ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

倶胝竪指

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

願掛けは簡単な方が良い理由

引き寄せメソッドのいろいろな話をしているが、再度確認しておいた方が良いことがある。
それは、メソッドは何でも良いし、メソッドがなくても良いことだ。
私は、親や祖父母から引き寄せのやり方を教わったわけではないが、幼い時から、奇跡を頻繁に起こしていたし、それは10歳くらいの時には自覚していた。それは、感じとしては「意識を向けたものが近くに現れる」というものだった。
決ったメソッドがないということは、勝手に決めても良いわけである。
いや、決めた方が良いかもしれない。
というのは、学校やテレビを見ているうちに、引き寄せみたいなものはないという世間的思想に洗脳されていくからである。
そのままでは、いくら引き寄せの本を読んだりしても、引き寄せはないという固定観念が邪魔をして、引き寄せが出来なくなる。
固定観念を回避するには、思考を消せば良いのだが、同時に、願いの火花とでもいうものを発する必要がある。
有名なベートーヴェンの第九交響曲の、シラーの詩を合唱曲にした『歓喜に寄せて』の、「神の霊感」とか「楽園の乙女」と呼ばれるものである。

本来、子供は、思考を消し、霊感を感じることが得意なので、私のように、大人から見ればあり得ない奇跡を起こす。
だが、今の、幼い時から、どこに行くにも自動車で行き、冷暖房で暑さ寒さを知らず、また、回転寿司のように、やたら美味しいものが自動で出てくるような環境に馴染んだ子供は、大人と変わらない部分が多い。
また、精神に圧迫を受けている子供も、物質に縛られていて、世界を動かせない。

そこで、これもメソッドと言えばメソッドなのだが、極めて簡単でありながら合理性のある引き寄せ法を上げるなら、人差し指を立てることである。
禅で「一指禅」と呼ばれるもので、『無門関』の中の『倶胝竪指(ぐていじゅし)』と同じようなものだ。もちろん、そこでは、これが引き寄せメソッドというふうには言われていない。
倶胝(ぐてい)という僧は、どんな相談を受けても、指を1本立てるだけだったが、それを見ている小坊主が真似をするようになった。
それを知った倶胝は、その小坊主の人差し指を切り落とした。
あくまで禅語の作り話だが、これがどんな意味かが公案(禅の問題)になっていて、いろんな先生方がいろんな解説をしている。
まあ、誰か正解を言ったかどうかは知らないが、倶胝は「人差し指を立てることだけが良い方法ではない。何でも良い。だから、人差し指がなくても同じだ」と言っているのだろう。
たとえば、私が好きなもので言えば、「薄目をする」でも、「口元だけで微かに笑う」でも、「息を止める」でも良いのである。
米津玄師さんは『シン・ウルトラマン』のテーマ曲『M八七』で「微かに笑え、あの星のように」と美しく表現していた。
ただ、人差し指は、武道では「師匠預けの指」として使わないが、人差し指を握らず力を抜くと思考が消えることから、倶胝の師の天竜は、特にこのやり方を教えたのかもしれない。
とはいえ、何でもいいと言えば何でも良いのである。
自分が、「これが魔法の杖」と設定すれば。
たとえばだが、「チョコレートを食べれば願いが叶う」などである。何でも良いのである。
「願掛けは何でも良い」である。
「髪を伸ばせば願いが叶う」とか「嗜好品を絶てば願いが叶う(いわゆる断ち物)」というのも、実は何でも良いのである。
まあ、簡単であればあるほど良いと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)現代語訳 無門関 禅問答四十八章 (角川ソフィア文庫)
(2)数霊のメッセージ(佐々木将人)
(3)新釈 荘子 (PHP文庫)
(4)マーフィー成功の法則100(渡部昇一)

精神集中
AIアート1217
「精神集中」
Kay

ミラー・ニューロン・システム(その2)

