ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

刀語

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

何でも即出来る秘儀

西尾維新の小説・アニメ『刀語(かたながたり)』に、こんな、一見、荒唐無稽な話がある。
七実(ななみ)という名の、病弱でか弱そうだが、極めて美しい娘が、超人的な忍者の男に襲われる。
だが、七実は悠々と忍者の攻撃をかわしたばかりか、その忍者が長年の苦しい修行の上に習得した秘術を、そっくり真似して見せる。
これが七実の秘儀「見稽古(みげいこ)」で、七実は一度見さえすれば、どんな高度な技も自分のものに出来る。
主人公で七実の弟、七花(しちか)が、日本一と言われる剣豪と真剣勝負をし、運が味方し奇跡の勝利を収めたが、七花は、その剣豪の実力を称賛し、自分が勝ったのは単なる偶然と謙虚に認識していた。
ところが、その七花が言う。
「だけど、姉ちゃんほどじゃなかったな」
七実の実力は人間界の道理をはるかに超えているのだ。

一度見さえすれば、どんな技も身に付ける七実の特殊能力・・・これは単なる漫画だろうか?
だが、TEDでも講演を行った神経科学者ジェームズ・ファロンの著書『サイコパス・インサイド』に、こんな話がある。
ゴルフクラブなど見たこともない未開の村の人々の前で、ファロンだったか別の人だったかは忘れたが、一回だけ、彼らにナイス・ショットを打って見せた。
その後、彼らにやらせたら、子供から老人まで、全員が同じようなショットを放った。
ファロンによれば、これは脳のミラー・ニューロンの働きで、最近ではいろいろな脳科学者が、このミラー・ニューロンを話題にしている。
上の七実は、ミラー・ニューロンの働きが極めて優れているのだろう。

夏に起こること
AIアート149
「夏に起こること」
Kay


では、どうすればミラー・ニューロンを強化出来るだろう?
これは容易に予想がつく。
ファロンの話にあった未開の民族の人達は、頭を使わず自然のままに生活しているのだ。
そして、七実も、見ても考えることがなかったので、ミラー・ニューロンが働き、そっくり真似ることが出来るのだ。
つまり、ここでも、鍵は「思考を消す」ことである。
思考を消すことは、このように、いかなることにおいても万能である。
※映画『燃えよドラゴン』の有名なセリフ「考えるな、感じろ」は「感じろ」が余分である。

よって、いつも通り、「私は誰か?」と自分に問うたり、「私は何も考えない」あるいは「われ思わず」という世界コマンドを唱えれば、美しき七実の秘儀「見稽古」はあなたのものである。
ひろさちやが『空海入門』で書いていた「ブッダの真似をすればブッダ」も、このことを言っているが、思考を消さなければ駄目である。
私は、植芝盛平のDVDを入手し、神に近い人間を真似ている。
また、見稽古同様、聞き稽古も有効だ。
思考を消し、福音書を読めば、あなたはキリストである。












脳のおそるべき力

昨日、いろんな優れた人の話を引用しながら、脳が神であるという話をした。
脳に不可能はなく、斎藤一人さんは「俺には出来ないが、脳には(何でも)出来る」とシンプルにまとめていた。
これは、イエスが言った「私には出来ない。だが、神に出来ないことはない」の引用かもしれない。
脳はホログラム構造・・・つまり、一部の中に全体を含むといった構造で、脳の一部、あるいは、大半が失われても、それが理由で記憶が消えることはない。
そして、脳の中には、宇宙全体の情報が入っているという説もある。
ところで、ノーベル賞は、進み過ぎた研究には与えられ難いと言う。
アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは、相対性理論の研究に対してではなく、光量子理論の研究に対してであった。当時、相対性理論は進み過ぎていた。
そんな理由で、スティーブン・ホーキングはノーベル賞を受賞することはなかった。
それで言えば、ロジャー・ぺンローズもノーベル賞は受賞しないと思われたが、2020年に、ペンローズは、ブラックホールと相対性理論に関する研究で89歳でノーベル賞を受賞した。
ペンローズには量子脳理論に関する進み過ぎた研究があるが、ペンローズは、極大の世界の相対性理論と極微の世界の量子力学を結びつける鍵は脳にあるといったことを述べている。
とにかく、脳はとんでもないものだ。

