ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

内海康満

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

素振りの読書

MRT(マート)瞬間無痛良法(療法)を知っている人は少なくなっているかもしれない。
これは、内海康満氏という方が開発した、医療と全く異なる技術により、いかなる難病でも、一瞬の良法(療法)で治すというものだ。
今はよく知らないのだが、一頃は大変な勢いがあったように憶えている。
昔は、MRTクリニックという名称だったが、おそらくだが、「クリニック」という言葉は使用禁止になったのだと思う。
それで、今調べたら、「整体」とか「カイロプラクティック」という名称が使われている。
医療と全く関係のない方法であらゆる病気を治していたら、本来なら、あっという間に権力に叩き潰されるはずだが、いまだ継続しているのだから凄いものだと思う。

政木和三さんも自分が開発した神経波磁力線発生器について、講演で「どんな病気でも治ります」と、当時でも法に触れるかもしれないことを堂々と言っていたが、実際に凄い効果なのは私もかなり確認した。
しかし、この装置は厚労省により製造販売が禁止され、政木さんは厚労省に談判に行ったという話は政木さんから直接聞いたが、その後、どうなったか分からないまま、政木さんは亡くなられた。
医療に逆らうようなことをすれば、本当に効果があっても・・・というか、効果があるほど叩き潰されるのは当然である。
だが、今でも、この装置の修理を請け負ったり、同じ原理の装置を製造販売している会社もある(ただ、効果がない製品を販売している会社もあるらしいが)。

ウンディーネ
AIアート168
「ウンディーネ」
Kay


私は今は、自主的にMRTの治療を受けたり、神経波磁力線発生器(のクローン器)を使いたいという人に対しては、反対はしないし、どちらかというと賛成するが、積極的に奨めはしない。
それよりも、MRTを作った内海康満氏に関するエピソードを憶えている。
内海氏は19歳の時に、霊能の大家であった竹内満朋氏に弟子入りしようと訪ねて行ったが、あまり相手にされず、ただ、「ローム太霊の本をボロボロになるまで読め」と言われ、その本を10年以上かけて読み込み、閉じ糸も取れてバラバラになった本を持って再び竹内氏を訪ねたら、竹内氏は涙を流して喜び、「君は私の弟子になる必要はない。友人になってくれ」と言われたという。
私が最近よく書いている「この世は素振りの回数が全て」の優れた実践例であると思う。
これほど素振りが出来る人であれば、間違いなく力があると思う。
だからこそ、医療という巨大権力に逆らって今だやっていられるのだろう。
尚、この「ローム太霊の本」とは何の本か分からなかったのだが、その頃、たまたま知り合った人に「ローム太霊の本」と言ったら、その人が、「ああ、『ローム太霊講和集』ですね」と言って、わざわざ買ってきてくれたことがある。
これも思い出深いことである。
また、内海氏は、自分の著書の読者からの、
「内海先生の本を10回以上読み、先生の治療を受ける必要がなくなりました」
という手紙を、次の本で「私の本意である」と褒めておられた。








病は気からは正しいか?

昨年末(2021年12月30日頃)あたりから書いているが、私は「熱刺激法」というものを、毎日行っている。
これは健康法であり、医療ではないが、事実上、あらゆる病気に奇跡的な効果を見せていることは、熱刺激法を本で紹介している医師の井本邦昭氏(医学博士)が明かしている。
私の場合は、乾癬(かんせん)という、医療では治せない皮膚病を治す目的で始めた。
皮膚病としては、アトピー性皮膚炎の方が有名だが、乾癬もアトピーも、明確な治療法がなく、患者を長く苦しめる皮膚病だ。
特に、乾癬に関しては、その苦しさから自殺した人もいるというが、私は、さして驚かない。それほど苦しいことは私も分かっている。
私は、ある時期まではアトピーだったが、途中で乾癬に変わったのだと思う。実際、そういう例はあるようだ。一方、乾癬からアトピーに変わることがあるかどうかは知らない。

