ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

佐々木の将人

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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「アジマリカン」の信頼性

前にも書いたが、「アジマリカン」の呪文がなぜ良いかというと、山蔭神道の当主だった山蔭基央(やまかげもとひさ)氏と、合気道家で、山蔭基央氏との縁で山蔭神道の神官になった佐々木の将人(まさんど)氏が良いと著書に書かれているからとしか、私には言えない。
とはいえ、彼らに著書の中にだって、特に、「アジマリカン」が効くというエビデンス(論理的な根拠)のようなものがある訳ではない。
ただ、「ああ、こういうことを言う人なら間違いあるまい」と思うだけである。
お二人とも既に亡くなっておられるが、もし、直接訪ねて行っていたら、私は、更に(アジマリカンが良いという)確信が得られたかというと、それは分からない。
偉大な人だって、個人としては、ただの人だし、真に優れた人は自分を飾らない。だから、偉人を訪ねて行ったが、期待はずれでがっかりしたという話は多い。
例えば、ゲーテを訪ねていった青年は、一目ゲーテを見るなり、その顔には明らかな失望の色が見えたという。
若い頃は美男子であったゲーテも、中年以降はかなり肥満していたようだからだ。
だが、そのゲーテは、老年になってすら十代の恋人が常にいたのであるから、表面には表れない特別なものがあったことは間違いないだろう。
逆に、どう見てもロクでもないオッサンなのに、「この人は偉大だ」という強い妄想的な憧れのせいで良く見えてしまう場合もあり、それが、大規模な宗教詐欺のようなものにつながることもある。

ところで、注目すべきは、山蔭基央氏も佐々木の将人氏も、神道以外に専門があり、山蔭氏は経済学で、佐々木氏は合気道であり、共に、超一流であった。
私は、山蔭氏の経済学や、佐々木の合気道そのものは分からないが、彼らが、そこから得た叡智は、彼らの著書から少しは感じ取れるのである。
本物は、このように、宗教、思想、哲学といった(概念的、抽象的、形而上学的な)ものの他に、何か現実的なものを持っているのである。
特に別格なのが、空海と、江戸末期の神道家、黒住宗忠で、彼らは、政治や武術や土木など、(現場に詳しい訳ではないが本質的に)何にでも通じていた。だから、空海は大規模な土木事業を指揮したし、黒住宗忠は武士の武術のアドバイスをするこも出来た。
私が知っている例では、政木和三氏のことがある。
私は、政木和三氏が生きておられた時に何度かお会いしていて、政木氏は偉大な霊的指導者であると共に大変な発明家であるが、私は、政木氏の研究所に行った時に、まず、その研究所の様子から、「ああ、この人は偉い人だ」と思ったのである。
全く豪華ではなく、また、雑然としていたが、研究開発に必要なものだけが自然で素朴な配置になっていたのである。
これは、会社のオフィスで、単に机の上が散らかっている人とは全然違う。
オフィスでは、机の上を見れば、その人の仕事の能力は99.999パーセント分かり、仕事が出来る人の机は、机の上も引き出しの中も見事に整理されている。
政木氏も、机そのものはきれいであったが、研究室の研究開発現場は、いわば「秩序ある混沌」とでも言うべきもので、非常に良い雰囲気だと感じたのである。

そして、政木氏にしろ、山蔭氏、佐々木氏にしろ、私が関心を持てば、限りないシンクロニシティ(共時性。意味のある偶然の一致)が頻繁に起こっているのであるから、やはり、信頼して大丈夫なのである。
ただし、悪い新興宗教の教祖に騙されて酷い目に遭う人も多いのだから、単に感動を感じたという理由で信用し過ぎるのも問題であろう。
まず、確実なことは、本物は金品を要求しない。
なぜなら、彼らは経済的にも必要なだけ得る手段や能力があり、無理に献金を募る必要がないからだ。
高額な寄付を求めるような団体を率いる人には、注意した方が良い。
インドのサイ・ババは、噂では、信者に多額の献金を要求したように言われるが、実際に、サイ・ババ関係の団体に居た人によれば、寄付を強要されたことは一度もなかったらしい。

