イエス・キリストは、こんなことを言っている。
「丈夫な人に医者は必要ない。医者を必要とするのは病人だ。同じく、立派な人に私は必要ない。私は罪人のために来た」
「迷える子羊」という言葉を聞いたことがあるだろうが、その意味を知らない人が多い。
イエスは、こんなふうに言ったのだ。
「良い羊飼いは、百匹の羊の群れは放っておいて、一匹の迷える羊を探しに行くのだ」
つまり、イエスは、立派な人や、社会で皆と仲良くやっている順調な人ではなく、ロクデナシや、はぐれ者、つまはじき者を救いに来たのである。
同じと言っては不遜だが、私も、興味があるのは、落ちこぼれ、引きこもり、まるで駄目なヤツ、無用者、ガラクタで、私自身も含め、そんな者達を確実に救済する方法を探してきたのである。
そして、イエスが教える、ロクデナシ脱出法は、実は簡単なのだが、難しく解釈されてしまった。
丁度、仏教の教えというものが、本来、法然や親鸞が言うように、念仏を唱えれば救われるというような簡単なものなのに、難しいものにされてしまったようなものだ。
イエスは、駄目なやつは、神様に頼れと言っただけである。
そして、神様に頼るとは、神様と呼べば良いだけである。
ちょっと例を上げる。
私は、セールスマンとして社会人のスタートを切ったが、その時の私のスターは、世界的セールスマンだった夏目志郎さんだった。
だが、夏目さんも、本来は、まるで駄目男だった。
元々、中国の富豪の息子で、戦後まもなく、大金を懐に、アメリカの高級車と共にやって来た。
やって来た・・・はいいが、事業で一旗揚げるつもりが、あっという間に詐欺に遭い、一文無しどころか、多額の借金を背負い、早くもツミだった。
典型的な、駄目なボンボンだったのだ。
ところが、膨大な借金を抱えて終わるはずが、彼はクリスチャンになり、イエスの教えを上手くつかんだ。
彼は、神様に、こう祈った。
「私のこれまでの人生の失敗は私の責任です。けど神様、私のこれからの人生の責任はあなたに取って欲しい。まず、いい仕事下さい!」
翌日、良い仕事が来て、彼は成功一直線になった。
つまり、彼は、「神よ、与えよ」と言っただけである。
そして、「責任はあなたが取って」と神様に下駄を預けた、つまり、全ておまかせしたのである。
もう丸投げである(笑)。
イエスは言ったのだ。
「何でも欲しいものは神に求めよ。全部与えられるだろう」
ポイントは、必ず、「神よ」「神様」と、「神」と言うこと(思うこと)。
後はもう、ご自由に。
「神」という言葉に、強い力があるのである。
これについては、最近、たびたび言うように、「ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻」で、イエスが力強く説明している。
「神」という言葉は強力である。最高のヴァイブレーション(波動)を発し、全てを変える。
それに関する例として、2つの話を取り上げる。
今も映画が作られる『美少女戦士セーラームーン』という歴史的アニメがある。
2018年、パリで行われた、日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、初音ミクさんがコンサートを行ったが、セーラームーンはミュージカルを行った。世界的人気を誇る、2人の金色と緑のツインテールの少女達がパリを熱狂させたのだ。
ところで、セーラームーン放映当時、セーラームーンに負けないくらいの人気があったアニメ『怪盗セイント・テール』があった。
『怪盗セイント・テール』は、漫画の連載が数回で終わる予定(漫画雑誌の穴埋め作品だったのかもしれない)が、人気が出て、長編になり、さらに、アニメになり、堂々、女王セーラームーンと張り合うほどの人気作品になった。
確かに『怪盗セイント・テール』は良い作品だったが、ヒロインの羽丘芽美は、セーラームーンこと月野うさぎと同じ14歳で、モロに競合するし、セーラームーン側は、個性的な女の子キャラクターがいっぱいだったのに、セイント・テールは、芽美と、芽美の親友でシスターの聖良(せいら)の2人だけだった(聖良も、水野亜美と被ったところがあったと思う)。
全体に、セイント・テールが、セーラームーンに対抗出来るとは思えず、セーラームーンに吹っ飛ばされるのが当然だった。
だが、『怪盗セイント・テール』は、漫画の中でも「神」という言葉が多く出て来た。
そして、アニメ予告編で、それぞれ、セーラームーンとセイント・テールが言う最後の言葉は、
「月の光は愛のメッセージ」(美少女戦士セーラームーン)
「あなたに神のご加護がありますように」(怪盗セイント・テール)
だった。
セイント・テールは、魂のある作品だっただけでなく、この神という言葉の力で、異例のヒットをし、今だ人気は衰えない。私はそう思う。
また、『勇者ライディーン』という1975年のアニメがあり、正直、意外と思われるヒットをし、歴史にも残った。
この作品では、毎回のように、イメージソング『神と悪魔』という曲が流れ、その中で、子門真人氏の素晴らしい歌声で「神の力」という言葉が使われた。
そして、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が、このアニメのタイトル『ライディーン』を、ほとんどロクに考えずに、彼らの世界的名曲『ライディーン』のタイトルに採用してしまった。
