ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

修行

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

特訓は必要ない

最近私は、『陰の実力者になりたくて!』(2022~2023)というアニメの第1話を見て非常に感激した。
このアニメ、実は私は、昨年(2023年)だったか、20話近くまで観て、観るのをやめていた。個人的感想だが、最初の方は面白かったが、だんだん面白くなくなったと思ったからだ。そんなアニメは多いと思う。
ところが、第1話を気まぐれにだが久々に見ると、非常に良いところがあった。
高校生男子である影野実は、勉強も運動も中の下(の成績)、顔も普通であるなど、あらゆることにおいて凡人で目立たないキャラだ。このような人物を、今は俗にモブキャラクター(略してモブキャラ、モブ。その他大勢といった意味)と言う。
だが、学年一の美少女を前にしても全く平静で、彼女の名前を憶え間違えているところに興味を惹かれる。
つまり、只者ではない。
そして、いつもクラスの中で、目立たずぼーっとしていたが、そんな中、ひっそりと、ハンドグリッパー(握力強化トレーニング器具。ハンドグリップと呼ぶ場合が多い)で運動している。そのカウント数は2万を超えていた。
私はこれにシビれた。
運動と言えば、かつては、筋力を鍛えるためには数回からせいぜい十数回繰り返すことが出来る負荷の強い運動、筋持久力を鍛えるためには20回程度繰り返すことが出来る運動を行うことが常識だったが、現代のスポーツ科学では弱い負荷の数多い繰り返し運動が筋力や筋持久力も高めることが確認されている。そして、強い負荷の運動より弱い負荷の運動の方が優れた点が多いことは、実は昔から優れたアスリートやトレーナーらは、よく知っていたと思う。
それはともなく、私には、この影野実のように、黙々と地味な鍛錬を繰り返す姿が実に好ましく思えるのだ。

大東流合気柔術の達人、佐川幸義は「私は特訓なんかしない」と言っていたそうだが、これは素晴らしい言葉と思う。
つまり、スポコンもの(スポーツを題材にした漫画・アニメ・映画等)のように、激しいトレーニングを根性を持って比較的短時間行うのではなく、楽な運動を長時間行うのである。
特に佐川の佐川流四股は一部でよく知られていて、佐川は千回単位で毎日数千回行っていたらしいが、これは四股と言っても相撲の四股とは違い、ほとんど足踏みである。
佐川は、この四股について「僕は四股を踏みながら死ぬことが出来る」とか「僕なら寝ないで四股を踏んで成果を出す」と言ったという話がある。

言い換えれば、時間をかけることが尊いのである。何事も。
だが、現代では短時間で得ることを有り難がり、「1日1分で」とか「10日でマスター」といったものが人気があり、「コスパが高い」という言い方が好まれる。
こういった風潮に対し、コンピューター科学者でAI研究者として有名なピーター・ノーヴィグもブログで苦言を呈している。
彼は、プログラミングの学習に対し、やはり「一週間でマスター」みたいな本が巷に溢れていることを嘆き、本当にプログラミングをマスターするには10年かかると述べる。
だいたい、「コスパ」なんて言葉を多用する者にロクなやつはいないではないか(笑)。

精神的な力(引き寄せもだが)も、淡々とした地味な鍛錬を必要とする。ただし、「特訓など必要ない」。
シンプルな呼吸法を行ったり(あるいは単に呼吸を意識したり)、マントラを唱えたり、腹に力を入れたりなど、自分に合ったものを、起きている間ずっとやる心構えでやるのが理想である。
個人的に最も優れていると思う修行の1つが、ニサルガダッタ・マハラジやネヴィル・ゴダードが勧める「存在の自覚を感じる」ことである。
実際は、長時間やりさえすれば、やることは何でも良いようにすら思う。
たとえば、「神様の奇跡が起こる」とか「お金がある」と唱えたりである。
ラマナ・マハルシは、起きている間ずっと「私」と自分に呼びかけるよう勧めたことがあるらしいが、これも無期限にやるつもりでやることに意味があると思う。
私も、佐川流四股や存在の自覚の感知、あるいは深呼吸などを行っているが、行う時間がまだまだ足りないようである。