「アジマリカン」がいかに現世利益のためのまじないではないと言っても、これが本当に良いものなら、それを薦める人が経済的に困っているはずがない。
念仏の教えを説いていた・・・と言うよりは、念仏の教えだけを説いていた法然や親鸞だって、権力のおかしな介入がありながらも、贅沢ではないにしろ、必要なものは得られ、80歳(法然)とか、90歳(親鸞)で亡くなるまで安楽に過ごせたのである。
よって、念仏も間違いのないものなのであるが、現在では、念仏は葬式の道具になってしまったようだが、実をいうと、念仏というのは、論理的に力あるものなのである。
それは、黒住宗忠が、天照大神をひたすら崇めたのと同じことであるが、それはまた別の機会に語ろうと思う。
だが、とにかく、「アジマリカン」を唱えていれば間違いないと言えると思うのである。








「アジマリカン」はなぜ良いか

「アジマリカン」の呪文がなぜ良いのか?
私は、理屈はさっぱり分からないが、確信はある。
元々は、合気道家で山蔭神道の神道家である佐々木の将人(まさんど)氏の著書『数霊のメッセージ』に「アジマリカン」を唱えることを薦めることが書いてあったからだが、佐々木氏は、どんな理由でこれが良いか説明しないばかりか、「そんなこと知らなくていい。唱えれば幸福になるから唱えると良い」と書かれていた。
そんなことが書かれていた、この『数霊のメッセージ』を読めば、理屈でなく信じられたのである。
また、この1冊が良かっただけでなく、いろんな巡り合わせ・・・シンクロニシティともセレンディピティともいえる縁で、より確信が深まった。
1つは、この佐々木の将人氏と、関英男博士(電波工学の世界的権威)との共著『心は宇宙の鏡―いま見えてきた「グラヴィトン」の時代』が稀に見る素晴らしい本だったことがあるが、この本は、私には、内容が良いだけでなかった。
この本の中で、関博士が高次元科学に目覚めたきっかけが書かれていたが、それは、宇宙電波の受信の経験だった。関博士は、宇宙からの信号を受信器からずっと聴いているうちに意識変革を起こしたのだと思われる。
そして、この宇宙電波は「ドーン・コーラス」のようなものではないかと思った。
ドーン・コーラスに関する詳しい説明は省くが、これは、地球の磁気圏と太陽風の相互作用により生じる自然現象で、観測によっては、鳥のさえずりのように聴こえる。
世界的音楽家の冨田勲氏が、自身が制作したクラシック音楽アルバム『ドーン・コーラス』(オーケストラとシンセサイザーの演奏)の中に、本物のドーン・コーラスを、宇宙科学研究所の協力で取り入れている。
私は、アルバム『ドーン・コーラス』が好きで、2016年11月に、東京渋谷のBUNKAMURAオーチャードホールで、冨田氏の遺作である『ドクター・コッぺリウス』(初音ミクさんがプリマを務めた)を聴いた時、『ドーン・コーラス』の中の、特に好きな『パルサーからの呼びかけ』(バッハのコラールのオマージュ)を聴いて感激したものだ。

他にも、私には、佐々木の将人氏に関わるシンクロニシティが沢山ある。
(特に、『ドクター・コッぺリウス』のタイトルにもあるコッぺリウスに関しては、ちょっと壮大なものがある)
1つだけ簡単に述べると、宇宙人コンタクティーとして知られるジョージ・アダムスキーが、著書の中で「スーツは一着あれば良いが、それを得られないなら私が愚か者だ」と書いてあるのを見て感動したのだが、それとほとんど同じことを、佐々木氏も何かの本で書かれていた。
そして、佐々木氏の人となりを感じた次のお話を、やはり、佐々木氏のどれかの本で読んだ。

佐々木氏の奥さんの両親が佐々木氏の家にやって来て、奥さんは大変に喜ばれた。
だが、奥さんが引き留めたのだと思うが、ご両親の滞在がついつい長くなり、日数が経ってしまった。
奥さんが子供に戻ってご両親に甘えるのも、少しの期間なら良いが、こう長くなってはあまり良くないが、追い出す訳にもいかない。
そこで、佐々木氏は、師の中村天風の教えを思い出した(どんな教えだったか、私は憶えていないが)。
そして、ある晩、夕食の時、佐々木氏は、奥さんのご両親に「明日、お帰り下さい」と言った。
奥さんは泣いて部屋から出て行ったようだ。
翌日、奥さんの父親が帰り支度をしているところに佐々木氏が行って、
「何をしておられるのですか?」
と尋ねると、父親は怪訝そうに、
「昨晩、あなたが、明日帰るよう言われたから、支度しているのです」
と答えたら、佐々木氏は、
「だから、明日、お帰り下さい」
と言った。
私は、中村天風の教えの部分は忘れたが、この話に感じるものがあったのである。
結局、ご両親は、亡くなるまで佐々木氏の家におられたようだ。

