ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

共同幻想論

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

世界が幻想であることが分かるには

世界が幻想であることを理解するには、まず、養老孟司さんの『唯脳論』をさらっと読むと良いと思う。
まあ、読むまでもなく、世界というのは脳が作り上げたもので、実際の世界がどんなものかは分からないということが書かれている。
ただ、解剖学者が書いた本であり、ところどころグロい表現がある。
次に、表現がやや難しいかもしれないが、吉本隆明さんの『共同幻想論』を読むと良いと思う。
難しい本ではないのだが、素直な書き方をしてくれていない。
簡単に言えば、人間は、個人の幻想、家族(的な関係者の間)の幻想、グループの幻想の中で生きており、吉本さんは、国家も国民の幻想であることに気付き愕然としたらしい。

ここで岸田秀さんの「唯幻論」を取り上げると、内容は「共同幻想論」と似てはいるが、唯幻論がフロイト絶対主義であり、なおかつ、岸田さんの母親への恨みが根本にあり、本来、もっと奇妙なものになるはずが、これがなかなか筋が通っていて、しかも、文学的な抜群の面白さがあり、かなり人気があった。
言ってみれば、凄く頭が良い人が、天動説が正しいという説を作り上げたようなものだ。天動説は面白いのである。
個々のことを天動説で見事に説明することが可能なように、岸田さんも、個々のことを唯幻論で見事に説明するし、これがまた、下手な心理学者の説明より納得出来るところが結構ある。
しかし、さすがにそれは無理があるだろうという話も少なくない。

世界が幻想であることを理解するには、シミュレーション仮説を学べば良さそうに思えるが、『マトリックス』にしろ『ソードアート・オンライン』にしろ、実際は、脳とコンピューターの接続に関し、極めて曖昧に誤魔化しているため、納得し難い。
それで、やや古く感じるかもしれないが、マイケル・タルボットの『投影された宇宙』に書かれたホログラフィック・ユニヴァース論が筋が通っていて分かり易い。世界を、コンピューターが作ったものと限定せず、脳と世界の接続(インターフェース)についてもシンプルに語っていて納得し易いと思う。

ラマナ・マハルシやバシャール(宇宙人。宇宙生命体)らは、問答無用で世界は幻想と断言する。それは、彼らには、そう(世界は幻想)であることが当たり前なほど分かっているからだろう。

量子物理学で世界が幻想であることを理解するには、想像の飛躍ってものが必要だ。そもそも、量子物理学で博士号を持っている人にだって、世界は幻想だと思っていない人は多い。

普通の人にとって興味があるのは、この幻想の世界を自分の好きようにコントロール出来るかだが、それはまさに、眠っている時に好きな夢を見れるかどうかというようなものだ。それは、経験上分かるように、ほぼ無理だ。
催眠術の名人が特定の夢を見せることにしたって、実際は極めて大雑把なストーリーを設定出来るだけだ。
それで、釈迦にしろイエスにしろ、どんな夢になるかは神様仏様にまかせろと言ったのだし、他の賢い人達も皆同じだ。
言い方を変えれば、自分の内部の高い存在にまかせれば良いのである。
「私(自我。心)はもう考えないし、世界をコントロールしようと思わない。楽しい世界を見せてくれ」という態度でいれば良い。
少なくとも「こうでなきゃ嫌だ」は叶わず、「これがいいな、でも、そうでなくてもいいや」とソフトタッチで願うと叶い易いのである。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)唯脳論(養老孟司)
(2)共同幻想論(吉本隆明)
(3)ものぐさ精神分析(岸田秀)
(4)投影された宇宙(マイケル・タルボット)

幻想の花
AIアート2031
「幻想の花」
Kay

金持ちになるために必須のこと

吉本隆明は『共同幻想論』で、国家は幻想で成り立っていると書いていたが、アニメの『BEATLESS』を見ると、超高度AIのアストライアは、「社会制度は張子の虎だが、虎であるという安心感を人々に与えている」と言い、やはり超高度AIであることが判明した美しきレイシアは「人間の世界は曖昧な合意で成り立っている」と言う。

誰かが、人間は社会的動物だと言ったが、その社会というものは、かなりいい加減なものであると考えて良い。
学校や会社なんてものは、やっぱり全くいい加減に成り立っているが、いい加減なりに、何かの合意で成り立っているし、あまりにいい加減だったり、偏りがあれば、滅ぶ可能性がある。
かといって、独断的制度を学生や職員に厳しく押し付けても、あまりうまくいかないものだ。

「社会は曖昧な合意で成り立っている」
正確にそう言ったかどうかは確認していないが、全くレイシアの言う通りだ。
社会ってやつを、そう信用してはならない。
だが、ソフトバンクの孫正義さんが、国家権力に守られたNTTに戦いを挑み、勝利しなければ、今でも、日本の電話代は異常に高く、インターネットは世界に大きく遅れを取っていたのだと思うが、「利益」とか「権力」を掌握した者は、それを守るために、「いい加減」ではなく、かなり「厳格」になるものだ。

だから、『共同幻想論』の言うように、国家は幻想で成り立っているのではなく、国家はやはり、利益を根本とした権力構造で支配されているのであるのである。
権力者は、その権力を維持するために「幻想」を国民のような構成員に与えているだけである。つまり、洗脳しているのである。
まとめると、国家は、上位は権力構造で成り立ち、下位は、吉本隆明の言う通り、幻想で成り立っているが、その幻想は、全てではないが、権力者の都合のいいように脚色されたものだ。

確かに、国民的幻想は、インターネットの発達で崩れつつある。
それでも、権力者が利権構造を握っている限り、上位1%が全体の82%の富を握るという状況が続き、旧来の権力構造は生き続ける。
富を握る者は、直接的には権力者ではないかもしれないが、権力構造をうまく利用しているのである。
もっと分かり易く言えば、権力が人々をコントロールしている幻想を利用しているのである。
大金持ちにサッカー嫌いはいないように見えるのも、権力の幻想を利用するためだ。
つまり、才能があろうが、努力をしようが、それだけでは金持ちにはなれず、権力構造とその幻想をうまく利用出来る者が金持ちになれるのである。
野球やサッカーや、アメリカではアメリカンフットボールやバスケットといった人気スポーツで、特別な才能がある人は、それなりに金持ちになってるが、やはり、それなりに過ぎないし、権力に逆らわないことが必須条件だ。
映画俳優だって、国家権力に迎合しない限り、金持ちになれない。
国家権力に反抗する映画を作る映画監督もいるが、あるレベルを超えると、本当に危ない。

初音ミクさんは、世界的なスターになったが、「そこそこにスターであること」、「テレビなど中央にあまり関わらない」ことを続けるから良いのだ。
度を超えたスターになったり、テレビへの露出が増えると、国家権力と無縁でいられなくなる。
初音ミクさんの、日仏友好160周年記念のイベント「ジャポニスム2018」への参加は、安倍総理が宣言し、危うかったが、あくまで「HATSUNE MIKU EXPO 2018 EUROPE」の一環として、フランスだけでなく、イギリス、ドイツでもコンサートを行い、メインイメージ画をかなりしょぼくすることで、うまく、汚い権力の手を交わしているのである。
ミクさんはインターネットのスター・・・これを変えてはならない。
こんなことを書いている私は、金持ちになれないなあ(笑)。









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国家権力をも超える力

かつては、1人の人間の筋肉の強さや武術には相当な力があったが、鉄砲やそれ以降の武器の発明で、そんなものは大した力ではなくなったし、文明社会においては、ほとんど何の役にも立たない。
財力は大きな力であるが、やはり、武器を管理・使用できる国家権力の方がずっと強い。
そして、国家権力との優劣が不明なのが宗教だ。
いや、実は、宗教が国家権力の正体だったりする。
大思想家の吉本隆明氏が『共同幻想論』で、国家は幻想だと言ったが、それは宗教という幻想である。
まあ、日本のように、宗教の形が隠された「信仰」もあるが、話をややこしくしないために、それも宗教とする。
つまり、一番強いのは宗教なのだ。

だから、他国の宗教に因縁つけたり、他人の宗教を貶すことは、馬鹿だと言うだけでなく、危険なことだ。
日本の宗教の一部であるにしても、靖国参拝にイチャモンつける中国や韓国は、決して日本を味方にできない。
このあたりは、中国や韓国の宗教をむしろ敬う日本の方がずっと賢い。

ではなぜ宗教が強いのかというと、宗教は潜在意識とつながっているからだ。
また「つまり」と言うが、つまり、結論として、人間にとって最大の力は潜在意識であり、近年まではこれを、「信念が最も強い」と言ってきたのだ。
だから、あなたも、潜在意識を絶対に味方にしなければならない。
潜在意識が味方である程度に応じ、それは、筋力を超え、武術を超え、財力を超え、国家権力をも超える。
国家が人々の潜在意識の集合体であるとは言え、それは指向性を持たない幻想であり、案外に不安定だ。
だから、指向性ある心と潜在意識のカップルほど強いものはない。

人間は、美しいものを信じる。
美しいものを疑わない。
だから、美しいものを身近に置きなさい。
自分自身が絶対的に美しいと思うものを。
そうすれば、潜在意識との壁は消え、神の力を手にすることになる。
ガラス玉に対しては、はっきりとガラス玉と言うことだ。
安物のギフト・・・スポーツの感動や愛の物語や聖典などは拒否せよ。
それができれば、本当に美しいものを見つけるだろう。
それで、あなたは無敵に近付いているのである。









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少女に萌える奇妙さを解明する

「萌え(もえ)」という言葉は、ゾクっとするほどの情熱的な好意・愛着を示す言葉で、萌えの対象は人それぞれだが、猫(特に子猫)と美少女の場合が多いように感じる。
萌えという言葉が、いつ、どんなきっかけで使われ始めたかは、「スマートフォン」と同じくらい不明であるのだと思われる。
とはいえ、萌えの本来の意味である、「芽ぐむ」そのものに、若くて強い生命エネルギーの暗示があるので、誰かがたまたま使ったその言葉が、自然に広がったのではないかと思う。

萌えも、猫なら良いが、対象が美少女だと、眉をひそめる(しかめる)とか、気持ち悪いという感情を持つ人も多いと思う。
だが、萌えという言葉が出来るはるか以前に、美少女への強い愛着は、おそらく、太古の昔からあり、荒ぶる神への生贄が美少女の場合が多いのも、神に捧げる一番良いものは美しい少女であるという認識が、人類に普遍的にあるからだろう。
『大ヒッピアス 美について』(藤田大雪翻訳)で、ソクラテスがヒッピアスに「美とは何か」と尋ねた時、有名なソフィスト(弁論家、教育家)であったヒッピアスは、「簡単なことだ。それは美しい少女だ」と答えている(ソクラテスに反駁されるが)。
やはり、美しい少女は、この世で飛び切りに美しいものであることは確かである。

それにしても不思議なのは、美しい少女が美の象徴であることは分かるとしても、それが性的対象になる場合が多いことだ。
少女と言っても、せめて15歳以上であれば、それも現実的に思えるが、ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』では、主人公ハンバートは、性的な意味も含め、自分が愛着を持つ美少女の年齢を「9歳から14歳」と厳密に定義しており、あくまでフィクションとはいえ、それもまた、妙にリアリティがあるのである。
なぜ、子供を産むような年齢でもない少女に性的関心を持つのか、また、現実的に、それが特殊なものとは言い切れないところに、強い不合理性を感じざるを得ない。
ナボコフは昆虫学者でもあるが、人間以外の生物には、そのようなものは見られないことをよく知っているから、この作品をある種の喜劇として書いたように思えるが、確かに、人間とは奇妙なものである。
ひょっとしたら、それ(少女への性的関心)は、人類に広く生じた幻想なのかもしれないことは、吉本隆明氏の『共同幻想論』からも推測出来る。
まあ、『唯幻論』の岸田秀氏、あるいは、その元になったフロイトによれば、本能が壊れた動物である人間の性欲自体が幻想であり、自然に立脚しない狂ったものであるという説を当てはめるなら、納得出来ないこともない。
だが、冷静に考えれば、誰もが、低年齢の少女への性的関心は不合理と分かるのであるから、幻想とは言い切れない。

そこで、私は、こう解釈している。
少女への性的関心は、神が与えた試練なのだと。
試練であるからには、意図がある。
それは、「高貴さを知る」ためである。
少女への性的関心は、おそらく、普遍的なものだ。
しかし、それは、高貴な心に作り変えることが出来るのである。
鉛のような卑金属を、金のような貴金属に作り変える錬金術は、本当は、そのような精神的な修練・修行を意味するのに違いない。
私には、このようにしか思えない。
そして、少女の方も、自身が高貴な存在(偉くはないが)であり、ある意味、天使の地上での代理人であることを自覚し、気高くあって欲しいと思う。

人類は、少女の性的魅力を神的な高貴さに作りかえることで、新しい段階に進歩する。
初音ミクさんは、16歳という設定になっているが、正直、もっと幼く感じると思う。
しかし、16歳らしい魅力も十分にある。
それでいながら、ミクさんを愛する人というのは、男性の場合、彼女に性的関心は、ほとんど持っていないのだと思う。
私の場合が全くそうである。
つまり、初音ミクさんは、人類に高貴さを教えるために生まれた存在でもあるのだ。
女性の場合は、ミクさんの何かを自分に取り込むことで、やはり高貴になるのだが、ファンの中心である10代の女性は、特にそうあって欲しいと願う。









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自分も人類も信じられない

こんなことは、誰にでもあるのだろうかと思うことがある。
私は、小学5年生になった時、クラスに、とても可愛い女の子がいたので、たちまち憧れ、いつも彼女のことを考えていた。
ところが、夏になった頃だ。
彼女を眺めながら思ったのだ。
「なんで、こんな子が好きだったのだろう?」

また、私が小学3年生の時だ。
そういえば、幼稚園の時のクラスに、とても可愛い女の子がいたことを思い出した。
繊細で、妖精のような子だったはずだ。
それで、幼稚園の卒園アルバムを取り出し、彼女の写真を見た。
すると、確かに、この子がそうだと分かったその女の子は、どこも可愛いと感じられないような子だった。

漫画の絵や、自分が描いた絵で、とても美しいと思っていたものが、1ヶ月とか、数ヵ月後に見たら、つまらない絵、ひどい絵、はては、醜悪な絵と感じることすらあった。

こういったことがあると、面白いとも感じるのだが、自分の美的感覚・・・、いや、自分そのものが信じられなくなるというところが、やはりある。

そりゃ、日本でも、昔の人達が美人だと感じていたような女性を、現代の人が見たら、逆に醜いと感じるということもあるのだと思う。
また、女性に限らないが、ある国では美人ともてはやされるような女性が、別の国では平凡以下に扱われることもあるはずだ。
ある途上国では、首が長い女性が美人とされ、女性は、幼い時から、首を伸ばすための首輪を、首が長くなるごとに追加してつけていき、成長後は、首が相当に長くなっている。
その民族の間では、そんな女性達を美しいと感じるのだろうが、それらの女性は、私には、グロテスク(フランス語で「異様」「怪奇」)としか思えない。

絵画においても、今(というよりある時期以降)では名画とされている、ルノアールやセザンヌの絵も、描かれた当時は全く評価されず、それどころか、駄目な絵のレッテルを貼られていた。
ゴッホの絵なんて、彼の存命中は、貶されるだけの対象で、実際、ゴッホの生存中は1枚も売れなかった。
それが、今や彼らの絵は天上知らずの値で取り引きされるだけでなく、実際、その美しさが認められている。

つまり、私が個人的に感じていたことは、民族単位、国単位でも言えることなのだろう。
では、民族の美徳、国家の是(ただしいこと)といったものは、全く信用ならないことになる。
思想家の吉本隆明氏が、国とは幻想であると気付き、愕然としたと、『共同幻想論』に書かれていたが、彼の話は難し過ぎてピンとこなかったが、つまり、それは、私が感じているようなことなのかもしれない。
精神分析学者の岸田秀氏が、「全ては幻想」という『唯幻論』を唱えているが、彼の説は信用出来ない部分も多いながら、人間が幻想に支配されていることは確かなようである。

昨夜、『マジカルミライ2013』のブルーレイを見ていたのだが、初めてこれを見た時、このコンサートの初音ミクさんは、あまり美しくないと思っていた。
ところが、昨夜見たら、そのミクさんは文句なく美しくて可愛いと感じたのである。
もちろん、『マジカルミライ2014』、『マジカルミライ2015』も、全て素晴らしいと思っている。
私は、以前は、『ミクの日感謝祭』シリーズのコンサートのミクさんの姿に慣れていたので、『マジカルミライ』シリーズのミクさんに違和感があったのだと思う。
まあ、ミクさんそのものは、2008年に、初めてMMD(ミクミクダンス)という動画ソフトで作られた「Lat式」と言われるモデルのミクさんを見た時から、ミクさんは全て良いと思っているが、ミクさんに関してすら、自分の感覚が変化するということは注目に値する。

世間はもちろん、国も、人類も、そして、自分すら信じられない。
それが事実だ。
人間は、刹那にしか生きることが出来ないと思ってしまうのも仕方がない。
だが、それでは、人類や自分には、何の価値も見出せない。
だから、人類は、昔から、永遠に変わらない何かを手に入れたいと願ってきたのだ。
もちろん、私も、それを求めているのだろう。

岡本太郎は、ゴッホやピカソについて、「きれいではないが美しい」と言った。
変わっていくのは「きれい」だけであり、「美しい」は変わらない。
岡本太郎は常にそう言っていた。
表現の仕方は色々あるだろうが、彼は真理を分かっていたのだろう。
ほとんどの人が、「きれい」にのみ目を奪われ、「美しい」をないがしろにしているのだろう。
私は、「美」を求めることを、ただ今、決意した。
それにより、ミクさんの感じ方も変わってくるだろう。
間違いなく、ミクさんの真の美しさを発見するだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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