ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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恐るべき脳の力を手軽に使う

俗説によれば、人間の脳は5%くらいしか使われていないと言われている。
これは、ほとんどの人は脳が本来持っている能力をほとんど発揮させていないという意味では正しい。
では、脳の能力を十分に発揮すればどうなるかというと、普通の人は、テストで百点を取るような、記憶力や計算力が高まったりすると思うのだろう。確かに、記憶力や計算力も高まるかもしれないが、脳の本当の力を考える上で、そんなものは、あまりに些細な能力だろう。
そこで、脳の力を示す難しい言葉や概念が生まれ、例えば、抽象化、概念化、マッチング、類推等といった思考の力について考えられるようになったが、これらはお互い関係し合っている。
だが、脳の力を一言で言えば、問題解決能力とでも言った方が良いと思う。
試験が0点でも、現実の問題を解決出来れば頭が良く、逆に、試験が百点でも、現実の問題が解決出来なければ馬鹿なのである。
学歴は凄いが、現実では何の役にも立たない者はいくらでもいるだろう。

優秀な人を「知恵がある」と言い、知恵がある人を「冴えている」とか言うが、何が冴えているのかというと、勘(直観)だ。
要は、勘、直観、第六感が優れた人が優秀である。
勘を発揮するにはデータも必要だと言われるが、それは、弁護士が、該当する法律を瞬時に引用するようなデータの使い方ではないし、Google検索のようなものでもない。
それどころか、高度な知恵や直観を発揮する時には、関係するデータを忘れてしまっていたり、あるいは、最初から知らない場合も少なくない。
だから、今、人気がある「どこにデータがあるんですか?」「誰がいつどこで言ったのですか?」といった論戦は、あまり程度が高くはなく、あまり賢い人の論議ではない。
まあ、論戦、論議とは、あまり頭が良くない者同士でやることである。
頭の良い人は論戦に参加しないし、やむなく論議を行う時は、何かエサを出してはぐらかすものである。
とはいえ、証拠もなく個人の思い込みを正しいと主張するような論戦すらあるらしいが、それはもう、人間ではなく猿に近いかもしれない。そんなものは見ないことを強くお勧めする。

脳がどんな能力を持っているかは、科学ではあまり分かっていないのだと思う。
それでも、脳が量子的な機能を持っていることが言われるようになり、脳が持っている能力は、見えない領域にまで広がるものであると推測されるようにもなったが、それで、脳の可能性はこれまで想像されていたような規模を超え、無限大と考えられるようにもなった。
脳の実力は科学では分からなくても、政治やビジネスや、あるいは、農業や漁業等の世界では、優れた人によって高度な能力が普通に使われているのである。
知らぬは科学だけ、あるいは、学校や役所だけである。
ただ、脳を高度に使っている人だって、使い方が経験的だったりで、同じ経験を持たないような人相手には説明し難いのである。
斎藤一人さんのように、ビジネスで驚異的に成功する人は、脳の使い方をよく知っていて、しかも、彼の場合は、普通の言葉で、ある程度説明が出来る。
しかし、その脳の使い方は、試験で百点を取るような使い方とは全然違い、世間常識とも合わない部分も多いので、斎藤さんは、やむなく「俺の話は変な話」と言ったり、自分のことを「変な人」と言うのだろう。
また、世間の言葉で言うこと自体難しい(と言うより無理がある)ので、どうしても、話どうしで矛盾が生じてしまうことが多い。
学ぶ方の能力も必要だが、その能力も、試験で百点を取る能力とは全然違い、先入観がないとか、素直とかいったことであるのだと思う。








心の声

私が子供の時、何かの漫画で、大会社の経営者が「経営者は勘が良くないといけない」と言うのを見て、非常に印象的に思った。
私は、勘というものに関し、テストのヤマカンといった、いい加減なものだと思っていた・・・というか、学校やテレビなどから、そう思うように思想コントロール(いわゆる洗脳)されていたのだろう。
テレビシリーズの『新世紀ヱヴァンゲリヲン』で、ある危機的な状況の中、葛城ミサトは地図の1点を指さし、「使徒(敵の巨大ロボット)はここに落ちて来るわ」と自信たっぷりに断言する。
碇シンジが戸惑って、「なぜ、そんなことが分かるんですか?」と尋ねると、葛城ミサトは「勘よ!女の勘」と堂々と言い切り、碇シンジは呆れるが、作戦はミサトの「女の勘」をベースに進められ、そして勝った。
船井幸雄さんといえば批判的な人も多いだろうが(私も彼の言うことは眉にツバをつけるが)、実績は抜群の人で、彼に限らないが、最高の経営策は経営者の直観であると成功した経営者達はよく言うと思う。
今、YouTubeで人気があり、若い人にもよく知られている経済学者で、天才と言われる成田悠輔氏(イエール大助教授)という人がいる。
彼が何かの動画で言っていたが、アマゾンの副社長だったと思うが「データは危険だ。我々はデータを信用しない」と言ったという話をしていた。アマゾンと言えば、グーグルと同じく、データでビジネスをやっているような会社だし、成田氏自身もデータの専門家で、大学や企業で、データの実用的な活用を研究・実践している人と思う。
現代はビッグデータやディープラーニングにより、データの使い方も格段に進歩しているし、アマゾンこそ、それらに関する最先端の企業であるが、アマゾンの副社長はそれも含めて「データは危険。信用出来ない」と言ったのだろう。
そこで成田氏は、アマゾンの副社長に「では何を信用するのか?」と尋ねたら、アマゾンの副社長は「CEOの心の声だ」と言ったと成田氏が明かすと、他の出演者や聴衆は微妙なリアクションをしたと思う。
「CEOの心の声」とは、即ち、CEOの勘、直観のことだろう。