1週間ほど、毎日2時間、熱刺激法をやってみてどうだったかというと、「(乾癬は)かなり良くなった」と言うのが適当かと思う。しかし、「驚くほど良くなった」と言っても良いのではと思う。
7年ほど前までは、塗り薬や抗ヒスタミン剤(飲み薬)で、痒さを「誤魔化す」しか方法がなく、自然に良くなることを期待するしかなかった。
今でも、ステロイド入りの塗り薬は使っているが、あまりに長く使っているので、使っているという意識がない。
これらの薬は「1週間以上継続して使わないで下さい」と書かれたものもあったが、そんなことは構っていられないこともあり、そんな薬を1年ほど、ずっと使用したこともあった。少しでも楽になるなら、使わざるを得なかったのである。
そして、先月、そんな状況に再びなってしまった(この数年はかなり病状は良かった)。
そんな病気が明確に良くなったなら奇跡だ。
今のところ断言出来ないが、その奇跡に該当する可能性がある。

もし、熱刺激法で乾癬が良くなったと認めるとしたら、個人的に少し問題がある。
私はこれまで、あらゆる病気は心因性(精神的原因で起こる)とする、治療法や治療者に関心を持っていた。
例えば、ドイツ人医師ゲオルグ・グロデック、ダイアネティックス(心理的治療法)開発者L.ロン.ハバート、NLP(神経言語プログラミング)開発者リチャード・バンドラーらであり、かなり評価する部分があった。
しかし、熱刺激法で優れた効果があるなら、彼らが間違いであったとしなければならない。
尚、L.ロン.ハバートは『ダイアネティックス』の中で、「75%以上の病気が心因性と思われる」と控え目に書いているが、実質、器質的な病気を除けば100%と言ってるようなものだったし、グロデックにいたっては、器質性の病気や怪我すら全て心因性と言っていた。
また、アレクサンダー・ロイド博士の「ヒーリングコード」や「エネルギー療法」は、全ての病気を実質、心因性としていると思う。

しかし、蒸しタオルを使う「熱刺激法」には、心的要因は全く排除される。
そこで、ちょっと思い出すのは、内海康光氏が開発したMRTという、無痛の仙骨良法(法律のためか「療法」と表記しない)である。
これは、磁石に対する仙骨の反応を見た上で、仙骨に適切な一瞬の無痛の刺激を与えることで、いかなる病気でも治してしまう技術で、実績は豊富なのだと思う。
これも、なかなか凄い治療方法と思うが、費用はそこそこ(「かなり」と言うべきかもしれない)かかるし、やや思想的に濃い(偏っているというニュアンスに近い)と感じてしまう人もいると思う(実は私もだが)。
だが、熱刺激療法であれば、ほとんど無料(書籍代と、電子レンジくらいは必要だが)で、自宅で1人で出来る。そして、いかなる信念も不要だ。
MRTの場合は、それほど多いとは言えないMRTクリニックに行って、専門家の治療を受ける必要がある。
私も昔、MRTには何か月か通ったが、よく考えたら具体的効果はなく、いつか行くのをやめた。
奇跡的効果があったという報告は沢山あるようであるが、私の皮膚病が治らなかったことは確かである。
そして、熱刺激法でも、仙骨に対して行うことを勧めている。

井本邦昭氏の熱刺激法の本『すごい熱刺激』で、乾癬の例はなかったが、アトピーについては2例あり、いずれも重度であったが、最初から効果があり、40代の方の場合、4年で完治したようである。
他にも、あらゆる病気の例があるので、病気に苦しんでいる方は、簡単で、ほとんど無料なので、一度試してみてはと思う。
また、特に病気でなくても、健康法としても勧められる。
私は、個人的には、医療は全く信用しておらず、歯科を除き、医療の治療を受けることは全くないが、普通の人よりははるかに健康と思う。
ただ、皮膚病を除いて。しかし、この皮膚病は医療で治せないことは分かっているので、やはり、医療に縁はない。
当然、コロナワクチンも一度も接種しておらず、これも、あくまで個人的にだが、接種すべきでないと思っているし、特に、子供に関しては絶対接種してはならないと考えている。
熱刺激法で、乾癬完治の報告が出来る日が来ることを期待している。








真夏にクーラーなしで涼しく寝る方法

私も、何年か前は、クーラーをつけて寝ていたものだ。
今も、ベッドに横になった瞬間は、少しは暑いと思うこともあるのだけれど、少し開けた窓から入ってくる風が身体を撫でると、寒くすら感じるのである。

