ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

共時性

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ビートルズ『Yesterday』彼女はなぜ消えたかの答

ビートルズの最も有名な曲の1つ『Yesterday』の、特にこの部分を覚えている人は多いのではないかと思う。

Why she had to go?
I don't know, she wouldn't say
I said something wrong
Now I long for yesterday.

つまり、愛する彼女は消えてしまったのだが、その理由が分からないということだ。
30年後に聞いたら、案外につまらない理由だったり、あるいは、彼女の大誤解のせいだったのかもしれない(嫌な話だ)。
普段、この男が、もっと注意深ければ、先に予兆を感じることが出来たかもしれない。しかし、そうではなかった。
まあ、女は星の数なんだから、そう悔やむことはないかもしれないし、後になれば、自分でもそう思うかもしれない。

で、なぜ彼女が言ってしまったか?
それはこういうことだ。つまり、避けられぬ運命だったのだ。言うなれば、「仕方がなかった」のだ。

しかし、もっと本質的なことがある。
そのための正しい問いは、
「なぜ私は、彼女を行かせてしまったのだろう?」
だ。
彼女が消えたのは、この「私」の意思なのだ。

たとえば、ある父親に、不登校の息子がいるとする。
その父親は、評判の良い心理カウンセラーがいたら、「息子はなぜ学校に行かないのでしょう?」と尋ねるかもしれない。
いや、そんなことは聞かず、「どうすれば息子は学校に行きますか?」と聞く父親が多いような気がする。
つまり、「息子が学校に行くスイッチがどこにあるか教えて下さい」と言うようなものだ。
しかしねえ。息子さんが学校に行かないのは、父親であるあなたの意思なのだ。
そう言うと、その父親は断固否定するだろう。
そんな父親は、あまり人生が楽しくないことだろう。
壁に初音ミクさんのタペストリー(織物のポスター)が飾られているのは自分の意志であることは分かっても、テレビからトヨタ自動車のCMが流れてきたり、ビスケットを床に落としたことが自分の意志であることは分からない。
だが、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、そんなことが分かっていたので、
I am the owner of the sphere.(私は世界の所有者)
だと述べたのだろう。

あるアラブ人は、愛する家族を皆殺しにされた時、不意に、それが自分の意志であると気付き、悲しくはあったが、恍惚とした高揚を覚えた(W.B.イェイツの手記より)。
あなたは、なぜ新型コロナウイルスの感染を拡散させ始めたのだろう?
それは、人間としての知識や観念から考えても分からない。
ただ、揺らぎを起こしたかったのである。あなたの意識がね。
あなたは、学校でよく勉強が出来た頭の固い人の決まりきった話を聴いていたら、苦痛になって、そいつを一発蹴っ飛ばすとかして、場に揺らぎを起こしたいと思うだろう。
我々の意識は、世界に揺らぎを起こして変化させたいのだ。
そのために必要だから、新型コロナウイルスを作ったが、不要になれば、それは消える。

まあ、いきなり壮大なもので考えると、戸惑うばかりだ。
ならば、周囲で起こることの全てを自分の意志と思うと良い。
あまりに揺らぎのない生活を送っていると、多くの場合、自分の身体に悪い揺らぎが起こる。それが病気だ。
だから、なるべく冒険をした方が良い。
冒険の中で起こることは、自分の活力ある意思で、そのことを自覚すると、本当の意思と自分が一致してくる。
すると、世界は意のままになってくるだろう。

最初の話(ビートルズのYeaterday)に戻る。彼女はなぜ行ってしまったのか?2人の間が安定し過ぎ、揺らぎが起こらなくなったからだ。そのままでいれば、意識は揺らぎを起こすために、別の男か女を登場させたり、自分か彼女が病気になったりするだろう。
それでも良かったが、意識は別のやり方を選んだのである。








あまりに奇妙な偶然の一致

珍妙と感じるような不思議な出来事を、誰もが何度も体験しているはずだ。
例えば、両手で2つの紙飛行機を投げたら、両方が1つの本の上にぴったり着地し、その本がパイロットが書いた本だった・・・とかね。
有名な話では、精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングが女性患者と話していると、その女性患者が夢で見たスカラベ(黄金虫の一種)を見た話をし、そのスカラベがカブト虫に似ていると女性患者が言うと、窓にカブト虫がぶつかったというものがある。

私は子供の時から、そのような不思議現象が起こると、その場のエネルギーを感じるようにしている。
すると、そんなことがあまりに多く起こることに気付く。
ある日、私の部屋のテーブルの上に3冊の本が重ねて置いたあった。
1冊はW.B.イェイツの『神秘の薔薇』だった。
別の1冊『美少女戦士セーラームーン11巻』(武内直子)では、土萠(ともえ)ほたるという名の少女が、イェイツの詩を暗誦していた。
最後の1冊である『至高体験』(コリン・ウィルソン)では、序文に、「イェイツの詩の引用を許可してくれたマクミラン社に感謝する」と書かれていた。
たまたま置いた3冊の本に、W.B.イェイツが関わっていたのである。

