ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

佐川幸義流四股

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

足踏み四股のダイエット効果は必然だった

運動で痩せることは不可能なことは明確である。
なぜなら、人間の身体は、あらゆる意味で驚異的な性能であるが、それは省エネに関してもで、「運動程度で痩せるほど性能が低くない」のである。
人類が、安定的に食糧を得られる農耕を始めたのは、ほんの1万年前で、それまでの数十万年は狩猟で食料を得ていたのであり、あまり狩りがうまくない人類の身体は、数日食べなくても元気に狩りが出来る省エネ設計になっているのである。
実際、かなりハードな運動を長期間続けても、あまり動かなかった場合と比べ、さほど体重が減らないことは多くの実験で確かめられている。

ところで、超小食ダイエットで痩せた人が、格好良い痩せ方をしないのは、先に筋肉がなくなるからで、下手したら脂肪は死んでも残るほど消えてくれない。
また、若い人の方が代謝が良いので、若い人は太り難いというのが定説みたいになっているが、実際は、若い人と年配者で、代謝率は体重に影響するほどの差はなく、若くても太っている人がいれば、年配で痩せている人もいる。

スリムさの秘密
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「スリムさの秘密」
Kay


では、体重は何で決まるかと言うと、考えなくても分かることで、逆に考えると謎だらけで分からない。
その答はというと、単なる必然性である。
いっぱい食べても、痩せる必然性があれば痩せるし、それがなければ太る・・・それだけのことである。
もっと具体的に言えば、軽々と動く必然性があれば太ることはない。
逆に、軽々と動く必然性がなければ、いくら運動しても痩せない。
この必然性は、やはり、狩りベースで考えると良い。
例えば、泥棒が天職なら、盗みは狩りで、足音を立てずに忍び込む必然性があるから、いくら食べても太ることはない。
本当の狩りでも、足音を忍ばせて獲物に近付いて捕らえることは、昔の人類もよくやっていたはずで、そんなことをしていた者達は、さぞスリムだったことだろう。
だから、痩せたければ、泥棒や忍者になるに限る。
本当に泥棒や忍者にならなくても、泥棒や忍者の真似をすれば良い。

それには、私が毎日やっている佐川幸義流四股が一番だ。
佐川幸義流四股と言っても、決まったやり方があるわけではなく、単に、そっと足を下す足踏みで、この「そっと足を下す」ことが、まさに泥棒、忍者と同じである。
基本的なやり方は、
・足を適当に開いて立つ。
・片足ずつ適当に上げ、そっと下す。手は振らず、膝などにつけておく。
程度である。
『佐川幸義 神業の合気』などに、1つのやり方が写真入りで掲載されているが、正直、形はどうでも良いし、実際、佐川幸義の弟子でも、やり方はかなりバラバラである。
大切なことは、足をそっと下すことくらいで、後は、「高く足を上げない」「上げた脚を伸ばさない」「あまり腰を落とさない」「あまり身体を傾けない」で、何のことはない、楽なやり方を心がければ良いのである。

私自身、昔はかなり体重があったし、今も大のスイーツ好きで、かなり食べるが、毎日千回以上の足踏み四股(千回と言っても楽なものだ)で、体重はあまり増えず、特にウエスト周りが全く増えないのは、この四股が、下半身に肉を付けない効果が高いからであると思う。
私のスリムな身体は、ツイッターで度々公開している(ほとんど、毎年、マジカルミライがある夏だが)。
尚、上半身に関しては、肩甲骨周辺をよく動かす腕振り運動のダイエット効果が高いと思う。








魂の力を引き出す運動

彼が考案した四股を大いに活用させていただいているが、大東流合気柔術の達人だった佐川幸義が言った「特訓なんかしない」は名言と思う。
確かに、彼の力は人間離れしていたし、それは老齢になっても変わらなかったが、どうしてそんなふうになったかというと、魂の力が肉体に作用していたからであると思う。
筋肉を沢山鍛えればそうなるのではない。
魂の力を高めたから、肉体も強くなったのである。
言い換えれば、筋肉をやたら鍛えたからって、強くなるには限界がある。
武術、武道では、魂の力によって身体を強化するのが普通・・・むしろ、本来はそれが目的で、昔は老齢の達人は珍しくなかった。
スポーツでも、特別な選手というのは、ある程度は魂の力の作用があるのである。
鍛えたからといって誰もが大谷翔平になれるわけではないが、あの能力は才能というだけでもない。彼もやはり、なんらかのきっかけで魂の力をある程度引き出すことが出来るようになったのだろう。
イチローだって、彼が元々言っていたように50歳まで現役は出来たのだが、世俗の影響で魂の力を出すことが出来なくなったのだろう。

