ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

伊藤博之

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

タイムリープしても駄目な者達

教師で教育学者だったウィリアム・スミス・クラーク(1826~1886)が帰国時に、自分が開校した札幌農学校(今の北海道大学)の学生に言ったとされる「ボーイズ、ビー・アンビシャス(Boys, be ambitious like this old man)」は「少年よ、大志を抱け(この老人のごとく)」と訳され、日本人なら知らない者はいないほど有名だ。
ただ、この「ボーイズ、ビー・アンビシャス」は、クラーク博士が実際に言ったのではないとか、意味はせいぜい「元気でな」程度だったとかいろいろ言われているが、大半の日本人にとっては、
「若者よ、大志を抱け(若者よ、大きな夢を持て)」
という意味だし、また、これは金言(きんげん)と捉えられているだろう。

だが、偶然にも同じ札幌の初音ミクの会社であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、何かのインタビューに答えてだと思うが、日本的「ボーイズ、ビー・アンビシャス」と真逆の意味とも思える、
「夢に人生を賭けるな」
と言われたのが本当の金言だ。
伊藤社長は、ミュージシャンを目指す若者達が北海道から上京し、30歳くらいで諦めて帰って来たのを見て、その歳からやり直すのは厳しく、人生を棒に振ったようなものだと思って、そう言われたようである。
まさに、夢に人生を賭けて不幸になった人達だ。
一方、伊藤社長が、ボーカロイドで世界的な大革命を起こしたのは、意図したことではなく、たまたまとか、なりゆきだったと言えなくもないと思う。

ピュア・ガール
AIアート135
「ピュア・ガール」
Kay


『トワイライトゾーン』という、アメリカの古いミステリードラマ(テレビ番組)の中の1つに、自分そっくりのアンドロイドを作った男の話がある。
自分と見分けがつかないばかりか、そのアンドロイドは自分は人間だと思い込んでいた。
男は、自分そっくりのアンドロイドに言う。
「皆、子供の時は、偉くなる、博士になると言う。だが、やがて言わなくなる。だが私は違った。夢を捨てなかったんだ」
結局、この男は、その自分そっくりのアンドロイドに殺される。
まあ、そもそも、あれから半世紀以上経つ今でも、そんなアンドロイドを作るなど、夢のまた夢だ。
このドラマを見て、「うん、夢を捨てないことは素晴らしい」と思う者は(絶対にいる)阿呆だろう。
そんな阿呆は、夢に人生を賭け、その夢に殺される。

私がタイムリーパーでなくても、サッカー選手になるとか、作家になるなんて本気で言う者が周囲にいたら、「やめとけ」とは言えないが、可哀そうだなとは思うだろう。
私の知り合いに、教育事業で成功した人がいる。
その人は、教育に対する情熱を持っている人ということになっているが、彼が塾を始めたきっかけを知っている者は少ない。
彼は、大学生の時(そこそこの大学の学生だった)、無料で子供達を集めて勉強を教えていた。
その時、子供達の親にお菓子をもらったのだが、それですごく得をした気持ちになって、その勉強会を続け、その延長で大学生のまま塾を開いたら、成功してしまったのだ。
要は単に、教え好きのお兄ちゃんだったわけだ。
上の伊藤社長も、公務員兼夜間大学生の時に、電子音楽にハマってしまったなりゆきで会社を起こし、そのなりゆきで初音ミクを作ることになったようである。

まあ、成功するかどうかは分からないが、好きなことをすべきということだろう。
好きなことだから、周囲からは大変な努力をしているように見えても、本人は楽しいだけである。
そして、その好きなことは、自分の力でやることが必要だ。
私の知り合いのその事業家も、塾を経営しながら大学は卒業したし、伊藤社長も公務員も大学も続けながらやっていた。

タイムリープしても、サッカー選手や作家やミュージシャンみたいなものになろうと思い込まないことだ。
そして、タイムリーパーに限らないが、思考を消すことだ。
思考すると全て悪い方に行く。
思考しなければ、どんな展開になるかは分からないが、不幸にはならないだろう。
思考して無駄なことをやる者を馬鹿と言うのである。
まあ、そんな馬鹿は、そもそもがタイムリープはしないものである。
要は、いかなる場合でも、思考を消すことが最重要である。
そのためには、いつも言う通り、「私は誰か?」と自分に問うか、世界コマンドを唱えることである。