スティーブ・ジョブズが、音楽ダウンロード販売やアイパッド、アイフォンといった画期的なモバイル端末を作ったのは、心の声・・・即ち、直観に従った部分が大きかったに違いない。
もちろん、勘だけでなく、例えば、音楽ダウンロード販売でも、ユーザーが欲しいコンテンツを簡単に見つけられるよう最大の配慮をするなどの努力もしたが、根本的なアイデアが、ジョブズの勘なしに生まれるものではなかった。
一方、ビル・ゲイツは、今日のモバイル時代を想像出来ず、モバイルでは、アップルやグーグルに市場を明け渡した。
Windows3.0や3.1の頃までは冴えまくっていたゲイツの勘も、ある時期からは曇ってきたのかもしれない。
ゲイツは、グーグルが上場前に、破格の条件でグーグルを買収しようとしたのだから、それに関しては良い勘だったかもしれないが、グーグル幹部の勘はさらに良く、「ゲイツにグーグルの経営は無理」と判断して買収を拒否し、上場後も、ゲイツに敵対的に買収されないよう、複雑な株式形態にした。

ビッグデータやディープラーニングは、使うべき場所で使えば、確かに人類史上なかったほど強力であるが、人間の直観には遠く及ばない。
ところで、離婚が多いのは、直観で、即ち、心の声に従って相手を決めるのではなく、外面的なこと、即ち、データで決定したからだ。
特に、「女の勘」が衰えたというか、なくなっている場合が多いのだろう。
我々は、もっと、直観を重要視し、これを磨かないといけない。
ある世界トップクラスの投資の達人に、投資のコツを聞くと、「欲張らないことだよ」と答えたらしい。
この投資の達人も、データは当然使うが、それよりも、勘が冴えわたっている。
そして、直観を得るコツが「欲張らないこと」なのだ。
「女の勘」も、欲張っていると冴えず、ロクでもない男を掴むのだ。








勘の磨き方

経営者でも、科学者でも、軍人でも、政治家でも・・・いや、あらゆる分野で、トップが最も重要だと言うのは「勘」だ。
ただし、勘というのは、じっと座って目をつぶっていてやってくるものではない。
瞑想の重要性を説く人もいるが、勘は瞑想中にやってくるのでもない。
また、自分の活動に関係のあるものばかりを見ている近視眼的な者に勘は閃かない。

自分の活動と直接には関係のないもの、あるいは、全く関係のないものを眺めている時に勘はやってくる。
勘がやって来た時には、「あれ!」と思うものだ。
最初から答が出るのではないのだ。
まず、「あれ!」と思う。
つまり、何かが気になるという訳だ。
そして、その気になるものを探究するのである。
それを、もっとよく見たり、見方を変えたり、拡大したり、照明の色を変えたり。
あるいは、関係すると思えるデータを調べたり、人に聴いたり、それのことを考えながら思い付きでどこかに行ったり。
それでも、普通は、すぐには分からない。
しかし、潜在意識の中では探究が続いている。
そして、やがて、アンサーが空間からやってくる。

ヴァーノン・ハワードは、「木の実が自然に落ちて来るのを待て」と言った。
関心を持ちつつも、焦らず、心を静めて待つのである。
すると、やがて、熟した実が落ちてくるだろう。

1970年頃に制作されたイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO(原題:UFO)』で、高度なテクロジを持つ宇宙人と戦う地球防衛組織の司令官ストレイカーは、地球人には想像もつかない宇宙人の恐るべき計略にお手上げの状態にさせられたことがあった。
だが、ストレイカーは、何かがひっかかり、それについて、深く、静かに思索した。
すると、ストレイカーは、なぜか、10年前に撮影されたビデオ映像のことを思い出し、それが気になって、部下にそれを探させ、再生してみた。
その中で、10年前の若い姿の部下が「隕石」という言葉を口にした時、それがアンサーだとストレイカーには分かった。
宇宙人は隕石に見せかけて、特殊な装置を、地球防衛組織の月の基地の近くに落下させていたのだ。
ストレイカーは、隕石落下地点を破壊させ、装置を破壊し、勝利した。

普段から、正しい生活をしていると、何かに気付く。
それを、注意深く分析し、静かに思索するのだ。
すると、やがて、アンサーという勘が訪れる。
そして、あなたは勝つのである。









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勘とは何か?それをどう磨くか?