贅沢な庭
AIアート64
「贅沢な庭」
Kay


私は、縁がある人には、佐川幸義流四股を勧めることがあり、実践してくれる人もいる。
ところが、私が、1日最低千回やると言うと、「千回で何十分かかりますか?」とよく聞かれる。
そんなこと知らん。
千回連続してやっている時間はなかなかないし、そんなの、シンドイじゃないか?
時間があれば、私の場合、百回単位でやるだけだ。
決めた時間(1日3回の短い時間)中に400回はやるので、後は、日常の中で600回以上やればよく、楽なものである。
佐川流四股は、足踏みと変わらないので100回程度は楽なはずなので、1日1000回は簡単である。
「千回で何十分かかりますか?」と聞いてくる者には、学生の頃、スポーツをやっていた人が多い。
彼らは、運動と言ったら、どうしても、シンドくて当たり前、効く(シンドイ、辛いという意味だろう)のでなければ運動でないと思っている。
「腕立て伏せは楽にやっている時は力がつかない。もう駄目だと思った時にもう1回やるから力がつくんだ」というような言い方が好きな人は、スポーツを熱心にやっていた人に多いが、そんな運動、長続きしないし、続けたら身体が壊れる。私も、毎日無理矢理、腕立て伏せを連続で二百数十回やって、すっかり肩や肘を壊してしまったことがある。
動画サイトでも、腕立て伏せなどで「自分を追い込め」「限界までやれ」などと言う人が多く、楽しいなら自分はそうやればいいだけで、そんな辛くて続くはずもないことをそそのかすのはやめて欲しいものだと思う。
腕立て伏せなら、壁腕立て伏せを100回ほどやることをお勧めする。毎日やれば、それで魂の力が出て来る。
ただ、佐川流四股や次に述べる腕振り運動を、老人でもないのに「1日なんとか100回やってます」と言う人がいるが、そんな人には「もうちょっとやろうか」と言いたい。

腕振り運動も、魂の力を引き出す良い運動だ。
魂の力を出すことでは、佐川流四股と同等か、それ以上かもしれない。
しかし、佐川流四股は、現実に身体のバランスや足腰のインナーマッスルを鍛える効果も高いので、結果、足腰が非常に強くなると共に、ダイエット効果も高いのでお奨めする。

だが、最も魂の力を引き出す・・・というか、魂そのものになる方法が、いつも言う通り「私は誰か?」と自分に問うことである。
これも、1時間とか座ってやるようなことをしなくて良い。まあ、楽しいならやれば良いが・・・
気がついたら・・・特に、余計なことを考えていることに気付いたら、即座に「私は誰か?」と問うて思考を消すのである。
その積み重ねで、自分が全知全能の無限の魂であることを思い出し、それそのものであり続けるのである。








四股と腕振り運動を効果的にやるには

久々に運動の話をしようと思う。
私がやっている運動は、
(1)腕振り運動:甩手(せいしゅ)、スワイソウ、スワイショウなどと言う。
(2)四股:佐川幸義流四股、大東流合気柔術式四股などと言う。
の2つである。
ところで、つくづく思い知ったが、この2つの運動は、それほどはっきりしたやり方がないことだ。
それもあってか、動画サイトで、これらの運動を紹介している動画を見たら、あまりにもデタラメなやり方なので憤慨したこともあった。
しかし、本人が楽しくやっているなら、それで良いのではないかと思うようになった。

佐川幸義流四股と言っても、誰も佐川幸義が四股を踏んでいるところを見たことはなく、佐川本人がどんな四股を踏んでいたかは誰も知らない。
ただ、佐川から四股の指導を受けた弟子がいくらかいて、そんなお弟子さん達のやり方なら紹介されている。
しかし、そのやり方が、必ずしも最も優れているとは限らない。

書籍や武道雑誌などで、よくこんな話を見た。
佐川幸義は、弟子に「毎日四股を千回踏め」みたいなことをよく言ったらしい。
しかし、その時、四股のやり方は教えないので、言われた弟子は、相撲の四股だと思って、「千回などとても無理」と思いつつ、真面目な弟子は必死にやろうとする。
ところが、かなりの期間が過ぎ、やっと佐川に四股の指導を受けると、
「そんなに腰を落とすな」
「そんなに身体を傾けるな」
と言われ、足踏みと大して変わらないと知る。
「足踏みそのもの」と言う弟子もいる。