待つ
AIアート815
「待つ」
Kay


◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)陰の実力者になりたくて!(Amazon Prime Video)
(2)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(3)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)
(4)佐川幸義 神業の合気 ※佐川流四股の解説あり
(5)四股鍛錬で作る達人 ※佐川流四股の解説あり
(6)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌] ※佐川流四股の解説あり

魔法修行

修行と訓練は違うと思う。
『葬送のフリーレン』というアニメで、フェルンという名の一見、ただの可愛い魔法使いの少女が登場するが、彼女は、他の魔法使い達に、その若さで驚異的な実力があることと共に、そうなるには相当な修行を積んだに違いないことで静かな敬意を受けているように思えた。
フェルンの修行は、幼い頃から始めた、遠くの岩を魔法攻撃で破壊することであったが、おそらく、毎日長時間をかけ、10年以上かかったのかもしれない。
修行とは、そんなふうに、1つのことを長い間繰り返すことだ。当然、その他の訓練もするのだが、訓練はどれほどやろうと、補足のようなものだ。
フェルンはたまたま魔法修行であったが、修行というものは、ある意味、魔法のような力を得る。
魔法とは、精神の変革により物理的な力を超えたあり得ぬことを起こすことだ。
それは、いつの世でも、今でも、当たり前に存在する。
だが、物質的な世の中にあれば、それは忘れられる。

最近知った修行で思い出すのが、大東流合気柔術の達人、佐川幸義の1人の弟子が、佐川幸義が考案した佐川流四股を、寝食を忘れるほどひたすら行い、元々、合気道の高段者であったらしいが、佐川幸義以外には誰も倒せなくなったらしい。ただし、その者も倒す方はさほどでなかったというから、防御専門の達人になったようだ。
これも、1つのことを繰り返す修行で魔法の力を得たようなものだ。佐川流四股は、別に筋力を鍛えることでも、技が上手くなることでもなく、やはり、訓練ではなく修行であると思う。

政木和三さんは、小学校5年生の時、毎日1時間の腹式呼吸を行い、数か月くらいかかったのだと思うが、すっかり超人に、つまり、魔法使いのようなものになった。
仏教のお経を聞いたら、教わったこともないのに意味が分かってしまい、習ったこともないピアノが弾けるようになった。その後は発明も行うようになり、学生にしてとんでもない金持ちになったそうだ。

架空の話であるが、本宮ひろ志さんの古い漫画である『武蔵』で、ただの荒くれものだった武蔵が、木刀で杭を打つだけの修行を1年行ったら、不思議な剣の力を得た話があるが、これも魔法修行のようで私の好きな話だ。
山岡荘八の『春の坂道』(後に『柳生宗矩』に改題)と『徳川家康』を基に制作されたドラマ(NHK大河ドラマ)『春の坂道』でも、少年の時の徳川家光が、柳生新陰流の開祖、柳生宗徳の指導で、同じように、木刀で杭をひたすら打つ修行をする場面がある。

あるアメリカの人気作家は、ヘミングウェイなどの文豪の作品を、ひたすらそのままタイプするという修行をしたらしいが、何のきっかけで始めたのか分からないが、魔法的修行を行った作家であるようだ。
私も、コンピュータープログラミングを始めた時、なかなか上達しなかったが、雑誌に載っていたプログラムをひたすら自宅のパソコンに打ち込むことで自在にプログラミング出来るようになった。私もまた、魔法使い的プログラマーであるわけだ。

このような修行の例は、私はいくらでも上げられる。
そして今は、ニサルガダッタ・マハラジが教えた「存在の感覚にしがみつく修行」をひたすら行い、やがて本物の魔法使いである(笑)。
ついでに行っている、眉間を指先で軽く叩く修行でも十分と思うが・・・。