夏目志郎さんという、中国から帰化された自己啓発分野の事業家の方の著書に、彼が、エアコンもない時代に、真夏でも冬のスーツをびっしり着ていて、彼の会社の社員の人達が、「あれで汗一つかかないのだから、社長は人間じゃない」と言って驚いていたことが書かれていたのを、私は憶えている。
国際ビジネスマンである夏目さんが言うには、彼が会ったアメリカのエグゼクティブ(重役)達は、皆、真夏でも冬のスーツを着用していたそうだ。
それについて、彼はこう言う。
気温が高くても、心の持ち方一つで、涼しい風を感じることができ、そうであれば、暑くはないのだと。
それを読んだ時、私はごく若く純粋だったので、それを信じ、ずっと、「涼しい風を感じる」練習をしてきた。
そして、ようやく、今年はマスターできたという訳である。
もちろん、逆に、寒い時に、身体の熱を感じることができれば、寒くはない。これは、私は今年の冬にマスターしている。私は、この数年、ひどく寒がりになっていたが、それを克服できたのだ。
チベットの優れたヨーギ(ヨガ行者)達は、身体から高熱を発生させる術を使うことで、薄着で極寒の中にいても平気であることが、スコットランド出身の哲学者マード・マクドナルド・ベインの本に書かれているが、彼もまた、実際に、その術をはじめ、多くの神秘力を獲得している。

冷暖房に頼りきってしまっている現代人は、人間が本来持っている偉大な能力を退化させてしまっているのだろう。
まして、精神感応(テレパシー)、予知、直感、内なる叡智との交流などにいたっては、そんなものは元々無いと思い込んでいる有様である。
だが、毎日、腕振り運動を千回もやれば、ホメオスターシス(生体の恒常性を保つ能力)を高め、暑さ寒さに耐え、神秘力を発達させる助けになるだろう。
だが、やはり、主は精神である。これに関しても、いろいろな力の得方があるのだろうが、個人的経験としては、念仏に優るものはない。早い話が、他のものはほとんど効果を発揮しなかったのだ。
無論、他のやり方が駄目な訳ではない。
法然上人が言うには、行(ぎょう)には、正と雑があり、念仏だけが正であり、その他のものは雑である。なら、正だけで良いではないかと述べておられるのである。
正と雑、正と助、純と雑という言い方もあるが、雑や助の行も、もちろん、一定の効果があり、良い部分もあるのだが、阿弥陀如来が慈悲深くも、極めて簡単でありながら最大の効果を発揮する念仏という正行、純行を教えたのに、人が頭で考えた、苦労ばかり多くて効果の小さな雑行、助行をなぜするのかと戒めておられるのである。
上人の言葉を素直に受け入れる者は幸いであることを、私は、かなり苦労した挙句に理解したのである。
内海康満さんも、著書に「楽チン主義でいけ」と書かれていたと思う。
ただ、あえて蛇足で注意をするなら、自我が喜ぶような「楽チン主義」は、非常に有害である。
あくまで、念仏を唱えて、阿弥陀如来に全てを任せ切って無心になった時の楽チン主義が、平安をもたらすのである。









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我々はたまたま選ばれ、たまたま捨てられる

沢山の国や民族の、神話や伝承に、「善いことをしたら天国に、悪いことをしたら地獄に行く」というものがある。
ギリシャ神話や『エジプトの死者の書』では、人は死後、ある場所で、その一生の行いを審議されて、どこに行くかを審判者が決定するようになっている。
まあ、一生をトータルで判定してくれるなら、裁かれる方もまだ納得できるだろう。人間の世界の裁判官や陪審員のように、偏見や個人的信念で歪んだ決定はしないし、賄賂は通用しないと思うからね。
だが、面白いのは、イエスが言う審判だ。
これは、抜き打ちテストなのである。審判者はいつ来るか分からないから、常に準備を怠るなと言うのである。
例えば、今日は上司が出張だからと、部下が羽を伸ばして怠けていると、不意に上司が帰ってきてその様を見て人事評価をするようなものだ。
「いえ、僕は普段は真面目なんです。今日はたまたまです。本当に、こんなことは数年に一度もないのです」
と言っても無駄であり、そのたった一度で判定されると言ったのがイエスである。
これには、多くの人が納得しないかもしれない。
だが、私は、イエス式の審判が良いと思っている。
私だって、たまたま天使が見に来た時に悪いことをしているかもしれず、そのために地獄行きが宣告されるかもしれないが、それならそれで仕方がないと思う。

