ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

伊達政宗

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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馬上少年過ぐ

伊達政宗(1567~1636)は、「奥州の覇者」とも言われた戦国武将・戦国大名で、仙台藩初代藩主である。
「伊達者」「伊達男」という言葉の由来の人物でもあり、単に派手好きな色男であったというだけでなく、洗練されたダンディーな紳士でもあったようで、現代でも人気が高い。
政宗は、ごく若い時から天下取りを強く望み、織田信長に先を越されて落胆し、豊臣秀吉に対抗しようとするも、まるで及ばず、徳川の世になっても、しばらくは野望を捨て切れなかったとも言われている。
その政宗が、晩年にこんな歌を詠んでいる。

馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何
【読み下し by Kay】
馬上少年過ぎ、世平らにして白髪多し、残躯(ざんく)天の赦すところなれば、楽しまずんばこれいかん。
【現代語訳 by Kay】
馬で戦場を駆け巡った若き日は遠く過ぎ去った。
今や世の中は平和で戦はなく、私も白髪が多い歳になった。
それでも生きながらえていることが天の赦すところなら、楽しまずして何とする。

天下が取れなかった悔しさ、虚しさが現れているという解釈もある。
政宗は、「私がもう十年早く生まれていたら、信長に代わって天下を取っていた」と言うが、それは分からないが、政宗に信長ほどの軍人・政治家の器量があったかは疑わしい。とはいえ、秀吉、家康らに警戒される、十分な力ある武将でもあった。
だが、とにかく、政宗は、老いても、元気で生き残っていることは、天が赦しているのだから、大いに楽しもうと語っている。
前向きな想いか、天下が取れなかった腹いせ、ヤケクソなのかは分からないが。

だが、私は、虚しさもあるが、政宗は陽気であったと思うのだ。
だから、仙台藩はよく収められ、豊かで、また、文化も発展したのだと思う。

つまり、人間は楽しむべきなのだ。
無論、度を越してはいけないが、心を完全に無にする必要はない。
心を消すことが、引き寄せの鍵ではあるが、人間である限り、心を完全に消すことまでは求められないのだと思う。
十分に心が静かになれば、引き寄せ力が大きくなり、楽しいこと、嬉しいことがどんどん起こる。
そうであれば、欲張らず、つまり、余計なものを求めず、足るを知らねばならない。
これこそが、引き寄せの神髄であると思う。

最近、ご紹介している、究極の真言、
「私はなるようになるであろう」(心の真言)
「私は常に生成する者である」(魂の真言)
は、この引き寄せの神髄を自動的に成すものである。

◆当記事と関連すると思われる書籍のご案内◆
(1)馬上少年過ぐ(司馬遼太郎)
(2)運とつきあう(マックス・ギュンター)
(3)旧約聖書 出エジプト記(関根正雄訳)
(4)新釈 荘子(西野広祥訳)
(5)世界はどうしたってあなたの意のまま(ネヴィル・ゴダード)

虚ろ
AIアート1335
「虚ろ」
Kay

伊達政宗の師の引き寄せの教え

引き寄せが上手い人の多くが、引き寄せのやり方を説明する時、自分の感覚的な言葉を使うから困る。
たとえば、「りんごが欲しい時は、りんごと合体するのだ」なんて言われても、自分は分かるのかもしれないが、言われた方は困る。
今は、もっとマシな言い方をする人が多いと思うが、それでも、「願いを意図すれば良いのです」などと言い、やっぱり、それは、普通に通じる言葉ではないのだ。
ある、それなりに信奉者の多い立派な人も、いつも、「決意することが大事です」と言うが、言われた方は、一生、「どう決意すればいいのか分からない」場合が多いのではないだろうか?

「独眼竜政宗」と言われた、碧眼(片目のこと)の戦国武将、伊達政宗の生涯の師だった、虎哉宗乙(こさい そういつ)という禅僧がいた。
政宗は、宗乙の教えのおかげで、無事に生き延びて大大名にもなり、特に晩年は、長く楽しく過ごしたし、宗乙も80過ぎまで元気で自由に生きた。
その宗乙のよく知られた名言に、

痛ければ痛くないと言え
悲しければ笑え
暑ければ寒いと言え

という、いわば、ひねくれ禅がある。
これ、何を言っているか分かるだろうか?
これは、「現実は無視しろ。言葉と態度を持って」という意味だ。
つまりだ。
お金がなくても、そんな現実は無視して、お金があると言う。
モテなくても、俺はモテると言う。
上手くいってなくても、上手くいっているという態度をする。
すると、全てうまくいく。

ただ、これでうまくいく人もいれば、まだ心が不安定で、うまくいかない人もいる。
そんな人がうまくいく方法は、今朝書いた通りだが、それを、宗乙は、子供だった政宗にこう教えている。