馬鹿が多いので、今回のような話も有益と思う。
馬鹿はタイムリープしたってやっぱり駄目だし、そもそもがタイムリープ出来ないだろう。








好きなことをやる

生き方など人それぞれで、どんな生き方が良いかなどは分からないが、羨ましいと思うのは、野球選手だったテッド・ウィリアムズの生涯だ。
テッド・ウィリアムズの名を知らない人も、特に日本人では多いだろうが、彼の全盛期の数年が戦争中でなかったら、多くのメジャー記録を書き換えていた可能性が高い。
通算出塁率はメジャー史上1位で、三冠王を2度獲ったのも、彼の他には1人しかいないが、何より彼はメジャー最後の4割バッターとして知られている。
首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回といえば、やはり化け物みたいな選手だったのだろう。
また、彼は引退後は監督としても抜群の実績を残した。
彼は、子供の時から野球のために生きていて、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがり、実際、不可抗力な力で阻止されない限りそうした。不可抗力な力の中には、夜、寝ずにバッティングをやりたがる彼を、両親が無理矢理ベッドに押し込んで寝させるというものもあったらしい。
ちょっと昔、チームラボ社長の猪子寿之氏が、今のKADOKAWAとドワンゴの社長の夏野剛氏と対談した時、自身も天才と呼ばれる彼は「人間の生まれつきの能力に差はない。問題はかけた時間だけ」と言われていたのを思い出す。
また、作家の村上龍氏も、坂本龍一氏との対談で似たようなことを言われ、「今の坂本があるのも、才能ということもあるだろうが、3歳からピアノをみっちりやったからだ」と述べていた。
まあ、無理矢理ピアノをやらされても坂本龍一にはなれないだろうから、坂本龍一氏は、ピアノが好きだったとか、向いていたとか、あるいは、ピアを弾くことのモチベーションを持っていたのだろう。

忘我
AIアート115
「忘我」
Kay


ところが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、学生時代までは、ずっと嫌なことをやり、苦しい人生だった。
そして彼は、作家・詩人として成功してからは、ずっと旅行をしていた。
作品は、旅行のついでに書いたようなもので、実際、彼の作品自体は多くはない。
彼は複雑な人物で、本当は何をやりたかったのかはっきりしない。
だが、芸術家はそんなものかもしれない。
岡本太郎だって、若い頃は描けなかった時期もあったと言い、作品は決して少なくはないが、非常に多いというわけでもない。
そして、自分では「私の最高傑作は岡本太郎だ」と言っていたので、生きていること全部が芸術だったのだろうが、同じようなことを言う高名な芸術家がいたように思う。
ピカソやゴッホのように、ひたすら作品を作り続けた画家もいたが、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、他のことで忙しくて、作品が少ない画家もいた。
印象深いのは、75歳から作品を作り始めながら100歳を過ぎるまでひたすら制作し、最も多作な画家と言われたグランマ・モーゼスだ。
とはいえ、作品を作る行為かどうかはともなく、彼らは皆、好きなことをやっていたことは間違いない。

2015年だったか、初音ミクさんの会社のクリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之氏の講演会に行ったが、伊藤社長はとても控えめな方で、あまり「ああしろこうしろ」といった話はされないないのだが、「好きなことをしろ」「好きなことでないと続かない」「好きなことをするシステムは自分で作れ」「好きなことをしていればセレンディピティ(幸運な偶然)が起こる」と言われていたのをよく憶えている。

昔、有名なプロゴルファーだったセベ・バレステロスがテレビCMの中でだったが、「私が子供の時、父親が私に言った。『何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ』」と言っていたが、「好きになれ」というよりは「好きなものを見つけろ」だろうし、強くなるかどうかは、あまり気にすることでもないだろう。
それよりも、好きなものを見つけたら、それをやることが大事だ。
あえていえば、ただの面白いと好きを混同してはならない。
ゲームは面白いが、ほとんどの場合、本当の好きではない。
エロいことは誰でも好きだが、池田満寿夫のように本格的に好きで、起きている時間ずっと「エロティシズム」に取り組まないと芸術家にはなれないのだろう。そこまでエロい人はなかなかいまい。