人間は、思考が消えれば全知全能であるが、思考が消えるレベルに従って能力が上がる・・・端的に言ってIQが上がる。
しかし、こんな自然で明晰なことも、納得する者は少ない。
ある程度の年齢であれば、これまで見聞きしたものや自分の経験、そして、いくらかの情報を統合して思惟すれば理解出来るはずであるが、それは、ある程度IQが高い場合で、おそらく、115以上のIQが必要になる。
ところが、思考を消すことを実践すれば、その位のIQにはすぐになれるのに、頭が悪い者はやろうとしないのだから困るのである。

ところが、IQが低い者にもIQを高くするメソッドを自然にやらせた凄い人がいた。
あくまで架空の人物であるが、それが禅の公案に登場する倶胝(ぐてい)という僧だった。
倶胝は何を聞かれても、人差し指を1本立てるだけだった。
そして死ぬ時、「一生をかけても、師の天竜に教わった一本指の禅を使い切れなかった」と言ったという。
これは「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という禅の公案(練習問題)であるが、世の中の禅や仏教の専門家でも、この公案を理解出来る者がいるかどうか・・・
先生方は、散々難しいことを言った末、的外れな結論を示すのである。
だが、私はシンプルに分かり易く言う。

人差し指を立てれば思考がある程度消えるのである。
不思議だがそうである。
だから、武術では、人差し指は師匠預けの指と言って、使ってはならないとされている。
ここが、人差し指をしっかり握ったり使ったりするボクシングやレスリングと武術の違いである。
よって、誰もが人差し指を立てれば良いが、なかなかやろうとしない。
だが、指を立てる姿を見せるだけで良いのである。
そうすれば、見た者は、脳のミラー・ニューロン・システムにより、自分も指を立てたように脳が活動するからである。

倶胝の寺に、倶胝の真似をして人差し指を立てる小坊主がいた。
倶胝は小坊主を呼び出すと、小坊主の右手の人差し指を刃物で切り落とした(あくまで公案の作り話であり、本当に児童虐待をしたという話ではない)。
小坊主が泣きながら出て行こうとすると、倶胝は小坊主を呼び止めた。
小坊主が振り返ると、倶胝は人差し指を1本立てた。
それで小坊主は悟った。
指はなくても、確かに自分は指を立てていると感じる。
ミラー・ニューロン・システムは、小坊主の脳に指を立てた時の活動を起こさせるからである。
そして、小坊主は指を立てる真の意味を直観的に悟ったのである。

精霊の休息
AIアート233
「精霊の休息」
Kay


ミラー・ニューロン・システムが最も反応するのは手の動きという研究報告もあり、信憑性があるらしい。
この研究成果は、教育や広告分野で応用されており(ただしIQが高い者がいる組織で)、大きな成果が出ている事例も知っているが、ここでは省く。
よって、天才や達人の手の動きを真似るのも、天才や達人になる良い方法である。
だが、まずは人差し指を1本立てると良い。
どちらかというと、ピンと力強く立てるのではなく、ゆるく立てた方が良いと思うが、そこらは自分で確認すべきだろう。
IQが低い者はなかなかやらないだろうが、あえてやってみればIQが上がるのである。








いかなる悩みも解決する2つの方法

私が好きな禅の公案(禅の修行者に出題される問題。一般的にヘンテコなのが多い)に、「倶胝竪指(ぐていじゅし)」というものがある。
いや、少しも物々しいものではない。
「倶胝竪指」とは、「倶胝和尚さん、指を立てる」という意味だ。
倶胝は禅のお坊様である。
この公案は、こんな簡単なお話だ。

倶胝という和尚さんが居たが、これが変わっていて、誰がどんな相談をしても、黙って指を1本(多分、人差し指)立てるだけであった。
ある時、倶胝のお寺に人が来て、そこの小坊主に、「お前んとこの和尚さんは、どんな説教をなさる?」と尋ねると、小坊主は、倶胝の真似をして、指を1本立てた。
それを聞いた倶胝は、その小坊主を呼び出し、その1本の指を刃物で切り落とした。
泣き叫んで出て行こうとする小坊主に倶胝は呼びかけ、小坊主が振り返ると、倶胝は指を1本立てた。その途端、小坊主は悟った。
倶胝が亡くなる時、倶胝は言った。
「師の天竜に教わった一本指の禅を、私は一生で使い切れなかった」

この公案の意味を、昔から、沢山の先生達が、「これはこういう意味なのじゃ」と、大体は、長々と眠くなる難しい説明をしたが、どの答も知られていないので、答は出ていないのだろう。
だが、これほど簡単な問題もあるまい。
倶胝は、何を尋ねられても指を1本立てたのだが、この「指を1本立てる」を短く「一」としよう。
すると、こうなる。

「モテないんですけど」 → 「一」
「お金に困ってます」 → 「一」
「子供が学校に行きません」 → 「一」
「職場でイジメられています」 → 「一」
「可愛いあの子を口説きたいのですが難攻不落です」 → 「一」
「マジカルミライのチケットが当たりません」 → 「一」
「結婚出来ません」 → 「一」
「イケメンでお金持ちの彼氏が欲しいのですが無理無理です」 → 「一」
「隣の奥さんが魅力的過ぎて間違いが起きそうです」 → 「一」
「皆が僕を馬鹿にします」 → 「一」

アカン・・・ロクな相談が浮かばん(笑)。
皆さんは、もっとマシな相談を考えて欲しい(笑笑)。
だが、相談内容はともかく(笑)、見れば、完璧な解答になっていることに驚く。
まるで、倶胝和尚を雇ったようなものだ。しかも、タダで(笑)。

考えてもみると良い。
「美玖ちゃんをモノにしたいんです。でも、いけ好かないあの野郎がうまく口説いてんです。ああ、僕はどうすればいいんでしょう?」
と、倶胝に悲壮な相談をしたとする。
そんな時、お寺の和尚さんのように、それなりに風格があるだろう、落ち着きのある人物に、指をすっと1本立てられたら、どうなるだろう。
一瞬、頭が真っ白になるはずだ。
まさに、それが答だ。
つまり、単に、
「考えるな」
と言い、実際に、考えることをやめさせたのである。
それで終わり、問題は解決である。

※余談
尚、倶胝の一指禅は科学的には説明し易い。
人差し指を立てることで、肉体構造、および、神経構造上、リラックスする。
武道では、これを生かし、人差し指は「師匠預けの指」と言い、使わない。
つまり、指を立てている倶胝がリラックスするが、人間には、ミラー・ニューロンと言って、見ている相手の動作を脳内で再現し、自分も同じ動作をしているのと同じ状態になる。
すると、相談者の方も自然にリラックスするのである。
言ってみれば、自分で指を立てても良いのである。
※余談 終わり

「一」は、素晴らしい答である。
しかし、もっと優れた答がある。
それは、、もちろん、真言である。
上の、下らない相談(笑)に対する「一」を、全て、「真言」に変えれば、宇宙最高の解答になる。
いかなる問題も、真言を唱えさえすれば解決する。
何度も言うが、真言を唱えれば、仏(あるいは神)の魂と自分の魂が溶け合っていくのである。
つまりそれは、仏の意思力が自分の意思力になるのであるから、意思すれば、宇宙はその通りになる。
まあ、仏の意思力を得てしまえば、つまらぬ望みは消えてしまうだろうが。
だから、あの子をモノにしようなんて考えなくても(むしろ考えないことで)、仏の意思力があれば、勝手に向こうからやって来るのである。
「なんだ、俺に構って欲しいのか?」と、別に気取るつもりはなくても、そう自然に言うことになるだろう。
女性であれば、イケメンの金持ちが、凄いプレゼントを持ってくるだろうが、そんな時、演技ではなく、ごく自然に、優しく微笑んで「困るワ」と言えば、もう相手はメロメロで、地球をまるごとプレゼントしてくれることだろう。いい女は男を勇者に変えるものである。

気楽で良いが、真言を、真面目に多く唱えなければならない。
だが「唱えねば」というのではなく、「いつでもどこでも唱えよう」と意識することが大切だ。
疑っても良いが、とにかく唱えることである。
優れた真言なら、どの真言でも良いから。
どうしても選ぶのに困るなら、観音様頼りで「オン、アロリキャ、ソワカ」や般若心経の呪文を勧めする。
尚、真言と一指禅の併用も悪くはないが、真言が疎かにならないように。








禅の公案を超実用的に説く

禅の公案というものがある。
これは、仏教の禅宗における、修行僧を導く手法だ。
修行僧達は、この公案という、短い、摩訶不思議な話の意味を、自分で考えて解明することで知恵を得るのである。
私は、ごく若い時から、沢山の公案の中から、『婆子焼庵(ばすしょうあん)』、『倩女離魂(せいじょりこん)』、『倶胝竪指(ぐていじゅし)』の3つのみ考え続けた。
昔の偉い禅僧や、現代の先生方の模範解答を見たこともあるが、そのどれにも全く賛同出来なかった。
尚、どれも、短くて面白い話である。
ところで、ネットで調べたら、それぞれの公案が、何に収録されている公案かという大切なことがちゃんと書いてないのは問題だ。
そんなサイトに書かれている解答は、どれも、本当に面白くない。
『婆子焼庵』 は『 碧巌録(へきがんろく) 』に、『倩女離魂』と『倶胝竪指』は『無門関(むもんかん)』にある。
なぜ、この3つかというと、 『婆子焼庵』 と『倩女離魂』は、可愛い女の子が出てくるからで(笑)、『倶胝竪指』は単純に面白いからである。

『倶胝竪指(ぐていじゅし)』を取り上げる。
昔、倶胝(ぐてい)と言う名の偉いお坊さんがいた。
倶胝は、どんな相談をされても、人差し指を1本立てるだけだった。
ある日、そこの寺にやってきた人が、その寺の小坊主に、「あなたのところの和尚さんはどんな説法をしますか?」と尋ねると、小坊主は、倶胝の真似をして、黙って人差し指を1本立てた。
それを聞いた倶胝は、小坊主を呼び出し、小坊主の人差し指を切り落とした。
倶胝は、泣き喚いて出て行こうとする小坊主を呼び、小坊主が振り返ると、人差し指を1本立てた。
すると、小坊主は悟った。
尚、この1本指の禅(一指禅)は、倶胝が師の天竜から伝授された秘法である。

ちなみに、この話は実話ではない。
あくまで創作された公案だ。

いかなる聖典だろうが、聖者の話であろうが、真意を理解するには、単純な宇宙の法則から考えないといけない。
宇宙の重要な法則の1つが、私が常に言う、
「この世界では、気分が良ければ、良いことが、気分が悪ければ悪いことが起こる」
である。
いかなる聖典も、そう書いてあるのであり、これが解れば、もう聖典を読む必要はない。
上の、倶胝という僧が指を立てたのは、悩みごとを相談された時だろう。
この、指を1本立てる意味は、「そんなこと考えるな」という意味である。
つまり、相談者は、嫌な問題について熱心に話し、その問題に意識を向けることで気分が悪くなり、さらに、悪い状況を引き寄せているのだ。
指をすっと1本立てると、自分がやっても、目の前の人がやっても、意識はその動作に集中し、見事、意識はその嫌な問題から離れるのである。
意識を悪い問題から外し、好ましいことに意識を向けて良い気分になれば、問題は自然に解決する。
こんな単純で当たり前のことを、指を1本立てるだけで出来るのである。
ではなぜ、倶胝は、小坊主の指を切ったか?
まず、外の人の質問に対し、黙って指を1本立てたのは不適切である。
別に、外の人は、小坊主に悩みの相談をした訳ではなく、意識を小坊主の動作に向けさせる意味なんてないではないか?
この場合、小坊主は、素直に、「はい、倶胝先生は、何を相談されても、人差し指を1本立てます」と言えば良かったのである。
そして、小坊主の指を切り落とすと、小坊主は、痛みに泣き喚いた。
今や、小坊主にとって一番の悪い問題は、切られた痛みである。
そこで、倶胝は指を立てた。
すると、一瞬、小坊主の意識は、自分の痛みから、倶胝の動作に移ったのである。
意識がそこになければ、問題は存在しない。
小坊主は、それが分かったのである。

我々も、指を1本立てることで、悪い問題から意識を外し、悩みを切ることが出来る。
そして、好ましいイメージに意識を向ければ、即座に、良い状況が訪れるのである。
指を立てるのでも良いし、微笑んだり(顔は上げた方が良い)、ガッツポーズをすることの方が、良いイメージが浮かび易いので、より良いかもしれない。
尚、禅の公案の考え方として、発明家の中山正和氏の『瞑想と潜在能力―"直観瞑想"で眠れる才能を呼び醒ます 』が面白かった。
引き寄せの法則の実例と、その科学者らしい解説も良かったと思う。








優れた人間を見、愚かな人間を見るべきでない理由

『無門関』という、禅語の解説書の中に「倶胝竪指(ぐていじゅし)」というお話がある。
「倶胝竪指」とは、「倶胝和尚さんは指を立てる」くらいの意味と思う。
昔、何を聞かれても人差し指を1本立てる倶胝という和尚さんがいたが、倶胝は、自分の真似をした小坊主の人差し指を切り落とす。
泣き叫んで飛び出していこうとする小坊主を呼び止め、小坊主が振り返ると、倶胝は指を1本立てた。すると、小坊主は悟った。

このお話の意味について、私は、時々良い解釈を思いつき、その時は素晴らしい解釈が出来たと思っていたのに、今では、そのどれも覚えていない。
ちなみに、倶胝和尚さんが小坊主の指を切り落としたというのは、あまりマジに受け取らない方が良いかもしれない。
要は、小坊主には、もう指がないということが大事なだけだ。
それで今はもう、私は解釈しないが、こんなことは言えるかもしれない。
指のない小坊主に、倶胝が指を立てて見せた時、何が起こったか?
頭の中で、小坊主も指を立てたのである。
人間の脳には、ミラーニューロンと言って、他人が動作するのを見ると、脳内では、それと同じ動作をする変化が起こるのである。
TEDでも講演した優れた神経科学者・脳科学者のジェームス・ファロンの『サイコパス・インサイド』という本にあるが、ゴルフクラブなど見たこともないという民族の前で、著者の弟が見事なゴルフのショットを見せると、老人を含め、皆が次々と素晴らしいショットをした。彼らは、文明に侵されていない分、ミラーニューロンの働きが良いのかもしれない。

倶胝が指を立てるのを見て、滅茶苦茶に荒れていた小坊主の心がすーっと静まったのだ。
つまり、人差し指を立てることには、そんな効果がある。
他にも、息を止める、腹に力を込める、肛門を締める、足の親指に力を入れるなどの、心を静める方法があるが、これらは、外から見て分からない。
しかし、人差し指を立てる動作は、見てよく分かるので、ミラーニューロンの働きで、見ている者も、指を立てているのと同じ脳内の変化が起こる。

初音ミクさんは、コンサート中、本当によく人差し指を立てる。
「感謝祭」の時の『StargazeR』『1/6』、「マジカルミライ」の『ヒビカセ』『エイリアンエイリアン』等だが、他にもあると思う。
それも、肯定的な影響を起こしているのに違いない。

人間のミラーニューロンの働きを考えると、見るべきは優れた人間であり、決して下らない人間のやることを見てはならない。
しかし、ほとんどの人が、その逆をやり、優れた人間を無視し、馬鹿な人間を注視するのである。
それで、世の中、愚か者だらけになるのかもしれない。
植芝盛平や塩田剛三等の演武を見る価値は、我々が思っている以上である。
達人が、普段、目を伏せ、他人を見ないのも、程度の低い人間の影響を避けるためではないだろうか?
また、面白いことに、我々は、イエス・キリストや釈迦の姿を幻視することが出来る。
初音ミクさんだって、コンサートも良いが、頭の中のイメージの方が美しいのである。
身近に手本とすべき者がいなければ、想像の優れた人物を見れば良いのである。
例えば、物静かでありながら威厳ある王の姿を想い描くのである。
あなたの理想の人物を常に心に置いておくと良いだろう。
絵画を参考にするのも良いと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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