与える者は与えられる。
奪う者は奪われる。
余計なものを得た分、大事なものを奪われる。健康や家族などだ。
理不尽に奪われても、挫けなければ大きなものを得る。それが何かは分からないが。

直接与えた相手からは裏切られ、さらに失うことがよくある。
与えてくれた相手への恩を忘れず、恩を返そうと思っていれば、たとえそれが叶わなくても、自分にも相手にも恵みがある。

見返りを期待して与えるのはよくない。
だから、宗教団体への寄付は避けた方が良い。
どうしても見返りを期待する気持ちが起こるからだ。教団も、その気持ちを利用することが多い。
だが、他に与える場所はゴマンとある。

利権で儲ける・・・つまり、搾取につながることをすれば、苦しい死に方をし、しかも、死者に与えられる特権を剥奪される。それは恐ろしいほど惨めなことだ。
だから、得るべきでないものは受け取らないことだ。

承認欲求は誰にでもあるが、それを求めてはならない。
つまり、自慢をしてはならない。
そして、謙遜を忘れなければ、全てうまくいくだろう。
これを、老子は「曲即全」(老子22章)と言ったのだ。

一生、文句か自慢のどちらかを言わないと決めれば、その人はもう人間を超えたのだ。
何かをするよう言われ、やりたくない時は、ただ「やらない」と言えば良いのであり、決して文句を言ってはならない。
美点があっても黙っていれば気が集まり若返るが、自慢をすれば気が出て行き老化する。
なぜなら、自慢は本来、老人の習性だからだ。
アメリカでは、自己アピールが強烈だ。
これは他民族国家では、強力にアピールしないと、誰も認めてくれないと思っているからだ。
だから、アメリカ人は日本人より老けるのが速く、日本人はアメリカで若く見られるのだ。
もっとも、最近ではそうではないようだが・・・
自己アピールは、自分が出来ること、やっても良いと思っていることを、なるべく正確に言えば良い。
ただし、今は出来なくても、出来ると思うなら出来ると言って良い。それは不正確なことではない。

だが、文句も自慢もやめられないかもしれない。
そんな人は、「今、今、今、・・・」か「お金がある」か「完璧だ」か「生きている」と言うと良い。
まあ、結局、ここに落ち着く。