大志は抱くものではなく起こるもの

初音ミクさん誕生の地、北海道の札幌で現在の北海道大学である札幌農学校を開校したウィリアム・スミス・クラーク・・・通称クラーク博士が、9ヵ月日本に滞在した後、札幌農学校の一期生との別れの際に発した、
「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」
という言葉がよく知られている。
確かに、この言葉には、いろんな説があり、クラーク博士が実際はどう言ったのか、どんな意味で言ったのかは様々な説があるが、このような言葉で学生達を激励したことは間違いがないようだ。

「少年よ大志を抱け」
普通には、「野心的であれ」という意味と考えられているが、何が「大志」で何が「野心」かは、人それぞれの考え方だ。
そして、大志、あるいは、野心を抱くことが、良いか悪いかは、一般的に良いとされていると思うが、これもまた、人それぞれの考え方だ。
だが、実際は、誰も大志(あるいは野心)を抱くことは出来ない。
大志を抱いたかのように見えても、実際は抱かされたのである。

大志と思えるものが起こったとしたら、それはエゴの大志か、潜在意識の大志かだ。
エゴの大志には、プロサッカー選手になりたいとか、女優になりたい、金持ちになりたいなどといったものが多いと思う。
つまり、エゴの大志は、単に、優越感や安心感を目的とした偽物だ。
本物の大志は潜在意識から出てくるが、それは、思考やエゴ(この2つは同じだが)とは何の関係もなく、現れる時は自動的に勝手に現れる。
エゴの大志を消したら、本物の大志が出てくるか、出てこないかは分からないが、エゴの大志が消えない限り、本物の大志は出てこない。
しかし、やはり、本物の大志が出てくるかどうかは、エゴである自分が決めることではない。
そういえば、初音ミクさんの会社のクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、何かのインタビューだったかで「夢に人生を賭けるな」みたいなことを言われていたが、この「夢」はエゴの大志みたいなもののことだろう。

別に、エゴの大志も捨てる必要はなく、それはそれで、それに向かって楽しくやれば良い。
言い換えれば、楽しくないなら止めれば良い。
伊藤博之社長も、このことを、「好きでないと続かない」と講演で言われるのを聞いたが、つくづく、エゴの大志というのは厄介であると思う。

矢追純一さんが「僕は頭が悪いから考えることを諦めた」と言ったのが良い生き方であると思う。
矢追さんは、目標自体は、その都度持ったらしい。
例えば、高校生の時に妹2人を自分で養うとか、大学進学とかだが、それらも、矢追さんが考えて立てた目標ではなく、潜在意識からの目標で、だから、勝手にうまくいったのだろう。
その後、矢追さんが、日本テレビに入って、UFO番組みたいなものを作ったのも、潜在意識からの指令のようなもので、矢追さん本人からすれば、なりゆき以外の何物でもないだろう。
自分のちっぽけな頭で考えることを止めれば、大志かどうかはともかく、潜在意識が目標を出してくるのだと思う。
ただ、心配しなくても、楽しいことはやって来る。
政木和三さんのようにな真面目で堅物な人物でも「お金も女も、来るものは仕方がない」と思えば来る。そんな世界なのだと思えば良いのであると思う。








セレンディピティを呼ぶ生き方

成功した人というのは、たまたま成功したのであることは間違いない。
言い換えれば、幸運であったのだ。
ある野球選手は、彼が草野球をしていたところを、たまたまプロ野球のコーチが見たことで運命が変わり、ある男性芸能スターは、彼が交差点で立っているのを、たまたま大手芸能プロダクションの社長が自動車を運転しながら見かけてスカウトした。
この2人は、そのたまたまがなくても、才能があったから、結局は別の方法で成功したかどうかは分からないが、肝心なことは、才能があっても、そんなたまたまがなかったために、生涯を凡人で過ごす人が沢山いるに違いないことだ。
そして、そんな超成功者だけでなく、普通の人の中で、上手くいっている人も、聞けば、上手くいくきっかけとなる幸運なたまたまがあったのである。