西尾維新さんの小説に『刀語(かたながたり)』というものがあり、私はアニメしか見ていないが、そのアニメは、大昔の白土三平さんの忍者漫画のような絵柄で、それがよく合っていた。
『刀語』は、剣士と忍者のお話と言えると思うが、この中に登場する最強の剣士は、おそらく、七実(ななみ)という小柄な可愛い女性であろう。少女に見えるが二十歳は過ぎているはずだ。
まあ、私は七実を見るために、このアニメを見たのだが、それはどうでも良い(笑)。
七実の秘儀は「見稽古(みげいこ)」である。そのまま、見て学ぶことだ。彼女は、見さえすれば、何でも習得してしまえる天才だ。
しかし、「見稽古」は、単なる作り話ではなく、ミラーニューロンという脳の機能だ。
たとえば、母親がタオルをたたむのを見たら、教わらなくても子供が同じことをするのはミラーニューロンの働きである。
ミラーニューロンは、誰かの行動を見たら、その誰かのその時の脳内の働きと同じ働きを、自分の脳が自動的に起こすというものだ。
それに関して、こんな話がある。
ゴルフクラブを見たこともない未開人に、ゴルフが上手い西洋人が、上手いショットを、一度だけ見せた。
すると、その未開人の長老がすぐに見事なショットを見せるが、他の全員が、子供も含め、同じようにやった。
これがミラーニューロンの力である。
とはいえ、ミラーニューロンのことは、分からないことが多い。
それも含め、脳なんて、まだまだ謎が多過ぎるのだ。
脳が、心、意識、クオリア(感覚質。簡単に言えば「感じ」)を作ったと思われるが、何のために、どうやって作ったのかは分からない。
脳が神を作ったという意見もあるが、元々、脳が神であったのだとも思われる。

脳だけではなく、心臓や、その他の臓器も、そして、身体の何もかも、本当は、人間はほとんど分かっていないに違いない。
とはいえ、脳が万能だということは信じても良いと思う。
イエスが言う通り、「私には出来ない。だが、神(脳)に出来ないことはない」のである。
だが、多くの人が、脳を間違って使い、腰痛や肩凝りや胃潰瘍を作っている。言い換えれば、脳は、そんなものを作れるし、作る理由もある。
身体に関することだけでなく、脳は、いかなる現象も作り出せる。脳には宇宙が入っているし、極大なことから極微なことまで支配する量子機関なのだから。
斎藤一人さん流には、「俺がモテないのはおかしいだろ?」と脳に言えば、どうおかしいかはどうでもよく(笑)、おかしくないようにしてくれる。
あるいは、腰痛になったら「お前(脳)がやってるって知ってるんだぞ」と言えば、腰痛は消える。
それで言えば貧乏だって脳がやってるんだし、あがり症や不安症も脳がやってるんだ。だから、同じように消せる。
NLP(神経言語プログラミング)の開発者であるリチャード・バンドラーは、「脳は私がお気に入りの遊び相手」と言うが、NLPなんて、そんな小難しいものではなく、脳の説得術だ。仲良くなれば説得もし易い。
もしかしたら、斎藤一人さんが一番NLPがうまいことになる。習ったことはないだろうけど。
NLPでは、良いことは、「大きく」「明るく」「近くに」「カラーで」思い描く。
そうやって、脳に印象付けたら、脳が容易く現象化してしまうことがある。
脳と仲良く(笑)。