天の園
AIアート61
「天の園」
Kay


私も、いろんな本などを調べながら5年ほど四股をやっているが、それらの本などを参考に自分で工夫しているうちに、佐川本人がやった通りかどうかは全く分からないが、最も気に入る形の四股が出来るようになり、効果も抜群であると思う。

自分勝手にやれば良いというのではないが、自由にやれば良いのであり、そのためには、真摯(まじめ、ひたむき)で謙虚な姿勢が必要である。
結局、最も大切なことは、形ではなく、真摯であること、謙虚であることなのだと思う。
あるいは、リスペクト(敬うこと。尊敬すること)と言っても良い。
ルー・テーズという最高のプロレスラーは、十代の時に、ジョージ・トラゴスという名レスラーの弟子だったが、コーチとしてのトラゴスの評判は最悪で、弟子入り前には、テーズに、トラゴスへの弟子入りを思いとどまるよう説得する者も多かった。
しかし、いざテーズが指導を受けてみると、トラゴスの指導が素晴らしいばかりか、トラゴスはテーズを車で送迎までしてくれた。
この理由については、テーズ自身、「私が、レスリングやトラゴスに対するリスペクトを持っていたからだろう」と言っていた。

四股も、腕振り運動も、これを考案、研究し、普及させた人がおり、これらは秘術と言えるほど優れたものだ。
この運動の考案者や普及者、あるいは、この運動自体へのリスペクト、真摯さ、謙虚さを忘れなければ、必ずや、最高の形で実践出来るようになる。
これは、西洋流のスポーツその他のコーチングにはない、真のコーチングである。
オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』にも、そんなことが見て取れると思う。

尚、四股と腕振り運動に関しては、一応、下に紹介した本(前2冊)の通りにやりながら、各自で工夫すれば間違いないと思う。








腕振り運動や四股が運を良くする原理

人間は、なぜ生きようとするのだろうか?
死んだらどうなるか分からないからとか、生きることは凄く重要なことだと思っているから、あるいは、生きるのが楽しいから生きる・・・というのではなく、実は、脳に「生きろ」という命令が与えられているから生きるしかないらしい。
そして、脳に与えられた命令は、「生きろ」だけだという説もある。
自殺する人や、死に場所を求めているという人だって、別に死にたいわけではない。
「死にたい」と言う人だってそうだ。

生きるためには、当然過ぎるが、命が必要だ。
命、生命は、どのように発生したのだろう?
生命が偶然に誕生する可能性は、ほぼゼロで、その喩えとして、「腕時計をバラバラに分解して100mプールにまき散らし、プールの水を動かしたら、偶然に元の腕時計が組み立てられるようなものとか、ゴミ捨て場のゴミを竜巻が巻き上げ、偶然にコンピューターが組みあがるようなものとか、猿がデタラメに紙に黒インクをなすり付けたら、偶然にノーベル文学賞級の小説になるくらい、あり得ないことらしい。
つまり、人間が考える神とは、おそらく、かなり違うだろうが、とにかく、神がいるのは間違いないようだ。
神は、我々の想像の範囲をはるかに超えて万能であり、我々に思いつく程度のことは、いかなることも、健康な若者が腕を曲げたり伸ばしたりするよりはるかに簡単に出来る。
ならば、楽しく生きられるよう神にお願いするのが一番である。
実際、神は、我々1人1人に対応する能力は十分にあると思うが、いくら我々が馬鹿でも、何でも無分別に言うことを聞いてもらえることはないくらいは分かる。
とはいえ、我々の脳に「生きろ」という命令を与えたのはきっと神なので、それに対する責任は取ってくれるはずだ。
そこで、基本的には、生きることに前向きな人には、良い条件を与えるように思われる。
ところが、おかしなことに、命を捨ててかかった時に、人間は奇跡を起こす(神が起こさせる)。
この矛盾に気付き、その理由を洞察出来た者が人間を超えた力を持ち、地上を自由に闊歩する。
なぜ、命を捨ててかかる時、奇跡が起こるのかは、自殺との違いを考えれば分かる。
自殺は、命を無駄にすることだが、命を捨ててかかるのは、命を生かすためだ。
また、怠惰な人生を送ることも、命を無駄にしているのであり、自殺と変わらないか、近いことだ。
美味しいものを食べたり、ゲームをして楽しんだり、色事に興じて喜んでも、命を生かしているとは言えない。
正しく命を生かしている時、幸運に恵まれ、ついでに願いが叶うのだと思われる。

