ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

信念

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

信念とは

信念を持つことはとても良いことだ。
しかし、自分では信念を持っていると思っていても、それは単に、強い偏見を持っているだけだということが多い。
たとえば、「私の家系の人間は、ただの庶民達より尊い」と思い込んでいても、それを信念とは言わないようなものだ。
信念と言える条件は、大勢の人が認めることではなく、道理があることだ。
ガリレイが言ったとされる「地球は動く」は、当時のほとんどの人が認めなかった。
だが、これも、ガリレイにとって明白な事実だっただけで、道理(正しい筋道)ではない。
彼の信念は「自分に不利益でも正しいことを言うべき」という意思である。

信念を持つとは「僕は正しいんだ」と駄々をこねることではない。
理屈では説明出来ないが、自分は正しいと確信を持つことだ。
「人間は平等であるべきだ」というのは、理屈で完全に説明することはおそらく出来ない。
だが、正しいと確信を持つことは出来る。だから、道理であり、信念と言える。

ラルフ・ウォルドー・エマソンが子供の時、キリスト教会で牧師の説教を聞いていた時、キリスト教の教義に疑問を持ち、牧師に質問に行った。
牧師は「キリスト教の教義を疑うのは罰当たりなことです」と言う。
だがエマソン少年は怯まず、それでも自分には正しいとは思えないと言った。
すると牧師は、「その考えは悪魔から来ているのかもしれない」と言う。
その時、エマソンは何と言ったか。それは、「なら僕は悪魔に従う」だった。
エマソンは、親や学校から教えられた観念でそう言ったのではない。
何と言って良いのか難しいが、魂の声に従ったのである。

信念とは、言葉で言うなら「自分にとって正しいことをする」で、ことわざで言えば「千万人と雖(いえど)も我往かん」である。
「自分にとって正しい」も、簡単に言えば「自分が正しいと思うこと」である。
だが、厳密に言えば、「自分が本当に正しいと思うこと」であり、「正しいと思いこまされたこと」とか「正しいと思いたいこと」ではない。

『キャシャーン Sins』(2008)の第11話「己の使命のもとに」で、ロボットの青年ジンが言う。
「俺は、俺を作った人間に教えられた。人間とロボットにとって正しいことをしろと」
だが、何が正しいかは、ジンの判断に委ねられたということだろう。
そして、ジンの判断は、
「俺は人間もロボットも、共に平和に生きられる世の中を取り戻したい」
で、これがジンの信念である。
ロボットにも魂があるのだろう。この言葉はジンの魂の声である。
全てのロボット達の身体がなぜか急速に錆びて朽ちていくという現象が起こる中で、なぜかジンの身体だけは全く錆びない。
その謎について、ジンの近くにいたロボット達は「ジンには信念があるからだ」と理解する。

今の世の中では、人々の心身が錆びて朽ちていっている。
信念がないからだ。
だが、信念がある者だけは全く錆びず、新品のように新しいのである。

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(1)キャシャーンSins ※Amazon dアニメストア
(2)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(3)天動のシンギュラリティ(1) (大崎ミツル)

愛しのナナ
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「愛しのナナ」
Kay

結局は素直な心が大切だった

今朝の記事で、世界は思い込み次第と書き、それは正しいので、望ましい自分や望ましい状況を思い込めれば良い。
ただし、本当に思い込んでいるのではなく、無理矢理に思い込んでいたり、思い込まされているだけということも多い。
たとえば、人種差別主義差別者であれば、黒人は白人より知的に劣っていると思い込んでいる者が多い。
そして、統計的に、現代でも、黒人のIQは白人のIQより低いという報告がある。
これは、環境的な原因でそうなっていて、現代では改善されてきてはいるが、まだ昔の影響が残っていると考えられる。
逆に、黒人の運動能力の高さは昔から認められていると思う。
しかし、これらもまた、人類の思い込みの結果かもしれない。

ところで、黒人が白人に劣るという信念であるが、そんな信念を持った者がいても、それは自然に得た信念ではなく、親や教師や宗教や、その他による偏向した情報を押し付けられたものであり、そんな情報を押しつける者は、精神が歪んでいる場合が多いと思われる。
そんな歪んだ精神の持ち主によって押し付けられた不自然な信念を持つと、他のことでも歪んだ信念を持つようになる。
そして、歪んだ信念は、歪(いびつ)な世界を造り出し、それは決して、幸福な世界、快適な世界ではない。