政宗(当時の名は梵天丸)と、政宗の学びの友の2人に、宗乙は桔梗の花を見せる。紫色の美しい桔梗だった。
宗乙は、よく見るよう指示した後、2人に目を閉じさせる。
すると、宗乙は、静かに、桔梗の花を千切った。もう茎しかない。
そして、宗乙は2人に問う。
「この桔梗は何色か?」
2人は「紫じゃ」と答えた。
宗乙が「なぜ、そんなことが分かる?」と問うと、政宗と違う方の子供がすぐ、「桔梗は紫じゃ」と答えるが、宗乙は「そんなことは聞いておらぬ!」と一括する。
そして、宗乙は政宗らに、目を開けさせる。
すると、紫の花は、もうそこになく、2人の子供は慌てた。
だが、政宗は再び目を閉じると、「心の目で見れば紫じゃ」と言った。
合格であった。
現実として、紫の花はそこにない。
しかし、政宗の心の中・・・つまり、政宗の世界では、紫の桔梗がある。
現実より、心の世界が重要なのだ。
※政宗のこの逸話は、細かいところでは異なる部分があるかもしれないが、全体はだいたいこれで合っているはずだ。

現実ではお金がなくても、そんなことは無視し、心の中ではお金があると思い、心の中の世界の通りに、お金があると言い、お金があるような態度をするのである。
だが、心(自我、エゴ)が反発して、それがやり難い場合は、常に「お金がある」とアファーメーションを行うのである。
アファーメーションより、呼吸数を落とせば、心は希薄になり抵抗してこないので、その方が良いかもしれない。
まあ、手段は何でも良い。
あるいは、今朝、書いたように、心では年収1憶円とした若い女性のようにやれば良いのである。








幸福になる唯一の方法

ある、金持ちで、割と偉い立場の人が、こう言うのを聞いたことがある。
「こんな仕事してたら、食う以外に楽しみないだろ?」
私は、違和感と言うか、拒否感を覚えた。
彼の仕事は病院長で医者だった。
こんな考え方もあるのだろうか?

伊達政宗は晩年、こんな唄を読んでいる。

馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯(ざんく)天の許すところ 楽しまずんばこれいかん

「戦場を駆け巡り戦った若い時は遠く過ぎ、天下は平定されて長く、私も歳を取った。天の許しで今も生き長らえているのだから、楽しまなくてどうする」といった意味だと思われるが、この唄全体に、「天下を取ることを夢見て奮闘したが駄目だった。天下を取れないまま年老いてしまった。悔しい。せめて楽しもう」という無念が感じられる。
政宗は、本当はどんな気持ちで、この唄を読んだのだろう?

一方、ナチス強制収容所に送られながら奇跡的に生還したユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルは「人生は楽しむためにあるのではない」と言い、インドの詩聖タゴールも、あきらかにそう考えていたことを示した。

よく、「人間は幸せにならないといけない」などと言われるが、それを聞く度に、私は嘘っぽさを感じたものだ。
まるで、初音ミクさんの『こちら幸福安心委員会です』のように、「幸せなのは義務なんです」といった感じだが、この歌は、悪の組織(政党?)をユーモラスに描いたものだ。
幸せなのが義務だと言われたら、人は、楽しみや喜びを求める。
しかし、私には、フランクルやタゴールの言うように、人生は楽しむためにあるのではないことに同意せざるを得ない。
でないと、「何のために生きるのか?」という簡単な問題が難しくなってしまうし、事実、これは難しい問題だと思われている。
人生が、楽しむため、幸福になるためにあるのだという恐ろしい誤解がある限り、これはずっと、解くことが不可能な難問なのだ。

生きることは、単に義務なんだろう。
今ある状況で、まともに生きるのが義務なんだろう。
ところで、「義務教育」とか言われるが、では、学校に行くのは義務なのだろうか?
大抵の子は、そうなのかもしれないが、「学校に行かないことが義務」という子だっているのだと思う。
だが、学校に行かないことが義務の子は、別の苦しい義務を果たすことになる。
それを果せば、結果として、普通の人より幸福になれ、幸せも感じるが、最悪になるリスクもある。
学校に行かない義務を持つ者は、学校に行く義務を持つ者のように、のんびりできず、戦いの中を生きる可能性が高いのだ。戦わないと・・・殺されかねない。生命という意味ではなく、人間の尊厳を奪われるのだ。

言い方は悪いが、奴隷には奴隷の義務がある。
例えば、ほとんどの奴隷は苦しいだろうが、自分より苦しい奴隷の面倒を見たり、助けたりし、また、奴隷でない人にも親切にすることである。
伊達政宗は、天下を取れず、悔しい想いをしたかもしれないが、白髪となった彼にも義務はあり、彼が収めていた奥州を豊かにしたりして、義務を果したのかもしれない。
人間は、天から与えられた情況の中で立派に生きることが義務なのだろう。
幸福になるには、別の方法はおそらくないだろう。









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中二GOの時代

呪文をたゆまず唱えていれば、悪いようになるはずがない。
だが、それだけで大成功することはない。
栄光を得るために、あなたに足りないもの。
それは分かっている。
「狂気」だ。