「朝は夜より賢い」とか言われる。
昔は、夜書いたラブレターを、朝読み返すと、その内容が恥ずかしくて、破り捨てずにいられないとよく言ったものだ。
今は、手紙を書くことはほとんどないだろうが、ラブレター以外の情熱的な文章の場合も同じだろう。
ところが、朝、それを読み返して恥ずかしく思っても、我慢して、数日置いておいてから、また朝に読んでみると、別に恥ずかしくないのである。
このことは、あまり指摘されない。
これは、一体、何が起こっているのだろう?
夜、何かの問題を考えていると、朝、答が出ていたなんてことはよくある。
これと同じで、夜書いた文章の批評を、頭が無意識的に行うのである。
それで、朝、再度文章を見る時には、批評が出来上がってしまっており、それ(批評)を通して見るので、文章の価値が劣るように思うだけだ。

我々は、脳の潜在能力を軽く見てはならない。
それは恐るべき高度なものである。
学校や会社に行き、誰かに会えば、それが誰かたちどころに分かる。
その時、決して我々は、外見を論理的に判断して、それが誰か判定しているのではない。
「身長は166センチで、BMIが23程度の体形。目の位置は標準より中央寄りで、鼻の形状はサドル型。口の大きさは平均値より5ミリ小さい」
などといった判断を次々に行い、最終的に鈴木次郎さんだと判定する訳ではない。
よほどよく似ている人が他にいる場合でも、普通は姿を少し注意深く見れば、あるいは、目が合った時の相手の反応振りで、ほとんどの場合は誰かすぐに分かる。
人を識別するロボットでも作れば、人間の能力の偉大さが分かるだろう。

熟練の結婚詐欺が女性を騙そうとする場合も、女性は、それを楽々見抜く能力がある。
これは、別に「女の勘」が素晴らしいことを言いたいのではなく、男の場合も全く同様である。
ところが、腕の良い詐欺師ほど、そんなことをよく知っているのである。
それで、相手の感情をうまく操作して、潜在能力による判断力を発揮させないよう全力を上げるのだ。
中年の男は若くて可愛い女性にコロリと騙されるが、本来は、嘘を見破る能力は十分に持っているのである。
しかし、「色に目が眩んで」、そんな素晴らしい能力が発揮されないのだ。

優れた人間は勘が鋭い。
経営者が、難しい判断をし、それがうまくいった時、その経営者は、後で判断の理由をいろいろデッチ上げるが、正直な経営者はよく、
「私には分からなかった。最後は勘しかないのだ」
と言う。
頭の判断は、上で述べたように、クラスメイトの一人一人を論理的に判断するようなもので、勘は、潜在能力による判断だ。
勘のほうがはるかに賢いのは当たり前である。
ただし、勘だって、頭が持っている情報で判断しているだけである。
ただ、潜在能力が、情報の関連付けや統合、判断する速さ、正確さが、顕在能力とは比較にならない程、桁外れに速く大きいのである。
勘は本来、神秘的なものではない。
だから、本当は、知識や経験が豊富な方が、勘も鋭いのである。
だが、知識や経験が多い人ほど、頭で考えて判断しようとし、潜在能力を使わないので、馬鹿な判断をするのである。
それは、高性能のスポーツカーを、軽自動車に乗せて走るようなものである。

ユングによれば、集合無意識を通し、自分の知らない情報も入って来ることがあるらしい。
もしそうであるなら、その勘は、超感覚的知覚や予知能力の域にまで達する。
そんなことがあるとは、一般には認められていないし、正統な学問では決して認めないだろう。
しかし、そこまでいかなくても、潜在能力は、十分に、驚異的、天才的である。
この素晴らしい勘を使えるなら、あなたはどこまでも成功するだろう。
そのためには、普段から、「どう考えるか」だけではなく、「どう感じるか」に注意しなければならない。
そして、「どう感じるか」を普段から、もっともっと意識し、磨いておかなければならない。
現代では、我々は、子供の頃から、「感じる」ことを軽く考えるようしつけらる。
それどころか、感じることが原始的で愚かであると思い込まされることすら少なくない。
それで、ある程度の年齢になれば、自分の能力のほんの一部しか使えなくなってしまうのだ。
絵を見てすら、「この絵の形式はどうで、この色をここに置くことでこんな効果を上げている」と分析的に考えることが偉いという、愚かな考えをするのだ。
論理的思考も必要であるが、感じることはもっと大切である。
普段から、良い絵を魂で見、良い音楽を魂で聴くことをしなければならない。
結局のところ、それが成功の大きな要因にもなるのである。
そして、もしかしたら、ESP的能力も訪れるかもしれない。

余談だが、『南極点のピアピア動画』というSF小説に、「あーやきゅあ移動体」・・・通称「あーや」と呼ばれる宇宙人製アンドロイド(姿は初音ミクとほぼ同じ)が潜在知を活用する様子がうまく描かれている。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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