内海康満さんが昔の著書で、人を採用する際、最初の人が良ければ、その人を採用して、後の人は会わなくて良いといったことを書かれていた。
私は納得したが、多くの、いわゆる論理的な人達は合点がいかないと思うに違いない。そして、ほぼ全ての企業が採用試験だの長々とした下らない評価をして、挙句、最悪の人を採るのだ。
また、何の本だったか忘れたが、ある映画監督が、これから創る作品のある配役の役者を決める際、一応、オーディションをしたのだが、オーディションが終ってしばらくしてから、オーディションに来た人達に電話をかけ、たまたま家にいた人に決定したのだが、その時採用された人が後に大俳優になる。
これらの場合、選ばれる方にすら、準備する方法もないように思える。
しかし、本当に重要な選択というものは、常にこのように行われているのだ。
学校の受験のように、何をするか分かりきったことに対して長い間準備し、自分の意志で結果を得ようなんてものに、本来、大した意味は無いのである。
そして、そんなものの中ですら、「予想した問題が出なかった」「試験会場が不快だった」「天気が悪かった」「電車が遅れた」などと言うのだ。

ある人は、政情不穏な国で汽車に乗っていて、トイレに行ったところが、使用中だったので、別の車両のトイレに行ったところ、その汽車が爆撃され、元いた方の車両が完全に破壊された。もし、あの時、トイレが空いていたら、確実に死んでいたのだ。
人生なんて、本質的にこんなものである。
自分でコントロールできることなんて、本当は何もない。
この命拾いした人も、心からそう思ったらしい。
出来事は全て、起こるべくして起こる。そうであるなら、起こるままに任せるしかない。
誰だって、直感では、それが正しいことであることが分かるのである。
しかし、教育されてきた偏見や個人的欲望は、決してそれを受け入れさせない。
試験勉強や受験にしがみ付かされた子供達は既にそうなっている。彼らがもう、いやらしい大人の目をしていることに気付いているかもしれない。
だが、偏見を離れ、欲望を手放すと、理屈では全く理解できないに関わらず、そういったことが自然で全く正しいことが分かるだろう。
そうすると、あなたは重荷から解放され、安らかになる。それが救われるということである。









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オタクは強くならなければならない

朝日新聞の「いじめられている君へ」シリーズの、有名人達の上から目線、あるいは、非現実的発言が、あまり快く感じられなかったが、本日のものは少し良かった。
今日のゲストは、中川翔子さんで、彼女は、中学校の卒業式も欠席した、本物のいじめられっ子だった。

《いじめられている君へ》中川翔子さん

彼女は、まず、「無理して学校に行く必要なんかない。」と言う。
最も大事なのは、ここなのだ。しかし、ただの小学生~高校生が、学校にいかずに済ませることがひどく難しいことが、問題なのだ。
学校も教育委員会も、何の役にも立たない対応策しか考えられないのは分かっているので、現実的に、いじめられている子が学校にいかなくて済むような仕組みを用意しなさいとだけ言いたい。
先日亡くなられた、敬愛する思想家の吉本隆明氏が、「学校が理不尽であることは分かっているが、社会はもっとひどい。学校で鍛えておくべきだ」と述べていたのも、もっともだとは思うが、今は時代が違う。今のいじめっ子は、現代の大人をそのまま反映し、徹底した自己中心主義で、知性も感受性も全く無く、限度を知らない。
そして、もう1つ、時代が違うところは、今の学校は、教師などを反面教師として学ぶ価値すらないのである。
私は、中学2年から、授業を全く聞かないことに決め、それは周囲に公言していたが、それによって、教師の陰湿な嫌がらせを受けた以外には、特に困ったことはなかった。
そういえば、斎藤一人さん(日本を代表する事業家)も、中学校で、教師に、「勉強しないと困るぞ」と言われたが、勉強しなくてもちっとも困らないことを証明したという。
内海康満さんも、小学校5年生の時、学校教育の安っぽさを見抜き、学校を捨てたが、おかげで神的な知恵を得た。
斎藤さんも内海さんも中卒である。大学まで入った私が、彼らに及ばないのは当然である。