NHK大河ドラマ歴代視聴率トップは、イケメン盛りだった若き渡辺謙さんが伊達政宗を演じた『独眼竜政宗』だ。
その中で、政宗の父輝宗(てるむね)が、19歳の政宗に言う。
「わしは天下人の器ではなかった。だが、お前なら天下を取れるやもしれぬ。お前には、狂おしさ、恐ろしさがある」
そうだ。まともな人間に天下は取れない。
信長、秀吉が、逸脱したところも多かったことはよく知られている。
一方、家康は、温厚な人格者のように言われることが多いが、それは作られたイメージに過ぎない。
家康は、信長、秀吉以上の異常者だったに違いない。

スティーブ・ジョブズが手に負えない暴君だったことは、よく知られている。
対して、ビル・ゲイツは中庸な人間のイメージがあるが、ゲイツも大変な激情家だった。ある時期からは、人前では怒鳴らないようにしていたのだろうが、歳を取って丸くなったなどとは信じられない。
少なくとも、若い頃のゲイツが社員に飛ばしたメール(ザ・ゲイツ・メール)は、とてもではないが公開出来ないようなものだったらしい。
今は、ジョブズの百倍スケールのデカいイーロン・マスクの時代で、マスクのマズい発言が世間を騒がせるが、あんなの可愛いもののうちだろう。
あの狂気の事業構想・・・火星に人類を移住させ、電気自動車の電気をタダにし、時速1800kmの輸送機関を作り、地下に何層もの高速道路を作り、ロケットを飛行機や船のように、当たり前に何度も使うようにする・・・狂人でないと考え付かないのは確かだ。

私は、『天動のシンギュラリティ』という漫画のヒロイン、香々地アイリスに惚れているが、主人公の天童カイト君も大好きだ。
天童カイトは、(かなり可愛い)中2の妹アカリに「厨二」と馬鹿にされる、魔法オタクの残念な高2イケメンだ。
当然、「偉大なり、俺」と思っている。
だが、彼は成功に必要な条件・・・中二のオタクで突っ走る不屈の心を備えている。
マジンGO、GO GO トリトン・・・ああ古い・・・
今は、厨二GOである。
いや、室町時代だって、「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ(真面目くさってどうする。人生は夢だ。ただ狂え)」(閑吟集)である。
狂え、狂え、狂うのじゃ!









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どん詰まりを抜ける

「どん詰(つ)まり」と「詰(つ)み」は似たような言葉だ。
「どん詰まり」は、

(1)物事の最後。これ以上どうにもならないぎりぎりのところ。どんづめ。
(2)道が終わっている所。行き止まり。

で、「詰み」は、チェスや将棋で、完全に捕獲された状態で、特に、チェスの「チェックメイト」と言ったら分かり易いと思う。

さて、人生も、多少ルールが複雑なだけで、チェスや将棋と同じゲームだという考え方がある。
それなら、負けゲームにはいつか「どん詰まり」「詰み」「チェックメイト」に追い込まれる時が来る。
源義経(牛若丸)が、まさに、どん詰まり、詰み、チェックメイトで散った代表として名高い。
一方、伊達政宗は、何度もチェックメイトの危機に陥りながら、ふてぶてしく生き残り、最後、

残躯天所赦(残躯天の赦すところなれば)
不楽是如何(楽しまずんば是如何)

と詠んだ。
つまり、天のお許しで、生き残ることが出来たのだから、大いに楽しもうではないかという意味だと思う。
良い人生であったことが伺(うかが)える。

私が最近好きなチェックメイトの様子は、SF小説『BEATLESS』で、可憐な少女の姿をしたアンドロイドである紅霞(こうか)の散り際だ。
彼女には心も魂もないのだが、だからこそ輝く。
紅霞は、チェックメイトを完全に受け入れた。受け入れるしかない状況だったが、潔かった。
では、我々は、チェックメイトに対し、どんな態度でいれば良いのか?
斎藤一人さんが、歴史小説を読んで、英雄達の死に際を見ておけと本に書いていたように思う。最後はいろいろだろうが、心構えは持っておいた方が良いのかもしれない。


Last night,Good night
Last night,Good night
いつかは むかえる
最後を 想うよ
夜空に 願うの
ときわの 笑顔を

おやすみ
~『Last Night, Good Night』(作詞・作曲・編曲:kz、歌:初音ミク)より~


なんて美しい歌だろうと思う。
夢破れて、悔恨の中、朽ちていくのだろうか?
夢は叶わなかったが、笑って死ねるだろうか?
柔道家の木村政彦が、柔術家のエリオ・グレイシーの腕を折って勝った時、
「試合に勝って勝負に負けた」
と言ったが、運命との試合に勝ってはならない。負けても勝負に勝てば満足だ。
どんな征服者も大富豪も、最後は負ける。
武道では、どんなに強くても、負けた時の準備をしなければならないのだとか。いつかは負けるからだ。

だが、今のあなたの危機はチェックメイトではない。
何度もやって来る危機を、ひらりいひらりとかわし、最後の勝負に備えるのである。
小敵を退けるためには、斎藤一人さんの千回の法則を使っても良いし、お好みなら筋トレでも良い。
ラスボス(ラストボス。最後の敵)にたどり着けないことが人生の「罪」で、それをこそ「詰み」という。
人間は、どんな困難にも打ち勝てるように出来ている。
最後の敵の顔を見たいじゃないか?
さぞ驚くだろうし、面白いぞ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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