。
だが、『千と千尋の神隠し』の千尋が散々な目に遭う様子は、まさに千尋の谷に突き落とされたライオンの子供だ。
しかしまあ、人生なんて、千尋の谷に突き落とされるようなものだと思った方が良い。
だから、「這い上がり人生」といった言葉があり、どん底に落ちた人間が挫けずに奮闘することを「這い上がる」と表現する。
ただ、人生の場合は、這い上がりのゴールはなく、一生、這い上がり続けるしかない。
つまり、「人生いろいろあったなあ」「悪くない人生だった」と思っても、まだ千尋の谷の半分かもしれないのだ。
一番悪いのは、谷底でじっとしていることだが、おそらく、そんな者は、鬼でも現れて手荒くいじめるのだろう。
しかし、親が鬼を遠ざけてくれ、谷底でのんびり過ごすような者は悲惨だ。
親は、そんなことをすべきでない。
しかし、それが子供のためになると思う愚かな親が多いのだろう。
それでいえば、梶原一騎のスポ根ものも、ある意味では良いものである。
たとえ、ヘリコプターで谷底から引っ張り上げられても、やっぱり自分で這い上がらなかったら、また谷底に戻される。それが人間の人生だ。
今の世の中で増えているらしいが、40歳とか50歳まで働かずにニートで過ごしている者というのは、谷底から自分で這い上がった経験がない者のようなものだ。
千尋のような子供なら、身軽で元気があるので、自分で這い上がることが出来るが、歳を取った者で、自分で這い上がった経験がなければ何も出来ない。
ニートでなくたって、たまたま美人に生まれて、お金持ちと結婚し、安楽に過ごしている女性は、やはり、谷から這い上がった経験があまりないので、這い上がった者のみが持つ、強さ、気高さがなく、そして、そんな者だって、いつ千尋の谷の底に突き落とされるか分からないのだ。
皇后陛下のような立場は、一見、谷の上のさらに高い山の上のようだが、実際は、特に深い、数千尋の谷の底のようなものに思える。
思いあがった者は、いくつになっても、千尋の谷の底に突き落とされる。
可哀想に思えないこともないが、身から出た錆である。
だが、歳を取るほど、心と身体が重い鎧になり、這い上がることが出来なくなる。
あるいは、プライドという余計な重い荷物を背負っていると言っても良い。
いらないものは脱ぎ捨てれば、かなり楽になるのである。
いや、本当は、いらないものを脱ぎ捨てるために、我々は千尋の谷に突き落とされるのである。
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