中川翔子さんは、オタクと言われても、好きなものを見つけて欲しいという。無論、私も賛成だ。
彼女も、漫画・アニメオタクなようだが、筋金入りの『セーラームーン』オタクであったところが私と共通している。
ところで、オタクとは素晴らしいものだ。
オタクに悪いイメージがあるのは、国家の思想統制であると私は思っている。オタクは平均的な思想を持つことに全く興味がないので、大企業の奴隷的労働者を生産する国家政策と合わないのである。
かつて、「パソコンオタク」ビル・ゲイツがのし上がってきた時、日本でも、「オタクの時代」と言われ、オタクの良さが理解されるかと思ったが、そうはならなかった。
では、オタクとは何だろう?
私は、やや古いが、『東大オタク学講座』での、岡田斗司夫氏のオタクの定義がスタンダードだと思っている。
ファンは、ただ好きという人。マニアは、好きなものに関するグッズを集めるような人。しかし、オタクとは、好きな対象に、自分のバックグラウンドを重ねて深く考察することが可能な・・・つまり、分かり易く言えば、人生を賭けて情熱を傾けている者である。
私は今は、初音ミクオタクであるが、決して、単なる初音ミクファン、初音ミクマニアではない。

中川さんが言われるように、好きなことを持つことはもちろん大切であるが、私なら、1つでいいから、修行しろと言いたいのだ。
何でもいいから、自分にしか出来ない武器を磨くことで、自信が出来、それが余裕を生む。
前にも書いたが、私のように、中学時代にナイフ投げの特訓をするのもどうかとは思うが、それがやりたいなら止めはしない。
男なら、いじめっ子に一泡吹かせたいと思うのは当然であるが、昔の父親のように、「やられたらやり返せ!」なんてことを言ったら、今の時代、殺されかねない。
かといって、空手や柔道なんか習っても、強くなるのに時間がかかり過ぎる上、実戦で役に立つものでもない。
それよりも、掌底(てのひらの底。特に小指の下の方の骨が固い部分)を、相手のテンプル(こめかみ)に電光石火で打ち込んだり、能の動きに倣った前蹴りを敵の腹部に入れるといった殺し業に特化して磨き抜くのが良い。これに関しては、堀辺正史さんの本を参考にすると良いだろう。
格闘技の試合のような格好の良い勝ち方を考えてはならない。やるならば、どんな汚い手を使ってでも勝つのだ。
宮本武蔵だってそう教えているのである。
『古事記』でも、あのヤマトタケルは、勝つためには手段を選ばず、卑怯な手を駆使したのである。
無論、最後の最後という時に、敵の一人でも道連れに殺すつもりで修行するのであり、マイケル・ジャクソンの『Beat IT』にあるように、可能な限り、争いは避けなければならない。最後まで争わずに済めば何よりだが、命や尊厳の危機であれば、やらねばならない。
私の場合、相手を殺す方法を常に考え、いつもナイフを磨いているうちに、どこか不気味な雰囲気でも出てきたらしく、私がいじめられることはなかった。
ちょっと偏った内容になったが、賢く受け取っていただきたい。

ところで、参考になるかどうか分からないが、私は中学生の時、何よりも「魔法オタク」だった。
本物の魔法使いを目指し、W.E.バトラーの魔法書を読み、超能力や霊能力、あるいは、占術の研究や訓練に打ち込んだ。これらには、いかがわしいものも当然あるのだが、確実に本物もあるし、たとえイカサマであっても、一抹の真理は含まれているものだと思う。
そして、デカルトでさえ、これらの本はよく読み、しかも、有益であったと回想しているのだ。
実際、どう考えても、学校の試験のための勉強より百倍良いものであると思う。優れた魔法書や霊能の書を知ると、学校のレベルの低さがよく分かるのである。
例えば、スウェーデンボルグは、ゲーテやカント、ヘレン・ケラーらも崇敬したし、シュタイナーも、現在も多くの優れた人達が信奉し、また、実践的である。

画家で講演家の足立幸子さんが述べていたが、今の漫画やアニメ(ライトノベルも当然そうである)は、真理に通じる深いものが多いのである。
中川さんも、単に可愛い、面白いだけではなく、そういったところに魅かれたから、大人になびいて自分のポジションを確保したい惨めな心を持った者達にいじめられたのだろうと思うのだ。
ただのファンやマニアではなく、オタクになれば、漫画やアニメも立派な修行になり得る。
私は遅ればせながら始めるのであるが、『アクセルワールド』は加速世界を扱っているらしいが、加速世界に入る方法は本当にある。その方法もいずれ説明しよう。

















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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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