だが、幸運なたまたまを呼ぶのも、それを生かすのも、本人次第である。
最初に挙げた2人の超成功者達の内、野球選手の方は、確かに野球の才能があり、それがプロのコーチの目に留まったのだが、普段の生き方、心構えが、他の人とは違っていたのだ。
芸能スターの方も、生まれつきの美少年ということもあったのだろうが、スターの才能を感じさせる、立ち居振る舞いや目つきなどが、普通の少年とは違っていたのであり、それもやはり、普段の生き方や心構えが、普通の少年とは違っていたから、そうなったのである。

幸運なたまたまを呼び、それは生かすのは、普段の生き方や心構えであり、それは、目つきに、そして、立ち居振る舞いに現れる。
アインシュタインのように、論文(ブラウン運動の論文だったが)で成功のきっかけを掴んだというケースもあるが、彼だって、普段の生き方や心構えが違っていたのであり、目つきや心構えも、他の人と違っていたはずである。
スティーブ・ジョブズは、「どんな形かは分からないが、今やっていることと、未来の何かという、2つの点が結び付くのだ」と言ったのだが、これもつまり、今、どんなことを、どんなふうにやっているかが重要であることを示している。
スティーブ・ジョブズの場合、退学したリード大学で、カリグラフィーの講義を受けたことが(違法だが)、将来、マッキントッシュパソコンを開発することに結び付いたのだという。ただし、それが分かるのは後の話で、カリグラフィーの講義を受けている時は、そんなことは全く分からず、単に興味があったから勉強していたのだ。

最初の、あの野球選手も、好きだったから草野球をやり、芸能スターになった少年も、スポーツ選手やアクションスターに憧れて、スポーツをやり、身体を鍛えていたのである。
初音ミクさんの会社クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が2015年の神戸での講演会で、「自主的に好きなことを続けていればセレンディピティ(幸運な偶然)が起こる」と言われていたが、彼だって、昼は公務員(大学の事務員)、夜は大学の夜間部に通いながら、長期ローンを組んでまで電子音楽にのめり込んでいたのである。

スティーブ・ジョブズは、こんな言い方をしている。
「今やっていることが、将来の点とどう結びつくかは分からないが、結びつくと信じるしかないんだ」
だから、何か面白いことを自主的にやり、それが、いつか何かと結びつくと・・・信じよう(笑)。
エロとグルメばっかりでは駄目である(SF『BEATLESS』で15歳のオリガが「人類はエロとグルメで進歩した」と言ったのを思い出した)。








成功とは

何年か前、どこかのWebサイトで見たが、初音ミクさんの会社クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、ミュージシャンに関して話されたインタビュー記事があった。
伊藤社長が生まれた時からずっと住んでいる北海道から、ミュージシャンを目指して東京に行く若者が何人もいたが、皆、30歳くらいで諦めて帰って来る。しかし、その歳からでは別のことを始めるのは難しい・・・そんなお話で、要は、夢に人生を賭けるなといったことだったと思う。
ミュージシャンになるには才能が必要だ。
ひょっとしたら、伊藤社長自身もミュージシャンになりたいと思っていたのではないかと思うが、彼はそれにはチャレンジしなかった。そして、別にそれでプロになろうと思ったわけでもない・・・つまり、単なる趣味だったと思うが、電子音楽に熱中し、そうしたら、30歳くらいで、音源を扱う会社であるクリプトン・フューチャー・メディアを起こし、なりゆきで歌声合成ソフト(いわゆるボーカロイドソフト)の初音ミクを出したら大ヒットし、さらに、初音ミクがキャラクターとしても人気が出て、国内のみならず、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの多くの国の大会場でライブをするという、当初、全く予想もしていなかった展開になってしまった。