夕暮れ
AIアート757
「夕暮れ」
Kay


人間は、修行をした人間と修行をしていない人間の2種類しかない。
だが今は、修行をしていない人間が増え、魔法を使えない人間ばかりになってきた。
是非、何か1つ修行をすべきと思う。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)アイ・アム・ザット 私は在る ~ニサルガダッタ・マハラジとの対話~
(2)魔法修行―カバラの秘法伝授
(3)この世に不可能はない(政木和三)
(4)武蔵 第1巻 (本宮ひろ志)
(5)柳生宗矩(1)(山岡荘八)
(6)葬送のフリーレン(Amazon Prime Video)

苦しい修行をすべきではない理由

修行、訓練、勉強が不要だとは思わない。
しかし、これらについて誤った観念を持つよう洗脳されている人が多い。
修行、訓練について、偉大な2人の人物の言葉を思い出す。
1人は大東流合気柔術の達人、佐川幸義が言った、
「特訓などしない」
で、もう1人が、自分のストレッチマシンでのトレーニングについてイチローが、
「毎日やりたいですね」
と言ったことだ。

これらに、克己(自分に打ち勝つ)みたいなものはない。
好きだから・・・と言っても良いが、もっと適格には、「気持ちいいからやる」であると思う。
岡田虎次郎も、克己、努力は駄目だと言っていたが、克己、努力は、嫌なことをやる時に必要なものだ。

私は、少し前から、高速腕立て伏せをやるようになったが、80回までは気持ちよく、90回からスピードが落ち、100回でややしんどくなる。
それでずっと80回でやっていたのが、つい昔の癖というか、今も残る学校やテレビの洗脳で、数日前から、欲を出して100回やるようになった。
すると、だんだん、腕立て伏せが楽しくなくなり、「やろう」と思うと億劫に感じていた。
そのまま回数を増やしていくと、いずれやらなくなる。
これが最悪のパターンだ。
実は私は、10年ほど前、どんどん回数を増やしていき、240回もやるようになったが、もうやる前から憂鬱になっていた。
そして、ある日、右肩に痛みがあり、腕立て伏せを出来なくなってしまったのだ。

昭和の武道家には、
「腕立て伏せは楽にやっているうちは力がつかない。限界まで追い込み、さらにもう1回やることで力がつく」
といった根性論を力説する者が多かったように思うが、今でも同じようなことを言う者が、スポーツ指導者にすらいると思う。
若いスポーツマンに怪我が絶えない原因もここにある。
若くて、試合など、目標があるうちはこれでもかなりやれるものだが、これでは、引退したら普通の人より運動をしなくなって健康を害することが多い。

私は、今は、佐川幸義流四股・・・ほとんど足踏みだが、これが気持ちよくて、まさにイチローが言う「毎日やりたいですね」状態である。
暇があればすぐにやることが多い。
1日、少なくとも2000回は行っていると思う。
なるべく座らず、立っているだけでも運動になるのである。
まして、楽で気持ちよくても、佐川幸義流四股の効果は抜群で、普段の身体の動きまで全く変わってきた。

ステンドグラス
AIアート558
「ステンドグラス」
Kay


引き寄せメソッドも同様である。
志賀一雅博士の「よかった・ありがとう呼吸」は、楽で気持ち良いが、自分で思うより、はるかに大きな効果があることは間違いないと思う。
実利的アファーメーションでは、「お金がある」を一貫してお薦めしているのである。
私は「やらないよりマシ」という精神が大好きだ。
全くやらないのと、毎日、少しでもやるのとでは天地の差だ。
修行、訓練は、たまにやっても意味はなく、1年365日やってこそのものだ。
そのためには、楽で気持ちいいことしか、決して続かないのである。

