あらゆることの極意は「力まない」「力を抜く」であるが、そう言われても、実際にはどうすれば良いか分からない。
野球のピッチャーが力を抜いていては打たれてしまう。
要は、必要以上に力まない、必要以上に力を入れないということだが、どのあたりが必要か分からない。
しかし、実際のところは、それほど難しいことではない。
極意を掴んだ者が、極意を神秘めかせるつもりか、「力を抜く」という難しいことを言うが、「あまり力を入れない」と言えば簡単なのだ。
ジョセフ・マーフィーは「ソフトタッチでやれ」と良い表現をしたのだが、「ソフトタッチ」だって分からない人が多いようだ。
願い事は、必死になって「そうなりますよう!そうなりますよう」と祈ってもうまくいかない。
力をあまり入れず、ソフトタッチに「そうなりますよう」と祈れば叶い易くなる。
さらにソフトタッチにやるのが「そうなったらいいな」で、さらにソフトにやるなら「そうなったらいいけど、ならなくてもいいや」である。
ソフトにやればやるほど叶う。
「ならなくていい」の中に、ほんのわずかな「なれ」を入れるのである。
本当に「ならなくていい」だけなら、本当にならない。
誰かが「ゼロの力」なんて、なかなかうまいことを言って、いかにも達人そうな言い方だが、本当のゼロでは駄目だ。
ゼロに近くはあるが、ほんの少しのプラスの力があれば良いのである。
合気道を探求していた木村達夫さんが、いろんな合気道の達人と言われる人を訪ね、組手をさせてもらったが、木村さんの方が力を入れてかかっていくと、達人さん達も、力を入れ返してきた。「力抜けてないじゃん」である。
だが、大東流合気柔術の達人、佐川幸義の場合は、佐川の服に少し触れただけで投げ飛ばされたという。
ただし、佐川だって、全く力を入れていないわけではなく、わずかな力を使っているのに、あたかも、佐川は力を全く使わないと誤解させる言い方をしていると思う。
それで、木村さんは「透明な力」といった、格好良いが、意味の分からないことを言いだして、人々を混乱させた。
気取らずに、マーフィーのように「ソフトタッチ」という、当たり前の言い方をすれば良いと思う。
超人的な合気道家として有名だった塩田剛三は、「力を抜くことが極意とはいえ、まずは力を入れることをやらないと力を抜くことが分からない」と言って、若い弟子達には、筋トレも含めてと思うが、物理的な訓練でしごきまくったそうだ。しかし、そうやってしごかれた者達は、結局はずっと力に頼り、力を抜くことを憶えないと思う。
まあ、警察官のような人達を指導する場合は、力の抜き方が分かるまで何も出来なくてはどうにもならないから、腕力や体力も必要だから、しごくしかないが、一般の修行者の場合は、そうではないだろう。
ソフトタッチを修得する訓練をすれば良いと思う。
そのために、腕振り運動や、佐川幸義流四股は非常に良いものだが、間違ったやり方をする者が多い。
間違っていると言っても、これらの動作そのものは我流で良いのである。
ソフトにやらないといけないだけだ。
しかし、YouTubeで腕振り運動の動画を見たら、めっちゃ力を入れて必死でやっている者が多い。
また、佐川流四股となると、実際は、佐川は、自分が四股を踏んでいるところを人に見せたことがなく、一応の指導を受けた弟子達の間でも、やり方が全然違う。
それに、四股と言ったら、どうしても、相撲の四股のイメージが強く、力を抜いてやっているように見える人でも、足を床に「どん」と落としている。足を床に「どん」と落とさずにやっている者を見たことがない。
佐川は足をそっと下ろせと言ったのであるが、それを守っている人がいないのは、やはり相撲の四股のイメージがあるのだろう。
ただ1人、高校生の時、下宿の2階でやっていたことから、下に響かないよう、そっと四股を踏んでいたという人がいて、その人の四股がなかなか良いのだが、足を妙にガニ股に開いてやっているのがいただけない。
いや、別に、本人が気分良ければガニ股で良いのだが、それもまた、相撲の四股の影響と思う。