つまり、何を信じるのも勝手だが、自然の理から外れたことを多く信じると、不幸になったり、苦しんだりする。なぜかというと、自然の理を外れたことを信じているなら、他にも道理に合わない余計なことを沢山信じてしまっているものだからだ。
だから、何かを信じるとしても、自然に感じることを信じた方が良いのである。
それで、何を信じれば良いのかの基準であるが、政治家、投資家で大成功したバーナード・バルークが言ったように、「欲張らないこと」を基準にすれば良いと思う。
とはいえ、人によっては、欲張らないのは良いが、もっと求めるべきと言ってやりたい人もいる。
それで、欲しいものに関し「これが欲しいなあ」と柔らかく想ってみると良い。
それを気持ち良く感じたら、それは自分に相応しい。
で、どうやって引き寄せるのかというと、「欲しいなあ」と思った時点で引き寄せている。
後は「でも、どうでもいいや」と思うと確定される。
面白いものである。

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(1)トーチェ氏の心の法則(トーチェ夫妻)
(2)信念の魔術(C・M・ブリストル)
(3)運のいい人、悪い人(中山正和)
(4)潜在意識の力(桑名一央)

花があれば
AIアート2181
「花があれば」
Kay

「信じる」ということの本当の意味

引き寄せの大原則は、「信じれば叶う」だということは同意されると思う。
そして、信じることの難しさを感じている人が多いと思う。
「信じさえすれば叶う。しかし、信じることが出来ない!」

ほとんどの人は、信じるということを誤解している。
信じるということを、何か御大層なことだと思い込んでいる。
「先生を信じろ」
「コーチを信じろ」
「親を信じろ」
「私を信じろ」
これらは必ず、
「先生は信じられない」
「コーチは信じられない」
「親は信じられない」
「あなたは信じられない」
になるのである。

イエスは、「山に向かい、歩いて海に入れと言い、そうなると信じればそうなる」と言った。
例えとして悪いとは思わないが、「俺を信じろ」なんて馬鹿な物言いが蔓延る世の中では、とんでもない誤解をしてしまうのだ。

誰も言わないが、物凄く重要なことは、「信じる」とは「当たり前に思う」という、ただそれだけのことである。
「1億円手に入ると信じよう」として、真っ赤になって、うんうん唸りながら「俺は1億円あるんだ」と信じようとする。
あるいは、「私は1億円持っている!」と大声で何度も叫ぶ。
全く逆効果だ。それでは、1億円あることが異常であることになってしまう。
だって、当たり前のことに対して、真っ赤になったり、うんうん唸ったりしないだろう?
当たり前のこと・・・たとえば、「私は人間だ!」と大声で叫んだりしないだろう?
1億円あることが当たり前と思ったら、1億円ある世界になるだけのことだ。

つまり、「俺を信じろ」とは、「俺の言う通りにしたら、お前は幸せになる。俺の言うことは当たり前だ」ということだ。
だから、そいつの言う通りにしたら幸せになれるというのが当たり前に思えないなら、そいつは捨てろ。
そもそも、その人の言う通りにしたら幸せになれることが当たり前に思えるような素晴らしい人物が、「俺を信じろ」なんて言ったりしない。
胡散臭いから「俺を信じろ」なんて言って誤魔化そうとするのだ。

アニメ『ギルティクラウン』で、嘘界=ヴァルツ・誠(せがい=ヴァルツ・まこと。GHQ少佐)が、主人公の桜満 集(おうま しゅう)に言った、
「私を信じろと言う人間を信じてはいけません」
と言ったのは、まさに本当だった。

女子体操史上、最高のヒーローであるナディア・コマネチ(アメリカ、ルーマニア)は、14歳でオリンピック金メダリストになった時、インタビューでこう即答したらしい。
「金メダルを取れると思ってましたか?」
「ええ、もちろんです」(私が金メダルを取るのは当たり前)
「次も10点満点が出ますか?」
「はい、当前です」

あなたも、願望の達成を、当たり前だとさらりと言い続け、本当に当たり前に思えるようになったら叶う。
山に海水浴してもらう必要はないが、もしそれが当たり前だと思ったら、やはりそうなるのである。
憧れのA子を彼女にしたい場合は、こう自問自答すれば良い。
「A子を彼女に出来るか?」
「もちろん。そんなの当たり前じゃないか」
また、願望が達成したことを紙に書けば、どんどん当たり前に感じるようになるだろう。

◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン)
(2)ギルティクラウン ※Amazon dアニメストア for Prime Video
(3)イット・ワークス! (RHJ)
(4)タフティ・ザ・プリーステス(ヴァジム・ゼランド)

遠い思い出
AIアート1487
「遠い思い出」
Kay

知性と信念がない人はこうなる

魂(あるいは霊)があるかとか、その魂が永遠であるかは、個人的判断にまかされている。
ところが、それを公的に権威を持って「魂はある」と決定して欲しい人が多い。
しかし、魂の存在は客観的に証明出来ないので、それは不可能である。
ところが、魂の存在は証明出来ないが、存在しないことも証明出来ないのに、「魂はない」を常識化したい人も多い。
そして、人々はいずれかに加担したがるし、他人も、自分の考えに従わせたい。
だが、魂があるかないかは、あくまで個人的判断であり、他人の考えは尊重しなくてはならない。
しかし、今の世の中ですら、個人的判断にゆだねられるべきことを、その判断を押し付けることが非常に多い。
新型コロナワクチン接種などがまさにそうで、「打つのが当たり前」を正義としたい人と「打ってはならない」を正義としたい人で分断してしまっている。
ただ、この問題は根が深く、「打つのが当たり前」を正義としたい人というのは、「政府は正しい」「医療は正しい」「テレビは正しい」と思っているから、「打つのは正しい」と思っているのである。
一方、「打ってはならない」を正義をしたい人というのは、「政府は信用出来ない」「医療は信用出来ない」「テレビは信用出来ない」と思っているから、「打つのは間違い」と思うのである。
そして、面白いことに、「魂があるか?」も全く同じ構図がある。

個人の判断にゆだねられるべきものとは別に、「個人で判断してはならないこと」がある。
極端に言えば、「殺してはならない」であるし、細かい話であれば、「スーパーのゴミ捨て場に家庭のゴミを捨ててはならない」とかである。
しかし、個人で判断してはならないことを、個人で判断してしまう風潮が広まり、「スーパーのゴミ捨て場に家庭のゴミを捨てても全く構わない。俺はいつもやってるが文句を言われた試しはない」とか、「住宅地の道でサッカーなどをして遊んでも構わない。それに文句を言う権利など誰にもない」と言う者が増えている。
個人で判断すべきでないことを、個人で判断して良いと思う者というのは、容易く、個人で判断すべきことを「いや、これが常識なんだよ」と思い込ませ易い・・・つまり、洗脳し易いのである。というのは、そういう知性や信念のない者は、アメとムチの両方に弱いからである。
逆に、知性と信念がある者は、アメにもムチにも支配されない。

引き寄せも全く同じで、引き寄せがあるかどうかも、全くの個人的判断であり、引き寄せがあると万人に主張することは出来ないし、逆にないというのを常識にすることも出来ない。
別に非難するわけではないが、『ザ・シークレット』のように、「引き寄せは絶対ある」という立場は、あくまで商売のためなのである。
だから、『ザ・シークレット』には良いところもあるのだが、ロクでもないところも多いのである。
「いや、量子力学で引き寄せが証明されつつある」と言う者も増えているが、ファインマン博士が言うように「本質では誰も量子力学を理解出来ない」のである。もちろん、レーザーや半導体のように、応用では量子力学を利用出来るが、分からない部分が多いというより、ほとんど何も分かっていないというのは、電気だって同じなのである。
極端に言えば、「なぜ人を好きになるのか?」は実際には何も分からないが、好きになる時には好きになるというようなものだ。

夜の壁
AIアート627
「夜の壁」
Kay


引き寄せが出来ない人というのは、個人的判断が出来ない人・・・つまり、信念がなく、アメとムチに弱い人なのである。
昔は、年を取るほど信念が強くなり、自覚はしないながら引き寄せ力が大きくなるので落ち着いて安心していたが、今は、年を取るほど信念がなくなる人が多く、不安な老人だらけで、そんな不安な老人は、良い立場にあれば汚い手を使ってでも金を儲け、良い立場になければ絶望するだけである。