これも、神という語の力であると私は思う。
「丈夫な人に医者は必要ない。医者を必要とするのは病人だ。同じく、立派な人に私は必要ない。私は罪人のために来た」
「迷える子羊」という言葉を聞いたことがあるだろうが、その意味を知らない人が多い。
イエスは、こんなふうに言ったのだ。
「良い羊飼いは、百匹の羊の群れは放っておいて、一匹の迷える羊を探しに行くのだ」
つまり、イエスは、立派な人や、社会で皆と仲良くやっている順調な人ではなく、ロクデナシや、はぐれ者、つまはじき者を救いに来たのである。
同じと言っては不遜だが、私も、興味があるのは、落ちこぼれ、引きこもり、まるで駄目なヤツ、無用者、ガラクタで、私自身も含め、そんな者達を確実に救済する方法を探してきたのである。
そして、イエスが教える、ロクデナシ脱出法は、実は簡単なのだが、難しく解釈されてしまった。
丁度、仏教の教えというものが、本来、法然や親鸞が言うように、念仏を唱えれば救われるというような簡単なものなのに、難しいものにされてしまったようなものだ。
イエスは、駄目なやつは、神様に頼れと言っただけである。
そして、神様に頼るとは、神様と呼べば良いだけである。
ちょっと例を上げる。
私は、セールスマンとして社会人のスタートを切ったが、その時の私のスターは、世界的セールスマンだった夏目志郎さんだった。
だが、夏目さんも、本来は、まるで駄目男だった。
元々、中国の富豪の息子で、戦後まもなく、大金を懐に、アメリカの高級車と共にやって来た。
やって来た・・・はいいが、事業で一旗揚げるつもりが、あっという間に詐欺に遭い、一文無しどころか、多額の借金を背負い、早くもツミだった。
典型的な、駄目なボンボンだったのだ。
ところが、膨大な借金を抱えて終わるはずが、彼はクリスチャンになり、イエスの教えを上手くつかんだ。
彼は、神様に、こう祈った。
「私のこれまでの人生の失敗は私の責任です。けど神様、私のこれからの人生の責任はあなたに取って欲しい。まず、いい仕事下さい!」
翌日、良い仕事が来て、彼は成功一直線になった。
つまり、彼は、「神よ、与えよ」と言っただけである。
そして、「責任はあなたが取って」と神様に下駄を預けた、つまり、全ておまかせしたのである。
もう丸投げである(笑)。
イエスは言ったのだ。
「何でも欲しいものは神に求めよ。全部与えられるだろう」
ポイントは、必ず、「神よ」「神様」と、「神」と言うこと(思うこと)。
後はもう、ご自由に。
「神」という言葉に、強い力があるのである。
これについては、最近、たびたび言うように、「ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻」で、イエスが力強く説明している。
「神」という言葉は強力である。最高のヴァイブレーション(波動)を発し、全てを変える。
それに関する例として、2つの話を取り上げる。
今も映画が作られる『美少女戦士セーラームーン』という歴史的アニメがある。
2018年、パリで行われた、日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、初音ミクさんがコンサートを行ったが、セーラームーンはミュージカルを行った。世界的人気を誇る、2人の金色と緑のツインテールの少女達がパリを熱狂させたのだ。
ところで、セーラームーン放映当時、セーラームーンに負けないくらいの人気があったアニメ『怪盗セイント・テール』があった。
『怪盗セイント・テール』は、漫画の連載が数回で終わる予定(漫画雑誌の穴埋め作品だったのかもしれない)が、人気が出て、長編になり、さらに、アニメになり、堂々、女王セーラームーンと張り合うほどの人気作品になった。
確かに『怪盗セイント・テール』は良い作品だったが、ヒロインの羽丘芽美は、セーラームーンこと月野うさぎと同じ14歳で、モロに競合するし、セーラームーン側は、個性的な女の子キャラクターがいっぱいだったのに、セイント・テールは、芽美と、芽美の親友でシスターの聖良(せいら)の2人だけだった(聖良も、水野亜美と被ったところがあったと思う)。
全体に、セイント・テールが、セーラームーンに対抗出来るとは思えず、セーラームーンに吹っ飛ばされるのが当然だった。
だが、『怪盗セイント・テール』は、漫画の中でも「神」という言葉が多く出て来た。
そして、アニメ予告編で、それぞれ、セーラームーンとセイント・テールが言う最後の言葉は、
「月の光は愛のメッセージ」(美少女戦士セーラームーン)
「あなたに神のご加護がありますように」(怪盗セイント・テール)
だった。
セイント・テールは、魂のある作品だっただけでなく、この神という言葉の力で、異例のヒットをし、今だ人気は衰えない。私はそう思う。
また、『勇者ライディーン』という1975年のアニメがあり、正直、意外と思われるヒットをし、歴史にも残った。
この作品では、毎回のように、イメージソング『神と悪魔』という曲が流れ、その中で、子門真人氏の素晴らしい歌声で「神の力」という言葉が使われた。
そして、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が、このアニメのタイトル『ライディーン』を、ほとんどロクに考えずに、彼らの世界的名曲『ライディーン』のタイトルに採用してしまった。
これも、神という語の力であると私は思う。