狂いのすすめ

宮本武蔵は悲運の武芸者だった。
彼は、自分の実力に見合った地位と栄誉を強く望んだ。
だが、それは得られなかった。
とはいえ、全く悲惨かというと、そうではない。
武蔵は、生涯、金に困ることはなかった。
武蔵を心から崇拝する弟子達がいただけでなく、武蔵を敬う、身分の高い武士や大名もいて、相当な援助を受けていたからだ。
武蔵を召し抱えたいと思う大名もいたが、武蔵は法外な報酬(当時では石高)を要求するので、武蔵の士官は叶わなかった。
それだけでなく、武蔵の山賊のような風袋(見かけ)にも問題があった。
武蔵は、髪を切らず、髭を剃らず、着物を洗わず、風呂にも入らなかった。
加えて、長身で強面の武蔵は、女子供なら、鬼だと思って、泣いて逃げ出すほどであった。
ところが、ある大きな藩の大名が、武蔵に興味を持ち、城に招くと、試合をするよう武蔵に願い、武蔵は了承した。
武蔵が、40歳をいくらか過ぎた頃である。
その大名の他、家臣達や武芸者達・兵法家達が見守る中、試合が行われた。
選び抜いた強豪剣士が打ち込むのを、武蔵は軽く交わし続けた後、武蔵が歩み寄ると、相手の剣士は後ずさるばかりだった。
相手は、蛇に睨まれた蛙のように、何も出来ず、そして、武蔵が気合いを込めると、バッタリ倒れた。
見ている者達は皆、武蔵の強さに感動した。
だが、武蔵を招聘した、若いが極めて優れた藩主は考えた。
武蔵は、単に剣の腕が立つのではなく、先天の強大な気力を持っている。
そんな者に人を育てることは出来ない。つまり、武蔵を藩の剣術の指導者にしても、誰もついてこれない。
また、こんな男は、他の人間とうまくやれず、必ず諍(いさか)いを起こす。
よって、武蔵が召し抱えられることはなかった。

どうすれば、武蔵のような気力…つまり、その本質である精神エネルギーを持てるだろうか?
武蔵直筆の『五輪書』を丹念に読めば良いのか?
私はそうは思わない。
『五輪書』は、名文の誉れ高いし、優れたことも書かれているが、所詮、表面的なことが書かれているだけだと思う。
武蔵は生まれつきの天才か?
そうかもしれない。
しかし、私は、武蔵の気力は、育ちと関係があると見る。
武蔵の父、新免無二(しんめんむに)は、優れた武芸者であったが、奇人変人というより、常軌を逸した狂人と言えるほどであった。
無二は武蔵を嫌っていたが、武蔵もこの父を蔑み、しかも、平気で罵倒したようだ。
すると、父は武蔵に小刀を投げつけ、武蔵も投げ返す。
そんな狂った家庭であった。
そんな中で、武蔵の常識の枠にはまらない、狂気じみた精神が作られたのだと思う。
突き抜けた狂気こそ、天才を生む強大な精神エネルギーではないだろうか?

これで、私は、良いことを思い出した。
うまくいけば、武蔵の気力の説明がつく。
西尾維新の小説『刀語(かたながたり)』という作品がある。私は、アニメで見ただけだが。
全国にその名を轟かせた、虚刀流(きょとうりゅう)という武術の流派の6代目当主の男には、2人の子供がいた。
姉の七実(ななみ)と弟の七花(しちか)だ。
当主は、姉の七実を7代目当主にしたかった。
七実の実力というか、素質が、弟の七花とけた違いに大きいからだ。
しかし、当主は、弟の七花を、次代の当主にすることに決めた。
七実が女だからではない。
七実が強過ぎるからだ。
その強さは、化け物と言って良かった。
当主は、そんな化け物を、自分には育てられないことを悟ったのだ。七実と比べれば、達人・超人と言われる自分も凡人に過ぎない。
では、七実は、生まれながらの天才なのか?
そうかもしれない。
だが、話が進むうちに分かってくることがある。
それは、七実の狂気である。
七実は、一見、しとやかで美しい娘だが、寺1つ、村1つを笑って滅ぼす狂気があるのだ。
敵の忍者を平然と殺すが、簡易ではあるがちゃんと墓を作り、線香を立てて弔う。その島には誰もいないのに。
そんなしびれる狂気に私は萌え萌えで(笑)、たちまちファンになった。

英国の世界的作家コリン・ウィルソンは、「天才とは所詮、内なる衝動なのだ」と書いていて、それには納得出来るが、むしろ、「天才とは狂気」なのであると思う。
言い換えれば、狂気のない天才、狂気のない偉人は存在しない。
アインシュタインは温厚な人格者であったと伝えられているが、それは作り話だし、少なくとも、彼の胸に狂気が宿っていたことは間違いなく、その片鱗も知られている。
狂気を、欲望のまま暴虐に振る舞うことと思い違えてはならない。
狂気とは、桁外れな憧れや願望だ。それが大きければ大きいほど精神エネルギーは大きくなる。
ただ狂え(笑)。
それであなたも天才だ。
逆に、狂わねば凡人である。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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