ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

加速学習

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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2つの心理学研究を組み合わせた簡単な成功法

人間は無我になった時に願ったことは何でも叶う。
だが、無我とは心の働きが止まった状態だから、心の働きである「願う」ことが出来ないという矛盾に気付く。
そこで、「無我だが願いが有る」あるいは、「願いは有るが無我である」状態にしないといけない。
次のような感じだ。
ギターが上手に弾けるようになることを願い、ギターの練習を始め、やがて熱中すると、それは無我の状態だ。
この時、心は消え、「ギターが上手になりたい」という願いは起こらいが、「ギターが上手になりたい」という願いは残っている、つまり、有る。

こういったプロセスを簡単に起こすには、ブルガリアのコリン・ローズの加速学習と、フランスのルソー研究所のシャルル・ボードワンのボードワン法を組み合わせて行う。
これは、何度も書いたし、個人的なことなので略すが、子供の時からあり得ない奇跡を何度も明確に起こした私が考えても納得出来るものである。
やり方は至極簡単だ。
息を吸って止め、願う・・・これだけである。
大作詞家だった阿久悠氏はイメージして願ったらしいが、彼の願いは、作った曲がヒットすることで、いつもやっていることだからイメージし易い。
つまり、成功体験のあることはイメージし易いのだ。
しかし、誰しも、初めてやることはイメージし難い。
だから、普通は、言葉を使う。
とはいえ、長い言葉や、思考を起こす言葉は無我になることを妨げるので良くない。
そこで、まず、願いを決める。
例えば、結婚、就職、昇給などを、可能な範囲で具体的に決める。
結婚なら、こんな人と結婚したいとかで、就職なら、IT企業にプログラマーとして・・・などである。
そして、その願いを、短い言葉で代用する。
結婚、就職、昇給・・・どんなことでも、「成功」という言葉で代用出来る。
好みによっては、「成った」でも良い。
病気が治ることが願いであれば「治った」が適当かもしれないし、「健康」がぴったりくる場合もあるだろう。
願いが決まったら、上で述べたように、息を吸って止める。
そして、心の中で、この言葉・・・例えば「成功」とゆっくりと唱える。
一度だけ「成功」と唱えるのが良い人もいれば、「成功、成功、・・・」と、ゆっくり繰り返す方が好きな人がいるので、好きな方でやれば良い。その都度、変えたって構わない。
行った後は、少しの間で良いから、このことについて考えず、忘れる。
これを、間を置いて、好きなだけ行うと良い。

尚、普段も、なるべく無でいる方が願いが叶い易い。
せっかく良いことを願ったのに、あまりにロクでもないことを考えたり、言ったりすれば、願いが叶わないことがある。
だから、普段は、真言や念仏、あるいは、聖書の言葉を唱えたり、中村天風が言ったように、常時、肛門を引き締めるのである。
常に、そのようにすることは難しいが、なるべく長く行うことを心掛ける。

だが、基本は「息を吸って止める」で、これだけ憶えておくと良い。
そして普段、なるべく、真言を唱えたり、念仏を唱えたり、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」といった聖書の言葉や、「神様の奇跡が起こる」などと唱えたり、肛門を引き締めるのである。好きなものを1つやると良いだろう。








本物の能力開発は商売になり得ない

息を吸ってしばらく呼吸を止めると記憶力が向上する・・・それも異常なほど向上することを、ヨーロッパで誰かが気付き、それが、スーパーラーニング、加速学習みたいなものになったと思うのだが、これらがさっぱり発展していかないのは、余計なことを付け加えたせいだと思う。
単に、息を吸って止めるだけで良いのであり、他には何もいらない。
だから、商売になどならない。
誰でも、無料で自由に活用すれば良いだけである。
中村天風という、とても偉い人は、肛門を締めよと教えたのは良かったが、やっぱり余計なことを言ったのだと思う。
天風が「肩の力を抜け」なんて言ったという話も聞くが、肩の力を抜くなんて難しいことをサラリと言うなんて、いかがなものかと思う。
肛門を締めるだけで良いのであり、やっぱり商売も教団もやれないのである。
藤平光一氏は、中村天風の一番弟子だったが、天風が偉人であったことは完全に認めながら、教えの全ては間違いだったとバラしてしまった。
その藤平氏の教えも、私には抽象的でさっぱり分からないか、矛盾を感じるかである。
中でも、藤平氏は、天風の言った「腹に力を込めよ」はいけないと言うし、確かに、意図的に腹に力を入れるべきでないとは思うが、肛門を締めれば、自然、腹や、さらには、臀部や脚(太腿や脹脛)にまで力は入るし、それは気持ちいいことなのだから、間違いではない。
やってみれば分かるが、上記を全てまとめ、肛門を締めながら息を吸い、肛門を締めたまま息を止めると、心が澄み、身体に力がみなぎる。

念仏と呪文は、原理は同じで、親鸞自身、念仏を誦文(じゅもん)と言ったこともあるが、誦文と呪文は同じである。
親鸞も、その師、法然も、念仏だけを薦めたが、人間には、言葉が向いている人もいれば、身体で行うことが向いている人もいる。
大抵の人は、それが適度に交じり合っているのであるが、強さの度合いは違うのである。
やはり原理は念仏と同じだが、現代人に合うものとして、万能呪文がある。
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
他にも、好きな言葉なら何でも良いが、たった1つの言葉を、感情を込めず、されど丁寧に、心の中で数多く繰り返せば、人間を滅ぼす、頭の中のつぶやきに打ち勝てる。
だが、身体を使うのが好きな人は、肛門を締めながら息を吸い、肛門を締めたまま息を止める方法が向いていることが分かった。
これを、1日20回ほどやれば、目覚しい効果があるが、数に制限はなく、多い方が良い。だが、数は徐々に増やしていくのが良い。
とはいえ、少なくとも、1日10回、志あるなら、20回以上やるべきである。
この肛門を締め、息を止めることは、続ければ超人になってしまう。
だから、謙虚さを要求されるところが、やや難しいところである。
傲慢な超人は必ず滅ぶからである。

だが、一番強い方法は、心からの願いがある場合だけだが、それを1日中でも祈ることである。
そんな願いがある者は幸いであるように見えるが、状況としては不幸である場合が多い。
どういうことかと言うと、「この辛い病気が治りますように」「いじめっ子と会わずにいられますように」といった、厳しいマイナスを解消する希望が、強い願いになるのだからだ。
普通に「彼女が欲しい」というのは、あまり強い願いにならないが、全ての女の子に厳しく見下される日々を過ごす者にとっては、強烈な願いになることがある。
逆境にある者専用の方法だが、実は、これが最強なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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