私の場合、四股をやる時は、やや両足を左右に開き、足はなるべく平行にする。つまり、ガニ股でも内股でもない。
そして、脚を上げる時は、横に(ガニ股に)上げるのではなく、前に上げる。足を開いているので、脚を前に上げても、少しは状態が左右に揺れるが、それは自然にまかせて左右に揺らす。実は、この上体が自然に左右に揺れるのが重要なのであると思う。
足の上げ方は、ほとんど踵だけを上げ、つま先は床から1センチも上がっていないような感じで、素早くやる場合が多い。
ただ、ある程度は脚を上げ(実際は膝を上げる感覚)、上体の傾きもやや大きくなるようやる場合もある。その際も、足の裏は床に向いており、今流の相撲の四股のように、足の裏が横を向くようなことは決してない。
素早く踏む時は、多少は床を踏む音がするが(と言ってもわずかだ)、ゆっくり踏む時は、足をそっとソフトに床に下ろし、音がしないことを心がけている(微かには音がするが)。
動作そのものは我流で良い。
大切なことは、足をそっと下ろすことだ。
しかし、その大切なことを、ほとんど誰もしない。
上でも述べたが、個人的には、ガニ股でやらないようにしている。その方がエレガントだ(笑)。
これに関しては、大東流合気柔術6段という人が、ガニ股にならず、足を平行にしてやるようにしていた。しかし、この人も、床をどすんどすんといわせるやり方だった。
いずれにしろ、佐川流四股をやれば、身体は強く、美しく、性能(身体機能)も高まる。
その上、ソフトタッチでやる感覚を掴めば、それだけで引き寄せもうまくなる。
これをやらずにいられようかと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気(「月刊秘伝」編集部)
(2)四股鍛錬で作る達人
(3)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(4)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
AIアート1258
「薔薇のような人」
Kay
野球のピッチャーが力を抜いていては打たれてしまう。
要は、必要以上に力まない、必要以上に力を入れないということだが、どのあたりが必要か分からない。
しかし、実際のところは、それほど難しいことではない。
極意を掴んだ者が、極意を神秘めかせるつもりか、「力を抜く」という難しいことを言うが、「あまり力を入れない」と言えば簡単なのだ。
ジョセフ・マーフィーは「ソフトタッチでやれ」と良い表現をしたのだが、「ソフトタッチ」だって分からない人が多いようだ。
願い事は、必死になって「そうなりますよう!そうなりますよう」と祈ってもうまくいかない。
力をあまり入れず、ソフトタッチに「そうなりますよう」と祈れば叶い易くなる。
さらにソフトタッチにやるのが「そうなったらいいな」で、さらにソフトにやるなら「そうなったらいいけど、ならなくてもいいや」である。
ソフトにやればやるほど叶う。
「ならなくていい」の中に、ほんのわずかな「なれ」を入れるのである。
本当に「ならなくていい」だけなら、本当にならない。
誰かが「ゼロの力」なんて、なかなかうまいことを言って、いかにも達人そうな言い方だが、本当のゼロでは駄目だ。
ゼロに近くはあるが、ほんの少しのプラスの力があれば良いのである。
合気道を探求していた木村達夫さんが、いろんな合気道の達人と言われる人を訪ね、組手をさせてもらったが、木村さんの方が力を入れてかかっていくと、達人さん達も、力を入れ返してきた。「力抜けてないじゃん」である。
だが、大東流合気柔術の達人、佐川幸義の場合は、佐川の服に少し触れただけで投げ飛ばされたという。
ただし、佐川だって、全く力を入れていないわけではなく、わずかな力を使っているのに、あたかも、佐川は力を全く使わないと誤解させる言い方をしていると思う。
