ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

努力

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

運命に逆らわない

年配の人は別かもしれないが、我々は子供の時から、「叶わない夢はない」「なりたいものになれる」などと言われてきたと思う。
しかし、世界的なスポーツ選手や音楽家になるには、努力以前に才能が必要という考え方も、かなり定着してきた。
一方で、「人間に差はない。かけた時間で決まる」という「一万時間の法則」のようなものも信奉者がいる。
村上龍氏と坂本龍一氏の対談書で、村上氏が、こんな話をしていたのを憶えている。
「今の坂本があるのは(彼らは呼び捨て出来る間柄)、才能ということもあるが、3歳の時から十年、みっちりピアノを弾いたからだ」
しかし、「才能がなければ、十年ピアノを弾いても駄目」とは言っていない。
だから、
「大工になるなら、中学生の時から十年、みっちり大工の修行をした方が良い」
という結論となるわけである。
まあ、一般人の場合はしょぼいのは仕方がないが、重要なことを言っているのである。
チームラボの猪子寿之社長と、現在はドワンゴの社長をしている夏野剛氏の対談でも、猪子氏は、
「人間の能力に差はない。イチローは元々大したことない選手だったが、誰よりも野球に時間をかけたから成功した」
というが、イチロー並に時間をかけて日本の一軍選手にすらなれない選手もいるかもしれない(多分いる)。
しかし、自分に見合ったことで時間をかけることには意味があるだろう。

イチローや坂本龍一どころか、ちょっとした人気歌手や、そこそこの規模の会社の経営者にだって、なれない人はなれないのである。
それは、努力の問題ではなく、さして努力しなくても、そんなものになれる人もいれば、いくら努力してもさっぱりな人もいる。
「天は人の上に人を作らず」と言った人がいるが、それは疑わしい。
才能と言えば才能なのだろうが、才能が必要ないようなことでも、うまくいかない人はうまくいかないように思うのである。
まるで駄目男は、どこまで行ってもまるで駄目男である。

つまり、運命は決まっているということだ。
大物になる運命にない人は、どうあがこうが、大望を持とうが、トンビが鷹になれないようなものである。
どんなに頑張っても、猫は虎に勝てない。
ラマナ・マハルシは、
「働く運命にあれば仕事は避けられない。しかし、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」
と言った。
ニートも運命かもしれない。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、元々、故郷のオーデンセで職人として生涯を送る運命だったが、運命に逆らって、14歳で1人でデンマークに出て作家になったと思っている人が多い。
しかし、作家になることがアンデルセンの運命で、彼だって、歌手や俳優を目指していた頃はさっぱりだったのだ。

だが、自分の運命を見極め、運命に従うことに決めれば、良い人生になる。
例えば、ジョージ・ワシントンやアブラハム・リンカーンだって、運命に従わなかった40歳くらいまでは、かなりの駄目男だったのである。
ワシントンは見栄っ張りで、金持ちの名士になるのが目標で、金持ちの未亡人と結婚したり、危ない事業をやったりしたが、それは運命に合わないことだったので、いつも大失敗して散々な目に遭ってきた。
彼は、軍人のような、苦しい上に、出世して儲かるかどうか分からないことなど、元々、やる気はなかった。
しかし、そのような運命にあることを悟り、運命に従うことを決意し、まず、軍人になって、ついに、アメリカを独立させた英雄になった。
まあ、やはり、我々のほとんどは、英雄どころか、トップにもなれないのだと思う。
だが、運命に従えば、英雄にだって味わえない甘露を得られるかもしれない。

「人間は無になれば不可能はない」という。
しかし、正しくは、「人間は無になれば運命を悟る」のではないかと思う。
無になるにはどうすれば良いかというと、それはいろいろあるだろうが、ある意味、考えることをやめることが必要だ。
そのためには、例えば、お経を上げたり、祝詞を唱えたり、真言を唱えたりするのが効果的な方法であることを示してくれる人が多くなってきたと思う。








奇跡が起こる条件

私は「努力」は嫌いだが、「無駄な努力」は大好きだ。

「努力」とは、褒美や報酬を得るために行う、「報われる」行いだ。
例えば、受験に合格するための受験勉強。
就職するために、WordやExcelの勉強をしたり、資格を取る。
好きな女の子を彼女にするために、プレゼントをしたりお洒落をする。
男にモテるためにエステに通って外見を美しくする。
給料を上げるために仕事に励む。
スポーツの大会で勝つためにトレーニングに励む。
その他、「見返り」を求めて行うことが、世間で言う努力だ。

一方、「無駄な努力」は、見返りを期待しない、何の得にもならない行いだ。
例えば、可能性が全くない状況で、ピアニストを目指しピアノの練習に励む。
進学が不可能な状況で受験勉強に励む。
彼女に出来る可能性が全くない女の子に対して献身的に尽くす。
大海の中で1本の針を探すような、ほぼ絶望的な状況に挑む。