◆佐川幸義流四股の動画(※正確な佐川幸義流四股ではないと思われるが、一般にはこれで十分と思う)
【YouTube】四股1000

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)神さまの周波数とシンクロする方法 人生を変える奇跡の呼吸法(志賀一雅)
(2)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]※佐川幸義流四股の写真付解説有
(3)静坐のすすめ―岡田式
(4)静坐の道―岡田式
(5)超訳甩手功(スワイショウ、うで振り)

煌めきを纏(まと)うための修行

想像力がある人なら、自分に合った霊的な修行を何か1つしたいと思っているものだ。
それをやっていれば、時間が味方し、日が経てば経つほど霊的に向上し、精神が安定し、引き寄せがうまくなり、自由になる。
確かに、甘い考えと自己中心的な思いで、人を超えた力を安直に求めることが良くないのは当然である。
だが、霊的修行自体が楽しく、毎日の生活に欠かせず、多少の根気を持って、1年365日継続出来るなら、効果は保証されるし、人生は生き甲斐のあるものになる。

言うまでもなく喩えであるが、この世界は漫画で、我々は漫画の登場人物だ。
多少は仕方がないが、少なくとも、あまりに自己中心的にならないよう自制し、モラルを持ち、真面目に修行する登場人物が不幸になる漫画(小説、劇、映画、紙芝居)はない。

我々はなぜ、五感を働かせて外界を感知し、それに反応して何かを思うのだろう?
それは簡単なことで、この世という漫画の作者が我々を通して、自分が、漫画の世界を楽しむためだ。
誰だって、一度は、漫画や小説、あるいは、紙芝居を書いたことがあるだろう。
その作品の中で、ある登場人物が、夏の美しい海で遊んでいることを描いた時、自分が、その登場人物になったつもりで、夏の海を感じているはずだ。
それに熱中すれば、自分は漫画の登場人物と一体化し、自分が作者であることを忘れるかもしれない。少なくとも、瞬間的には、自分が作者であることを忘れているのだ。
この世という漫画は、もちろん、我々が知る漫画と完全に同じではなく、とても高度なシステムで成り立っているが、そのあたり(作者が登場人物と一体化すること)は、やはり似ているのである。
つまり、我々を通して、作者は、漫画の世界を感じ、それに反応し、様々な想いを味わうのである。
誠実な登場人物には、好ましい恋愛の相手と出逢うよう、ストーリーを導き、冒険を楽しませ、いくつかの敗北と静かな満足がある勝利を与えるだろう。
よって、毎日、自分のためでなく、自分に高貴さを纏(まと)わせるために修行するのである。
修行によって、煌めきを纏った登場人物は作者に愛される。それが我々の言う、神に愛されるということである。

そういえば、最近、私は修行していないなあ(笑)。
腕振り運動や、様々な運動は、ゴリゴリ自分のためにやっているし(笑)。
ところで、自分が描く漫画の美しい魔法使いには、精神集中の修行をさせるのではないだろうか?
それを怠っている時、ヒーローやヒロインであっても、困難に巻き込まれる。
精神集中とは緊張することではなく、集中を通して、心を静かにすることだ。
司馬遼太郎の『真説・宮本武蔵』の中で、吉岡道場の当主、吉岡直綱が、毎夜、そのような修行をし、力で勝る弟の又市郎をはるかに超えていた。
このあたり、吉川英治の『宮本武蔵』は、全く異なった内容であるが、司馬遼太郎のものの方がきっと良い気付きが得られる。
修行の内容は何でも良いが、あなたの上位存在である作者が好ましく思うものであるよう工夫すると良い。








真剣な素振りのやり方

名言集などには決して載っていないが、私が好きな言葉は、有名なミュージシャンが言ったとして雑誌に書かれていた、
「街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足出来るようなやつじゃないとミュージシャンになれない」
だ。
また、ちょっと昔、別に意見を傾聴すべき人とも思わないが、ある大物芸能人が、こう言ったのを覚えている。
「一晩中でもバットの素振りをやっているバッターっていうのは、好きだからやってるんだ」