それで、木村さんは「透明な力」といった、格好良いが、意味の分からないことを言いだして、人々を混乱させた。
気取らずに、マーフィーのように「ソフトタッチ」という、当たり前の言い方をすれば良いと思う。
超人的な合気道家として有名だった塩田剛三は、「力を抜くことが極意とはいえ、まずは力を入れることをやらないと力を抜くことが分からない」と言って、若い弟子達には、筋トレも含めてと思うが、物理的な訓練でしごきまくったそうだ。しかし、そうやってしごかれた者達は、結局はずっと力に頼り、力を抜くことを憶えないと思う。
まあ、警察官のような人達を指導する場合は、力の抜き方が分かるまで何も出来なくてはどうにもならないから、腕力や体力も必要だから、しごくしかないが、一般の修行者の場合は、そうではないだろう。
ソフトタッチを修得する訓練をすれば良いと思う。
そのために、腕振り運動や、佐川幸義流四股は非常に良いものだが、間違ったやり方をする者が多い。
間違っていると言っても、これらの動作そのものは我流で良いのである。
ソフトにやらないといけないだけだ。
しかし、YouTubeで腕振り運動の動画を見たら、めっちゃ力を入れて必死でやっている者が多い。
また、佐川流四股となると、実際は、佐川は、自分が四股を踏んでいるところを人に見せたことがなく、一応の指導を受けた弟子達の間でも、やり方が全然違う。
それに、四股と言ったら、どうしても、相撲の四股のイメージが強く、力を抜いてやっているように見える人でも、足を床に「どん」と落としている。足を床に「どん」と落とさずにやっている者を見たことがない。
佐川は足をそっと下ろせと言ったのであるが、それを守っている人がいないのは、やはり相撲の四股のイメージがあるのだろう。
ただ1人、高校生の時、下宿の2階でやっていたことから、下に響かないよう、そっと四股を踏んでいたという人がいて、その人の四股がなかなか良いのだが、足を妙にガニ股に開いてやっているのがいただけない。
いや、別に、本人が気分良ければガニ股で良いのだが、それもまた、相撲の四股の影響と思う。
私の場合、四股をやる時は、やや両足を左右に開き、足はなるべく平行にする。つまり、ガニ股でも内股でもない。
そして、脚を上げる時は、横に(ガニ股に)上げるのではなく、前に上げる。足を開いているので、脚を前に上げても、少しは状態が左右に揺れるが、それは自然にまかせて左右に揺らす。実は、この上体が自然に左右に揺れるのが重要なのであると思う。
足の上げ方は、ほとんど踵だけを上げ、つま先は床から1センチも上がっていないような感じで、素早くやる場合が多い。
ただ、ある程度は脚を上げ(実際は膝を上げる感覚)、上体の傾きもやや大きくなるようやる場合もある。その際も、足の裏は床に向いており、今流の相撲の四股のように、足の裏が横を向くようなことは決してない。
素早く踏む時は、多少は床を踏む音がするが(と言ってもわずかだ)、ゆっくり踏む時は、足をそっとソフトに床に下ろし、音がしないことを心がけている(微かには音がするが)。
動作そのものは我流で良い。
大切なことは、足をそっと下ろすことだ。
しかし、その大切なことを、ほとんど誰もしない。
上でも述べたが、個人的には、ガニ股でやらないようにしている。その方がエレガントだ(笑)。
これに関しては、大東流合気柔術6段という人が、ガニ股にならず、足を平行にしてやるようにしていた。しかし、この人も、床をどすんどすんといわせるやり方だった。
いずれにしろ、佐川流四股をやれば、身体は強く、美しく、性能(身体機能)も高まる。
その上、ソフトタッチでやる感覚を掴めば、それだけで引き寄せもうまくなる。
これをやらずにいられようかと思う。
◆当記事と関連すると思われる書籍等のご案内◆
(1)佐川幸義 神業の合気(「月刊秘伝」編集部)
(2)四股鍛錬で作る達人
(3)月刊 秘伝 2022年 03月号 [雑誌]
(4)新装版 眠りながら成功する(ジョセフ・マーフィー)
AIアート1258
「薔薇のような人」
Kay