藤平光一という合氣道家は、毎朝、鏡の中の自分に向かって「お前は信念が強くなる」と言い続けたというが、この話は端折り過ぎで、これだけでは何のことか分からない。
それよりも、深呼吸をするとか、「私は私」という言葉を数回繰り返すことをお奨めする。
それで信念が得られる。ただし、やってみないと分からないが。
まあ、正確には、それで、信念が得られる経験や試練に導かれるのであるが、それは自然なものであり、別に恐ろしくもしんどくもない。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)自己信頼(ラルフ・ウォルドー・エマソン。関岡孝平訳)
(2)ご冗談でしょう,ファインマンさん 上 (R.P.ファインマン)
(3)自分の中に毒を持て(岡本太郎)
(4)孤独がきみを強くする(岡本太郎)
(5)弓と禅(オイゲン・ヘリゲル)
(6)眠りながら成功する ~自己暗示と潜在意識の活用(ジョセフ・マーフィー)
(7)洗脳原論(苫米地英人)

滅びが近寄らない者

合氣道家の藤平光一が、毎朝、鏡を見ながら、「お前はますます信念が強くなる」と言っていたというが、これだけでは意味が分からない。
信念とは、何かを信じることだが、信じることが間違っているなら、それは妄想だし、真実ではないことを誰かに意図的に信じさせられることを洗脳と言う。
そして、我々は、妄想する者、洗脳された者を、嫌になるほど見てきた。
と言うより、妄想しない者、洗脳されていない者を見ることは滅多にないほどだ。
妄想する者、洗脳された者を、信念があるとは言わない。
なぜか?
それは、信念とは、何があっても揺るがず信じ、疑わないものだからだ。
妄想や洗脳で信じていることは、恐怖や不安でたやすく揺らぐのである。

本当に正しいかどうかはどうでも良い。
それが決して揺るがず信じられるなら、それを信念と言い、それを持っている人間を信念がある者と言う。
あくまで本で読んだり、メディアで見ただけだが、私は、信念のある人間を2人知ってる。
1人は空手家の大山倍達だ。
彼は、いろいろ問題がある人物で、嘘もいっぱいついたことを本人も認めている。
マスコミで嘘を言い、書籍でも大嘘を言い、日本と韓国で家族を持ちながら、両方の妻や子供にそれを言わなかったらしい。
ある意味、最低の男である。
しかし、彼は、少年時代から「弱いものいじめをしない」と誓っており、それは、弱いものいじめをしないことが正しいという信念を持っていたのだろう。
もう1人はキックボクサーだった沢村忠で、彼は空手の師匠であった祖父から教わった「男は何かをしてやっても決して報酬を求めてはならない」を守り続けた。つまり、男は誰かに何をしてやっても、決して報酬を求めるものではないという信念を持っていたのだろう。

『キャシャーンSins』(2008)というアニメの11話『己の使命のもとに』に、信念に関する素晴らしいお話がある。
『キャシャーンSins』は、ロボットが人間を超えた未来の話だが、ある時から、ロボットの身体が錆びて朽ちていくという謎の現象が世界中で起こる。
ところが、3体だけ朽ちないロボットがいた。
そのうちの1体はキャシャーンであるが、他に、ロボット犬フレンダーと、この11話のみに登場する男性青年型ロボットのジンも、身体が全く錆びず、不思議がられる。
だが、最後にロボットや人間達がこう言う。
「ジンには信念がある。信念がある者には滅びも近寄れない。このロボット犬も同じだ」
最後の場面で、世良公則作詞・作曲・歌唱の挿入歌『蒼い影』が流れる。
世良公則はオッサンになっても格好良いが、売れっ子ミュージシャンだった若い頃は、もう本当にモテモテだったはずだ。
だが、彼は十代の女の子には決して手を出さないことにしているという話を聞いたことがある。
もちろん、他にも信念があるのだと思うが、それもかなりの信念である。
まあ、本当かどうかは確認していないが(笑)。

菜の花畑
AIアート533
「菜の花畑」
Kay


クラウド・ブリステルの古典的引き寄せ書『信念の魔術』を見ても分かる通り、引き寄せが出来るのは信念がある人間である。
確かに、何の信念も持たない者に引き寄せが出来るとは思えない。
だが、深呼吸をすれば信念の手がかりが掴める。
なぜなら、深呼吸の中に貴い真理があるからである。
それと、やはりエマーソンの『自己信頼』を読むことはお薦めする。

◆当記事と関連すると思われる書籍などのご案内◆
(1)大山倍達正伝
(2)真空飛び膝蹴りの真実―“キックの鬼”沢村忠伝説
(3)キャシャーン Sins(Amazon Prime video)
(4)【新訳】信念の魔術
(5)氣の威力(藤平光一)
(6)自己信頼(紙の本)
(7)自己信頼(Kindle本)
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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