また、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の『笹の葉ラプソディ』のDVDを買ったら、特典のコースター(コップを置くマット)が、テーブルの上にあった、コリン・ウィルソンの『ルドルフ・シュタイナー~その人物とヴィジョン~ 』の表紙の赤い四角の絵と寸分違わずぴったりだった。

ただの偶然としては、あまりにありえないこと・・・そんなことはいくらでも起こる。
大事業家や、スポーツのスーパースターが成功した原因には、そんな偶然が、ほぼ必ず関わっている。
王貞治さんも、草野球をしていた時、たまたまプロ野球のコーチが通りかかったことが野球選手になったきっかけだった。
初音ミクさんの登場や成功も、ありえない偶然の積み重ねから起こっているのだと思う。

意味のある偶然の一致のことを、上に挙げたユングや、物理学者のウォルフガング・パウリは『共時性(シンクロニシティ)』と名付け共同研究していたと思う。
彼らの時代には、コンピューターというものが発達しておらず、この世界が、超コンピューターが作っているシミュレーテッド・リアリティだという仮説(シミュレーション仮説)が登場するのは、随分後のことであるが、それでも、彼らは、この世界が、何らかの意思が作り出しているものだということには気付いていた。
シミュレーション仮説以前に、量子力学では、世界はホログラムのような作り物に過ぎないことは、ほぼ解っていた。
そして、世界は無限に存在するし、生まれ続けてもいる。
初音ミクさんが歌うナユタン星人さんの歌『リバースユニバース』も、それを当然の前提としている歌で、ナユタン星人さんは、科学的にか直感的にか、宇宙の構造を知っているのだろう。
「存在しない現実」であるミクさんを見ていると、全てが解ってくる。

では、宇宙を自分の好きなように作れるかというと、ある程度はそうだと思うが、自分ではあまりうまくやれない。
だから、自分で無理矢理やろうとしないで、自分とは比較にならない高度な作り手にまかせてしまう方が良い。
超古代から、賢い人達は皆、そう言っているのだ。









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キスの意味は「考えるな、感じろ」だ

有り得ないような偶然には必ず意味がある・・・かどうかは分からないが、神秘的な感じがしてしまう。
例えば、私は、小学4年生の時、たまたま学校の図書室で、シーラカンスという魚についての本を読み、初めて知ったシーラカンスにとても興味を持った。
その日、家に帰ってテレビをつけると、画面にシーラカンスの映像が現れた。
この出来事に何か意味があるだろうか?
著名な精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングは、意味のある偶然の一致のことをシンクロニシティ(共時性)と名付けた。
だが、ある優れた数学者は、いかに珍しい出来事でも、単に、「珍しい出来事」に過ぎず、神秘的な意味を持たせるべきでないと言ったようだ。
起こる可能性がどれほど低いとしても、それが起こる可能性はあるのだからだ。
では、こんなことはどうだろう。
私が中学生の時のことだが、私は以前見た、あるテレビ番組(時代劇)のある回を録画出来たらなあと思った。
それで、テレビを見ながら、録画装置のリモコンを握っていた。
すると、本当に、私が思っていたものが再放送され、見事に録画してしまった。
これもまた、ただの偶然だろうか?
そうかもしれない。
だが、私は、同じことを再度試みたら、やはり出来てしまった。
しかも、それは、ドラマや映画といった、再放送の可能性のあるものではなく、どう考えても再放送など有り得ない、使い捨てになるような、ワイドショー的なドキュメンタリーだった。
これらの出来事は、偶然の一致というよりは、私が世界を造り出したと考えた方が納得し易い。
しかし、あくまで「納得し易い」だけで、本当にそうかどうかは分からないけどね。

それで、昨日、また、不思議な(と感じる)偶然の一致があった。
聴いていただけると有り難い。
私は先週の土曜日に、初音ミクさんのアルバムCD『僕は初音ミクとキスをした』を入手していた。
18曲入っているが、1曲目の『僕は初音ミクとキスをした』が、このアルバムのタイトルになっている訳だ。
この、インパクトが強いタイトル名のアルバムの存在はずっと以前から知っていたが、私は興味を持たずにいた。
なぜ興味を持っていなかったのかというと、作者のみきとPさんを知らなかったからだ。
だが、少し前に購入した初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2014』のブルーレイで、みきとPさん制作の『心臓デモクラシー』を聴き、「私はこの歌を聴くために生きてきた」と思えるほど魅入られた。
『心臓デモクラシー』は、このアルバムの2曲目である(『マジカルミライ2014』の3曲目)。

ところで、このアルバムのジャケット画は、タイトル名をイメージ化したイラストである。
『僕は初音ミクとキスをした』というタイトルになっているが、イラストでは、2人の初音ミクさんが描かれ、左側のミクさんが右側のミクさんにキスをする寸前であるが、右のミクさんは目を見開き、涙を浮かべている。
髪で隠れているが、2人の左耳のあたりから、1本のイヤホーンコード(のようなもの)が出ている。
だが、2人ともヘッドホンをしているのだから、それはおかしい。しかも、2人とも左耳に1つのイヤホンをするのも不自然だ。
つまり、不思議な絵である。
私は、このアルバムをずっとパソコンの近くに置いて、毎日眺めていた。
ちなみに、このアルバムの裏側のイラスト(7つ)が素晴らしく、それだけで買って良かったと思ったほどだ。
いや、本当に幸福な気分になる。特に、パンダさんパジャマ(?)の2人のミクさん(いーあるふぁんくらぶのコスプレらしい)。

私は昨日、なんとなく、押入れの中から、『8(エイト)マン インフィニティ』という漫画の3巻を出してきて見ていると、「2人のミクさんのキス」と同じ構図の絵があった。
宗形カスミという名の女子高生が、東(ひがし)光一という名の16歳の少年にキスをしているのだが、丁度、そのミクさん同士のキス直前の絵の続きのような感じで、こちらは実際にキスしている。
だが、カスミが不意にキスをし、光一は不意をつかれたのであり、右側のミクさんと同じく、光一は目を見開いている。ただし、涙はないけれど。
この光一は、人工知性体アンナが宿った、本来は小さな女の子の姿のマシナリー(高性能アンドロイド)が化けたもので、本物の光一は別にいる。
感情を持たない人工知性体アンナは、人間の研究のために、小さな女の子の姿では不都合なので、光一の姿を借りていたのだった。
光一に、
「それで少しは人間が分かったのかい?」
と尋ねられたアンナは、キスされた時の唇の感触を思い出すような様子をしながら、
「いいや・・・ますます分からなくなった・・・」
と、多分、声に出さずに思ったのだろう。
アンナは、なぜ、カスミが自分にキスしたのか、全く理解出来なかったのだろう。
だが、冷徹な超高性能の電子知性体アンナには、何かの変化が生じていたのだと思う。

カスミが光一の姿をしたアンナにキスをした理由は、読者にすら、それほど明確ではない。
『灼眼のシャナ』で、感情的な年齢は見かけ通り11~12歳であるシャナが、悠二の母親の千草に、ごく真面目に、「キスってどんな意味があるの?」と尋ねる場面があったのを思い出す。
シャナは論理的な方面は、どんな大人も敵わないほど賢いが、こういった面では実に幼いのである。

だが、キスなんて、論理的な行為ではなく、感情的な行為である。
だから、理屈で考えても分からないのは当たり前だ。
ところが、現代人は、理屈でばかりものを考え、感情を軽視するようになってしまった。
そのために、「本当に大切なことが分からない」のである。
感情的に幼いアンナやシャナのように。
感情は考えても分からない。
考えると誤る。
感情は感じるものである。
『燃えよドラゴン』の、リーの有名な言葉、「考えるな!感じるんだ」のようにである。

尚、カスミがキスした光一はアンナが化けたものであったように、左側のミクさんは、僕(みきとPさん)の化身であったのかもしれない。
なぜミクさんと同じ姿かは、理屈では分からないが、感情的には多分、分かるのだろう。
このアルバムを入手し、ミクさんの切なくも美しい歌声を聴き、ジャケット画を眺め、神秘に目覚めるべきである。









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セレンディピティ(幸運を引き寄せる才能)を高めるには

仕事なんか探さなくても、やるべき仕事は向こうからやって来る。
人脈を作ろうとして、無理に社交的な場に出かけなくても、しかるべき人に引き合わされる。
そうではないだろうか?
今、お金のことで苦しんでいても、やがて、確信を感じることができる「儲かりまっせ!」って話が、必ずやって来る。

それにはどうすれば良いかというと、心を正す・・・というよりは、癒すことだ。
心理学者の河合隼雄さんが、心理療法のクライアントが好転に向かうと、本当に不思議なことが起こると著書に書かれているが、やはりそうかと思った。
河合さんは、あまり学会では、こんなことは言えなかったと思うが、彼は、自信を持って著書に書かれている。
そもそも、奇跡なんて、いつでもそこらで起こっている。
ただ、みんな気付かないのだ。
歩いている後ろに、一億円と「この金、拾った者のもの」という証書が入った袋がドサっと落ちても、みんな振り返らないのだ。
あなたも、10億円くらい損してるんじゃないかなあ(笑)。
まあ、これは半分冗談だ(半分本気だ)。