他にも沢山の、偶然に知った理由があるが、こんな佐々木氏が「唱えれば幸せになる」と言うなら、疑うこともない。
理屈の長い言葉で言われるよりも、直観で感じた方が良いことも多い。

「あじまりかん」に関しては、還暦過ぎの現役プログラマーだという斎藤敏一氏が、詳しく説明した2冊の本があり、ベストセラーにもなっている。
長年に渡り、大変な労力をつぎ込んで研究した成果であり、人によっては価値ある内容と思う。
だが、私から見れば、日本史・神話オタクである斎藤氏の、超マニアックな個人的な思い込みの斎藤ワールドであり、説得力はゼロだった。
ただし、あくまで、私にとってである。
それに、決して批判ではない。
ここまで自分の世界を作ることが出来る斎藤氏は大した人だと思う。
とはいえ、あくまで彼の「マイ・ストーリー」であるのだと思う。
ただし、実際は、私の読み方が足りないのかもしれないし、実際、歴史に関する部分は、マニアック過ぎてとても付き合っていられず、ほとんど飛ばし読みした。
参考になればと思う。












「アジマリカン」と「アブラカタブラ」

日本には、「アジマリカン」という特別な呪文がある。
ただ、この呪文に一番詳しいと思える、山蔭神道の当主だった山蔭基央氏の『神道の神秘』を見ると、山蔭氏も意味は分からないらしい。
だから、私に解るはずがない。
斎藤敏一氏という方が、『唱えるだけで願いが叶う「あじまりかん」の法則』という本を書かれている。
斎藤氏は、「アジマリカン」に関し、大変な研究をされたようだが、私見の部分も多いように感じる。
ところで、中村天風と植芝盛平の両方の高弟であった、合気道家で神道家の佐々木の将人氏が『数霊のメッセージ』という、凄い秘法満載の本の中で、「アジマリカン」を唱えると幸福になれると保証している。
佐々木の将人氏は、山蔭基央氏に神道を伝授されたのだと思うが、佐々木氏独自の見解もあるのかもしれない。

ところで、「アジマリカン」は、「アブラカタブラ(アブラカダブラとも言う)」に似ていると思う。
両者を母音だけで表すと、

あいあいあん:アジマリカン
あうあああうあ:アブラカタブラ

となる。
「アジマリカン」の最後の「ン」を除くと、共に、母音は2つしかなく、そして、共に、「ア」の母音で始まり、「ア」の母音が多い。
さらに面白いには、やはり「アジマリカン」の最後の「ン」を除くと、共に、「ア」を中心とした対称形になる。

あい(あ)いあ:アジマリカン
あうあ(あ)あうあ:アブラカタブラ

この2つの呪文は、音の組み合わせによる唱えやすさや、神経科学的な良い影響もあるのだと思う。
もちろん、それと共に、大いなる言霊が秘められた言葉であるのだろう。
ちなみに、「アブラカタブラ」の意味は、大体において「私の思う通りになる」であるようだ。
H.G.ウェルズの短編『奇跡を起こせる男』で、ごく平凡な人間ながら、キリスト以上の奇跡を起こせる30歳の男は、奇跡の力がみだりに発動しては不便なので、次のようなことを考えた。
まず、起こしたい奇跡を言う。例えば、出して欲しい美味しい料理の詳細を述べる。
次に、「やれ」と命じる。すると、指定した料理が即座に出てくる。
「やれ」と命じて初めて、奇跡が起こるように、自分でプロトコール(手順)を作った訳だ。
「アブラカタブラ」も同じようなものかもしれず、叶えたいことを言葉にしたり、イメージした後に、「アブラカタブラ」と言えば、それが叶うというものかもしれない。
しかし、それなら、普通に、「そのようになれ」と言っても良いのかもしれないが、「アブラカタブラ」は強力な命令の呪文であるのかもしれない。
ただ、「アジマリカン」に関しては、やはりさっぱり分からない。
しかし、山蔭氏も佐々木氏も、これが大変な力のある呪文であることは断言している。