ところで、そのミュージシャンを目指したが失敗して帰ってきた人達は、その後、どうなったことだろう。
すっぱり諦めて、真面目に働いているかというと、やっぱり諦めないまま夢を引きずる人もいると思うのだ。いや、大なり小なり、皆、そうかもしれない。
YouTubeの岡田斗司夫さんの動画で、こんな話があった。
48歳のある男は、作家志望だったが、ようやく諦めて働くようになったが、仕事が続かないと言うか、仕事に消極的な雰囲気だ。
岡田さんは、この男は、今でも夢を引きずっているのだと言い、それを非難されていた。
作家にしろ、YouTuberにしろ、注目を集める仕事で成功するには、やはり才能が必要で、いくら何でも、35歳くらいになっても駄目だったら、才能がないのだとすっぱり諦めろと、珍しく、厳しい口調で言われていた。
私は、それに共感する。それには、こんな思い出が影響している。
だいぶ前のことだが、テレビで、50歳とかを過ぎても歌手で成功することを諦めずに頑張っているという人達を紹介していたが、はっきり言って、それらの人達は、愚かで惨めだった。その後、成功した人は、まず1人もいまい。
才能もないのに、しがみつくことへの戒めとして、良い番組であったと思う。

ところで、誰からも成功したと思われている人が、自分では自分が成功したと思っているかは疑問なのだ。
日本で一番の野球選手はイチローだという意見が圧倒的と思うが、古いファンであれば、王貞治さんや落合博満さん、あるいは、張本勲さんや野村克也さんの名を挙げる人も多いと思う。
確かに、日本国内に関して言えば、いろんな意見があろうが、世界レベルで言えば、もう間違いなく、ダントツでイチローなのである。
だけど、そのイチローが、最後は力が衰えても現役にこだわり続けたのは、肯定的な見方もあろうが、彼が満足していなかったことを示しているのだと思う。
それで言えば、こんな分かり易い話がある。
日本で一番のプロレスラーはと言えば、ジャイアント馬場さんだ、アントニオ猪木さんだ、いや、力道山だという意見があると思うが、これも、世界レベルで言えば、格違いで馬場さんが一番だ。馬場さんはアメリカでも大スターだったが、力道山や猪木さんは、アメリカでは、それほどのスターではなかったと思う。
その馬場さんが、引退後は画家になろうと思っていたらしく、かなりの腕前で絵を描いていたらしい。しかし、プロのレベルかというと疑問である。だが、馬場さんは、元々、本当は芸術家になりたかったのだと思う。
プロレス界には、ジョージ・ゴーディエンコという、引退後、画家で成功した人もいたが、彼の場合は、怪我で若くして引退し、また、プロモーターでもなかったので時間があった。
その点、馬場さんには無理であった。
あのゲーテだって、相当いい歳になっても、イタリアで画家になることを夢見ていたという話もある。
このような人達は、案外、自分は成功していないと思っていたのかもしれない。
私がそう考えるのには、こんな思い出があるからだ。
私の知人に、立派な業績を持つ事業家がいる。大学時代に起業し、順調に業績を伸ばし、東証にも上場し、その後も、会社は盤石である。
そんな彼がある時、自分は、同窓会に行くのが嫌なのだと言う。
決して、彼は人付き合いが苦手なタイプではなく、むしろ、社交性のある人である。
それなら、彼くらい成功していれば、颯爽と同窓会に行って、元クラスメイト達に晴れがましい姿を見せたいと思うのではないか?
しかし、彼がぽつんと言ったことが印象的だった。
「あいつらには、どうも俺が成功者に見えるらしいんだな」
いや、どう見ても成功者である。
しかし、彼は、自分ではそう思っていないのだ。
私は、彼は、社長なんかではなく、現場仕事が好きなことを知っている。
実際、ある時期までは、社長をやりながらも、現場仕事にも精を出していたが、会社が大きくなり、社長業が忙しくて現場の仕事が出来なくなった。
そんな彼が以前、「俺が、いまさら部長にしてくれと言っても駄目だろうなあ」と言ってのは、冗談ではなく、現場に戻れない嘆きが入っていたのだろう。
そして、彼が時々、現場の人達のことで、「俺ならもっとうまくやれる」と言うのは、どこか悲しいものがあった。

才能がなければ、現実的に、思うようなものにはなれない。
しかし、才能があって、ひとかどの人物になったと思われている人だって、あまり満足していないものではないかと思う。
何かになることが、スターになることや、金持ちになるためであれば、ちょっと考え直した方が良いと思う。たとえ成功しても、後悔が大きいに違いない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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