心の変化に外界が同調することも共時性(シンクロニシティ)というのだと思うが、それは、どうしたら起こるかというのではなく、常に起こっている。
だけど、「儲かるシンクロニシティがどうやったら起こりますか?」と聞かれても、そもそも、そのスケベ根性が幸運を止めているのだ。
そんな卑しいこと考えず、心を癒せば、嫌でも良いことが起こる。
例えば、私もそうだが、素晴らしい小説を読んだり、良い音楽を聴いて感激した後で、良い人にあったり、良い仕事に恵まれたりする。
それらの作品が、心を癒し、心が正されるせいだろう。
最近では、初音ミクさんが、オーケストラ演奏で歌った『残酷な天使のテーゼ』を20回くらい聴いたら、とんでもない、嬉し恥ずかなことがあって舞い上がってしまった。

クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、講演会で、「セレンデイピティ」ということを言われていた。
セレンディピティ・・・大事な言葉だ。本当に大事なものだ。
これは、簡単に言えば、幸運を引き寄せる才能、あるいは、能力だ。
伊藤社長のセレンディピティーは、大袈裟ではなくキリスト級で、ビル・ゲイツに優る。
ものごとや人間の価値なんて、財力や権力じゃないのだ。
伊藤社長は、セレンディピティーを起こすには、好きなことをやりなさいと言われていた。ただし、ずっとやり続けなさいと言われていたのだ。
偉大な人間はみんな、好きなこと、やらずにいられないことを、ずっと、ずっとやり続けたのだ。
でも、その前に、少し、心を癒しなさい。
重い心、傷付いた心では、力が出ないかもしれない。
多くの人が喩えたように、心って翼なんだ。
濡れて重くなった翼、傷付いた翼を、まずは乾かし、癒さないといけない。
それだけでも、幸運の共時性(シンクロニシティー)は起こる。
そのためには、素敵な小説を読んだり、心に深く響く音楽を聴くのも一手と思う。









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いつだって奇跡は起きている

小説やテレビドラマなどで、主人公が1人で映画やコンサートに行くと、隣の席に、たまたま、クラスの、あるいは、職場の気になる人がいたなんて話になると、
「そんな馬鹿げた偶然があるもんか」
と言う人が多いかもしれないが、私はちっともおかしいと思わない。
そんなことはありふれているからだ。
私は、出張で大阪から東京に行く新幹線の中で、ちょうどその時、「逢いたいなあ」と思った人が目の前に現れたことがあるし、お互い、およそ行きそうにない場所をドライブしてたら、彼女の赤い軽自動車が、信号で隣にぴたりと止まっていたということもあった。
何度かこのブログでも書いたが、これは人に逢った話ではないが、ずっと以前に見たテレビドラマのある回を録画したいと思って、ビデオの録画スイッチ(まだ、VHSビデオで録画していた時代)を握って、テレビを見ながら待っていたら、すぐにその再放送が始まった。もちろん、事前に番組予定を調べていたのではなく、ただの当てずっぽうだった。
こういったことは、いくらでも、当たり前に起こるのだが、それは、あなたも同じなのだ。
だが、ほとんどの人がそれに気付かないのである。

私は、そんなことにより命拾いしたこともあるし、条件のよい仕事を得、あり難い特技を得て、実力はないのに、何をやってもうまくいった。
一方、私の数倍実力があるのに、何をやっても駄目な者が沢山いた。
私のようにやるのは簡単なのである。

『木枯し紋次郎』を読むと、紋次郎の周囲では、大海原で一本の針を見つけるような偶然が何度も起こるが、私には、ただそれが純粋に感動的で面白く、どこにも不自然さを感じないのである。
優れた小説なんてのは、決して、著者が頭で考えて書いているんじゃない。
魂の中から来るものを、作家が書き留めるだけなのである。
紋次郎なら、どんなことが起こっても何の不思議もない。
命が惜しいとも、不幸を避けようとも思っていない紋次郎は、どんな最悪の状況でも、1ミリも動揺しない。
年中旅をしているが、滅多なことでは旅籠(はたご。旅館のこと)に留まらず、野宿か荒れ寺のような場所で眠る。
自分は旅籠に宿泊するような身分の者ではないと思っているからだ。
誰も信じないかわりに、誰も疑わない。
どんなことがあっても堅気の人間に迷惑をかけないことを絶対の掟とし、たとえ知らずにやったことでも、まっとうに生きている人間、女、老人に害を為せば、
「知らなかったで通ることじゃござんせん」
と言って、命すら差し出す。
そんな人間の周りでは、いかなる奇跡でも起こるのである。
『木枯し紋次郎』を読むようになってから、私には、シンクロニシティ(共時性)やセレンディピティーがますます起こるようになり、精神的にはちょっと悩ましいところはあるが、まあ、退屈していないのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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