命の生かし方は、考えて分かることではない。
実を言えば、命を生かす準備をしている者に、命を生かす道が用意される。
つまり、エゴを支配する術を身に付け、心身を健康にすることが、その準備になる。
スポーツトレーニングは、競技に勝つためとか、力を自慢するためのものである部分が大きく、必ずしも、心身を健康にしない。
だから、いくらマッチョになっても、命を生かす道が見つからないことが多い。
だが、腕振り運動や、正しい四股といった、心身を真に鍛えることをしていれば、命を生かし易く、その道が開く。
腕振り運動や四股を淡々と行うと、自我を支配する術も得られるので、尚更である。

そんなわけで、今回は、いつも勧める腕振り運動や、佐川幸義流四股をやれば、なぜ運が良くなるかの原理を少し語ってみた。








足りているか?

私はよく、自分に「足りているか?」と尋ねる。
何が足りているかというと、腕振り運動と佐川幸義流四股の数である。
私は、腕振り運動と四股は、1日3回、ほぼ同じ時刻に行っているが、それは大した数ではない。
それぞれ、「腕振り400回、四股200回」「腕振り200回、四股200回」「腕振り200回、四股200回」で、この合計が1日の最低回数で、それが、腕振り800回、四股600回となる。
しかし、それだけで終わることはまずなく、暇を見つけてはやるので、共に、少なくとも1000回、普通は2000回、多い日は4000~5000回以上であるが、記録していない。
とにかく、座って何もしていないことに気付けば、立って、腕振り運動や四股をやるわけである。
いずれも、80cm四方の空間があれば出来、音はほとんど立てないので、本当にいつでもどこでも出来る。
ちなみに、私の四股には、いろんな呼び方があり、普段は「佐川幸義流四股」「佐川流四股」と言っているが、本当は、
「ナンバ四股」「泥棒四股」「音無しの四股」
と言うべきかもしれない。
他にも、「Kay式四股」「超人四股」「妖精化四股」などの言い方があるが、まあ、どうでもいいか(笑)。

それで、時間を見つけてしっかりやっているかという確認と、「もっとやれ」という促進のため、自分に「足りているか?」と聞くのである。
腕振り運動や四股は、やればやるほど、身体の強化と調整を行い、強く、若く、美しくなるのだから、多くやるのはメリットだらけである。
さらに、引き寄せの力を高める。
引き寄せの力を高めるには、これらの運動をやっている時、「今、腕振り運動をしている」「今、四股を踏んでいる」と意識しながらやると効果がより高くなる。
別に、映画を見ながらとかニュースを見ながらでも効果があるので、そんな時は、数は数えなくても良いから大いにやれば良いが、全集中してやれば、宇宙意識と一体化し、願わずとも幸運に恵まれ、願いが叶う。

禅語にある話では、倶胝(ぐてい)という禅僧は、何を聞かれても、人差し指を1本立てて見せたそうだ。
人差し指を1本立てれば、思考が消え、宇宙意識と融合するのだから、どんな時も、これが最上の回答である。
質問者に、最高の回答を示すと共に、自分も思考を消し、宇宙意識と一体化していたのだろう。
倶胝は死ぬ時、「師に教わった一本指の禅を使い切れなかった」と言ったという。
これは、もっとやれば良かったという後悔ではなく、「もっとやる価値のある優れたメソッド(手法)であり、これを教えてもらえて良かった」という感謝の想いであろう。
女性アイドルがよく、指を1本立てて見せるのは、これをやると、なぜか魅力的になるからである。
そりゃ、思考が消えるのだから、生命が輝き、魅力が高まるのは当然である。
だから、もっと大いにやれば良く、特に、普段もやれば良い。
私もやろう(笑)。

もちろん、アファーメーションをやっている人は、これの数が十分かという意味で「足りているか?」と自分に問うと良いと思う。
スクワット、腕立て伏せ、般若心経、大祓祝詞・・・全て同じである。
尚、肝心なことは、やっていて楽しいことである。
嫌々、根性でやっても、ロクなことはないだろう。
そのためには、やるのは楽なことでないといけない。
腕振り運動も佐川流四股も楽である。
楽ではあっても、丁寧に「ちゃんと」やらなければならない。
この世に、ちゃらんぽらんで良いことなどないのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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