つまり、優れたミュージシャンや野球のバッターは、音楽やバッティングを本当に好きでやっているのである。
テッド・ウイリアムズという、メジャーリーグの歴史的な名選手がいた。
現在までのところ最後の4割バッターで、生涯出塁率は歴代1位、2度の三冠王は、彼以外にはロジャース・ホーンスビーしかいない。戦争に行かなかったら、ホームランのメジャー記録も達成したかもしれないと言われている。
そのウイリアムズは、子供の時から、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがり、夜は、親がベッドに押し込まない限り素振りを止めなかった。
こんなこと、好きでないとやれるはずがない。

ちょっと昔と思うが、落合博満さんが中日ドラゴンズの監督だかGM(ゼネラルマネージャー)だった時(両方だったかもしれない)、ある若い選手が度胸で指導を頼んだら、落合さんは、GM室かどこかにその選手を連れて行き、延々5時間、素振りをさせたらしい。
その後、その選手は「迷う度に素振りをした」というが、成功はしなかった。
そりゃそうだ。「迷う度」なんかじゃなく、いつでもどこでも、延々と素振りをするようじゃないとバッターは駄目なんだ。

私は昨年、ある若いイラストレーターの個展に行った。
若くて可愛い女の子にしか見えないそのイラストレーターに、私は、「子供の時からよく描いていたのか?」と尋ねると、予想通り、彼女は「1日中描いていた」と言った。
そうでないと、プロになれるはずがない。

法然は、1日中、念仏を唱え、その数は、1日6万回とも7万回とも言われている。
断言するが、彼は、念仏を唱えることが大好きだったのだ。
彼は、他の人にも、なるべく同じようにやるよう勧めたが、念仏が好きな人でないと無理である。
修行のためとか、極楽往生のために念仏を唱えるようでは駄目なのだ。
法然の『選択本願念仏集』や、親鸞の言葉を唯円が書いたと言われる『歎異抄』を読めば、念仏が好きになる場合があると思うが、そうでないなら、妙好人(念仏によってある種の超人になったような人)になることは諦めた方が良い。

私も、プログラマーの修行時代は、夜中の2時過ぎまで、家のパソコンでプログラミングをしていたが、そうでないとプログラミングの能力はつかない。
スティーブ・ジョブズや、オバマ元大統領らが、全ての人がプログラミングを出来るようにならないといけないなんて言ったという話があるが、そんなこと信じちゃいけない。
好きでないなら、プログラミングなんかやっちゃいけない。
そして、プログラミングを好きになれる人なんて、そんなにいない。
仕事に就くためとか、お金のためにプログラミングをやろうとなんかしてはいけない。
好きならやる、そうでないならやらない。これである。
学校の授業でプログラミングなんかやらせたら、プログラミング嫌いの人が増えるだけだ。
単に、プログラミングが出来る環境を用意すれば良い。

夜中に、自宅の庭や、自宅の前でバットを振っている野球部員らしい者を時々見るが、彼らに見込みはないと私は思う。
イチローもテッド・ウイリアムズも、不可能でない限り、家から離れた場所で素振りをしていた。
家族がいる家の近くでは、素振りに没頭出来ない。
それに、自宅では、やめたくなったら、素振りをすぐにやめられるし、いつでも冷えたジュースやコーラが飲める。
中学生や高校生が、そんなところで本気で素振りをするはずがない。
また、素振りだって、それなりに音を立てる(地面を踏む音やバットを置く時の音等)。ご近所迷惑を考えず、そんなことが出来るというだけで、そもそもスポーツマン失格なのである。
プログラマーやイラストレーターだって、本来は自宅で行うのは、あまり好ましくはないが、これらは家で仕事が出来るから、まだ良い。
しかし、スポーツの試合は自宅では絶対に出来ない。
自宅(特に家族)から離れ、孤独になり、独立心を持ってこそ、真剣な素振りが出来るのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード