引き寄せメソッドのいろいろな話をしているが、再度確認しておいた方が良いことがある。
それは、メソッドは何でも良いし、メソッドがなくても良いことだ。
私は、親や祖父母から引き寄せのやり方を教わったわけではないが、幼い時から、奇跡を頻繁に起こしていたし、それは10歳くらいの時には自覚していた。それは、感じとしては「意識を向けたものが近くに現れる」というものだった。
決ったメソッドがないということは、勝手に決めても良いわけである。
いや、決めた方が良いかもしれない。
というのは、学校やテレビを見ているうちに、引き寄せみたいなものはないという世間的思想に洗脳されていくからである。
そのままでは、いくら引き寄せの本を読んだりしても、引き寄せはないという固定観念が邪魔をして、引き寄せが出来なくなる。
固定観念を回避するには、思考を消せば良いのだが、同時に、願いの火花とでもいうものを発する必要がある。
有名なベートーヴェンの第九交響曲の、シラーの詩を合唱曲にした『歓喜に寄せて』の、「神の霊感」とか「楽園の乙女」と呼ばれるものである。
本来、子供は、思考を消し、霊感を感じることが得意なので、私のように、大人から見ればあり得ない奇跡を起こす。
だが、今の、幼い時から、どこに行くにも自動車で行き、冷暖房で暑さ寒さを知らず、また、回転寿司のように、やたら美味しいものが自動で出てくるような環境に馴染んだ子供は、大人と変わらない部分が多い。
また、精神に圧迫を受けている子供も、物質に縛られていて、世界を動かせない。
そこで、これもメソッドと言えばメソッドなのだが、極めて簡単でありながら合理性のある引き寄せ法を上げるなら、人差し指を立てることである。
禅で「一指禅」と呼ばれるもので、『無門関』の中の『倶胝竪指(ぐていじゅし)』と同じようなものだ。もちろん、そこでは、これが引き寄せメソッドというふうには言われていない。
倶胝(ぐてい)という僧は、どんな相談を受けても、指を1本立てるだけだったが、それを見ている小坊主が真似をするようになった。
それを知った倶胝は、その小坊主の人差し指を切り落とした。
あくまで禅語の作り話だが、これがどんな意味かが公案(禅の問題)になっていて、いろんな先生方がいろんな解説をしている。
まあ、誰か正解を言ったかどうかは知らないが、倶胝は「人差し指を立てることだけが良い方法ではない。何でも良い。だから、人差し指がなくても同じだ」と言っているのだろう。
たとえば、私が好きなもので言えば、「薄目をする」でも、「口元だけで微かに笑う」でも、「息を止める」でも良いのである。
米津玄師さんは『シン・ウルトラマン』のテーマ曲『M八七』で「微かに笑え、あの星のように」と美しく表現していた。
ただ、人差し指は、武道では「師匠預けの指」として使わないが、人差し指を握らず力を抜くと思考が消えることから、倶胝の師の天竜は、特にこのやり方を教えたのかもしれない。
とはいえ、何でもいいと言えば何でも良いのである。
自分が、「これが魔法の杖」と設定すれば。
たとえばだが、「チョコレートを食べれば願いが叶う」などである。何でも良いのである。
「願掛けは何でも良い」である。
「髪を伸ばせば願いが叶う」とか「嗜好品を絶てば願いが叶う(いわゆる断ち物)」というのも、実は何でも良いのである。
まあ、簡単であればあるほど良いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)
AIアート1217
「精神集中」
Kay
それは、メソッドは何でも良いし、メソッドがなくても良いことだ。
私は、親や祖父母から引き寄せのやり方を教わったわけではないが、幼い時から、奇跡を頻繁に起こしていたし、それは10歳くらいの時には自覚していた。それは、感じとしては「意識を向けたものが近くに現れる」というものだった。
決ったメソッドがないということは、勝手に決めても良いわけである。
いや、決めた方が良いかもしれない。
というのは、学校やテレビを見ているうちに、引き寄せみたいなものはないという世間的思想に洗脳されていくからである。
そのままでは、いくら引き寄せの本を読んだりしても、引き寄せはないという固定観念が邪魔をして、引き寄せが出来なくなる。
固定観念を回避するには、思考を消せば良いのだが、同時に、願いの火花とでもいうものを発する必要がある。
有名なベートーヴェンの第九交響曲の、シラーの詩を合唱曲にした『歓喜に寄せて』の、「神の霊感」とか「楽園の乙女」と呼ばれるものである。
本来、子供は、思考を消し、霊感を感じることが得意なので、私のように、大人から見ればあり得ない奇跡を起こす。
だが、今の、幼い時から、どこに行くにも自動車で行き、冷暖房で暑さ寒さを知らず、また、回転寿司のように、やたら美味しいものが自動で出てくるような環境に馴染んだ子供は、大人と変わらない部分が多い。
また、精神に圧迫を受けている子供も、物質に縛られていて、世界を動かせない。
そこで、これもメソッドと言えばメソッドなのだが、極めて簡単でありながら合理性のある引き寄せ法を上げるなら、人差し指を立てることである。
禅で「一指禅」と呼ばれるもので、『無門関』の中の『倶胝竪指(ぐていじゅし)』と同じようなものだ。もちろん、そこでは、これが引き寄せメソッドというふうには言われていない。
倶胝(ぐてい)という僧は、どんな相談を受けても、指を1本立てるだけだったが、それを見ている小坊主が真似をするようになった。
それを知った倶胝は、その小坊主の人差し指を切り落とした。
あくまで禅語の作り話だが、これがどんな意味かが公案(禅の問題)になっていて、いろんな先生方がいろんな解説をしている。
まあ、誰か正解を言ったかどうかは知らないが、倶胝は「人差し指を立てることだけが良い方法ではない。何でも良い。だから、人差し指がなくても同じだ」と言っているのだろう。
たとえば、私が好きなもので言えば、「薄目をする」でも、「口元だけで微かに笑う」でも、「息を止める」でも良いのである。
米津玄師さんは『シン・ウルトラマン』のテーマ曲『M八七』で「微かに笑え、あの星のように」と美しく表現していた。
ただ、人差し指は、武道では「師匠預けの指」として使わないが、人差し指を握らず力を抜くと思考が消えることから、倶胝の師の天竜は、特にこのやり方を教えたのかもしれない。
とはいえ、何でもいいと言えば何でも良いのである。
自分が、「これが魔法の杖」と設定すれば。
たとえばだが、「チョコレートを食べれば願いが叶う」などである。何でも良いのである。
「願掛けは何でも良い」である。
「髪を伸ばせば願いが叶う」とか「嗜好品を絶てば願いが叶う(いわゆる断ち物)」というのも、実は何でも良いのである。
まあ、簡単であればあるほど良いと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)
AIアート1217
「精神集中」
Kay