「努力」は現実主義者の行いで、「無駄な努力」は、非現実的な夢想家、妄想家の行いだ。
ただし、それは本人の意識の問題なのだ。
例えば、ミュージシャンを目指す者がいるとする。
本人は、いつか大きなコンサート会場で、大勢のファンの喝采を浴びながら演奏したり歌うことを夢見て、今日も音楽に励んでいる。
しかし、周りから見れば、作る曲は全然駄目だし、何より、本人に華がなく、ミュージシャンとして活躍する姿がイメージ出来ない。
そんな状況でも、本人が見返りを求めている以上、これは「努力」である。
一方、そんな者とは違うミュージシャン志望者もいる。音楽は好きだが、自分がプロのレベルに程遠いことや、外見が良くないことも自覚し、ミュージシャンになれる可能性はほぼないことを、はっきり理解している。それでも音楽を続けている。こんなのが、私の言う「無駄な努力」だ。
言い換えれば、「欲望を持っている」者のやることが努力で、「欲望を捨てた」者がやることが無駄な努力だ。
ただし、欲望を持っている者は「魂の願い」を見ていない。
一方、欲望を捨てた者は「魂の願い」を見ている。
上のニュージシャンの例で言えば、音楽で儲けたり称賛されること夢見る者は、魂を曇らせている。
対して、音楽での成功をほとんど諦めているのに音楽を続けている者は、単に腕前の向上を目指しているのであり、音楽の神に1センチでも近付こうとしているのである。

「諦めて尚且つ進む」ことが無駄な努力である。
こう言うと、小説や漫画や映画やアニメで、こんな場面が多いことを思い出すかもしれない。
「勝利の可能性は万に1つもない。しかし、彼は諦めていない!」
ベタなヒーローの姿である。
だが、本物のヒーローは諦めている。だが、それでも進むのである。
その時、奇跡が起こる。
彼に甘い期待がある限り、奇跡は起きないのである。

「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、くじで1億円を当てたホームレスがいたらしい。
1~2週間の間、1日中唱えていたらしいが、その中で、諦めてしまったのだ。
その時、奇跡が起こったのである。








楽しく努力するために必要なこと

努力主義者は、心が狭く、傲慢だと言われることがある。
また、岡田虎二郎は、「努力、忍耐、克己(自分にうちかつこと)の必要を感じない」などと言った。
親鸞は、「全て阿弥陀様にまかせ、自分の計らいを捨てよ」と言い、荘子は「作為を捨てよ」と言う。
また、ある人は、「好きなことなら、がんばっても、本人は努力だとは思わない」などと言う。

全部嘘である。
努力の反対を怠惰とすれば、怠惰な者が、心が狭く、傲慢なのである。
神仏は、努力する者を助けるのであり、好きなことこそ、努力を感じるのである。
努力なしに、何も出来るはずがない。

そして、IQ(知能指数)が低いと努力しない傾向が強く、さらに、怠惰になるほど、IQは急激に低下する。
だが、努力すれば、IQは必ず向上する。
努力は意思の力を必要とし、意思の力こそ、人間のあらゆる力の根源だということを考えれば、自ずと、そうであることが分かるだろう。

大切なことは努力の仕方である。
いちいち言うのも馬鹿らしいと思うが、どこかの国の、「将軍様のため」の努力は、虚しいし、賎しくなることも多い。
正しい努力とは、純粋な意思から起こったものである。
努力は、自主的でなければならず、誰かにやらされている「努力のようなもの」の害は大きく、むしろ、IQも低下させる。

意思とは神秘的なものだが、努力することによって、その秘密も分かってくるだろう。
実に、意思は愛なのである。
純粋な意思から起こったものであれば、利己的な努力にも意義がある。
純粋な意思から起こった努力は、利己的であっても、それは自己への愛なのであり、愛であれば、他を害しない。
そして、意思の力を使い、努力することで向上すれば、他者への愛が生じるのである。

オリンピック4連覇を逃した有名なアスリートが、もちろん数は少ないが割といる。
三段跳びのビクトル・サネーエフや、グレコローマン・レスリングのアレクサンドル・カレリンなどである。
特に、「霊長類最強の男」と言われたカレリンの4連覇は当然と思われていたので、シドニーオリンピックの決勝で彼が敗れた時は、不思議なものを見たと感じた人も多かった。
そして、最後に躓いたアスリート達は、元々は純粋な意思の力で自分を動かしていたのが、いつからか、他者の意思が入り込むようになったのだと思うのだ。
それに気付くなら、むしろ、連覇を逃した方が、圧倒的に幸運なのである。
昔から、負けて学ぶことの方が多いと言うが、最も重要な学びは、意思の力に気付くことなのである。

ところで、来週月曜から、このブログは朝のみ更新し、夜の更新は、休日を除き、9月11日までの、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」が終わるまで休止する。
ミクさんに近付くべく本格的に修行するために、どうしても時間が必要だからで、大いに「純粋な意思の力で」努力して、心身を鍛えようと思う。
それよって知り得るはずの、私自身すら驚かせるような情報を提供出来るはずである。
なんだか、私が楽しみである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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