世界的音楽家だった冨田勲さんが制作した『イーハトーヴ交響曲』の第3楽章『注文の多い料理店』で、初音ミクさんが、延々と「アブラカタブラ」の呪文を歌で繰り返したのが、非常に良かったと思う。
「パソコンの中から出られないミク」と歌ったのは、「あなた達も閉じ込められているのですよ」ということだが、ミクさんは呪文を唱えて牢獄を壊したのだろう。
実を言えば、我々を閉じ込めている牢獄とは、幼い時から、学校やマスコミに叩き込まれ続けた負の呪文である。
それを壊すには、正の呪文が有効なのである。
「アブラカタブラ」が日本人にも有効かどうかは知らないが、お好きなら使えば良いし、やはりここは日本に伝わる「アジマリカン」を、あるいは、自分が信じる呪文を使えば良い。
いつも言う通り、「ありがたい」「大丈夫」「いける」「成功」「富」「神様の奇跡が起こる」などである。








影の「シークレット」

今、ネットで人気がある「陰謀論」によれば、世界を陰から操っている者達はDS(ディープステート。闇の支配者)と呼ばれる。
それを念頭に、『ザ・シークレット』という引き寄せの法則で有名なアメリカのロンダ・バーン女史製作のDVD『THE SECRET』を見ると面白い。
こちらは、よく作られた映像だけあって、書籍の『ザ・シークレット』より分かり易いと思う。
『THE SECRET』(DVD)では、「シークレット」という引き寄せの秘法を知っている人達が世界の富を独占しているということになっており、その起源は、古代エジプト時代に書かれた『エメラルド・タブレット』であることをほのめかしているが、ここらはフィクションと思う。
ただ、このDVDに登場する、自分達は「シークレット」で富を築いたが、他の者達が「シークレット」を知ることを防ぐために、「シークレット」の公開を禁止したという者達は、どう見てもDSである(笑)。
ロンダ・バーンに、それを知らしめる意図があったかどうかは知らないが、どう見てもそうなのである。

一説では、DSの起源はロスチャイルド家で、多くの国や大物政治家達を金で操り、さらに巨大な富と権力を得たというような話だったと思う(私も詳しくはない)。
つまり、「シークレット」とは何の関係もない。
ロスチャイルド家が成功したのは、たまたまで、同じようなことをしようとしたグループ、ファミリーは他にもいたはずで、その中で勝利したのがロスチャイルド家なのだろう。
ロスチャイルド家は優秀だから勝ったのだろうが、危険も冒したはずで、うまくいったのは、やはり、たまたまだ。
そして、そのたまたまの勝利の中で、本物の「シークレット」を作り上げたのかもしれない。
あるいは、本当に、元々「シークレット」があり、ロスチャイルド家がそれに従ったから勝ったのかもしれない。
いずれにしろ、本物の「シークレット」がある。
だが、それは、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』のように、明るいものでは全然ない。
そして、その本物のシークレットは、エス・ニールスの『シオン賢者会合の議定書』ではないかと思う。
尊敬すべき、山蔭神道の当主だった山蔭基央氏が、これを、『ユダヤの世界支配戦略』という本の中で、「大変に力があるもの」と述べ、あえて全文を引用しておられた。
これに書かれた通りにやるのが正しいかどうかはともかく、人間をよく知る者達によるプロトコール(議定書)であることは間違いないだろう。
ヒトラーも当然、愛読者だった。
DSの支配を逃れるためにも、また、自分なりの力を持つためにも参考になると思う。
まあ、山蔭氏や、山蔭氏から神道を教わった佐々木将人氏(中村天風と植芝盛平の高弟で合気道の達人)らは、ただ「アジマリカン」と唱えることを薦めていて、こちらが良いのかもしれない。








気分が良い時は心は静かである

日本航空の社長や日本銀行(にっぽんぎんこう)の副総裁を務めた柳田誠二郎氏(1893-1993)は、学生の時に、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎(1873-1920)の弟子になり、生涯、岡田式静坐法を続け、また、岡田虎二郎に関する書籍を何冊か書いている。
そのどれかの本だったが、岡田虎二郎にある男性が、自分は金に困っていると言ったところ、岡田は確か、「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」と応えたようである。
「腹に力がつく」とは、何とも分かり難いのであるが、岡田式静坐法では、腹に力を込めて静坐するのであるが、岡田は、静坐とは、実際に座っている間だけでなく、1日中やるものであり、常に腹に力を入れていなければならないと教えたらしい。
これは、なかなか難しい。
中村天風は、1日中、肛門を引き締めよと教えたことが、中村天風の講演録にも書かれているが、これと似たものと思う。
しかし、こう断言して良いだろう。
そんなの、両方、不可能だ。
ある有名な気功家は、1日トータルで1時間、肛門を引き締めよと本に書いているが、これすら非常に難しい。
私もやってみたが、1日10分でも続かないと思う。
だが、中村天風は、それをやらないといけないと譲らない。

中村天風の高弟の1人で、神道の神官でもあった佐々木の将人(まさんど)氏は、そこまで無茶は言わなかったようだ。
彼は、武道において、人差し指が「師匠預けの指」として、使ってはならないこと、即ち、人差し指を開き、小指に力を入れることを教えたが、そうすると、肛門は自然に引き締まる。
だが、それとて、木刀を持っているような間のことで、普通の人は木刀を持つ機会はないし、カラオケでマイクを握る時は、小指を立てることすらあるくらいである。
一方、中村天風の別の高弟であった、藤平光一氏は、中村天風の教えを否定し(中村天風自身が、自分の教えは忘れろ、これからは藤平に聞けと言ったと、藤平氏の著書に書かれている)、藤平氏は、『氣の威力』などで、腹に力を入れてはいけないとも書いている。
もう、こうなると、我々は弄ばれているようで、何が何やら分からない(笑)。
私も、散々、困惑させられたが、ニサルガダッタ・マハラジによれば、そういった、困惑させる人は必要だし、困惑させられることも必要なのらしい。

だが私は、腹に力を入れるとか、肛門を引き締めるということの真意を理解するに至った。
無論、私なりの解釈であるが、それは、「気分を良くする」である。
気分が良い時、霊的な腹に力があり、肛門に位置する霊的機関のエネルギーは高まる。
そこで、最初の、岡田虎二党の教えを正しく言い直すと、こうなる。
「金?気分が良ければ、金はいくらでも出来ますよ」
偶然というよりは必然であろうが、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の神髄が、まさにこれである。
気分が良いとは、愉悦にあること、喜びに満ちていることである。
しかし、勘違いされることが多いが、それは、ハイであるといった、騒がしい状態ではない。
どちらかというと、非常に静かな状態、あるいは、徹底的に静かな状態なのだと思う。

「嘘も千回言えば真実になる」と言ったらしい人の言うことだから、どこまで信用して良いか分からないが、世界的な空手家であった、大山倍達氏の話が参考になる。
実際、以下は多分、作り話だとは思うが、似た体験はあったと思われるリアルさは感じるのだ。
大山氏が、真剣を持った剣の達人と素手で決闘した時のことだ。
大山氏は、死を完全に覚悟し、手足の1本でも残っていれば、相打ちに持ち込もうとだけ思い、突進していった後の記憶がないと言うが、気がついたら、剣の達人は伸びていて、自分は無傷だったという。
似たこんな話がある。
ボクシング世界タイトルの防衛回数で日本記録を持つ具志堅用高氏は、グスマンという世界チャンピオンを倒して世界チャンピオンになったのだが、グスマンのスパーリングを初めて見た時、そのあまりの強さに恐ろしくなり、緊張のあまり、試合の時、ゴングが鳴った後のことは覚えていないが、気がついたらグスマンは伸びていたという。まあ、これも、当時のマスコミが作っただけの話かもしれないが。
恐怖を持ったまま、心が揺れているままでは負けるが、それを飛び越えて無になった時に、無限の力を発揮するということと思う。

そして、気分が良いというのも、心がとても静かな状態なのだ。
だが、それを、今まで言われていたような、難行苦行の末に得るものと思ってはならない。
普通に気分が良ければ、心は静かになるのだ。
好きな音楽を聴いたり、美味しいものを食べた時に、ごく自然に得られる状態なのである。
ただ、音楽を聴いて馬鹿騒ぎをしたり、刺激的な食物を「がっつく」ような状態とは程遠い。
とはいえ、実に簡単なことである。
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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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